2011年09月13日

天皇陛下について。87

万世一系というのは、日本人が日本の天皇のご血統の事実に即して立てた理念であって、犬や猫や一般の人間の生物的種の一系などを言いあらわすための造語ではない。皇室専属の用語だ。帝王の位というものは同一の血統で永続して継承することは世界史上稀有なことであって、どこの国をみても短きは数年数十年、長きも数百年を出ない。シナでは「五百年にして王者興る」とさえいっている。
里見

さて、マッカーサーは、日本占領と同時に、厳重な言論干渉をした。
特に、皇室と、日本の歴史に対してである。

検閲制度を敷いて、一切の文書に、万世一系、という言葉を、使用させなかった。
しかし、日本人は、それでも、万世一系と、書くものだから、万世の文字を、消して、一系、つまり、一系の天皇、ということで、許可した。

いかに、マッカーサーが、天皇という存在に、無知で、恐れを抱いて、いたかである。つまり、それが、今回の戦争の、日本兵士の戦い振りを見てきた通り、恐ろしいものだと、感じていたのだ。

昭和天皇に対しては、とても、親近感を抱いたが、日本人の天皇に対する、思いを、一度、消滅させたかったのである。

だが、マッカーサーが、去ると、再び、堂々と、万世一系と、書き始めた。
勿論、それに、難癖をつけるのは、決まって、共産主義に、かぶれた者たちである。

マッカーサーは、外国人であり、日本のことには無知であり、戦争を仕事とする、軍の司令官であるから、まだ、許せるが、日本人でありながら、無知であり、平然として、万世一系に対する、不敬を書き付ける者が、戦後、多くいたという。

それだのに日本の皇位は一系よく万世を貫くおもむきがあり、更に千年、二千年、あるいはそれ以上の久しき歴史を閲している。将来もまた万年を通じて同一の皇統でなければならなぬ、という思想が、万世一系の一語となって用いられているのである。
里見

里見は、それを、思想だと言う。
現実に即した、思想なのである。

更に、頭の悪い、共産主義主は、言う。
万世一系は、天皇ばかりではない。国民も同じだが、より根本的にいって、専制君主の永続的支配は、その民族にとっての汚辱であっても、断じて、名誉ではないのである。

歴史上、天皇が、専制的に政治を行った時期は、どれほどの期間だったか・・・

万世一系が、彼らに言わせると、専制君主の永続的支配と、なる。

共産主義の国の支配層が、専制的政治を、行うということは、見ての通りである。
全体主義、独裁は、共産主義の得意技である。

日本には、元、数多くの、小君主が存在していた。
しかし、それは、日本という、国家観のものではない。

日本は、万世一系だというのは、日本天皇は、万世一系だということになる。

それは、正当な国家を示すのである。

正当に日本と呼ばれる国家は皇室と不可分であって、仮にクマソの国があったとしてもそのクマソ国の君長であって日本国の君主ではない。また仮に、「魏志倭人伝」のいうような邪馬台国のヒミコほか百余国の王があっても、それも日本という国家の君主でないことは明瞭だ。アイヌがいずれかの地域で原始国家を営み君長を有していたとしても、それも日本ではない、アイヌ人の国にほかならぬ。
里見 一部、読みやすく私が、修正した。

帝国憲法第一条
大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す
私が、原文を書き改めた。

成文憲法としては、廃止されているが、不文憲法としては、立派に生きていると、里見は、言う。

権力的意味ではなく、社会的作用と、国民の支持の上に、万世一系の天皇は、国家の統一安定のため、究極の中心となり、国民を統治するのである。

武力を用いず、その、存在の権威と、威厳によるものである。

それは、日本だけに存在するものである。

何故か。

歴史の中で、知ることは、例えば、藤原、源平、織田信長、豊臣秀吉、更に、徳川という、権力者が、現れたが、結局、誰一人、あの、信長でさえ、皇位を奪わなかったのである。

形式の上では、皆、天皇の下位にあり、摂政、関白、太政大臣、征夷大将軍などの、官職の任命を受けた。

つまり、権力者が、革命を行わなかったゆえに、万世一系になったのである。
だが、結果論であり、原因論ではない。

原因の究明が、必要である。

人間が権威から開放されると信ずるのは、人間の本質を知らないからである。人間は、いかなる時代になろうとも権威から開放されることはない。権威は人間生活の支柱である。
里見

もし、国家の権威を、認めなければ、国家は、成り立たない。
その権威を、認めるから、法律によって、社会の秩序が保たれるのである。

封建時代でも現代人でも、普通の人間でも共産主義者でも、人間である者はすべて権威を求めるのである。権威の内容は信頼と尊敬である。信頼と尊敬は社会生活における不可欠の要素であって、信頼なく尊敬なきところに人間の統一社会はありえない。
里見

個人を信頼し尊敬した国民は、つねに革命をくりかえし国家の同一性、国家の無窮性を得ることができなかったが、血統を信頼し尊敬した国民は、国家の同一性無窮性を血統の同一性無窮性とともに実現したのである。国民がこれを権威として欲し、権威として仰ぎ、権威として服したから万世一系となったのであって、一将軍の利用価値によってそうなったのではない。
里見

私も言う。
天皇を敵にする者は、国民、つまり、公宝、おうみたから、から、納得されないのである。
天皇を攻撃することは、国民すべてを、敵に回すことになるのである。

何故なら、国民が、天皇の権威を一番、感得しているからである。

すると、天皇を、国民は、知らなかったという者たちがいる。
知らないでも、いい存在が天皇の権威なのである。




posted by 天山 at 14:08| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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