2011年09月27日

もののあわれについて。534

うち続き、入学といふ事せさせ給ひて、やがて、この院のうちに御曹司つくりて、まめやかに、才深き師に預け聞え給ひてぞ、学問せさせ奉り給ひける。大宮の御許にも、をさをさまうで給はず。夜昼うつくしみて、なほ児のやうにのみもてなし聞え給へれば、かしこにては、え物習ひ給はじ、とて、静かなる所にこめ奉り給へるなりけり。一月に三度ばかりを、参り給へ、とぞ、許し聞え給ひける。




引き続いて、入学の儀式を行い、そのまま、東の院の中に、部屋を作り、才能ある師に預けて、真面目に学問をさせる。
大宮の所へも、めったに、出かけない。大宮は、つきっきりで可愛がり、元服しても、子供のように、扱うので、あちらでは、とても、勉強されないだろうと、静かな所に、閉じ込めたのである。
一月に、三度くらいなら、伺ってもよいと、許した。




つとこもり居給ひて、いぶせきままに、殿を、「つらくもおはしますかな。かく苦しからでも、高き位にのぼり、世に用いらるる人はなくやはある」と思ひ聞え給へど、大方の人がらまめやかに、あだめきたる所なくおはすれば、いとよく念じて、「いかでさるべき書どもとく読みはてて、まじらひもし、世にも出でたらむ」と思ひて、ただ四五月のうちに、史記などいふふみは、読みて給ひてけり。




じっと、籠もって、気が晴れず、殿様、源氏を、酷い方だ、こんなに苦しまなくても、高い位につき、世間に大事にされる人は、あるのに、と、思うが、性格が真面目で、浮ついたところがないので、よく我慢し、何とかして、必要な漢籍を、早く読み終えて、官の道につき、出世しようと、思うのである。ほんの、四、五か月の間に、史記などを、全部読んでしまった。

史記とは、司馬遷による、全百三十巻の書。




今は寮試験受けさせむとて、まづわがお前にてこころみさせ給ふ。例の大将、左大弁、式部の大輔、左中弁などばかりして、御師の大内記を召して、史記の難き巻に、寮試験受けむに、博士のかへさふべきふしぶしを引き出でて、一わたり読ませ奉り給ふに、至らぬくまなく方々にかよはし読み給へるさま、つまじるし残らず、あさましきまでありがたければ、さるべきにこそおはしけれ、と、誰も誰も涙おとし給ふ。大将は、まして、「故大臣おはせましかば」と、聞え出でて泣き給ふ。




もう、試験を受けさせようと考えて、まず、自分の前で、試験をされる。
例の通り、大将、左大弁、式部の大輔、左中弁などばかりで、先生の、大内記を呼んで、史記の難しい巻きで、寮試験を受けるとき、博士が質問しそうな箇所を取り上げて、一通り、読ませると、不明なところもなく、諸説に渡り読解する様子は、あきれるほど、よい出来である。
生まれが違うのだと、誰も誰も、涙を流す。伯父の大将は、まして、亡くなった大臣がいらしたら、と、おっしゃり、泣くのである。

夕霧の、学業の様である。

つまじるし残らず
爪で、印をつけておく。それも、残っていないという。




殿もえ心強うもてなし給はず、源氏「人の上にて、かたくななり、と見聞き侍りしを、子のおとなぶるに、親の立ちかはり痴れ行くことは、いくばくならぬよはひながら、かかる世にこそ侍りけれ」など宣ひて、おしのごひ給ふを見る御師のここち、うれしく面目あり、と思へり。大将盃さし給へば、いたうえひしれてをる顔つき、いとやせやせなり。世のひがものにて、才の程よりは用いられず、すげなくて身貧しくなむありけるを、御覧じうる所ありて、かくとりわき召しよせたるなりけり。身にあまるまで御かへりみを賜うて、この君の御徳に、たちまちに身をかたへたると思へば、まして行く先は、ならぶ人なきおぼえにぞあらむかし。




殿様、源氏も、我慢できず、他人のことでは、苦しくも、今まで、見聞きしてきたが、子が大きくなる一方で、親が代わって、馬鹿になってゆくことは、私など、まだたいした年というわけではないが、世間は、こうしたもの、などと、おっしゃり、涙を拭うのである。それを見る、大内記の気持ちは、嬉しく、面目をほどこしたと思うのだ。
大将が、盃を差すので、すっかり酔っ払う顔つきは、本当に痩せこけている。大変な、変わり者であり、学問の割には、世に用いられず、貧乏だったのを、源氏の目に留まり、このように、特別に、お召し出しになったのである。
身分に余るほどの、御好意を頂戴し、殿様のお陰で、急に生まれ変ったようになったのだ。だから、将来は、それ以上に、並ぶ者がないほど、名声を得るだろう。

最後は、作者の言葉である。

当時の、勉学の様子がよく解る。
漢籍を読み、覚えることが、学問の道だった。

大学寮の試験が受かると、擬文章生となる。

大内記とは、中務省の役人であり、詔勅を作り、位記を書く。
正六位上相当である。

乙女の巻は、夕霧の物語へと、移行してゆく。




posted by 天山 at 07:38| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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