2011年09月08日

神仏は妄想である。350

このように、神道の特性はその多様性にある。生命が多様であることによって、生命の進化を遂げ得たように、神々も多様であることによって、「修理固成」(古事記)し生成発展を遂げてきた。つまり、増殖と変容をくりかえし、仏菩薩が入ってきてもしっかりと蔓のように巻きついて神仏習合し一体化してきたのである。
神道のスピリチュアリティ 鎌田東ニ

その意味では、神道はハイブリッドそのものであり、キメラ化も異種交配もなんのその破天荒な生命活動を繰り広げてきた。その神道文化のありさまを「節操がない」と非難する人もいるだろう。明確な善悪二元論の立場や一神教の立場からすれば、その神々の跳梁跋扈する姿は「地獄の黙示録」のような魑魅魍魎世界に見えるかもしれない。なにしろ、蛇をサタンとしたユダヤ・キリスト教に対して、三輪山の神・大物主神を蛇の姿で表す神道文化は、邪神、邪宗の門であると決めつけられかねない要素を内包しているといえるから。
鎌田

もともと森羅万象に魂の宿りと働きを見る精霊観や自然観があり、それが仏を新しい神々や精霊の一種として受け入れる素地となったからである。・・・
鎌田

精霊観、自然観を、アニミズムと、呼んだりするが、単純なものではない。
自然観と言うが、神道は自然宗教である。

ところが、自然と、言った途端に、受け入れられない。
西欧の宗教、キリスト教は、それを受け入れられない。
つまり、自然は、神の創造物であるから・・・

太陽崇拝は、偶像崇拝と、同じになる。

時代は、西欧キリスト教により、進んだ時期がある。
そこには、非常に強い、白人主義がある。
徹底した、人種差別主義である。

それが、唯一絶対神から、なる、教えである。
最高の宗教の形は、キリスト教であるというもの。

そして、今、それが、滅びに瀕している。
それでは、生きられなくなったのである。
世界は、グローバル化した。

更に、彼らの、豊かさの元である、植民地が、独立したのである。

実際、彼らが、持っていたものは、空の箱だったのである。
勿論、未だに気づかない白人主義というもの。

自然と、対立して、どうして、人類が、生き延びることが、できよう。
それでも、自然は、神の創造物なのである。

宇宙に、創造主が、存在するという、妄想は、限りなく、憐れである。
それは、人間の想像を、遥かに超えている。
そんなことを、考えることは、出来ない。出来ないから、それで、いいのである。

旧約聖書という、妄想から、抜け切れない。
天地創造の唯一の神、という、妄想である。

アフリカで、生まれた、その霊は、霊団を作り、モーゼと、契約した。
そして、ユダヤ人の神となった。
それが、唯一絶対の神・・・
民族の神である。

そして、神道は、それを、認めることができる。
要するに、産土の神である。

さて、自然である。
J・S・ミルという、19世紀イギリスを代表する、思想家である。
彼の、宗教論文に、自然論というものがある。
これは、明治期の日本人たちにも、大きな影響を与えた。

今、翻訳が、新たになり、紹介されている。
これから、宗教としての、自然観、また、宗教批判としての、自然観を、紹介する。

彼ら、西欧のキリスト教の自然観は、一体何ものなのか・・・

歴代のキリスト教の、神学思想を、批判しつつ、非常に格調高い論文になっている。

「自然」や「自然な」という語、そして、この二つの語から派生した語群、あるいは語源的にそれらに近い語は、いつの時代でも人類のなかで大きな場所を占め、人類の感情を強くとらえてきた。
ミル

この、自然という言葉は、道徳と形而上学の思索において、大きな役割を果たしている。それに、一連の語群に、元来の意味と、異なった意味が加わったこと、しかも、混同を招く程度に、元の意味と、結びついている、多くの意味が加わったことが、不運だったという。

「自然に関わる」それらの語は、元来なかった多くの連想のなかに巻き込まれ、しかも、その観念連合のほとんどが非常に強力でしぶとい性格のものであったから、いろいろな感情をかき立て、感情をあらわすシンボルになってしまった。
ミル

観念連合に、巻き込まれたゆえに、誤った好み、誤った哲学、誤った道徳、そして、悪い法律といったものまで、次々に派生させる、源流になったという。

要するに、自然そのものを、観察するのではなく、自然という、言葉に、大いなる誤った意味を、付与したので、その後、次々と、誤りが続いたのである。

ミルは、自然から、神の存在にまで、議論を高める。

神道による、自然観と、西欧の思想における、自然観との、相違である。

とくと、それを見るべきである。

創造物としての、自然と、あってあるべきような、自然との、相違である。

どちらが、大きな矛盾を抱え込み、それにより、大きな過ちを、繰り返してきたのか。

一見、神道が、混乱しているかのように、見えるが、違う。
混乱しているのは、西欧のキリスト教神学と、思想である。

更に、神道は、一切それらを、語ることなく、古神道以前から、続いてきた。
その、思想的なものを、所作に託してきたのである。
言葉と、所作の違いだけではない。

そこには、あまりにも、大きな乖離がある。
天地の差ほどの、乖離である。

そして、神道も、語れば、妄想になる。


posted by 天山 at 17:40| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月09日

神仏は妄想である。351

自然の正しい定義について、ミルの、記述を見る。

どのような事物の本性「自然」もその事物が持つ力と特性の総和であるから、抽象的な意味での自然は、万物の力と特性の総和である。自然とは、すべての現象の合計に、それらの現象を生み出す諸原因を加えたものを意味する。ここで言う現象には、発生するすべてのことだけではなく発生する可能性のあるすべてのことが含まれる。諸原因の使われていない能力もまた、結果に現れる能力と同じく自然の観念の一部をなしている。これまで十分に検査されてきたすべての現象は規則的に起こることが知られている。個々の現象が発生する場合には必ず基になる積極的あるいは消極的な一定の条件がある。したがって直接観察に基づく推論過程によってかのどちらかで、人類は多くの現象の発生条件を確かめることができるようになった。主にそれらの条件を確かめることによって科学は前進してきた。発見された条件は一般命題で表記できる。その一般命題は特定の現象については法則と呼ばれるが、もっと一般的には自然法則と呼ばれる。たとえば、すべての質量を持つ物体間には、質量に比例し距離の二乗に反比例する引力が働くという真理は、自然法則である。空気と食物が動物の生命には不可欠であるという命題も、もし私たちが十分な理由をもって例外はないと確信できるなら、現象自体は特殊であり引力のように普遍的ではないけれども、自然法則である。
ミル

自然という言葉は、現実になっている事実と、可能性がある事実の集合を表す名前、つまり、集合的名称である。
すべての事物の、発生様式の名前である、という。

当たり前のことを、ここまで、語るという、病気である。
西欧の哲学、思想は、それである。

そして、その、思考法に、長年漬け込まれた、日本人は、そういう、言葉遣いでなければ、納得し、理解しないと、思い込んだ、病である。

更に、恐ろしいのは、それで、納得し、理解したと、信じ込む。
ことの本質など、どうでもいい。
思い込むことが、大切なのであり、本質的なことが、何かなど、どうでもいい。

これを、滔滔と述べる人が、賢いと、思い込まれる。
勿論、病である。

この様式は、ある部分は私たちに知られており、ある部分は知られていない。というのも自然という語が示唆するのは、諸現象の多様な細部というよりは、むしろ、包括的見方であり、その見方は、諸現象の存在様式について完全な知識を有する精神だけがはじめて、一つの精神的全体像として形成できるかもしれないようなものだからである。科学は、経験からの一般化によって段階的に、この包括的見方に達することを目指している。
ミル

そして、より深く
つまり、真の科学的な意味では、技術も技術以外のものとかわらず自然であり、技術的「人為的」であるようなあらゆるものが自然であるからである。
ミル
と、いうことになる。

技術は、一定の目的のために、自然力を使うだけである、と言う。

彼の、いうことを、要約すれば、人間の作り出す、技術とは、すべて、自然からの、ものであり、それ自体は、自然の力である、となる。

自然という言葉には、少なくとも、二つの主要な意味を認めなければならないと、
第一は、自然とは、外界または内的な世界の、どちらかに存在する、すべての力を意味し、それらの力によって、起こる、あらゆることを、意味する。

第二に、自然は、発生するあらゆることではなく、意志作用なしでも起こる、つまり人間の、自発的で意図的な働きなしに、起こるものだけを意味する。

これにより、重要な結果に結びつきかねない、曖昧な意味のほとんどを、解読することが、出来る、と言う。

これは、宗教論文の一つであるから、次第に、神の存在と、自然についてということに、触れてゆく。

おもしろいやら、おかしいやら・・・である。

ミルの、宗教論には、17世紀以降の、独自に発展を遂げた、英国の、自然神学、自然宗教論の、伝統がある。

この、自然神学・・・

自然は、神が創り、その中に、神のメッセージが、込められているという、考え方である。

西欧の思想は、神学から、はじまる。
つまり、妄想の神学であるが、そこから、発展生成して、ようやく、マシになってきた、経緯がある。
それが、あちらの、伝統である。

勿論、そのためには、ギリシャ哲学の、恩恵がある。
ギリシャ哲学を、神学の基にしたのである。

ギリシャ哲学は、イスラム帝国にて、学ばれていた。
それを、逆輸入しての、おめでたさである。

西洋史が、主体ではなく、イスラム史が、主体だった。
西洋史を主体にして、歴史を、見ると、誤る。
イスラム帝国の、学問、芸術は、西欧を、遥かに、凌駕していたのである。

それらも、何も、武力が、問題であった。
武力の強い方が、優れていると、自賛する。

日本人は、すべてを、自然から、学んだという、実に、謙虚な民族である。
上記のように、考えずとも、問題なかった。

あらゆるものが、自然から、出ているのであるから、当然、自然崇拝、自然崇敬となる。
それは、学問、芸術、芸能に至るまで・・・

そして、多くを、言葉にしなかった。
それも、文化である。

言葉にしない、文化が、伝統であった。

だから、それを知るためには、所作を学ぶことである。
所作の中に、すべてを、込めたのである。

たった、一杯の茶を飲むのに、所作を創作した。
そこに、言葉の世界を、込めたのである。

ミルを、引き続き、読んでゆく。


posted by 天山 at 18:04| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月10日

神仏は妄想である。352

自然神学とは、キリスト教の神学の一部門である。

その、前提には、神の自己顕現がある。
それを、啓示と呼ぶ。

更に、啓示に基づく神学を、啓示神学と呼ぶ。

キリスト教では、神は、自然の内にはない。
自然内の対象を認識するように、認識することができない、存在が、神である。

キリスト教では、世界の創造者である神は、最初は、イスラエルの歴史的経験により、そして、イエスの人格を通じて、人格的、道徳的な、愛の、本質を明らかにしたといわれる。

古代の、諸宗教においては、暴風、旱魃などの、大きな自然現象を通して、神が、顕現されると、信じられていた。
が、キリスト教、その前進である、ユダヤ教は、神は人格的に、自己顕現するものであり、そのリアリティは、言葉によって、媒介されるといわれる。

言葉は、誰によって成るのか・・・
預言者たちである。
それを、書いたのが、聖書である。

啓示神学は、この聖書を主たる源泉として、捉えるのである。

自然神学は、自然界の秩序を通して、神を知ろうとするもの。
啓示神学の、直接体験ではない、間接体験を通して、啓示神学を、補完するものである。

歴史を先導するものは、神。そして、自然界を作り、秩序を与えているのも、神であるという、認識である。

キリスト教では、この二つを、神の二つの書物と、呼ぶ。

自然が、神によって、創造されたとすれば、そこには、神の本質を示す何らかの、性質があると、考える。

トマス・アクィナスの見解は、
Aが原因であると仮定する。
また、Aがある性質Qを持っていると仮定する。
すると、BはAの結果であるから、BもまたQを持つことになる。
と、いうものである。

そして、あろうことか、それを、性質を、善、であるとする。
キリスト教神学では、いずれの道も、神の善性によって、神の存在を知る事が出来ると、言う。

善・・・つまり、その対立は、悪、ということになるのである。

対立を設けなければ、彼らの話は、理解できないのである。

善悪で、区分けることしか、出来なかった、西欧の思想である。

ここに、神道、古神道の、善悪を超えた、神々の存在は無い。

イギリスの、自然神学は、中世からである。
その中心だったのは、オックスフード大学である。

中世の、リチャード・フィシャカーは、自然には、神の痕跡と、似像が、刻まれている。それを、知ることが、学問の目標になると、説教する。

ただ、中世の、自然神学は、歴史的に、大きな政治的制約があった。
それは、イベリア半島における、イスラム勢力との、対峙である。

トマス・アクィナスの、「異教徒駁論」は、この政治的現実を踏まえ、キリスト教がイスラム教から、防衛するために、書かれている。

イスラム世界では、アリストテレスの、自然学が研究され、自然についての、哲学的、形而上学的な研究が進んでいた。

そのため、キリスト教側も、当時は、スコラ哲学も、アリストテレスを学び、存在論、形而上学で、理論武装することになる。

中世西欧の、大学では、その形而上学的傾向が、自然神学の基調になるのである。

さて、ミルを、読む。

自然という語は、どの時代でもそうした道徳的観念を担ってきた。多くの最も尊重されている哲学の学派において、自然に従うということは、道徳の根本原理であった。古代人の間で、特に古代の知性や思想の衰退期において、それはすべての倫理学説の真価を試す試金石であった。
ミル

自然は、権威であったと、言える。
自然法・・・

ユスティニアヌスの、法学提要には、
自然法とは自然がすべての動物に教えたもの
と、ある。

だが、キリスト教では、全面的ではないが、部分的に、障害があった。
それは、すべてのキリスト教では、人は、本性的に、邪悪であるという、教えであるから。

勿論、ずるいキリスト教は、それも、何となく通り過ぎる・・・

だが、キリスト教の、基本的な、人間に対する、思想が、邪悪な人間であるというところが、ポイントである。

また、そうでなければ、神の救済は、成り立たないのである。

生まれながらに、原罪を持つとする、キリスト教であるから、自然法を、すんなりと、受け入れるわけにはいかない。

しかし、この教説は反動をまねき、理神論の道徳家たちが自然の神聖さをほとんど全員一致で言い広め、自然の空想上の命令を権威のある行為の規則としてうちたてるようになった。この想定上の基準をなんらかの意味で参照することは、ルソーによって始められた思想と感情の水脈のなかで支配的な構成要素となり、その傾向は、自分自身をキリスト教徒であると称する一部の思潮を含めて、近代精神に最も広く浸透した。
ミル

キリスト教の教説はどの時代でも、そのときたまたま普及していた哲学に概ね合致しており、私たちの時代のキリスト教も、その色彩や魅力のかなりの部分を感傷的な理神論から借りてきている。
ミル

感傷的な理神論から・・・
要するに、節操がないのである。

簡単に言えば、時代の、言葉に合わせて行かなければ、キリスト教も、乗り遅れるのである。

宗教というものは、如何様にも、解釈できるということの、証明である。

本来、人間は、妄想の神という、存在が無くても、十分に生きられるのである。


posted by 天山 at 20:18| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

神仏は妄想である。353

イギリスの自然神学が、隆盛を迎えるのは、17世紀以降である。
中でも、19世紀までに至る、イギリス自然神学の基礎を作ったのが、ヘンリ・モアであり、自然神学の原型は、自然界の仕組み、特に生物において、神の善性を見るという、議論だった。

それを、デザイン論証と、呼ぶ。

そして、モアの朋友である、カドワースの、形成的自然が、生物に見られる、デザインの現象に、着目した。

この、デザインとは、神が、善意を持って、世界を創造し、物理的仕組みによって、善が実現されるように、支配しているというものである。

だが、中世から、近代にかけての、自然観の変化がある。

一般の民衆の間では、生活に根ざした、自然観があった。
まず、中世の人たちは、自然界を、一般に悪霊が働く場所として、警戒した。
更に、原因不明の病気は、悪霊が取り付いたものであるという。

害虫の発生や、凶作、地震は、神の怒りである・・・等々・・・

カトリック教会に求められたことは、そのための、悪魔祓いであった。
中世のカトリック教会の、存在意義は、それである。

悪魔が支配する、自然界に、超自然として、救済するという、教会の権威である。

そして、その教会の、秘蹟、つまり、七つのサクラメントが、特に注目される。
勿論、それは、イエスが、制定したものではない。
教会指導者たちが、勝手に、創作したものである。

中世文化は、実際に、異教徒的な、要素が多分に多かった。が、司祭たちは、それを、取り込んで、教会指導の下に、組み入れた。
民俗的祝祭を、教会暦や、カトリックの聖人にちなんで、新しいものにするという・・・

カトリック教会が、最も、世俗的だと、言われる所以である。
その、節操の無さである。

中世の人たちの、人生は、悲劇的であるという、気分に、おもねた教会の、戦略である。

悪魔と、神という、対立を作り出すと、理解しやすい。
自然は、悪霊と、聖霊が、抗争する戦場であったという、感覚は、実に、愚かなものである。

自然は、悪霊の働く、呪われた地である。
ここで、おかしいことに、気づく。
天地創造、自然を創造したのは、神ではないか・・・

しかし、西欧の考え方は、今も、それが、潜在意識にある。
だから、自然征服という、怪しい考え方が、根本にある。

しかし、その考え方が、自然観が、学問の上では、消えてゆくのである。
果たして、神学が、学問足りえるのかは、解らないが・・・

西欧の、キリスト教世界が、それこそ、世界に広がる時期である。

世界史の中心になりつつある、時代である。
その野蛮な、行動は、世界を、一変させる。

宗教こそ、虐殺、掠奪を好むものはないと、この西欧のキリスト教の、歴史を見ると、よく解る。

イスラム勢力が、西欧から、駆逐されると、コロンブスが、アメリカ発見に向かう。

その時期、キリスト教神学も、存在論・形而上学の枠を、破り、実証的な自然研究に、歩み始める。

コペルニクスの、天動説も、現れる。

彼の、天文学は、ガリレオ、ニュートンに、引き継がれて、地動説は、等質無限空間の観念により、人間中心階層宇宙観を、打ち壊すと共に、宇宙の果てまで行き渡る、力学的法則を、明らかにする。

自然は、目に見えない、不可思議、悪魔の働く場所ではなく、一つの精密な、メカニズムを持ったものとして、認識される。

この、自然観は、キリスト教に対して、徹底した、知的爆弾となった。

それまで、カトリック教会が、独占していた、悪魔祓い、その他は、必要なくなるのである。

すると、狡賢い、司祭たちは、悔い改めて、福音を信じよと、言い始めた。
自在に変化する、宗教の、見本である。

あちらが駄目なら、こちらがある。
あらゆる、宗教というものが、そうである。
要するに、罪悪感が、全く無い。

信じさせれば、こっちのもの、なのである。

人々の、良心を、手玉に取り始める、教会・・・
本当に、手がつけられないとは、このこと。

更に、合理的自然の発見により、医術は、魔術から、開放される。
病気は、聖職者の手を離れて、医者の職になる。

そんな中、ルターが、現れる。
カトリック教会の、嘘に、気づく。
あらゆる、妄想を廃して、聖書に立ち返ろう・・・

特権化した、教会の、制度疲労と、専門家が言う。
確かに、当時の、カトリック教会の、腐敗は、凄まじい。

位の高い聖職者は、宗教貴族になり、政治、世俗的事業に携わる。
別のエッセイで、性について、を、書いているが、売春事業にも、手を染めていたことが、解る。

ルターが、改革を起こすと、人々は、集って、傘下に入った。
免罪符によって、天国行きが決まるとは・・・
ルターも、呆れたことであろうが、後世の人は、もっと、呆れた。
しかし、カトリック教会という、巨大組織は、今もなお、脈々としてある。

何故か。
人は、何かを、信じざるを得ないからである。

そして、その、信じるという、気分から、開放された、つまり、本当の自由を知らないからである。



posted by 天山 at 17:57| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

伝統について。48

ぬばたまの 妹が黒髪 今夜もか わが無き床に 靡けて寝らむ

ぬばたまの いもがくろかみ こよいもか わがなきとこに なびけてねらむ

真っ黒な、妻の黒髪を、今夜も、私のいない、床に、靡かせて、寝ているのだろうか。

共寝、ともね、の時に、妻は、黒髪をほどいて、体を横たえる。
その夜のことを、思うのである。
今頃、妻は、一人で、黒髪を靡かせて、寝ているのだろう・・・

ぬばたま、は、枕詞。

花ぐしは し葦垣越しに ただ一目 相見し児ゆえ 千遍嘆きつ

はなぐしは しあしかきこしに ただひとめ あひみしこゆえ ちたびなげきつ

花の美しい、葦の垣根ごしに、一目見た、あの児のことが、忘れられない。幾度も、会えぬことを、嘆く。

千遍、せんたび、ちたび、会えないのが、悲しい。
一目惚れである。
万葉は、一目惚れが多い。

ぐはし、は、美しい。
くはし、とも、使う。

色に出でて 恋ひば人見て 知りぬべし 情のうちの 隠妻はも

いろにいでて こひばひとみて しりぬべし こころのうちの こもりつまはも

態度を示すと、人に知られる。人が見て、知ってしまう。我が心の内に、秘めた、隠妻、かくりつま。

心の内に秘めて思う。
それを、隠れ妻と呼ぶ感性・・・

恋心 秘めて隠して あるものと 古人の 知恵あるものか 天山

相見ては 恋慰むと 人は言へど 見て後にそも 恋ひまさりける

あいこては こひなぐさむと ひとはいへど みてのちにそも こひまさりける

逢えば、恋の苦しさを、慰められると、人は言う。だが、逢った後にこそ、恋しさが、いっそう募るのだ。

そ、も、は、強調する。

逢えば別れが、こんなに辛い
逢わなきゃ、夜がやるせない
とは、演歌の、歌詞。

恋とは、苦しいもの。
何故、苦しい恋をするのか。
それが、生きることだから。
そこには、迷いを、否定する何物も無い。

恋に迷うことは、人生賛歌である。

おほろかに われし思はば かくばかり 難き御門を 退り出めやも

おほろかに われしおもはば かくばかり かたきみかどを まかりいでめやも

普通に、私だけが、思っているならば、抜け出し難い、朝廷の御門を、どうして、退出して来るものか。

つまり、両思いなのである。
退出し難い、朝廷の門を、出て、逢いに行く。

おほろか、とは、おほよそ、などと、同じく使う。

恋は、若さの、特権であり、老年の、また、生き甲斐でもある。
素晴らしい。

posted by 天山 at 14:36| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

天皇陛下について。87

万世一系というのは、日本人が日本の天皇のご血統の事実に即して立てた理念であって、犬や猫や一般の人間の生物的種の一系などを言いあらわすための造語ではない。皇室専属の用語だ。帝王の位というものは同一の血統で永続して継承することは世界史上稀有なことであって、どこの国をみても短きは数年数十年、長きも数百年を出ない。シナでは「五百年にして王者興る」とさえいっている。
里見

さて、マッカーサーは、日本占領と同時に、厳重な言論干渉をした。
特に、皇室と、日本の歴史に対してである。

検閲制度を敷いて、一切の文書に、万世一系、という言葉を、使用させなかった。
しかし、日本人は、それでも、万世一系と、書くものだから、万世の文字を、消して、一系、つまり、一系の天皇、ということで、許可した。

いかに、マッカーサーが、天皇という存在に、無知で、恐れを抱いて、いたかである。つまり、それが、今回の戦争の、日本兵士の戦い振りを見てきた通り、恐ろしいものだと、感じていたのだ。

昭和天皇に対しては、とても、親近感を抱いたが、日本人の天皇に対する、思いを、一度、消滅させたかったのである。

だが、マッカーサーが、去ると、再び、堂々と、万世一系と、書き始めた。
勿論、それに、難癖をつけるのは、決まって、共産主義に、かぶれた者たちである。

マッカーサーは、外国人であり、日本のことには無知であり、戦争を仕事とする、軍の司令官であるから、まだ、許せるが、日本人でありながら、無知であり、平然として、万世一系に対する、不敬を書き付ける者が、戦後、多くいたという。

それだのに日本の皇位は一系よく万世を貫くおもむきがあり、更に千年、二千年、あるいはそれ以上の久しき歴史を閲している。将来もまた万年を通じて同一の皇統でなければならなぬ、という思想が、万世一系の一語となって用いられているのである。
里見

里見は、それを、思想だと言う。
現実に即した、思想なのである。

更に、頭の悪い、共産主義主は、言う。
万世一系は、天皇ばかりではない。国民も同じだが、より根本的にいって、専制君主の永続的支配は、その民族にとっての汚辱であっても、断じて、名誉ではないのである。

歴史上、天皇が、専制的に政治を行った時期は、どれほどの期間だったか・・・

万世一系が、彼らに言わせると、専制君主の永続的支配と、なる。

共産主義の国の支配層が、専制的政治を、行うということは、見ての通りである。
全体主義、独裁は、共産主義の得意技である。

日本には、元、数多くの、小君主が存在していた。
しかし、それは、日本という、国家観のものではない。

日本は、万世一系だというのは、日本天皇は、万世一系だということになる。

それは、正当な国家を示すのである。

正当に日本と呼ばれる国家は皇室と不可分であって、仮にクマソの国があったとしてもそのクマソ国の君長であって日本国の君主ではない。また仮に、「魏志倭人伝」のいうような邪馬台国のヒミコほか百余国の王があっても、それも日本という国家の君主でないことは明瞭だ。アイヌがいずれかの地域で原始国家を営み君長を有していたとしても、それも日本ではない、アイヌ人の国にほかならぬ。
里見 一部、読みやすく私が、修正した。

帝国憲法第一条
大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す
私が、原文を書き改めた。

成文憲法としては、廃止されているが、不文憲法としては、立派に生きていると、里見は、言う。

権力的意味ではなく、社会的作用と、国民の支持の上に、万世一系の天皇は、国家の統一安定のため、究極の中心となり、国民を統治するのである。

武力を用いず、その、存在の権威と、威厳によるものである。

それは、日本だけに存在するものである。

何故か。

歴史の中で、知ることは、例えば、藤原、源平、織田信長、豊臣秀吉、更に、徳川という、権力者が、現れたが、結局、誰一人、あの、信長でさえ、皇位を奪わなかったのである。

形式の上では、皆、天皇の下位にあり、摂政、関白、太政大臣、征夷大将軍などの、官職の任命を受けた。

つまり、権力者が、革命を行わなかったゆえに、万世一系になったのである。
だが、結果論であり、原因論ではない。

原因の究明が、必要である。

人間が権威から開放されると信ずるのは、人間の本質を知らないからである。人間は、いかなる時代になろうとも権威から開放されることはない。権威は人間生活の支柱である。
里見

もし、国家の権威を、認めなければ、国家は、成り立たない。
その権威を、認めるから、法律によって、社会の秩序が保たれるのである。

封建時代でも現代人でも、普通の人間でも共産主義者でも、人間である者はすべて権威を求めるのである。権威の内容は信頼と尊敬である。信頼と尊敬は社会生活における不可欠の要素であって、信頼なく尊敬なきところに人間の統一社会はありえない。
里見

個人を信頼し尊敬した国民は、つねに革命をくりかえし国家の同一性、国家の無窮性を得ることができなかったが、血統を信頼し尊敬した国民は、国家の同一性無窮性を血統の同一性無窮性とともに実現したのである。国民がこれを権威として欲し、権威として仰ぎ、権威として服したから万世一系となったのであって、一将軍の利用価値によってそうなったのではない。
里見

私も言う。
天皇を敵にする者は、国民、つまり、公宝、おうみたから、から、納得されないのである。
天皇を攻撃することは、国民すべてを、敵に回すことになるのである。

何故なら、国民が、天皇の権威を一番、感得しているからである。

すると、天皇を、国民は、知らなかったという者たちがいる。
知らないでも、いい存在が天皇の権威なのである。


posted by 天山 at 14:08| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月14日

天皇陛下について。88

昔の武将が武力で天下を平定し、日本における実力的絶対支配者となっても必ず天皇を仰いだのは、昔の人間が自主独立の精神がないために何かより以上の権威を必要としたからではなく、人間は古も今も社会生活国家生活に必ず権威を必要とする人間本来の性質に基づくものであり、そして、天皇を仰いだのは、天皇に日本民族社会の、日本民族国家の究極かつ最高の権威たる実質が見出されていたからである。
天皇とは何か 里見岸雄

もっと、な、説である。

敗戦後、占領軍の政策により、天皇打倒の運動を自由に出来るようになった時、共産党は、マッカーサー万歳を叫び、発狂せんばかりに、欣喜雀躍したという。

だが、その共産党は、権威を見ないか、といえば、違う。
最高幹部を、権威とし、それを中心に、やりたい放題の独裁的政策を、行う。そして、甚だしい場合は、虐殺、言論弾圧・・・
人権無視、人権侵害を平然として、行う。

その頃の、新聞も、それらにおもねるが如くに、書きつけた。

しかし、国民は、彼らの手には、乗らなかった。
何故か。
賢いからである。

天皇の権威を失った後の、茫漠たる社会を、想像できたのである。

更に、ロシア革命の共産党の、極悪さを、知っていた。

国民は、天皇を、国家究極の、最高の権威として、希求し、仰いでいたことは、何と、幸せなことであろうか。

唯一、日本のどこの場所にも、心を動かす、存在がある。

天皇に関する共産党の唯物史観的予言ほどあてにならないものはない。
里見岸雄

どの民族、国家も、絶対不可欠な存在として、権威ある者を、置くことである。

部族ならば、酋長であり、国家ならば、国王である。
西欧の権威は、ローマ法王だった。

必ず、その権威の下に、人々が、安定し、統一感を得たのである。
それは、国家幻想である。
その、国家幻想の無い国は、確実に、滅びる。

能力手腕を基準として個人に求めるか、連存する血統に求めるか、二つに一つしかない。しこうして日本人はそれを皇統に求めた。
里見岸雄

日本以外の、権威は、おおよそ、能力手腕である。
それらは、長くは続かなかったのは、歴史を見ての通りである。

武力政権、思想政権は、時代と共に、滅び去るのである。
だが、皇統、血統を選んだ、日本は、国家を安定させ、統一させた。

蘇我、藤原、平家、源氏、足利、織田信長、秀吉、家康・・・
その、武力政権は、すべて、終わりを迎えた。

更に、時代の変動する際に、天皇の存在が、大きく関与した。
それは、結果的に、すべて、うまく進んだ。

戊辰戦争の、幕を引いたのも、天皇あればこそ、である。

城を枕に、討ち死の覚悟の、会津藩も、王氏、天皇に逆らうことは、子々孫々までの恥であると、仙台藩に説得されて、恭順した。

それが、薩長連合の策略であっても、戦争の最後の悲惨さを、避ける事が出来た。つまり、無益に人を殺すことを、止めることが出来たのである。

涙を飲んでも、戦を止めることが、出来るのは、天皇の存在と、その権威である。

昭和天皇が、恐れたのは、その身危うければ、国内が、内戦状態になるということである。

天皇の自覚の、優れた昭和天皇により、日本は、内戦にもならず、敗戦後は、ひたすら、豊かさを求めて、国民が邁進できたのである。

そのお姿を拝していた、今上天皇は、また、天皇の自覚深く、国民の苦難を共にする。
災害被災地における、行幸は、多くの国民を励まし、希望を与える。

敗戦後は、サヨク系学者が、至らぬ妄想により、とんでもない、自説を披露していた。

簡単に言えば、日本は、駄目な国。
西欧に比べて、劣り、その歴史には、学ぶべきものなどない・・・
実に、軽率な言動を、繰り返した。

私が、札幌にて、文化教室を主宰していた時期、多くの留学生が、訪れた。
彼らを支援する、ボランティア活動をしている、友人が、いけばな、茶の湯に触れさせたいとの思いからである。

その、彼らの中には、イスラム、キリスト教は勿論、共産圏の学生たちも、多かった。
その彼らが言う。

日本の文化の深さに感嘆する、と。
更に、日本の文学である。
興味が尽きないらしい。

源氏物語を、万葉集を研究するという、学生も、多くいた。
日本人の寛容さが、計り知れないものだと、感じていた。

勿論、現在の日本人の多くは、白人を持て成す人が、圧倒的に多い。だが、私の所に訪れたのは、アジア人の学生が多かった。
アジア人留学生は、日本に来て、その差別意識に、愕然としたという。

更に、大学でも、アジア人を差別する、教授連中である。
大変傷ついて、帰国した留学生もいる。
更に、自殺まで、追い込まれた学生もいる。

島国・・・
そんなときに、その言葉が浮かぶ。

昭和天皇は、敗戦後、
特別な民族であるという意識を、持つ事無くと、語った。

素晴らしい権威者である。
天皇の行う、儀式を、神道という人が、今でも、大勢いるが、あれは、伝統である。
そして、伝統というものは、百年や、二百年では、出来るものではない。

賢い馬鹿たちは、単なる伝統ではないか・・・と言うが・・・
伝統になるということの、時間の推移を、無視している。

ローマ法王は、カトリックという、一つの宗教による、権威を持つものである。
しかし、天皇は、国家、更に、他国においても、天皇として存在する。

アメリカでも、イギリスでも、天皇なのである。

イスラムは、ローマ法王を認めるか。認めない。
しかし、日本の天皇を、認めるのである。

この違いは、大きい。


posted by 天山 at 13:43| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

天皇陛下について。89

日本国民は天皇に奇蹟を期待しない。従って、ある天皇は英明であられ、ある天皇は必ずしも英明であられず、ある天皇は決断の性であられ、ある天皇はむしろ優柔不断である。また、族長時代には族長時代に、貴族時代には貴族時代に、封建時代には封建時代に、資本主義時代には資本主義時代に従われて、お考えになりご行動になられる天皇、つまり、人間であり、人間の歴史とともに在られる天皇の中にこそ、真の天皇を見出すのである。
天皇とは何か 里見岸雄

まさに、名文句である。

天皇自身は、天皇以外の何者でもなく、国民は、空気のように、感じて生きている。だが、その存在が、時として、必要不可欠な場合がある。

昭和天皇は、その意味では、象徴的である。

明治維新の、孝明天皇も然り。

融通無碍の存在にありながらも、日本の歴史を通して、天皇が、存在し続けたということを、否定する者はいないだろう。

天皇なくして、日本の歴史は、成り立たないのである。
その、存在観を確固たるものとして、私は、認める。

ただ、それも、ひとえに、国民の智慧であったと、いえる。

人間離れした智情意円満完備の天皇、全知全能の神―――ゴッド天皇はわれらの天皇ではない。
里見岸雄

天皇になるべく、教育を受けられる、皇太子。
それは、歴代天皇の、所作である。

ここで、一つ提案する。
天皇が、神道の祭祀の長であるという、見解は無理であること。

天皇の行為は、伝統であり、それは、何人も侵すことの出来ない、国民的所作の象徴である。
単なる、伝統という、馬鹿がいるが、伝統とは、百年、二百年で、成り立つものではない。千年、二千年を経て、成り立つものであり、瞬時にして、作られるものではない。

伝統を有する国か、否かは、国家として、重要、重大事である。

それを、鑑みても、天皇の存在は、世界に唯一の存在であり、日本国民として、誇りに足りる存在である。

我が日本には、天皇が、存在する。
天皇を戴く、伝統の国。それが、日本である。

宗教心、階級心により、理性を失う人でさえ、この客観的事態を評価しないものは、無いはずである。

敗戦後の、日本の歴史教育は、歪み、外れて、もはや、修復困難な状況に陥っている。
その、最もな、原因は、共産主義の、考え方であり、それらの、誇大妄想は、計り知れないものである。

教育者が、そうじて、共産思想を、奉じて、国家の歴史を歪めた。
先祖の因縁が悪いとしか、言いようが無いのである。

一部の思想や、史観を持って、過去の歴史を批判し、無価値、背徳であるかのように、指導したのは、全くもって、売国奴と呼ぶに相応しいものである。

今も、中国共産党から、資金を得て、のうのうとして、日本国民として、安住し、中国の思想教育を、学校教育の現場で、説く者がいる。

それも、皆、改竄の歴史である。

更に、政治家の中にも、どこの国の政治家か、解らないような者もいる。

愛国心など、説く必要は無い。
それは、自ら、求めて行くべき道である。

人から、愛国心を説かれて、はいそうですか、などという者は、まずもって、アホであろう。

歴史とは、我が内に存在するものであることを、教える教師、歴史学者を、私は求める。

ましてや、心の存在を知らない者が、心の教育を・・・などとは、笑わせる。
心とは、何ぞや・・・

教える者が、心の存在を知らない。

日本の文化は、心のみを、見つめて、扱ってきた。
その所作である。

手を、大和言葉では、たなこころ、と、読む。
手の、所作にこそ、心を、観たのである。
そして、心は、息遣いである。

息遣いを整えるのが、心の教育であることを、文化を通して、伝えていた。

武道も、芸道も、すべて、その所作から、心を観ていたのである。
そして、その、文化の、根底には、天皇の存在がある。

天皇存在するゆえに、日本の文化は、伝統として、伝え、統べてきたのである。

一つの例を上げれば、歌道である。
天皇自ら、歌詠みをし、更に、歌集の編纂である。

日本文化の、極みである、歌道を、天皇の存在が、支えていたのである。

世界最古の歌集、万葉集は、天皇から、乞食、遊び女などもが、歌を詠むという、証拠がある。

更に、驚愕するものは、歌の上では、天皇も、庶民も、その差別が無いということである。

世界に、そのような、文化があるだろうか。

王様と、同じ地位に就くという、行為があるだろうか。
日本には、ある。
それが、歌道である。

辞世の句も、詠めない人間は、日本人ではないと、言っても、いい。

舒明天皇御製から、今年、平成23年は、1383年を経る。
その、万葉集は、縄文期から、伝わる、心の所作が結実したものである。
一万年もの時間をかけて、練り上げられた、日本人の、心の所作である、歌道。

歌道は、天皇を、象徴とするものである。


posted by 天山 at 20:27| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

ビサヤ諸島への旅

深夜、10時過ぎに、マニラに着いた私たちは、国内線乗り場に、移動した。
何せ、朝、四時のセブ島行きに乗る。

国内線の空港で、その時間を待つことにした。
それが、また、疲れる。

私は、ついに、搭乗受付の前で、布を広げて寝た。
気づくと、大勢の人たちが、私を見下ろしている。

朝の、三時前に、登場手続きが、始まった。

荷物のことが、気がかり。
きっと、重量オーバーである。
そして、案の定。

2000ペソも、かかる。
何とか、機内持ち込みのバッグに詰めて、1500ペソに、減らした。
つまり、4000円から、3000円にしたのである。

セブ島行きの飛行機の中では、ただ、眠る。
六時前に、到着。

そのまま、観光地マクタン島から、セブシティに直行して、いつもの、ホテルに向かう。
町外れの、静かな場所、更に、川が流れていて、少しばかり、風情がある。

ホテルに着いて、すぐに、シャワーを浴びて、ベッドに横になる。
まだ、朝であるから、実に静かだ。
いや、鶏の鳴き声が煩い。

日本のホテルと違い、いつでも、チェックインできる。追加料金もない。

今回の、セブ島は、三度目、ネグロス島も、三度目である。
しかし、最初のネグロス島は、南のトマゲッテイという町に間違って行き、出直して、三度目である。
バコロドという、ネグロス島の、州都に当る町に行く。

そこは、第二次世界大戦の、フィリピン、第三の激戦地である。
特に、バコロド、隣町、タリサイ、そして、シライと、続く町々は、日本軍の駐留していた場所である。

昼間前に、私は、両替に出掛けた。
暑いが、日本の暑さと、違う。
暑さが、嫌にならないのである。

ダウンタウンの方向に向かう。
道路が、円を作る場所まで出る。そこが、公園になっている。

と、その時、飛び出してきた、男の子・・・
あっ
とても、シャツが、汚い。
ああっ
元気かい・・・

以前、衣服を上げた子供たちである。
早速、皆と、顔を合わせる。

お腹空いてる・・・
ハングリと、私は、彼の腹を指した。
ハングリと、応える。

それじゃあ、と、六人を連れて、道を横切り、フード店に入る。
普段なら、入られない場所だが、私と一緒なので、堂々と入る。

それぞれに、チキンと、ご飯セットを注文する。

今回も、私は、彼らに、衣服を渡そうと思った。
前回渡したものは、もう、汚れている。

明日の朝、10時に、今の、場所で会おうと、約束して、別れた。
その前に、写真を撮った。
それが、よかった。
翌朝、彼らと、会うことができなかったのである。

私の頭の中で、ストリートチルドレンのグループが、三つある。
一つは、彼ら、男の子だけのグループ。
そして、中学生位までの、男女混合グループ。
ダウンタウンの、カテドラル付近にいる、子どもたち、である。

だが、それが、もう一つ増えた。
明日、ネグロス島に向かうという、夜に、五名の男の子グループを見つけた。
8歳から、13歳までの、男の子のグループである。

食事をして、ホテルに帰る道に、彼らが屯していた。
そして、話し掛けた。
私は、すぐに、パンと飲み物を買って戻り、彼らに渡した。

彼らは、ストリートチルドレン専用の、寝泊りする場所にいると、言う。
学校に通う子が三名いた。

ただし、そこでは、寝るだけで、食事は、出無いのである。

これで、四つのグループに出会った訳である。

兎に角、再会することが、出来るというのが、心強かった。
次も、会える。
すると、彼らのための、衣類を仕分けして、持参できるのである。

私は、旅先では、酒を一切飲まない。
食事をして、しばらくすると、眠くなるので、早々にベッドに就く。

夜のシャワーを浴びると、一日が終わるのである。

両替は、いつもより、多かった。
日本円が、強い。
これには、とても、助かる。
一般の食堂だと、100円程度で、食べることができる。
それでも、ケチケチ精神は、変わらない。
兎に角、10円でも、安くと、考えている。

posted by 天山 at 11:52| ビサヤ諸島への旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月17日

ビサヤ諸島への旅2

セブ島では、マクタン島の観光地ではなく、セブシティに滞在した。
そして、今回は、スラムを主にした、支援を予定していた。勿論、ストリートチルドレンも、であるが、ネグロス島、バコロドでの、孤児院のために、ある程度セーブして、支援することにした。

バコロドには、二箱の支援物資を送っていた。
持参したものを合わせると、おおよそ、130キロ分は、あった。

二日目の日に、スラムに入るために、ホテルフロントの女性に、場所を尋ねた。すると、彼女から、スラムより、火災によって、多くの人が、テントで暮らしている場所があるとのこと。

是非、そちらに、支援して欲しいと、頼まれた。

大きな火災があり、人々が、焼け出されたという。
着の身着のままである。

そして、出掛けて、驚いた。
スラムの横の、一丁角に、テントがずらりと、張られている。

テント生活をする人々。

ハロー
フロム・ジャパン・プレゼント、と、声を掛けると、皆、笑顔で、迎えてくれた。
しかし、支援物資は、三つのバッグのみ。
足りる訳が無い。

最初の家族に、衣類を出していると、人々が、集まってきた。
そして、私が、先に進もうとすると、バッグを持ってくれる人がいる。

誰も、我も我もと、奪わないのである。

そして、騒がしくなると、私は、マイネーム・ジャパニーズ・テンと、挨拶する。
静かに、静かにと、両手で、抑えると、男たちが、何か言う。
そうだ、そうだと、聞える。

日本の、フェイスタオルを出した。
女たちが、殺到する。
タオル・・・
道端で、売っている。しかし、それさえも、買えない。

貧しい人たちが、火災で、焼け出されて、精々、テントを張って、住む場所を確保するのが、精一杯の行政である。

雨が降らなければ、外で、食事をするという。

兎に角、すべての物資を、手渡した。
そして、バッグも、二つ差し上げることにした。
何人かが、バッグが欲しいと言うのである。

バッグを渡して、バーイと言うが、名残惜しい。
サンキュー・・・・
皆さんが、口々に言う。

私は、ネクスト・タイム・・・スィユーアゲン・・・
子供たちも、手を振る。
更に、カメラを向けると、子供たちは、ポーズをつけてくれる。

フィリピンの人たちは、明るい。それが、救いである。

ユーモアに満ちていると、私は、感じる。

戻りつつ、スラムの方を見る。
トタン屋根の長屋が、長く続いている。

貧しさを絵に描いたようである。

だが、貧しさに負けないのである。
その場を、いかに、楽しく過ごすか・・・
それが、フィリピン人の、底力である。

その、タガが、外れると、とんでもない、事態になることも、特徴。
人がすぐに、殺されるという・・・

拳銃を売る店を見た。
誰でも、気軽に買うことが、出来るのである。

まさに、アメリカ並み。

宗教は、スペインが、銃は、アメリカが、持ち込んだ。

フィリピンは、カトリックの国であるが、その残虐性は、スペインからのものでもある。
スペインとアメリカに、支配された時代が、長く続き、自国の文化を、育てられなかった。いや、一時期、日本統治の時代は、少しばかり、フィリピン独自の文化が、花開いた。

だが、日本は、フィリピンとの、約束を破ったことが、残念である。
フィリピンを、支配しない、植民地にしないと、約束したのであるが、それを、反古にしたのである。

だから、日本は、裏切り者の、代名詞にもなった。

今は、親日感情は、強い。
日本は、様々な、支援を続けてきた。
勿論、アメリカは、莫大なお金を、出し続けたが、今尚、貧しい国である。

何故か。
その金を、政治家たちが、搾取するからである。

前大統領の、アロヨも、結局は、不正蓄財と、汚職に関わった。更に、選挙の不正である。
これから、アキノ大統領は、逮捕状を取り、アロヨは、罪に問われることになる。

現在の、アキノ大統領は、母親が、大統領として、貧しいフィリピンを立て直す努力をした。国民は、その母親の、息子のアキノに、期待する。

私も、期待している。

障害者が、路上生活をしなくてすむ国に、して欲しい。孤児たちの、施設を充実させて欲しい。

ミンダナオ島の、反政府勢力、イスラムとの、対話を続けて欲しい。

本来、フィリピンは、イスラムの国だったのだ。


posted by 天山 at 11:42| ビサヤ諸島への旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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