2011年07月25日

天皇陛下について。82

ジョバァンニ・モンティーニ大司教によると、フロジャックは、過去四十年間で日本に「ベタニアの家」という偉大な組織を作り上げたフランス人神父である。
彼は天皇からいくつかの土地譲り受け、農業試験場や療養施設を開いている。1947年9月8日には、天皇・皇后の二人がここを訪れた。
ローマを訪れたフロジャックは、教皇に謁見し、天皇からのメッセージを渡した。彼は返礼として、教皇の写真を天皇に渡す事を希望した、それに教皇も同意した。
全てはフロジャックの個人的熱意からで、この自体に何ら政治的重要性はないとの説明だった。
1948年7月6日、英国外務省報告

モンティーニ大司教は、バチカンの国務長官、つまり、首相の代理を務めていた。
後に、パウロ六世になる。

ローマ教皇は、我々の旧敵国への支持でしばしば非難されてきた。些細な出来事だが、報告に値すると判断するものである。
英国外務省報告

英国が、バチカンを警戒するのは、当時の、ピウス12世の、連合軍への、強い不信感である。

彼は、ヒトラーの教皇とも、呼ばれ、ユダヤ人への迫害、虐殺を黙認したことで、知られる。

背景には、共産主義を公然と敵視した、ナチスへの、親近感がある。
特に、ロシア革命後、ソ連は、宗教は、アヘンだとして、多くのキリスト教聖職者を弾圧した。それに対して、教皇庁は、嫌悪していたのである。

1952年、サンフランシスコ講話条約調印を受けて、バチカンと、日本は国交を回復した。

ローマ教皇庁は、軍国主義の崩壊により、日本にイデオロギー上の空白地帯が生まれたと見ている。共産主義に対抗して、教皇庁は、それを埋めたい考えだ。・・・天皇裕仁がカトリックに改宗する可能性が出た事も、教皇庁の動きに拍車をかけた。
1952年4月18日、英国外務省報告

イギリスの、ガイスコン駐日代表は、天皇が、カトリックに改宗する可能性について、本国に報告している。

もし、そうなれば、甚だしい、影響がある。
日本国民が、雪崩れるように、カトリックになる。

また、一方、共産主義のソ連は、1952年1月、スターリン首相が、日本国民に、メッセージを送る。
「外国の占領に伴い不幸な状態に陥った日本人民に対し、ソ連国民は深い同情をよせている」というもの。
実に、白々しい。

日本という、新しい市場を巡り、キリスト教と、共産主義が、鎬を削っていたのだ。





posted by 天山 at 05:52| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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