2011年09月23日

ビサヤ諸島への旅8

女の子だけの、孤児院である。

5歳くらいから、13歳くらいまでの、女の子たちである。

門を開けてもらい、記帳して、子供たちが集う。
小さな子から、整列した。

私は、一人一人に、手渡す。
その間に、エデアさんが、荷物をほどく。
次々と、それを渡されて、また、子供に渡す。

全員に渡し終えて、更に、衣類を掲げて、欲しい子に、渡す。

ようやく、支援が済んだ。
私は、そこで、挨拶した。

ジャパニーズ・テンです。皆さんと、友達になるために、来ました。
また、来ます。今度は、もっと、プレゼントを持ってきますね・・・
子供たちが、歓声を上げた。

そして、子供たちに、シング、ソングと、言うと、子供たちが、すぐに、歌いだした。
ありがとう、の、歌である。

そして、私は、アベマリアと言うと、アベマリアの歌が、出た。

更に、続けて要求すると、踊り振りつきの、歌である。

今度は、私が、歌った。
即興の英語の歌詞。

マイ・ロード・イエズス・ラブと、名付けた。

そして、日本の、さくらさくら、である。

シスターたちも、とても、喜んだ。

最後は、シスターの一人が、聖堂がありますと、教えてくれたので、私は、聖堂に向かい、跪いた。

子供たちが、見ている。

十字を切り、祈った。
子供たちのために・・・

お別れである。
皆、手を振る。
シスターたちも、何度も、頭を下げた。

とても、良い出会いだった。
子供たちは、二度と、私を忘れない。
そして、また、来るのである。

写真は、フランシス君が、担当してくれた。
運転手も、楽しそうである。
エデアさんが、シスターたちに、挨拶する。

無事、孤児院での、支援を終えた。

そして、休憩することにした。

私たちは、エデアさんの家で、少しばかり、ご飯を頂いたので、まだ、空腹は感じないが、エデアさんと、フランシス君は、昼を過ぎて、お腹が、空いた頃である。

更に、運転手さんも、誘い、レストランに入った。

最初は、遠慮していた、運転手さんも、一緒に席に付いた。

私たちは、飲み物だけで、後は、エデアさんに、任せた。

その後は、慰霊碑に向かう予定である。
だから、私は、エデアさんと、フランシス君を、そこで、帰ってもらおうと思った。

レストランか出て、二人にそれを言うと、一緒に行くという。
それでは、と、また、五人で出発した。

前回来た時に、最後に連れて来られた、場所である。
立派な慰霊碑が建つ。

今回は、準備をしてきたので、慰霊の儀を、執り行う。
フランシス君が、写真を撮ってくれるのである。

祝詞を上げて、清め祓いし、更に、黙祷する。

すると、付近の人が、集まって来た。
その中に、慰霊碑の世話をしているという、おじいさんが、いると、エデアさんが、教えてくれた。

そこで、支援物資のバッグを開けて、おじいさんに合う、ズボンを取り出して、差し上げ、更に、200ペソのお礼をした。
おじいさんは、驚いたようだが、快く、受け取ってくれた。

そして、幼児を連れた、家族に、衣服を渡した。
また、二人の少年にも、ズボンと、シャツを上げる。

一人の男の子が、車の傍まで来て、ありがとう、と、お礼を言いに来た。
また、来るからね・・・

スィユーアゲン

すべてを、終えて、時間を見ると、五時間を経ていた。
こんなに、スムーズに行動できたのも、エデアさんの、お陰である。

何度も、お礼を言うと、彼女は、私の方こそ、ありがとう、と、言いますと言う。
参加出来て、本当に嬉しい。
更に、フランシス君も、学生時代に、ボランティア活動をしていたということで、特に、日本の人が、こんな所まで来て、孤児たちのために、と、改めて、お礼を言われた。

兎に角、すべてが、嬉しいのである。

日本軍が、この地でしたことは、あまり、良いことではなかった。
当時は、反日感情が強かったという。
だが、今は、逆である。

その後の、日本の対応によるものである。

幾人からも、次は、いつ来るのと、尋ねられた。
来年・・・
ということで・・・

再来年になるかもしれないと、私は、思った。
行くべき所が、沢山あるのだ。




posted by 天山 at 07:11| ビサヤ諸島への旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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