2011年08月23日

もののあわれについて。529

源氏「この数にもあらず貶しめ給ふ山里の人こそは、身の程にはややうち過ぎ、物の心など得つべけれど、人よりことなるべきものなれば、思ひあがれるさまをも見消ちて侍るかな。いふかひなき際の人はまだ見ず。人はすぐれたるは難き世なりや。東の院にながむる人の心ばへこそ、ふり難くらうたけれ。さはたさらにえあらぬものを、さる方につけての心ばせ人にとりつつ見そめしより、同じやうに世をつつましげに思ひて過ぎぬるよ。今はた、かたみに背くべくもあらず、深うあはれと思ひ侍る」など、今昔の御物語に夜ふけゆく。




源氏は、あの物の数にも、入らないと、蔑んでいる、山里の人は、身分には、過ぎるほど、物の道理も心得て、何分、人々と同じ扱いは、できない。気位の高いのも、見て見ぬ振りをしています。お話にもならない、生まれの女は、まだ、世話をしたことがない。人というものは、優れた人は、中々いないものだ。東の院に、寂しく暮らす人の気立ては、いつも変わらず、愛らしい。あのようには、とても、出来ないものだが、あの人の、性質を美しいと、思い、世話をして以来、変わらぬ態度で、遠慮深く暮らしている。今となっては、お互いに、別れることもなく、心から、可愛いと、思っています、なとど、昔のお話、今のお話に、夜が、更けてゆく。

山里の人とは、明石の君。
さる方とは、花散里のこと。




月いよいよ澄みて、静かに面白し。女君、


こほりとぢ 石間の水は ゆきなやみ 空すむ月の かげぞながるる

外を見出して、すこし傾き給へる程、似る物なくうつくしげなり。かんざしおもやうの、恋ひきこゆる人のおもかげに、ふとおぼえて、めでたければ、いささか分くる御心もとりかさねつべし。鴛鳶のうち鳴きたるに、

源氏
かきつめて むかし恋しき 雪もよに あはれをそふる をしのうきねか




月が、いよいよと、澄んで、あたりは静まり、趣が深い。女君

紫上
地には、氷に閉ざされて、石間の水も、流れかねております。天上では、月が冴え渡り、滞りなく、西に流れて行きます。

外を眺めて、少し頭を傾ける様子は、比べるものがなく、美しい。その髪の具合や、面差しが、恋しい方の、面影かと、思われて、美しいので、少しは、よそに動いていた心も、紫の上への愛情に加わるだろう。そこに、おしどり、が鳴く。

源氏
何もかも、すべて集めて、昔のことを思う、この雪の夜に、ひとしお、あはれを添える、おしの、鳴き声。




入り給ひても、宮の御事を思ひつつ大殿籠れるに、夢ともなくほのかに見奉るを、いみじくうらみ給へる御気色にて、藤壺「漏らさじと宣ひしかど、うき名の隠れなかりければ、はづかしう、苦しき目を見るにつけても、つらくなむ」と宣ふ。御いらへ聞ゆと思すに、おそはるるここちして、女君の、「こはなどかくは」と宣ふに、おどろきて、いみじく口惜しく、胸のおき所なく騒げば、おさへて、涙も流れ出でにけり。今もいみじく濡らし添へ給ふ。女君、いかなる事にかと思すに、うちもみじろがで臥し給へり。

源氏
とけて寝ぬ 寝ざめ寂しき 冬の夜に むすぼほれつる 夢の短かさ




寝所に、入っても、宮のことを思い、休まれたので、夢ともなく、かすかに、お姿を拝するが、大変、恨みのある様子である。その、藤壺が、口にしないと、おっしゃっていましたが、浮き名が漏れてしまいました。顔向けも出来ず、苦しい目にあっております。辛く思います、と、おっしゃる。お返事をするときに、モノに襲われる気がして、女君が、これは、どうして、こんなことに、と、おっしゃる声に目が覚め、いいようなく、名残惜しく、胸騒ぎがする。じっとしていても、涙まで流れるのである。今も、泣き濡れている。
女君は、どういうことかと、身じろぎもしないで、横になっている。

源氏
安らかに、眠られず、ふと、覚めた寂しい冬の夜に、わずかに見た夢の、短いこと。

藤壺の宮が、夢に現れて話すのである。




なかなかあかず悲しと思すに、とく起き給ひて、さとはなくて、所々に御誦きょうなどせさせ給ふ。「苦しき目見せ給ふ」とうらみ給へるも、さぞ思さるらむかし。行ひをし給ひ、よろづに罪軽げなりし御有様ながら、この一事にてぞ、この世の濁りをすすい給はざらむ、と、物の心を深く思したどるに、いみじく悲しければ、何わざして、しる人なき世界はおはすらむを、とぶらひ聞えにまうでて、罪にもかはり聞えばや、など、つくづくと思す。かの御ために、とり立てて何わざをもし給はむは、人とがめ聞えつべし。内にも、御心の鬼に思す所やあらむ、と思しつつむ程に、阿弥陀ほとけを心にかけて、念じ奉り給ふ。おなじ蓮にとこそは、

源氏
なき人を したふ心に まかせても かげ見ぬみつの 瀬にやまどはむ

と思すぞ憂かりける、とや。




なまじ、お姿を見た事が、悲しみの思いを、癒したので、早く起き上がり、それとは、言わずに、所々で、読経などするのである。苦しい目に遭わせると、恨んだことも、さぞ、そのように思っているだろう。勤行を行い、何につけても、罪障は軽く、お見受けした様子。だが、この秘密のために、この世の、濁りを清められないのか、と、深く物の道理を、思うと、たまらなく、悲しい。どんな手立てでもして、知る人のない、世界においでなので、探して、罪も代わって差し上げたいと、思いに沈む。
かの宮のために、取り立てて、法要などを行っては、世間の疑惑を招くだろう。主上も、気が咎めて、事実を、知られるかもしれない、と、用心するので、ただ、阿弥陀仏を、熱心に念じて、同じ蓮の上に、と、思うのである。

源氏
なき方を、慕うままに、訪ねても、姿も見えぬ、冥土の川のほとりで、迷うだろろう。

と、思うのが、辛かったとか、いう、お話しでした。

内にも、御心の鬼に思す所やあらむ
内とは、主上である。その、主上が、事実を知る。源氏と藤壺の、密通である。
そして、源氏の子であることを。

同じ蓮にとこそは
来世で、夫婦が、一つの蓮の花の上に、生まれかわるという。

かげ見ぬみつの 瀬にやまどはむ
亡き人は、川を渡るという。

まどはぬ
迷うだろう。

朝顔を、終わる。

源氏の、お話しは、まだ、続く。




posted by 天山 at 11:38| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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