2011年09月20日

ビサヤ諸島への旅5

明日からはまたギンバラオンの奥地に通じる街道の現地調査や、街道の延長工事、橋梁の架設工事が続くのである。
池平八

ギンバラオンは、マンダラガン山の、裾野である。
そこに、シライ川が流れ、隣町が、タリサイ、そして、バコロドと、続く。

日本軍の、活躍の場は、この三つの町であり、マンダラガン山である。
美しい、三つの山が、並んで見える。

現在は、シライ市近郊に、バコロド空港がある。

空港から、バコロドまでは、車で、20分ほどである。

であるから、私は、日本軍の活動していた場所にいるのである。

そのころ、本部経理部の主計の物品調達係に、一人の上等兵がいた。彼は、三日に一度バコロド市のマーケットその他に、物品調達に出る。本部の将兵の生命を預かる食糧確保の重大な責任ある任務だ。だが、ある夜遅く、バコロドからの帰路、深夜の街道脇で何者かに惨殺されていた。
池平八

その彼は、バコロドに出掛けているうちに、現地の娘と、恋に落ちた。
夜遅く、軍の公用札を持ち出し、自転車で、バコロドに向かい、ニーナーという娘と、つかの間の逢引を重ねていた。
しかし、ある日の朝、行方不明になり、捜索すると、タリサイとバコロドの間の、海岸沿いの椰子の林の中で、惨殺されていたのである。

当時は、現地人の中に、スパイが忍び込んでいた。
その、スパイに殺されたのだろう。

そのような、話しも、ある。

日本軍は、米兵と、フィリピン兵たちと、いつ、戦闘状態になるか解らないという、状況下にあった。

ふと上空を見れば、敵兵の顔がはっきりと見えるほどの低空だ。上半身を機外に乗り出して機銃掃射する。五分、十分、いや何十分。もう生きた心地はない。無我夢中で、ぐるぐると逃げ回る。息もたえだえ、全身くたくた。敵機に発見されて、どれくらいたったのだろうか。ようやく敵機は去った。一機のみ。もし複数で襲撃されていたならば、難を逃れることは不可能だっただろう。
池平八

そのような、状態が、毎日のように、続く。

敗戦末期・・・

日本内地と現地、更に、現地と北部マニラとの、空海の連絡路は、米軍に掌握されていたというから、悲劇である。

それでも、日本軍は、
シライの町の西方を、中央山岳に源を発して、水量豊かなシライ川の流れがある。この川に沿った上流十数キロの山岳台地において、残敵掃討作戦が展開された。
池平八

ということで、私は、前回、シライ川と、その台地の手前で、慰霊の儀を、執り行った。

その日、早朝から行われた戦闘は熾烈を極めた。地の利を得て、死守する残敵との交戦は、一進一退し、ようやく掃討作戦の終結を見たのは、翌日の正午を過ぎていた。
池平八

今だから、言えることだが、実に、無駄なことをしていたものである。
そして、そんな中で、命を落とした兵士たち・・・

実に、あはれ、ではないか。

戦いに、理屈は無い。
殺すか、殺されるか、である。

日本兵、米兵、フィリピン兵・・・
どれほどの、兵士が、命を落としたか。

想像する以外に、無い。

この頃になると、輸送船も、撃沈されて、物資が手に入らなくなる。
簡単に、輸送船の撃沈と、言うが、そこでも、多くの死者がいる。

兵士ばかりではない。
海に、山に、野に、兵士たち、他の、遺体が、遺骨が、散りばめられたのである。

遺骨収集は、大いに結構である。
しかし、無理である。

敗戦から、66年を経て、その遺骨は、自然と同化した。

何より、追悼慰霊である。
追悼とは、追って思い出し、悼むことであり、慰霊とは、霊位を、慰めることである。

忘れていないという、証拠である。

アメリカは、戦争を続ける国である。
だから、アメリカ軍、連合軍の慰霊地は、兎に角、手厚く、保護されている。
もし、それが無ければ、誰が、戦争などに、行くものか。
戦死者を、手厚く奉るからこそ、戦争を続けられる。

その点、日本は、戦争放棄したゆえか、その慰霊地は、現地の人に任せたり、放っている。

その分の、金を、支援金として、使用したと、思えば、救われる。が、あまりにも、惨い場所もある。

フィリピンの、慰霊の聖地と言われる、パグサンハンのカラリヤは、アメリカによって、作られた。
日本兵の、慰霊碑もある。

だが、日本によって、というより、有志によって、奉られた、パグサンハンの比島寺の慰霊地は、現地の人に任せてあり、慰霊碑の間には、洗濯物が、干されていた。

戦争放棄は、いい。しかし、慰霊を、怠ることは、戦死した兵士に対する、冒涜である。

現に、今、戦争が始まれば、自衛隊員が、出向くだろうが、大半が、除隊するはずである。
死んでも、粗末に扱われるような、国のために、命を賭けるなどとは、思うまい。

私が、この人生の最後を、費やすのは、追悼慰霊のためである。
この世に、欲しい物もなく、生きるべき、意味なども、無い。

生きるに、意味を見出すなど、傲慢の至りである。
生まれたことが、奇蹟なのである。

偶然も、必然も、元を辿れば、同じこと。

生まれて、生きていることだけでも、十二分すぎるのである。




posted by 天山 at 08:14| ビサヤ諸島への旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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