2011年09月19日

ビサヤ諸島への旅4

バコロドの古くて安いホテルに、昼前にチェックインした。
750ペソ、1500円である。

私は、部屋が大きいのが、気に入っていた。
勿論、日本人は、泊まらないホテルである。

徹底した、節電のホテル・・・
エレベーターも、荷物がある時のみ、動かすという。

そして、何と、前回と同じ部屋である。

兎も角、本日は、一日、ゆっくりと、休む。
周辺の状況は、以前来ているので、よく解る。

市場が、近いのが、いい。

その日は、土曜日であり、翌日の日曜日に、すべての、予定をこなすという計画である。

支援と、追悼慰霊である。
慰霊は、戦没者の慰霊碑を、前回最後に、見つけたので、今回は、慰霊碑の前で、特に、しっかりと、祈り、黙祷したという、思いである。

バコロドには、テラの会支部がある。
荷物は、すでに、着いていた。
二つ分のダンボールである。

今回は,母親のロザンナさんが、友人の病気見舞いに出掛けて、娘の、エジアさん、だけである。

早速、メールが入る。
無事に到着したことを、伝える。

明日は、朝、10時から、活動を開始することにしていた。

孤児院を、三箇所回り、その後で、追悼慰霊の儀を執り行う。

車の手配だけが、問題だった。

それは、エジアさんに、してもらうことにした。
地元の人に頼む方が、ボラれないと、思う。

ちなみに、ホテルフロントに、料金を尋ねると、24時間貸切で、2000ペソ、4000円である。
更に、それでは、12時間では・・・
それも、同じ料金だと言うから、呆れた。

結局、エジアさんに、頼み、六時間で、1200ペソ、2400円で、決めた。
大型のバンである。
荷物が多い。

私の食事は、ほとんど、市場にある、食堂である。
100円ほどで、十分に食べられる。

コータは、あまり、気が進まないようで、時に、別々に、食事をした。
要するに、市場の衛生面が、気がかりなのである。

水道の水は、勿論、飲めない。
水道水に似たものが、売られている。
飲み水は、ペットボトルのミネラルウォーターにしていた。

ただ、市場では、水道水と、水道の水を沸かせて、使用する。
その、目安がつかないから、不安になる。

私は、沸騰させれば、いいと、気楽に、市場で、食べた。

ネグロス島は、魚が、豊富である。
多くの、魚料理を食べた。といっても、煮たり、焼いたりであり、バリエーションが少ない。

刺身は、日本料理店に行かなければ、食べられない。
一度も、今回は、行かなかった。

コータが、楽しみにしていたのは、20円のコーヒーである。
市場の角にある、小さな店。
何せ、挽きたての本格コーヒーである。

私も、翌日の朝から、出掛けた。
朝、五時から、営業している。つまり、市場関係者の店なのである。

その、コーヒーは、何とも贅沢だった。
香りといい、味といい・・・
言うこと無し。

孤児院を廻った、報告の前に、少しばかり、ネグロス島の戦記から、その戦いを、紹介する。

池平八氏による、ネグロス島戦記
マンダラガン山に果てし戦友よ
から、引用する。

実は、ここ、バコロドの人々は、日本軍に、よい印象が無い。
地元の人を、スパイとして、処刑したり、フィリピン兵を、公衆の面前で、公開処刑したりした。
根強い、反感がある。

だが、時は、66年を経た。
それを知る、人は少ない。

コーヒー屋で、72歳の、老人に出会った時、私は、日本軍を知っているかと、尋ねた。彼は、知っていると、答えたが、それ以上は、話さなかった。
当時、彼は、六歳程度であるから、少しばかりは、日本軍の、残虐行為を、聞いているはずである。

日本軍の、食糧調達も、現地の人々を、苦しめたはず。

それでも、今は、日本、日本人に対しては、良いイメージがある。
それは、日本からの、支援である。
シライ市のバコロド空港も、日本の支援により、建てられた。



posted by 天山 at 12:07| ビサヤ諸島への旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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