2011年08月24日

もののあわれについて。530

乙女

年かはりて、宮の御はても過ぎぬれば、世の中色あらたまりて、ころもがへの程なども今めかしきを、まして祭の頃は、大方の空の気色ここちよげなるに、前斎院はつれづれとながめ給ふ。お前なる桂の下風なつかしきにつけても、若き人々は思ひ出づる事どもあるに、大殿より、源氏「みそぎの日は、いかにのどやかに思さるらむ」と、とぶらひ聞えさせ給へり。
源氏「今日は、

かけきやは 川瀬の波も たちかへり 君がみぞぎの 藤のやつれを

紫の紙、立文すくよかにて、藤の花につけ給へり。折のあはれなれば、御返りあり。

朝顔
ふぢ衣 着しは昨日と 思ふまに 今日はみそぎの 瀬にかはる世を

はかなく」とばかりあるを、例の御目とどめ給ひて見おはす。




年が明けて、藤壺の宮の、一周忌も終わり、世の人は、喪服を脱ぎ、衣更えの頃など、華やかである。葵祭りの頃は、ふと仰ぐ空の眺めも、清清しく感じる。
しかし、斎院は、所在無く、物思いに、耽る。庭先の、桂の木の下を吹く風が、何となく、懐かしく感じられるにつけて、若い女房たちは、思い出すことが色々とある。
そこに、大臣、源氏から、禊の日は、どんなにどんなにか、静かにしていられるのでしょう、と、お見舞いがあった。

源氏
今日の日は、加茂の川波が、今年再び寄せてきて、禊をされる、あなたの喪服姿を。
紫色の紙に、立文を折り目正しく、藤の花につけられた。折も折、感動を覚えて、お返事がある。

朝顔
喪服を着たのは、昨日と思っていました。もう、それを脱ぐと言う、禊をするとは、世の移り変わりの激しいこと。

儚いことです、とだけあるのを、源氏は、いつも通り、じっと見詰める。

君がみそぎの 藤のやつれを
藤のやつれ、とは、喪服のことである。

ここで、立文、たてぶみ、とは、懸想文ではなく、用事の文となる。




御服なほしの程などにも、宣旨のもとに、所せまきまで思しやれる事どもあるを、院は見苦しき事に思し宣へど、をかしやかに、けしきばめる御文などのあらばこそ、とかくも聞え返さめ、年ごろも、おほやけざまの折々の御とぶらひなどは、聞えならはし給ひて、いとまめやかなれば、いかが聞えも紛はすべからむ、と、もてわづらふべし。




喪服を脱がれるときなど、宣旨の所へ、始末に困るほどの、源氏からの、心遣いの品々が届くので、斎院は、困り、口にもするが、思わせぶりな、手紙などがあれば、何とか申し上げて、お返しする。長年、表立って、何かの折の、お見舞いなどは、差し上げていらして、今日も、非常に真面目な文面であり、どうして、断ることを、申し上げるかと、宣旨も、困っている様子。




女五の宮の御方にも、かやうに折すぐさず聞え給へば、いとあはれに、女五の宮「この君の、昨日今日の児と思ひしを、かくおとなびてとぶらひ給ふこと。かたちのいと清らなるに添へて、心さへこそ人には異に生ま出で給へれ」と、ほめ聞え給ふを、若き人々は笑ひ聞ゆ。




五の宮の、御方にも、このように、折を逃さず、お手紙を差し上げるので、いとあはれに、感心して、女五の宮は、この君は、つい昨日まで、子どもだと思っていたのに、こんなに一人前にお見舞いくださるとは、器量がまことに、よい。その上、気立てまで、他の人と、違うと、誉めるのを、若い女房たちは、笑う。

いとあはれに
深く、感心する、感動する。深く感じ入るという、状態である。
いと、は、強調である。




こなたにも対面し給ふ折は、女五の宮「この大臣の、かくいとねんごろに聞え給ふめるを。何か、今はじめたる御心ざしにもあらず。故宮も、筋異になり給ひて、え見奉り給はぬ嘆きをし給ひては、思ひ立ち事をあながちにもて離れ給ひしこと、など宣ひ出でつつ、くやしげにこそ思し折々ありしか。されど故大殿の姫君ものせられしかぎりは、三の宮の思ひ給はむことのいとほしさに、とかく言添へ聞ゆる事もなかりしなり。今はその、やむごとなくえさらぬ筋にてものせられし人さへなくなられにしかば、げになどてかは、さやうにておはせましもあしかるまじ、とうちおぼえ侍る」など、いと古代に聞え給ふを、心づきなしと思して、朝顔「故宮にも、しか心ごはきものに思はれ奉りて過ぎ侍りにしを、今更にまた世になびき侍らむも、いとつきなき事になむ」と聞え給ひて、はづかしげなる御けしきなれば、しひてもえ聞えおもむけ給はず。




朝顔にも、対面される時には、女五の宮が、この大臣が、こんなに誠をこめて、お手紙を下さるよし。まあ、今に始まった求婚でもありません。亡き宮も、他家にご縁を結ばれたので、婿にできないと、嘆きなって、望んでいたことが、叶わなかった、などと、後悔していらした事が、ありました。けれど、故太政大臣の姫君が、いらっしゃつた間は、三の宮が、気にされるのが、気の毒で、とやかく、口添えをしてあげる事もしなかったのです。今は、その、歴然とした、お方としていらした方まで、お亡くなりになったのですから、本当に、父宮の言った通りに、なさっても、別に悪くは、ありませんでしょう。そのように、思いますし、改めて、今このように、熱心におっしゃるのも、そうなるはずの、定めかとも、思います、など、とても古風なことを言うのも、嫌な話だと、朝顔は、亡き父宮にも、そんなに強情と思われていましたのに、今になって、改めて、皆の言うようになりましても、おかしなこと、と、おっしゃり、それ以上は、言えない雰囲気で、無理に勧めることも、できないのである。

いと古代に聞え給ふ
大変、古風に、古めかしく、聞える。

はづかしげなる御けしき
現代の、恥ずかしいという、状態ではない。何とも、威厳のあるという、雰囲気である。




posted by 天山 at 17:06| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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