2011年07月14日

もののあわれについて。523

人の御程、書きざまなどに繕はれつつ、その折は罪なきことも、つきづきしくまねびなすには、ほほゆがむ事もあめればこそ、さかしらに書き紛はしつつ、おぼつかなき事も多かりけり。




人の身分の程は、筆跡などに、欠点が隠れるもの。その時には、何も難がないようでも、もっともらしくと、伝えると、事実から、逸れることも多いものでも、いい気になって、書き上げて、変なところも、多いのです。

最後は、作者の言葉である。




「立ち返り、今更に若々しき御文書きなども、似げなきこと」と思せど、なほかく昔よりもて離れぬ御気色ながら、口惜しくて過ぎぬるを思ひつつ、えやむまじく思さるれば、さらがへりてまめやかに聞え給ふ。




昔に立ち返り、事を新しく、若々しい恋文を書くのも、似合わないことと、思うが、それでも、このように、昔から、慕わしい心のまま、何事もなく、月日が流れたことを思うと、諦めきることも出来ずに、若返って、熱心に、お手紙を書くのである。




東の対に離れおはして、宣旨を迎へつつ語らひ給ふ。侍ふ人々の、さしもあらぬ際の事をだに靡きやすなるなどは、あやまちもしつべくめで聞ゆれど、宮はそのかたみだにこよなく思し離れたりしを、今はまして、「誰も思ひなかるべき御齢おぼえにて、はかなき木草につけたる御返りなどの折り過ぐさぬも、軽々しくやりとりなさるらむ」など、人の物いひを憚り給ひつつ、うちとけ給ふべき御気色もなければ、ふりがたく同じさまなる御心ばへを、世の人にかはり、めづらしくも、ねたくも思ひ聞え給ふ。




東の対に、人目を避けて、宣旨を迎えて、ご相談になる。
お付の女房たちの、大したこともない、身分の低い男にさえ、靡いてしまいそうな者は、間違いもしかねないほど、誉めるのだが、宮は、あの頃でさえ、全く、気持ちがなかったのに、今は、まして、色恋沙汰の年齢や、地位でもなく、何でもない、木や、草につけて、返歌などの、風流な挨拶さえ、身分に相応しくないと、噂されるのではないかと、世の評判を、憚り、親しくなりそうな、様子も見せない。昔のままで、変わらない仕打ちを、世の人と違う、珍しい方とも、また、妬ましいとも、思われるのである。

宣旨とは、源氏と、朝顔の文の、仲立ちをしているもの。
侍ふ人々とは、朝顔の君に仕える、女房たち。




世の中に漏り聞えて、「前斎院、ねんごろに聞え給へばなむ。女五の宮などもよろしく思したなり。似げなからぬ御あはひならむ」など言ひけるを、対の上は伝へ聞き給ひて、しばしは、「さりとも、さやうならむこともあらば、隔てては思したらじ」と思しけれど、うちつけに目とどめ聞え給ふに、御気色なども、例ならずあくがれたるも心憂く、「まめまめしく思しなるらむことを、つれなく戯に言ひなし給ひけむよ」と、同じ筋にはものし給へど、おぼえことに、昔よりやむごとなく聞え給ふを、「御心など移りなばはしたなくもあべいかな。年頃の御もてなしなどは、立ち並ぶ方なく、さすがにならひて、人に押し消されむこと」など、人知れず思し嘆かる。「かきたえ名残りなきさまにはもてなし給はずとも、いとものはかなきにて、見なれ給へる年頃の睦、あなづらはしき方にこそあらめ」など、さまざまに思ひ乱れ給ふに、よろしき事こそ、うち怨じなど憎からず聞え給へ、まめやかにつらしと思せば、色にも出し給はず。端近うながめがちに内ずみ繁くなり、役とは御文を書き給へば、「げに人の言は空しかるまじきなめり。気色をだにかすめ給へかし」と、うとましくのみ思ひ聞え給ふ。




世間に、噂が、漏れて、前斎院に、熱心にお便りされるので、女五の宮なども、喜んでおいでとのこと。似合いの、仲であろう、なとど、言うのを、対の上、紫の上は、人伝に、聞かれて、はじめのうちは、まさか、そういうことがあれば、おかしくなることは、ないだろうと、思っていた。
だが、何かと、注意して、見ていると、素振りも、いつもと、違い、そわそわとしている様子で、嫌な気がする。本当に、思いつめて、いらっしゃるのを、何でもない冗談のように、言いくるめられてしまった、と、同じ血筋のお方でありながら、世間の声望も高く、昔から、大切に思いの方でもあり、もし、お心が、そちらに移るのであれば、みっともない目に遭う。長い年月、殿のなさりようは、他に肩を比べる人もなく、それが癖になり、今更、あちらに、負かされてしまうとは、などと、一人胸のうちで、悔しく思うのである。
急に、見限ることは、無いにしても、幼い頃から、ご一緒であったという、長年の心やすさに、軽い扱いになるだろう、などと、あれこれと、思い乱れる。それほどでもないこと、ならば、怨み事も、愛嬌におっしゃるのだが、真実辛いと、思うので、顔色にも、見せない。
端近くに、出ては、物思いに耽る様子。
御所に泊まられる日が、重なり、お役目のように、お手紙を書くので、なるほど、噂は、本当だったのだろうと、せめて、ほんの一言でも、おっしゃってくださればと、他人のように、思うのである。

恋心、多い源氏の有様である。

なんとも、はや、手のつけられぬ状態である。

いと ものはかなき さまにて
もののあはれ、とは、別にして、ものはかなき、を、使う。

これは、そのまま、儚いのである。

人の心の、移ろいやすさ、をして、はかない、と感得する。
この、はかない、という言葉も、あはれ、に、対して、日本人の心情となる。

すべての、移り変わりを、はかない、と、捉えるのである。




posted by 天山 at 18:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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