2011年08月06日

霊学29

アイデンティティ、パーソナルな同一性というものの、起源について、小此木氏の、記述を見る。

母親が子どもに対して持っている人格像をみることを通して子どもが自分を認識していくときに、「おれはこういう人間なのだ」と心に抱くようになるわけです。世に有名な天才、偉人の伝記には、フロイトの場合のように、その人が生まれる前のエピソードがつきものです。その読み取り方としては、親の中にその子どもに対しての生まれる以前からのこうしたイメージや期待があって、それが本人の中に人並みはずれた巨大な自己像を形成し、はぐくんだという解釈も成り立つわけです。
小此木

ところが、それが、曖昧で、あまり、意識の無い人の場合は、どこかで、心が、変形するようである。
成功したが、何となく、劣等感にさいなまれる。社会的地位を、得たが、不安感がある。また、その、逆に、尊大無礼になる。
傲慢になる。
本当は、自分に自信がないのだが、虚勢を張る。

負けず嫌いだから、知らないということが、許せないので、猛勉強をする。
しかし、いつか、力尽きるのである。

自我虚構の、自我拡大意識と、私は、言う。

子どもが自分の全体的な自己像を自分のものにしていく過程には、ことに母親が子どもに対してもっている一貫した子ども像と自分を同一視して、その見方で自分のことをみるようになります。そしてその自己像を自分のものにしていくということがあります。
小此木

この、自己認識の仕方を、明確にしたのが、ラカンの「鏡像段階」という。

鏡に映る、自分の全体像を見て、これが自分だと、固定して、映る自己イメージと、自分を同じものと同一視する。そこで、全体的な、自己表象、自己像というものが、出来あがるという。

ここで大切なことは、二つあって、一つは全体的で一貫性のある自己像というものは、鏡に映って初めて認識できるということです。ですから、それを子どもの体験に即していうと、母親がいつも自分のことを同じ自分だと見ている同一性と一貫性が大切なわけです。
小此木

子どもは、今日と、昨日の自分が、ばらばらなものとして、体験している。
そこで、母親が、一貫して、子どもに対する、人格像があることが、子ども自身の、一貫性した、自己像を作る助けになる。

不変性と一貫した自己像を持つのが、大人の心に、一貫して続く、アイティンティティということになる。

もし、これが、うまくいかないと、心は、分裂する。
それが、神経症になるのか、他の精神疾患になるのか・・・

そして、面白いことは、次である。

もう一つ、このような自己像は、無味乾燥な知覚とか認知のような知的な認識だけでできあがるものではないということです。まさにそれはあのナルシスの神話通りに惚れ込みの対象としての自己像がはじまるということです。つまりその起源において、自分の存在を知ることは、惚れ込み対象としてしかあり得ない、ということです。惚れ込み対象としての自分と意識・認識の対象としての自己は、この起源的な状況ではまったく一つのものなのです。
小此木

もし、憎しみ、嫌悪、無関心の対象としての、自分しか、見出せないとすれば、そこに、全体的な自己像を作り出すことが、出来なくなる。
つまり、同一性と、一貫性が、見出せない自分となる。

健康な、自己愛というものを、育てなければ、生きるに、とても、大変であり、時には、精神疾患、犯罪に関わる人格を育てる。

それでは、孤児などの、場合は、絶望的であろうか。
違う。
母親に、代わる存在があればいい。

人は、人によって人になる、ということである。

母親が、内面的に確実な存在となり、外部にも予測可能な存在になる。
その体験の一貫性、連続性が、同じ体験であること。
それが、自我同一性の基礎となる。

この発達が一定の段階に達すると赤ん坊はほほえむようになる。
エリクソン

自己愛から、始まる、人間の心の成長である。

最初に、母親の愛を受けて、自分を愛することを、知る。
自分を愛することに、成功できた人は、人生の逆境にあっても、強く歩むことができる。
何故か。
自分を愛しているからである。

絶望的な状況の中でも、それを、超える力は、自己愛なのである。

母と子の関係は、探れば、探るほど、面白いが、省略する。

原始時代は、その、自我の意識が、曖昧だったのは、そこまで、母と子の関係が、進化していなかったのである。

自我と、自然との、一体感などの、原始的体験は、また、それで、自然の中に生きる人間を、進化させた。
更に、人間の大脳化である。

さて、この自己愛から、愛の意識が、拡大していく。
自分と、関わりあるものに対する、思いである。

親兄弟は、勿論、祖父、祖母、そして、親類・・・
さらには、友人、知人・・・
そして、地域社会に対する思い。
更には、国に対する思い。
愛国心である。
それは、教育せずとも、自然発露の形で、成長する。
ただし、止められた場合は、歪められる。
敗戦後の、日本人は、愛国心を、止められたといえる。だから、日本人が、歪になった。自然発露であるところの、思いが、歪められると、自虐的になる。
自虐史観などは、その最たるもの。




posted by 天山 at 05:09| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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