普通の観光なら、最高の国。
しかし、どこの国もそうであるように、危険が、一杯ある。
私の泊まった、ホテルの玄関前に、喫煙場所のコーナーがある。
東屋のような造り。
そこでは、何気なく、麻薬の密売が行われている。
勿論、私が、タバコをふかしていても、誰も、勧誘はしない。
人を見ている。
薬物中毒の白人の、おじさんたちがいる。
ある時、日本の若者が、どういうわけか、勧誘されたようである。
馬鹿な若者は、日本の友人に電話している。
あのさー、日本では、罪に問われるけど、タイなら、大丈夫なのか
この馬鹿が・・・
タイでも、罪に問われるし、日本より、厳しい法律がある。
更に、まだ、真っ当に売春行為を行うならば、いいが、立ちんぼ、といわれる、売春婦を相手にするのは、危険過ぎる。
エイズは、タイでは、益々広がっている。
無知とは、恐ろしいものだ。
ホテル周辺は、比較的静かである。
私は、それもあり、価格も安いから、もう一つの、定宿にした。
普通に楽しんでも、実に楽しい。
それ以上を、求める馬鹿がいる。
二泊して、ナナプラザ近くの、ゲストハウスに、移動する。
そこは、600バーツ、1800円である。
その付近の、ゲストハウスも、この価格では、中々見当たらない。
ラブホテルに使用する人たちもいるほど。
多くは、アラブ人たちが、利用する、ゲストハウスである。
その、横の通りは、黒人の若者が、たむろする。
アフリカ系の人たち。
一時期、日本人が、黒人詐欺に遭うことが、多発した。
私は、別に危険なところを、意識して、泊まる訳ではない。
ただ、安いこと、地元の屋台が多くある、ことである。
その界隈を少し離れると、地元の人たちの屋台や、食堂が多数ある。
とても、安い。
それが、魅力である。
勿論、そのゲストハウスには、日本人は、泊まらない。
泊まれないだろう。
怖くて・・・
ところが、従業員が、ビルマの人たち。
私たちには、親戚のように、接する。
いつも、衣服を渡している。
普通は、しないことだが、私たちが、帰国する朝は、見送りに出てくれる。
ビルマ、マンダーレからの、出稼ぎである。
いつか、マンダレーには、追悼慰霊と、支援に行く。
その時、彼らから、情報を頂く。
現政権が、崩壊して、新しい民主的な政権が、出来るのを、待っている。
この、一年以内に、それが、叶うと、思う。
ミャンマーが、内戦状態であることを、マスコミは、報道しない。
少数民族が、手を組み、現政権打倒に戦う。
更に、市民が加わり、デモを繰り広げる。
多くの死者が照るだろうが、どうしても、現政権を倒さなければ、ならない。
民政政権といわれるが、違う。
アウンサン・スー・チーさんは、また、政治活動を禁止された。
支配層のための、政権である。
国民のため、ではない。
崩壊することを、願う。
さて、私たちは、10月に、チェンマイに行くはずだった予定を変更して、まず必要とされる、メーソートにて、ミャンマー難民の、特に、孤児たちの施設に、支援する。今回は、ミャンマー人による、ミャンマー人の、学校の支援の依頼もある。
更に、12月は、タイ北部の、ミャンマー国境の町に行き、そこから、ミャンマーの東北部の、タチレクに入り、支援をすることにした。
どうしても、バンコクを拠点にしなければ、ならない。
この、ゲストハウスも、その一つである。
どこでもそうだが、私たちの目的を知る人たちは、全面協力を惜しまない。
支援を受けない人たちからも、助けてくださいね、と、言われる。
行って見ること。見なければ、解らない。
それは、頭脳労働ではない。体を使うものである。
時に、重要な情報を得ることもある。
南アジアの最初は、バングラディシュである。
すると、首都ダッカに、協力してくれる、歯科医がいる。
北大に留学して、貧しい人たちに、無料診療と、治療をしている方である。
そのような、人たちの、協力を得られると、活動が、スムーズに行われる。
13カ国から、15カ国に広がる。
私が、動けるまで、続ける。
それは、千年の日本のために
大和心、おほいなる やわらぎの こころ
を、伝えるものになる。