2011年08月25日

もののあわれについて。531

宮人も上下みな心かけ聞えたれば、世の中いとうしろめたくのみ思さるれど、かの御みづからは、わが心をつくしあはれを見て聞えて、人の御けしきの、うちもゆるばむ程をこそ侍ちわたり給へ、さやうにあながちなるさまに、御心破り聞えむなどは思さざるべし。




邸内の人は、上下揃って、殿、源氏に心を寄せているので、姫宮は、毎日が心配で、たまらない。あのお方は、自分の心の真をかけて、愛情を見せ、朝顔の気持ちが和らぐのを、持っている。心配するように、無理強いに、自分が考えているようなことに背くことなどは、思っていないだろうと、思う。

これは、作者の考えであろう。




大殿腹の若君の、御元服のこと思しいそぐを、二条の院にてと思せど、大宮のいとゆかしげに思したるもことわりに心苦しければ、なほやがてかの殿にてせさせ奉り給ふ。右大臣をはじめ聞えて、御叔父の殿ばら、みな上達部のやむごとなき、御おぼえ異にてのみものし給へば、あるじ方にも、われもわれもと、さるべき事どもは、とりどりに仕うまつり給ふ。おほかた世ゆすりて、所せき御いそぎの勢なり。




太政大臣の、姫の若君、つまり、夕霧の、元服である。
その準備をなさる。源氏は、二条の院でと、思うが、大宮、太政大臣の妻である、が、見たがっているのも、無理は無いと、見せなければ、気の毒だと、やはり、そのまま、あちらの邸内で、執り行うことに。
右大臣をはじめとして、叔父の殿たちは、皆立派な上達部で、帝の信任も厚い方ばかりである。主人側も、一同競って、必要なことは、すべて思い通りにしてあげる。
世間中が、大騒ぎして、大変な、準備の、威勢である。

夕霧は、葵の上が生んだ子である。




四位になしてむと思し、世人も、さぞあらむと思へるを、まだいときびはなる程を、わが心に任せたるよにて、しかゆくりなからむも、なかなか目なれたる事なりと思しとどめつ。あさぎにて殿上にかへり給ふを、大宮は飽かずあさましき事、と思したるぞ、ことわりにいとほしかりける。




源氏は、夕霧を、従四位下にしようと、思った。世間の人も、そのように思った。しかし、源氏は、まだ夕霧は、幼い年頃である。自分の思いのままになる、天下で、そのように突然、四位にすることは、かえって、平凡すぎると、思いとどまった。
それで、六位のあさぎり色の冠で、殿上に帰ると、大宮は、六位は満足できない。あまりにも、酷いと思い、気の毒である。

当時は、生まれの身分が一番である。
だが、源氏は、夕霧に、教育を十分にさせて、と、考える。




御対面ありて、この事聞え給ふに、源氏「ただ今かうあながちにしも、まだきにおいつかすまじう侍れど。思ふやう侍りて、大学の道に、しばしならはさむの本意侍るにより、いまニ三年をいたづらの年に思ひなして、おのづからおほやけにも仕うまつりぬべき程にならば、いま人となり侍りなむ。みづからは九重の内に生ひ出で侍りて、世の中の有様も知り侍らず、夜昼お前に侍ひて、わづかになむはかなき書なども習ひ侍りし。ただかしこき御手より伝へ侍りしだに、何事も広き心を知らぬ程は、文の才をまねぶにも、琴笛の調にも、ねたらず、及ばぬ所の多くなむ侍りける。




大宮が、源氏に会い、この事を申し上げると、源氏は、今すぐに、夕霧をこのようにしてまでも、元服させて、まだ早いものを、大人っぽくしたくはないと思いますが、元服させました。
私には、考えるところありまして、夕霧を、大学寮に入れて、しばらく学問をさせたいと、前々から、考えていました。ニ三年を、無駄に費やすと考えて、自然に、朝廷にも、仕えるようになったら、夕霧も、まもなく、一人前になるでしょう。私も、宮中で、成長しまして、世の中の様子も、知りませんでした。昼夜と、帝に仕えて、ほんの少し、漢籍などを、習いました。しかし、直接、帝の御手から、教えられたことでさえ、何事も、広い知識を身につけないことには、学問を学ぶにしても、琴や笛の調べにしても、力不足で、人には、及ばないことが、沢山ありました。




はかなき親にかしこき子のまさるためしは、いと難き事になむ侍れば、ましてつぎつぎ伝はりつつ、へだてりゆかむ程の、行く先いとうしろめたなきによりなむ、思ひ給へおきて侍る。高き家の子として、つかさうぶり心にかなひ、世の中盛りにおごりならひぬれば、学問などに身を苦しめむ事は、いと遠くなむおぼゆべかめる。たはぶれ遊びを好みて、心のままなる官爵にのぼりぬれば、時に従ふ世人の、下には鼻まじろきをしつつ、追従し、けしきとりつつ従ふ程は、おのづから人とおぼえて、やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世おとろふる末には、人に軽めあなづらるるに、かかり所なき事になむ侍る。




つまらぬ親に、賢い子が、優れていることは、めったにないことです。まして、子々孫々と、次々に伝わってゆくうちに、その隔たりが広がり、その将来が、たいそう気がかりなので、考えて決心しました。
身分の高い家の子をして、官職と、階位が思いのままで、この世での、自分の栄華に驕り高ぶる癖がついてしまうと、学問などで、自分の身を苦しめることは、大変、縁の遠いことだと、きっと、思うようになるでしょう。
また、戯れ遊ぶ事を好み、思いのままに、官位が上がると、時勢に従う世間の人が、内心では、鼻であしらいつつも、媚び諂い、機嫌を取りながら、従っているうちは、自然と、ひとかどの人物らしく思われて、立派な人に見えても、威勢が変わり、最後の頃になると、世間の人に、軽んじられ、侮られるようになります。すがるところさえも、なくなってしまいます。




posted by 天山 at 23:01| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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