2011年08月03日

もののあわれについて。526

西面には御格子まいりたれど、いとひ聞え顔ならむも如何とて、一間ニ間はおろさず。月さし出でて、薄らかに積もれる雪の光あひて、なかなかいと面白き夜のさまなり。ありつる老いらくの心げさうも、よからぬものの世のたとひとか聞きし、と思し出でられてをかしくなむ。




西面では、御格子を下ろしたものの、源氏のお越しを、厭う顔も如何なものかと、一間ニ間は、そのままにしてある。月が上がり、うっすらと積もった雪が、月の光に映えて、なかなか面白い風情である。源氏は、先ほどの、老女の懸想ぶりを思い出されて、よからぬものの例に引かれると聞くと、おかしくなる。




今宵はいとまめやかに聞え給ひて、源氏「一言、憎しなども、人伝ならで宣はせむを、思ひ絶ゆる節にもせむ」と、おり立ちて責め聞え給へど、昔われも人も若やかに罪ゆるされたりし世にだに、故宮などの心よせ思したりしを、なほあるまじくはづかしと、思ひ聞えてやみにしを、世の末にさだすぎ、つきなき程にて、一声もいとまばゆからむ、と思して、さらに動きなき御心なれば、あさましうつらしと思ひ聞え給ふ。




今宵は、大変に真面目に、お話をされて、源氏は、せめて一言、嫌いだという、お言葉だけでも、ご自身で、お聞かせ下されば、それを思い諦めるきっかけにも、しましょうと、折り入って、せがむが、昔は、互いに年が若く、少しのあやまちも、大目にみともらえた頃でさえ、亡き父宮などの思し召しもあったが、それでも、話に乗るまい、相手になるまいと思って、何もなく終わったのに、盛りも過ぎ、年も取り、似合わしくない頃になって、一声聞かせるのも、恥ずかしいと、思われて、全く応じる気配もなく、あきれ果てた冷たい方だと、思うのである。




さすがにはしたなく、さし放ちてなどはあらぬ、人伝の御返りなどぞ心やましきや。夜もいたう更け行くに、風のけはひ烈しくて、まことにいともの心細くおぼゆれば、さまよき程におしのごひ給ひて、

源氏
つれなさを むかしにこりぬ 心こそ 人のつらきに 添へてつらけれ

心づからの」と宣ひすさぶるを、げにかたはらいたしと、人々、例の、聞ゆ。

朝顔
あらためて 何かは見えむ 人のうへに かかりし聞きし 心がはりを
昔にかはることは習はずなむ」と聞え給へり。




それでいて、突き放してという、程の、取次ぎを使っての、御返事で、気が揉める。夜も、すっかりと、更けて行くにつれ、風の吹き様子が、烈しく、まことに心細い感じがする。品よく、涙を拭いて、
源氏
冷たいお心を、昔から知りながらも、懲りずに、今も同じ私の気持ちが、あなたの辛さに加えて、辛いことです。

これも、自分のせいですが、と、口ずさんでいるのを、本当にお気の毒なと、女房たちは、例によって、姫君に、申し上げる。

朝顔
心をあらためて、今更、お目にかかることなど、出来ません。よその方は、そんなこともあると、聞きますが、気が変わるなどとは・・・

昔と違うことなど、存じませんと、おっしゃる。

源氏に、口説かれる、朝顔であるが、全く、受付ない様子である。




言ふかひなくて、いとまめやかに怨じ聞えて出で給ふも、いと若々しきここちし給へば、源氏「いとかく世のためしになりぬべき有様、漏らし給ふなよ。ゆめゆめ、いさら川などもなれなれしや」とて、せちにうちささめ語らひ給へど、何事かあらむ。人々も、「あなかたじけな。あながちに情おくれても、もてなし聞え給ふらむ。かるらかにおし立ちてなどは見え給はぬ御けしきを。心苦しう」といふ。




何とも、せんない様子で、真剣に怨みごとを言って、立ち去るのも、若造のようで、宣旨に、源氏は、とかく、世間の物笑いの種になりそうなことは、どうか、内証にしてください。必ずや、いさら川、などとは、慣れ過ぎです、と、仰せになり、しきりに女房たちが、ささやく声が聞える。何を言っているのだろうか。
女房たちも、本当に勿体ないこと。どうして、むやみに、冷たくお持て成しになるのだろう。軽々しく、扱うことなどということは、ないお方なのに。お気の毒なこと、という。

いさら川
古今集より
犬上の ところの山なる いさや川 いさと答へよ わが名漏らすな
人に問われても、知らないと言え。我が名を漏らすな。

なれなれしや
との、源氏の言葉は、恋人に言う言葉。そこで、源氏は、反省して、言うのである。




げに人の程の、をかしきにもあはれにも思し知らぬにはあらねど、物思ひ知るさまに見え奉るとて、おしなべての世の人の、めで聞ゆらむ列にや思ひなされば、かつは軽々しき心の程も見知り給ひぬべく、はづかしげなめる御有様を、と思せば、なつかしからむ情も、いとあいなし、よその御返などは、うち絶えで、おぼつかなかるまじき程に聞え給ひ、人伝の御いらへ、はしたなからで過ぐしてむ、と深く思す。年頃しづみつる罪うしなふばかり御行ひを、とは思し立てど、にはかにかかる御事をしも、もて離れ顔にあらむも、なかなか今めかしきやうに見え聞えて、人のとりなさじやは、世の人の口さがなさを思し知りにしかば、かつ侍ふ人にもうちとけ給ふ。御はらからの君達あまたものし給へど、ひとつ御腹ならねば、いと疎疎しく、宮の内いとかすかになりゆくままに、さばかりめでたき人の、ねんごろに御心をつくし聞え給へば、皆人、心を寄せ聞ゆるも、ひとつ心と見ゆ。




本当に、人柄をご立派なこととも、やさしいとも、お解かりにならないのではないのだが、情けに、応えして、世の人が、君を誉めることと、同じことに思われる。
そして、身分に相応しくない、自分の心の動きを、見通されるだろう。身が縮むほど、ご立派な方である。と、思し召すと、やさしくても、どうにもならない。せめて、礼儀通りのお返事だけでも、引き続き間遠くならないようにと、取次ぎをおいての、ご返事を、失礼のないようにと、思うのである。
長年遠ざかっていた、罪が消えるほどの、勤行をしたいと思うが、急に、君との仲のことも、打ち切り顔に振舞うのも、かえって、今めかしきように、見えるし、聞えるので、世間が、取り沙汰するのではないかと、世の中の評判好きを知っているので、一方では、侍女たちにも、気を許さず、用心しつつ、次第に、お勤めに、励む。
ご兄弟の君達も、大勢いらっしやるのだが、腹違いの方々なので、すっかり、疎遠になり、御殿の中は、寂れて行くにつけて、侍女たちも、あのような、ご立派な方が、熱意を込めて、お心を寄せて下さるので、皆揃って、源氏に味方するのも、誰も、同じ気持ちである。

侍女たちが、源氏に心を寄せるのは、朝顔と、結ばれることを、願うからである。

次第に、朝顔の心も、源氏に傾くのである。




posted by 天山 at 05:10| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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