2011年07月10日

もののあわれについて520

もののあわれについて520

朝顔

斎院は、御服にており居給ひにきかし。おとど、例の思しそめつること絶えぬ御癖にて、御とぶらひなどいと繁う聞え給ふ。宮、わづらはしかりしことを思せば、御返りもうちとけて聞え給はず。いと口惜し、と思しわたる。




斎院とは、桐壺帝の弟、桃園式部卿の宮の姫君、朝顔である。
斎院は、服喪のため、おやめになった。
大臣、源氏は、例の通り、思いついたことは、諦めない癖で、喪中のお見舞いだ、何だと、たいそう、度々、お便りを遊ばす。
宮は、かつて、人の噂に上り、困ったことがあったので、心を許す返事もされない。源氏は、残念だと、思い続けている。




九月になりて、桃園の宮に渡り給ひぬるを聞きて、女五の宮のそこにおはすれば、そなたの御とぶらひにことづけてまうで給ふ。故院の、この御子たちをば心ことにやむごとなく思ひ聞え給へりしかば、今も親しくつぎつぎに聞えかはし給ふめり。同じ寝殿の西東にぞ住み給ひける。程もなく荒れにけるここちして、あはれに、けはひしめやかなり。




九月、ながつきに、なり、桃園の邸に移られたと聞いて、女五の宮がそこにおいでなので、そちらのお見舞いにかこつけて、ご訪問される。
故院は、この御子たちを、特に大切にされていたので、そのままに、互いに、親しい付き合いを続けているのである。
お二方の宮は、同じ寝殿の、西と東に、御住みになった。
早くも、荒れ果てた感じがして、周辺の様子が、あはれに、うら寂しいのである。

この場合の、あはれ、は、何とも・・・寂しい。




宮対面し給ひて、御物語り聞え給ふ。いと古めきたる御けはひしはぶきがちにおはす。年長におはすれど、故大殿の宮は、あらまほしく旧りがたき御有様なるを、もて離れ、声ふつつかに、こちごちしくおぼえ給へるも、さる方なり。女五「院のかくれ給こて後、よろづ心細くおぼえ侍りつるに、年のつもるままに、いと涙がちにて過ぐし侍るを、この宮さへかくうち捨て給へれば、いよいよあるかなきかにとまり侍るを、かく立ち寄り訪はせ給ふになむ、物忘れしぬべく侍る」と聞え給ふ。




宮は、対面されて、お話しをなさる。
大そう老いやつれた様子で、とかく、咳き入りがちである。
姉上に当るが、故太政大臣の北の方は、いかにも、好ましく、いつまでも若々しい様子に、引替え、声にも、艶がなく、ごつごつした感じでいるのは、そういう人柄なのだろう。
女は、院の上が、お隠れになりましてからは、何かにつけて、心細い気がしまして、年とるにつれ、涙がちに過ごしております。この宮、つまり、式部卿宮までも、このように先に逝かれて、益々、誰にも、忘れられて、生き残っているのですが、このように、お立ち寄り下さいますので、憂さも、辛さも、忘れるような気がします、と、おっしゃる。




かしこくも旧り給へるかな、と思へど、うちかしこまりて、源氏「院かくれ給ひて後は、さまざまにつけて、同じ世のやうにも侍らず。おぼえぬ罪にあたり侍りて、知らぬ世に惑ひ侍りしを、たまたまおほやけに数まへられ奉りては、またとりみだり暇なくなどして、年頃も、参りていにしへの御物語をだに聞え承らぬを、いぶせく思ひ給へわたりつつなむ」など聞え給ふを、女五「いともいともあさましく、いづかたにつけても定めなき世を同じさまにて見給へすぐす、命長きのうらめしきこつ多く侍れど、かくて世に立ち返り給へる御よろこびになむ、ありし年頃を見奉りさしてましかば、口惜しからまし、と覚え侍り」と、うちわななき給ひて、女五「いと清らにねびまさり給ひにけるかな。童にものし給へりしを見奉りそめし時、世にかかる光りの出でおはしたる事と驚かれ侍りしを、時々見奉るごとに、ゆゆしく覚え侍りしなむ。内の上なむいとよく似奉らせ給へる、と人々聞ゆるを、さりとも劣り給へらむとこそ、おしはかり侍れ」と、ながながと聞え給へば、ことにかくさし向ひて人の誉めぬわざかな、と、をかしくおぼす。




本当に、大そうお年を召したものだと、内心では、思うが、畏まり、源氏は、院が、お隠れ遊ばしてからは、何かにつけて、昔のようでは、ありません。
身に覚えの無い罪に、当たりまして、知らない世界に、さすらいまわっていましたが、たまたま朝廷が、お召抱えくださり、また、何かと、仕事に紛れて、暇がないようなことで、この数年、お伺いして、昔のことなどを、お話しできないことを、残念に思っていました。などと、申し上げる。
女は、本当に、嫌なことばかりで、どちらを見ても、定めない世の中です。相変わらず、生きております、命の長さの、恨めしい事が多いのですが、こうして、再び、世の中に立ち返りなさった、喜びに、あの不運を途中で、見て、世を去ってしましたら、どんなにか、残念だろうと、思います。と、声を震わせて、また女は、本当に、美しくご成人になり、立派になりましたこと。子供の時分から、お目にかかり、こうも美しい方が、お生まれになったと、驚いていましたが、それ以来、時々お会いするたびに、怖いほどに、思われました。今の陛下が、よく似ていらっしゃると、皆が申しますが、そう言っても、見劣りあそばすだろうと、思われます。と、長々と仰せになる。殊更に、差し向かいで、人は、誉めないものなのに、と、源氏には、おかしく感じられるのである。




世にかかる光の出でおはしたる
世の中に、こんな美しい方が。
光る、とは、美しさの、最高形容である。

ことにかくさし向ひて人の誉めぬわざかな
節度のある人なら、決して、面と向かって、人を誉めないはずだが・・・

更に、帝より、美しいと、言うのである。
帝は、源氏の子である。

物語が、更に、複雑に、展開する、前段階である。




posted by 天山 at 21:28| Comment(0) | もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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