2011年08月02日

もののあわれについて。525

宮には、北面の人繁き方なる御門は、入り給はむも軽々しければ、西なるがことごとしきを、人入れさせ給ひて、宮の御方に御消息あれば、今日しも渡り給はじ、と思しけるを、おどろきてあけさせ給ふ。御門守り寒げなるけはひ、うすずき出で来て、とみにもみえあけやらず。これよりほかの男はたなきなるべし。ごほごほと引きて、御門番「錠のいといたく錆びにければ、あかず」と憂れふるを、あはれと聞し召す。昨日今日と思す程に、三十年のあなたにもなりける世かな、かかるを見つつ、かりそめの宿をえ思ひ捨てず、木草の色にも心を移すよ、と思し知らるる。口ずさびに、
源氏
いつのまに 蓬がもとと むすぼほれ 雪降る里と 荒れし垣根ぞ

やや久しうひこじらひ開けて入り給ふ。




宮の、御宅には、北面した下人の、出入りの激しい、門から、入られるのも、身分に相応しくないことと、西に有る、正門を開けていただくようにと、供の者を中に入れて、宮の元に、案内をこうと、今日は、お越しにならないと、思い召していましたので、驚き、開けるように、命じる。
門番が、寒そうな様子で、慌てて、出て来たが、中々開けられない。他の下男はいないようである。
ごとごと、引張り、門番が、錠がすっかり、錆びて、開きません、と、言うのを、可哀想にと、聞く。
昨日、今日と、思し召しているうちに、もう、三十年も、経ってしまった。世の中は、このように、儚いものと、知りつつ、かりそめの、宿りを、未だに、捨てることが出来ずに、木や草の色にも、心を留めるとは、と、つくづくと、感じる。口ずさみに、
源氏
いつの間に、この邸は、このように、蓬が生い茂って、雪に埋もれた里に、荒れ果ててしまった。
やや、暫く、引張り上げ、開けて、お入りになる。

あはれと聞し召す
その人に対する、感情であり、静かな、心意気である。

源氏という、身分の高い人物を描くので、すべて、敬語で、書かれる。




宮の御方に、例の御物語聞え給ふに、古事どものそこはかとなきうちはじめ、聞えつくし給へど、御耳もおどろかず、ねぶたきに、宮もあくびうちし給ひて、宮「宵まどひをし侍れば、物もえ聞えやらず」と、宣ふ程もなく、いびきとか、聞き知らぬ音すれば、よろこぶながらたち出で給はむとするに、またいと古めかしきしはぶきうちして、参りたる人あり。




宮の、御方で、いつものように、お話しの相手をされる。宮は、昔話を、取り留めなく始め、いつ果てるともなく、続くのだが、源氏は、面白くなく、眠いが、宮も、あくびをして、女五「早くから、眠たくなりして、お話もできません、と、おっしゃると、鼾というか、聞き慣れない音が聞えるので、幸いと、立ち上がろうとすると、また、酷く年寄りくさい、咳払いをして、近づいて来る者がいる。




「かしこけれど、聞し召したらむと頼み聞えさするを、世にある者ともかずまへさせ給はぬになむ。院の上は、おばおとど笑はせ給ひし」など、名のり出づるにぞおぼし出づる。源内侍のすけといひし人は、尼になりて、この宮の御弟子にてなむ行ふ、と聞きしかど、今まであらむとも尋ね知り給はざりつるを、あさましうなりぬ。




恐れならが、更に、ご承知の事かと、あてに、しておりましたのに、生きているとも、お考え下さらないので、恨めしく存じます。上皇さまは、おばあさまと、おっしゃり、笑いあそばしました、なとど、名のりを上げたので、思い出した。
源内侍のすけという人は、尼になり、この宮の弟子になって、勤行していると、聞いていたが、今まで生きているとは、気にもかけずにしたが、呆れてしまった。





源氏「その世の事は、みな、むかし語りになり行くを、遥かに思ひ出づるも心細きに、うれしき御声かな。親なしにふせる旅人と、はぐくみ給へかし」とて、寄りい給へる御けはひに、いとど昔思ひ出でつつ、旧り難くなまめかしきさまにもてなして、いたうすげみにたる口つき思ひやらるる声づかひの、さすがに舌つきにて、うちざれむとは、なほ思へり。




源氏は、あの時分のことは、何もかも昔話になってゆくが、遠く思い出すのさえ、心細く、懐かしい声だ。親もなく寝ている旅人と、思い、可愛がってくださいと、言い、物に寄りかかって、くつろいだ様子を察して、いっそう、昔の事を思い出したようで、変わらず、しなをつくり、すぼんだ口元が、思いやられる声であり、変わらずに、甘ったるく、戯れるようである。




源典侍「いひこし程に」など聞えかかるまばゆさよ。今しも来たる老のやうになど、ほほえまれ給ふものから、ひきかへ、これもあはれなり。この盛りにいどみ給ひし女御更衣、あるはひたすら亡くなり給ひ、あるはかひなくて、はかなき世にさすらへ給ふもあべかめり。入道の宮などの御齢よ、あさましとのみ思さるる世に、年のほど身の残り少なげさに、心ばへなども、みのはかなく見えし人の、生きとまりて、のどやかに行ひをもうちして過ぐしけるは、なほすべて定めなき世なり、と思すに、もののあはれなる御気色を、心ときめきに思ひて、若やぐ。

典侍
年ふれど このちぎりこそ 忘られね 親の親とか いひし一言

と聞ゆれば、うとましくて、
源氏
身をかへて 後も待ち見よ この世にて 親を忘るる ためしありやと

たのもしき契りぞや。今のどかにぞ聞えさすべき」とて立ち給ひぬ。




尼は、人のことを申しておりましたのに、私も、すっかり、などと、気を引く様子には、こちらの顔が赤くなる思いがする。まるで、今、急に年を取ったような、言い草だと、おかしくなるものの、考えてみれば、これもまた、先ほどとは、別の意味で、あわれである。この女の盛りの頃に、寵愛を競っていた、女御更衣は、あるいは、とっくの昔に亡くなり、あるいは、見る影もなく、落ちぶれている方もあるだろう。入道の宮、藤壺などの、寿命の短さ。嫌な思いばかりの、人の世に、年からしても、余命ありとも、見えず、頼りなく思えた、この人が、生き残り、勤行をして、暮らしていたとは、やはり、定め無き、世の姿だと、思うと、感無量の様子。
しかし、内侍は、勘違いして、気もそぞろに、はしゃぐ。


幾年経ても、あなたとの縁はが、忘れられません。お祖母さんと、呼んで下さった言葉を思い出してください。

と、申すので、気味が悪く、
源氏
行く末遠く、あの世に生まれ変った後までも、待っていてください。この世で、子が親を忘れるたとえが、あるかどうか。

頼もしいかぎりです。いずれゆっくり、お話ししましょうと、仰せられて、立ち上がる。

この尼は、昔、源氏を、誘った源典侍である。
今でも、源氏が、気があると、勘違いしている。

もののあはれなる御気色を
源氏は、尼を見て、もののあはれ、の、気色だと、感じ入る。
が、それも、また、勘違いするという、尼である。





posted by 天山 at 00:12| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。