2011年09月14日

天皇陛下について。88

昔の武将が武力で天下を平定し、日本における実力的絶対支配者となっても必ず天皇を仰いだのは、昔の人間が自主独立の精神がないために何かより以上の権威を必要としたからではなく、人間は古も今も社会生活国家生活に必ず権威を必要とする人間本来の性質に基づくものであり、そして、天皇を仰いだのは、天皇に日本民族社会の、日本民族国家の究極かつ最高の権威たる実質が見出されていたからである。
天皇とは何か 里見岸雄

もっと、な、説である。

敗戦後、占領軍の政策により、天皇打倒の運動を自由に出来るようになった時、共産党は、マッカーサー万歳を叫び、発狂せんばかりに、欣喜雀躍したという。

だが、その共産党は、権威を見ないか、といえば、違う。
最高幹部を、権威とし、それを中心に、やりたい放題の独裁的政策を、行う。そして、甚だしい場合は、虐殺、言論弾圧・・・
人権無視、人権侵害を平然として、行う。

その頃の、新聞も、それらにおもねるが如くに、書きつけた。

しかし、国民は、彼らの手には、乗らなかった。
何故か。
賢いからである。

天皇の権威を失った後の、茫漠たる社会を、想像できたのである。

更に、ロシア革命の共産党の、極悪さを、知っていた。

国民は、天皇を、国家究極の、最高の権威として、希求し、仰いでいたことは、何と、幸せなことであろうか。

唯一、日本のどこの場所にも、心を動かす、存在がある。

天皇に関する共産党の唯物史観的予言ほどあてにならないものはない。
里見岸雄

どの民族、国家も、絶対不可欠な存在として、権威ある者を、置くことである。

部族ならば、酋長であり、国家ならば、国王である。
西欧の権威は、ローマ法王だった。

必ず、その権威の下に、人々が、安定し、統一感を得たのである。
それは、国家幻想である。
その、国家幻想の無い国は、確実に、滅びる。

能力手腕を基準として個人に求めるか、連存する血統に求めるか、二つに一つしかない。しこうして日本人はそれを皇統に求めた。
里見岸雄

日本以外の、権威は、おおよそ、能力手腕である。
それらは、長くは続かなかったのは、歴史を見ての通りである。

武力政権、思想政権は、時代と共に、滅び去るのである。
だが、皇統、血統を選んだ、日本は、国家を安定させ、統一させた。

蘇我、藤原、平家、源氏、足利、織田信長、秀吉、家康・・・
その、武力政権は、すべて、終わりを迎えた。

更に、時代の変動する際に、天皇の存在が、大きく関与した。
それは、結果的に、すべて、うまく進んだ。

戊辰戦争の、幕を引いたのも、天皇あればこそ、である。

城を枕に、討ち死の覚悟の、会津藩も、王氏、天皇に逆らうことは、子々孫々までの恥であると、仙台藩に説得されて、恭順した。

それが、薩長連合の策略であっても、戦争の最後の悲惨さを、避ける事が出来た。つまり、無益に人を殺すことを、止めることが出来たのである。

涙を飲んでも、戦を止めることが、出来るのは、天皇の存在と、その権威である。

昭和天皇が、恐れたのは、その身危うければ、国内が、内戦状態になるということである。

天皇の自覚の、優れた昭和天皇により、日本は、内戦にもならず、敗戦後は、ひたすら、豊かさを求めて、国民が邁進できたのである。

そのお姿を拝していた、今上天皇は、また、天皇の自覚深く、国民の苦難を共にする。
災害被災地における、行幸は、多くの国民を励まし、希望を与える。

敗戦後は、サヨク系学者が、至らぬ妄想により、とんでもない、自説を披露していた。

簡単に言えば、日本は、駄目な国。
西欧に比べて、劣り、その歴史には、学ぶべきものなどない・・・
実に、軽率な言動を、繰り返した。

私が、札幌にて、文化教室を主宰していた時期、多くの留学生が、訪れた。
彼らを支援する、ボランティア活動をしている、友人が、いけばな、茶の湯に触れさせたいとの思いからである。

その、彼らの中には、イスラム、キリスト教は勿論、共産圏の学生たちも、多かった。
その彼らが言う。

日本の文化の深さに感嘆する、と。
更に、日本の文学である。
興味が尽きないらしい。

源氏物語を、万葉集を研究するという、学生も、多くいた。
日本人の寛容さが、計り知れないものだと、感じていた。

勿論、現在の日本人の多くは、白人を持て成す人が、圧倒的に多い。だが、私の所に訪れたのは、アジア人の学生が多かった。
アジア人留学生は、日本に来て、その差別意識に、愕然としたという。

更に、大学でも、アジア人を差別する、教授連中である。
大変傷ついて、帰国した留学生もいる。
更に、自殺まで、追い込まれた学生もいる。

島国・・・
そんなときに、その言葉が浮かぶ。

昭和天皇は、敗戦後、
特別な民族であるという意識を、持つ事無くと、語った。

素晴らしい権威者である。
天皇の行う、儀式を、神道という人が、今でも、大勢いるが、あれは、伝統である。
そして、伝統というものは、百年や、二百年では、出来るものではない。

賢い馬鹿たちは、単なる伝統ではないか・・・と言うが・・・
伝統になるということの、時間の推移を、無視している。

ローマ法王は、カトリックという、一つの宗教による、権威を持つものである。
しかし、天皇は、国家、更に、他国においても、天皇として存在する。

アメリカでも、イギリスでも、天皇なのである。

イスラムは、ローマ法王を認めるか。認めない。
しかし、日本の天皇を、認めるのである。

この違いは、大きい。




posted by 天山 at 13:43| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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