2011年08月05日

もののあわれについて。528

雪のいたう降りつもりたる上に、今も散りつつ、松と竹とのけぢめをかしう見ゆる夕暮に、人の御かたちも光まさりて見ゆ。
源氏「時々に着けても、人の心をうつすめる、花紅葉の盛よりも、冬の夜のすめる月に雪の光りあひたる空こそ、あやしう色なきものの身にしみて、この世のほかの事まで思ひ流され、面白さもあはれさも残らぬ折なれ。すさまじき例に言ひ置きけむ人の心浅さよ」とて、御簾巻上げさせ給ふ。




雪がたいそう降り積もった上に、更に、ちらつく中、松と、竹の対照的なのが、面白く見渡せる夕暮れである。源氏の姿も、一段と輝いて見える。
源氏は、四季折々の中でも、人が特に、心をひかれる花や、紅葉の盛りより、冬の夜の、冴えた月に雪の照り映えた空が、実に、色のない眺めながら、心に沁みて、この世の外の事までが、思いやられ、面白さも、あわれさも、これに過ぎるものはない。それを面白くないことにしている、昔の人の、心の浅いこと、と、おっしゃり、御簾を巻き上げさせる。




月は隈なくさし出でて、ひとつ色に見え渡されたるに、しをれたる前裁のかげ心苦しう、遣り水もいといたうむせびて、池の氷もえもしはずすごきに、童女おろして、雪まろばしせさせ給ふ。をかしげなる姿、頭つきども、月に映えて、大きやかに慣れたるが、さまざまのあこめ乱れ着、帯しどけなき宿直姿なまめいたるに、こよのうあまれる髪の末、白きには、ましてもてはやしたる、いとけざやかなり。ちひさきは、童げてよろこびはしるに、扇なども落として、うちとけ顔をかしげなり。いと多うまろばさむと、ふくつけがれど、えも押し動かさでわぶりめり。かたへは、東のつまなどに出で居て、心もとなげに笑ふ。




月がくまなく照り、あたり一面、真っ白に見える。その中に、萎れた植え込みの、かげも痛々しく、遣り水も、むせび泣くようだ。池の氷も、何とも凄い。
女童、めのわらわ、を、庭に下ろして、雪のまろばしをさせる。かわいらしい姿や、髪の様子が、月に映えて、大きなものなれた女童たちが、色とりどりの、あこめ、を羽織り、袴の帯も、しどけない、寝巻き姿は、色っぽいのである。長く垂れた髪の先が、白い雪に、一段と映えて、鮮やかである。小さな連中は、子どもらしく、喜び跳ね回り、扇なども、落とし、御前も忘れて、遊んでいる顔が、いかにも、可愛らしい。もっと沢山丸めて、雪を転がすうちに、動かせなくなり、困っている。一部の人は、東の縁先に出て、気を揉みつつ、笑っている。

童女は、召使たちである。
あこめ、という着物は、単衣と、下重ねの間に、着るもので、童女は、上の衣を着ないので、あこめ、が、表衣となる。

乱れ着、とは、しっかりと、着ないこと。

童げて
幼い様にて。




源氏「一年、中宮の御前に雪の山つくられたりし、世にふりたることなれど、なほめづらしくもはかなき事をしなし給へりしかな。何の折々につけても、口惜しう飽かずもあるかな。意図気遠くもてなし給ひて、くはしき御有様を見ならし奉り事はなかりしかど、御まじらひの程に、うしろやすきものには思したりきかし。うち頼み聞えて、とある事かかる折につけて、何事も聞え通ひしに、もて出でて、らうらうじき事も見え給はざりしかど、いふかひあり、思ふさまに、はかなき事わざをもてなし給ひしはや。世にまたさばかりの類ありなむや。やはらかにおびれたるものから、深うよしづきたる所の、並びなくものし給ひしを、君こそは、さいへど紫のゆえこよなからずものし給ふめれど、すこしわづらはしき気添ひて、かどかどしさのすすみ給へるや苦しからむ。前斎院の御心ばへは、またさま異にぞ見ゆる。さうざうしきに、何とはなくとも聞え合せ、われも心づかひせらるべき御あたり、ただこの一所や、世に残り給へらむ」と宣ふ。




源氏は、ある年、中宮の御前に、雪の山が作られていたが、幾度も繰り返されてきた遊びだが、この折り、あの折りにつけて、亡くなられたことが、残念に思われる。
お傍に、近づけなく、詳しい様子を知ることはなかったが、宮中においでの頃は、心安い相談相手と、思ってくださった。私も、頼りにし、何かあるときは、何事もご相談申し上げたが、目立つほど、立派なことはなかったが、申し上げた甲斐があった。感心するほど、ちょっとしたことでも、仰せになった。
この世に、二人といない、あのような方はいないだろう。いかにも、女らしく大様で、その反面、奥深い心の、趣は、たぐい稀であり、あなたこそ、なんと言っても、紫のゆかり深くして、少しうるさいところもあり、気かんきが勝っているのが、困り者。前斎院の性格は、また様子が違っている。所在無いとき、用事がなくても、便りをしあい、こちらも、気を使わずにいられない、という方は、もう、このひと方だけ、今日には、残っていらっしゃる。と、おっしやる。

紫の上と、藤壺は、叔母、姪の関係である。

朝顔は、源氏に、心のありようを、正させるという。




紫上「内侍のかみこそは、らうらうじくゆえゆえしき方は人にまさり給へれ。あさはかなる筋など、もてはなれ給へりける人の御心を、あやしくもありける事どもかな」と宣へば、源氏「然かし。なまめかしう容貌よき女の例には、なほ引き出でつべき人ぞかし。さも思ふに、いとほしく悔しきことの多かるかな。まいて、うちあだけすきたる人の、年つもり行くままに、いかに悔しきこと多からむ。人よりはこよなき静けさと思ひしだに」など、宣ひ出でて、かんの君の御事にも、涙すこしは落とし給ひつ。




内侍、ないしのかみ、は、何事にも、行き届いて、奥ゆかしいことでは、どなたよりも、優れています。浮ついたところなど、ありませんでしたのに、変な噂が、何かとございました、と、おっしやる、と、源氏は、そうだ。色っぽくて、美しい人の例としては、矢張り引き合いに出さなければならない。そう思うと、お気の毒で、残念なことが、沢山ある。まして、浮気な発展家は、年を取るにつれて、どんなに後悔することが多いだろう。人より、遥かにおとなしいと思う、私でさえ、こうなのだから、などと、口にする。
内侍の君のために、少しは涙を落とすのである。

内侍の君、とは、朧月夜の君である。

人よりはこよなき静けさと思ひしだに
自分は、移り気ではなく、静かに暮らしてきたと、言う、源氏。

まあ、なんと言う、厚かましさか・・・
それこそ、色々な女に、移り気に、接してきたはず。だが、それなりに、皆を、心に掛けていたということは、言える。




posted by 天山 at 06:06| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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