2011年07月15日

最後の沈黙を破る。55

戦争犠牲者の追悼慰霊を、はじめて、丸五年が過ぎる。

アジア、太平洋の国、10カ国を廻った。
知らないことが、多いと知る。
更に、大東亜圏の広さである。

中国、モンゴルまでを入れると、相当に広い範囲である。

慰霊は、日本にても、出来る。
しかし、追悼慰霊は、その場に出かけなければ、ならないと、考える。

その戦いの場所に立ち、追悼する。

戦記を読む。
更に、現地の人に聞く。

不可抗力によって、兵士になり、その地で、斃れる。
赤紙一枚で、命を引き換える。

戦争とは、そして、あの、戦争とは、何かと、考える。

今でも、日本兵の幽霊が出るという、場所にも行く。
敗戦から、67年を経ても、幽霊として、出るという、悲しみ。

霊の存在の、有無ではない。
そのような話しが出るという、あはれ、である。

更に、場所によっては、戦士ではなく、餓死、病死である。

無念の想い・・・

言葉に出来ずに、歌詠みをする。

どうして、こんなところにまで来て、死ぬことになったのか・・・
当時の、若者たちも、そう、思ったであろう。

更に、私は、敵、味方関わらず、慰霊をすることになる。
それは、両者同じ、境遇だからだ。

見知らぬもの同士が、戦う。
憎みも、怨みもない者同士が、戦う。
この、不合理。

この、人間の蒙昧との、戦い。
私の中でも、戦いがある。

国のために、死ぬとは、一体、どういうことなのか・・・
日本は、あれから、67年、戦争をしていない。
それは、実に、珍しい。

アメリカは、毎年、戦争をしている。続けている。
その精神状態は、如何なるものか。

紛争、内戦は、至る所で、行われている。

いつまで、この、蒙昧が、続くのか。

戦争は、国際社会の、紛争の一つの解決手段であると、簡単に言う事が出来る。
しかし、それに関わるのは、生身の人間である。

一人の人間を殺せば、殺人罪である。
しかし、戦争では、多くの人を殺すことが、求められる。

私は、パプアの、ビアク島に出掛けた。
一万二千人の日本兵が、洞窟で、火炎放射器で、焼かれたという。

その洞窟に立った。

現在の、インドネシア、イリアンジャヤである。
ニューギニア戦線の最後の、激戦地だった。

洞窟は、インドネシア政府によって、見事に整理されていた。
それ以前は、遺骨が、そのままだったという。

私の知り合いではない、
一人の兵士の名前も、知らない。
しかし、同じ日本人として、私は、深く深く、黙祷した。

言葉も、無かった。

彼らの、家族の思い・・・
それも、胸を痛めた。

ここで、この場所で・・・

阿鼻叫喚の中で、死に絶えた兵士たち。
何を思ったのか・・・

すでに、過去のことである。
知らずに済むことである。

もう、忘れてもいい。

そして、忘れてください、とも、感じた。

あはれ

私は、洞窟の中で、君が代を、二度、斉唱した。

言葉にするのは、虚しい。

その行為が、衣服支援となった。

それは、現地の人々を巻き込んで行われたのである。
現地の人々も、多く亡くなった。
何の関係もないのに。

死ぬまで、私は、続ける。



posted by 天山 at 18:28| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれについて。524

夕つ方、神事などもとまりてさうざうしきに、つれづれと思しあまりて、五の宮に例の近づき参り給ふ。雪うち散りてえんなる黄昏時に、なつかしき程になれたる御衣どもを、いよいよたきしめ給ひて、心殊にけさうじ暮らし給へれば、いとど心弱からむ人はいかがと見えたり。




夕方、今年は、神事なども、中止になり、気が晴れず、することも無い思いに、たまりかねて、五の宮の御方へ、またも、お伺いする。
雪がちらつき、心の弾む夕暮れに、着慣れて柔らかくなった、お召し物を重ねて、いよいよと、香をたきしめて、更に、入念に、身ごしらえに日中を過ごしたので、ますますと、気の弱い女であれば、たまらないと思える、美しさである。




さすがに、罷り申し、はた聞え給ふ。源氏「女五の宮のなやましくし給ふなるを、とぶらひ聞えになむ」とて、つい居給へれど、見もやり給はず。若君をもてあそび、紛はしおはする、側目のただならぬを、源氏「あやしく御気色のかはれる月ごろかな。罪もなしや。しほやき衣のあまり目なれ、見立なく思さるるにやとて、とだえ置くを、またいかが」など聞え給へば、女君「馴れ行くこそげに憂きこと多かりけれ」とばかりにて、うち背きて臥し給へるは、見捨てて出で給ふ道もの憂けれど、宮に御消息聞え給ひてければ、出で給ひぬ。




それでも、女君、紫に、お出かけの、挨拶をされる。
源氏は、女五の宮が、わずらっていられるので、お見舞い申し上げに、と、軽く膝をついて、おっしゃる。が、振り向きもしない。若君を相手に、あやしている横顔が、ただならぬ様子に、源氏は、変に、ご機嫌の悪くなったこの頃です。思い当たることはないが、しほやき衣の、馴れ馴れしくなるのも、飽きられてしまうかと、わざと、家を空けますが、それも、どのように、邪推されるのか、など、仰せになると、女君は、ほんに、慣れ行く、のは、悲しみの多いこと、とだけ、おっしゃり、顔を背けて、横になったので、そのまま、構わずに、出るのも気になるが、宮に、お手紙を差し上げているので、出掛けるのである。

しほやき衣
須磨のあまの 塩焼き衣 なれ行けば うとくのみこそ なりまさりけれ

更に、源氏は、藤壺の喪中ゆえ、鈍色の喪服を着ている。

それにしても、浮気をするために、出掛ける、源氏の様子・・・
それに、紫の上が、嫉妬する。
浮気に到っていないが・・・

このやり取りは、現代でも、見られる光景である。




かかりける事もありける世を、うらなくて過ぐしけるよ、と思ひ続けて臥し給へり。鈍びたる御衣どもなれど、色あひかさなり好ましくなかなか見えて、雪の光りにいみじくえんなる御姿を見出して、まことかれまさり給はば、と、忍びあへず思さる。




このような事もある、世の中だと、無邪気に過ごしていた、と、女君、紫は、思い続けて、横になっている。
源氏は、鈍色の装束だが、その色合いも、重ねての濃淡も、喪服なのに、かえって感じよく、雪の光に、素晴らしく、心ひかれる姿を見送り、もし、源氏が、遠のいてしまったらと、我慢出来ない気持ちになるのである。




御前など忍びやかなるかぎりして、源氏「内より外のありきはもの憂きほどになりにけりや。桃園の宮の心細きさまにてものし給ふも、式部卿の宮に年頃はゆづり聞えつるを、今は頼むなど思し宣ふも、ことわりにいとほしければ」など、人々にも宣ひなせど、供「いでや、御すき心の旧りがたきぞ、あたら御疵なめる。軽々しきことも出で来なむ」など、つぶやきあへり。




前駆なども、内々の人たちだけにして、源氏は、御所以外の出歩きは、気の進まない年になってしまった。桃園の宮が、頼りなげな様子で、暮らして、今までは式部卿の宮に、お任せしていたが、これからは、よろしく、などと仰せになるのも、無理も無いこと。お気の毒だ、などと、供の人たちにも、取り繕う言葉である。供人は、いやはや、好き心が変わらないのが、玉に疵と申すもの。今に、困ったことも、起こるだろう、などと、呟き合う。

源氏の、好き心は、皆に、見透かされている。
それが、また、面白い。

何とも、平和な情景である。
それは、取りも直さず、平安期の、様子である。

戦の場面が無いという、物語である。
ただ、人の心の、微に、筆を進める。

日本文学の、最高峰である、源氏物語の、骨頂である。
人の心の、微を、あはれ、と、表現して、総まとめにしている。

後に、この心の、あはれ、の、模様が、百面相になり、更に、あはれ、は、日本文化のあらゆる場面で、表現されるようになる。

これほど、一つの言葉を、追求した、文化も無い。
そして、現代でも、その、あはれ、の、諸相が、様々な形において、表現される。
それを、感動という。

あはれ、に、感動する心を作り上げてきた、日本人なのである。

千年を経ても、それは、変わらない。
それを、私は、信じられるのである。

敵にさえ、あはれ、の、心をかける・・・という、武士道も、あはれ、なのである。

posted by 天山 at 06:33| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。