2011年08月27日

霊学33

受身的な形で、行為する人を、超自我型の人間。
積極的な形で、行為する人を、自我理想型の人間。

実は自己愛の重要な機能として、自分の様々な欲求をコントロールする機能があります。ほかの欲望を抑制するとその代わりに自己愛がみたされるという回路が構造化すると自我理想になるのです。もっと積極的な形になると、自己愛をみたすために、それ以外の欲望を断念したり、抑制してしまったりする場合もあります。それが自我理想の欲望コントロール機能です。
小此木

上記に対して、自己愛の傷つきをおそれるあまり、他の欲望を断念したり、放棄する場合がある。このパターンが構造化されると、超自我になってゆく。

欲望の満足を断念したり、フラストレーションに耐えることで、自己愛が高まるということが、起きる。

だが、それが、極端になると、自己愛の満足ばかりが、心の関心事になり、人との愛情、触れ合いなどより、立派になることだけを、価値規範にするようになる。

そのまま、年齢を重ねると、どうなるのか・・・
権威主義の、更に、支配欲の強い、そして、自分の正義を通す、偏屈な人間になる。

それは、幼児期に決まる。
決まると、変更できないのか・・・
それを、変更するには、大変な、苦痛を伴う。

男根期、三歳から四歳は、心理学では、エディプス・コンプレックスの時期である。

象徴的には、去勢不安が起こると、される。
去勢とは、単に、男根を切るということではない。

むしろ自己愛論的にいえば、男としての自尊心とか誇り、自信というものをおびやかし、奪われるということです。この場合の男根は、そうした男の子としての自己愛を象徴するものです。そしてこのエディプス状況で、もし自分の欲望をほしいままにすれば、去勢不安が起こるという体験が心の中に内在化して、超自我ができあがっていきます。この場合の超自我は子どもの自己愛をおびやかし、傷つけても欲望の断念を強いるような父親、母親への同一によってつくられていきます。
小此木

男としての自分を、父親との闘いの中で、どのように確立するかということが、課題になるとは、小此木氏が言う。

そして、女の子の場合は、父親を巡って、母親との対立を通して、自分をどう確立するのか、課題になると言う。

いずれにせよ、それは、ある特定の人に言えることで、すべての人には、当て嵌まらない。

これを、一般の人、すべてに、当て嵌めて、解釈、分析すると、アホな心理学者の、一丁上がりである。

さて、自我理想は、思春期、青年期を通して、はじめて、明らかになる。

つまり、子ども時代の、自我理想が、青年期の、アイデンティティの形成に、つながっていく。

歴史的、思想的意味を持つ、社会化された、アイデンティティになるかどうか、思春期から、青年期にかけての課題になると、小此木氏は、言う。

子供時代は、あの人のようになりたい・・・
野球選手、サッカー選手・・・程度である。

それが、叶わぬと、解ってくると、身の丈に合った、理想を作るということだ。

精神であるところの「自己」は、実際の世間において、どのような不安定さを示すだろうか。浮動常なきその実相の研究が必至となってきます。精神は環境に対する絶えざる抵抗力ですが、同時に、抵抗する自己の正確な認識を得たいと常に焦慮しているものです。そして見出すものは自己そのものがすでに危機的存在だということであります。
愛の無常について 亀井勝一郎 現代語訳は、私。

言葉の世界である、精神を、心理学用語を使わず、このように、考えることも出来るのである。

続けて、
我々は様々な知識を得たいと焦りますが、それらをとおして、一番知りたがっているのは、結局「自己とは何ぞ」ということではないでしょうか。各人にとって、自分の状態、自分の運命を知るほど興味深く、また恐ろしいことはないはずです。危機の自覚は、精神の演ずるでろあう人生劇の予見をひどくおそるるものなのであります。
亀井

知識、例えば、心理学の知識を得て、少しの安心を得る・・・
いや、すべて、心理学にて、解釈してしまおうとすることもある。

心理学が、解りやすく解釈されると、なお更に、その知識を得て、自分を、そして、他人を分析して、その気になるという・・・

兎に角、安易に安心を与えるという意味では、占いと、同じ程度に、心理学は、入りやすい。
だから、素人、心理学者が、多くなる。

人はどんな運命を辿ろうとも、死という大限定は避けられない。それが生を鮮やかに我々に自覚せしむるのですが、その生たるや漠然としてとらへ難く、しかも迅速にすぎて行く。生の漠然さと死の確実さの不安から、つい我々は党派とか宗教とかに性急な「拠り所」を求めて、自ら自己限定におちいる。
亀井

上記のような、思索に耐えられないゆえに、安易な心理学という、知識に頼ることになる。

最も気楽な生き方は、他人から自己限定して貰って、自己をもたないことです。
亀井

更に、他人を限定して、安心する。

知識の多い人ほど、そのような傾向を帯びる。
知識が、迷いであるとは、知らない。

こうして、こうだから、こうなって・・・
実に、安易である。

勿論、私は、心理学を否定しないばかりか、思索の糧として、利用する。

まだまだ、続く、自己愛。




posted by 天山 at 17:01| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。