2011年07月10日

もののあわれについて520

もののあわれについて520

朝顔

斎院は、御服にており居給ひにきかし。おとど、例の思しそめつること絶えぬ御癖にて、御とぶらひなどいと繁う聞え給ふ。宮、わづらはしかりしことを思せば、御返りもうちとけて聞え給はず。いと口惜し、と思しわたる。




斎院とは、桐壺帝の弟、桃園式部卿の宮の姫君、朝顔である。
斎院は、服喪のため、おやめになった。
大臣、源氏は、例の通り、思いついたことは、諦めない癖で、喪中のお見舞いだ、何だと、たいそう、度々、お便りを遊ばす。
宮は、かつて、人の噂に上り、困ったことがあったので、心を許す返事もされない。源氏は、残念だと、思い続けている。




九月になりて、桃園の宮に渡り給ひぬるを聞きて、女五の宮のそこにおはすれば、そなたの御とぶらひにことづけてまうで給ふ。故院の、この御子たちをば心ことにやむごとなく思ひ聞え給へりしかば、今も親しくつぎつぎに聞えかはし給ふめり。同じ寝殿の西東にぞ住み給ひける。程もなく荒れにけるここちして、あはれに、けはひしめやかなり。




九月、ながつきに、なり、桃園の邸に移られたと聞いて、女五の宮がそこにおいでなので、そちらのお見舞いにかこつけて、ご訪問される。
故院は、この御子たちを、特に大切にされていたので、そのままに、互いに、親しい付き合いを続けているのである。
お二方の宮は、同じ寝殿の、西と東に、御住みになった。
早くも、荒れ果てた感じがして、周辺の様子が、あはれに、うら寂しいのである。

この場合の、あはれ、は、何とも・・・寂しい。




宮対面し給ひて、御物語り聞え給ふ。いと古めきたる御けはひしはぶきがちにおはす。年長におはすれど、故大殿の宮は、あらまほしく旧りがたき御有様なるを、もて離れ、声ふつつかに、こちごちしくおぼえ給へるも、さる方なり。女五「院のかくれ給こて後、よろづ心細くおぼえ侍りつるに、年のつもるままに、いと涙がちにて過ぐし侍るを、この宮さへかくうち捨て給へれば、いよいよあるかなきかにとまり侍るを、かく立ち寄り訪はせ給ふになむ、物忘れしぬべく侍る」と聞え給ふ。




宮は、対面されて、お話しをなさる。
大そう老いやつれた様子で、とかく、咳き入りがちである。
姉上に当るが、故太政大臣の北の方は、いかにも、好ましく、いつまでも若々しい様子に、引替え、声にも、艶がなく、ごつごつした感じでいるのは、そういう人柄なのだろう。
女は、院の上が、お隠れになりましてからは、何かにつけて、心細い気がしまして、年とるにつれ、涙がちに過ごしております。この宮、つまり、式部卿宮までも、このように先に逝かれて、益々、誰にも、忘れられて、生き残っているのですが、このように、お立ち寄り下さいますので、憂さも、辛さも、忘れるような気がします、と、おっしゃる。




かしこくも旧り給へるかな、と思へど、うちかしこまりて、源氏「院かくれ給ひて後は、さまざまにつけて、同じ世のやうにも侍らず。おぼえぬ罪にあたり侍りて、知らぬ世に惑ひ侍りしを、たまたまおほやけに数まへられ奉りては、またとりみだり暇なくなどして、年頃も、参りていにしへの御物語をだに聞え承らぬを、いぶせく思ひ給へわたりつつなむ」など聞え給ふを、女五「いともいともあさましく、いづかたにつけても定めなき世を同じさまにて見給へすぐす、命長きのうらめしきこつ多く侍れど、かくて世に立ち返り給へる御よろこびになむ、ありし年頃を見奉りさしてましかば、口惜しからまし、と覚え侍り」と、うちわななき給ひて、女五「いと清らにねびまさり給ひにけるかな。童にものし給へりしを見奉りそめし時、世にかかる光りの出でおはしたる事と驚かれ侍りしを、時々見奉るごとに、ゆゆしく覚え侍りしなむ。内の上なむいとよく似奉らせ給へる、と人々聞ゆるを、さりとも劣り給へらむとこそ、おしはかり侍れ」と、ながながと聞え給へば、ことにかくさし向ひて人の誉めぬわざかな、と、をかしくおぼす。




本当に、大そうお年を召したものだと、内心では、思うが、畏まり、源氏は、院が、お隠れ遊ばしてからは、何かにつけて、昔のようでは、ありません。
身に覚えの無い罪に、当たりまして、知らない世界に、さすらいまわっていましたが、たまたま朝廷が、お召抱えくださり、また、何かと、仕事に紛れて、暇がないようなことで、この数年、お伺いして、昔のことなどを、お話しできないことを、残念に思っていました。などと、申し上げる。
女は、本当に、嫌なことばかりで、どちらを見ても、定めない世の中です。相変わらず、生きております、命の長さの、恨めしい事が多いのですが、こうして、再び、世の中に立ち返りなさった、喜びに、あの不運を途中で、見て、世を去ってしましたら、どんなにか、残念だろうと、思います。と、声を震わせて、また女は、本当に、美しくご成人になり、立派になりましたこと。子供の時分から、お目にかかり、こうも美しい方が、お生まれになったと、驚いていましたが、それ以来、時々お会いするたびに、怖いほどに、思われました。今の陛下が、よく似ていらっしゃると、皆が申しますが、そう言っても、見劣りあそばすだろうと、思われます。と、長々と仰せになる。殊更に、差し向かいで、人は、誉めないものなのに、と、源氏には、おかしく感じられるのである。




世にかかる光の出でおはしたる
世の中に、こんな美しい方が。
光る、とは、美しさの、最高形容である。

ことにかくさし向ひて人の誉めぬわざかな
節度のある人なら、決して、面と向かって、人を誉めないはずだが・・・

更に、帝より、美しいと、言うのである。
帝は、源氏の子である。

物語が、更に、複雑に、展開する、前段階である。


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2011年07月11日

もののあわれについて。521

源氏「山がつになりて、いたう思ひくづれほれ侍りし年頃の後、こよなく衰へにて侍るものを。内の御容貌は、いにしへの世にも並ぶ人なくやとこそ、あり難く見奉り侍れ。あやしき御おしはかりになむ」と聞え給ふ。女五「時々見奉らば、いとどしき命や延び侍らむ。今日は老も忘れ、うき世の嘆きみな去りぬるここちなむ」とても、また泣い給ふ。女五「三の宮うらやましく、さるべき御ゆかり添ひて、親しく見奉り給ふをうらやみ侍る。このうせ給ひぬるも、さやうにこそ悔い給ふ折々ありしか」と宣ふにぞ、少し耳とまり給ふ。源氏「さも侍ひ馴れましかば、いまに思ふさまに侍らまし。皆さし放たせ給ひて」と、恨めしげに気色ばみ聞え給ふ。




源氏は、田舎者になりまして、全く元気をなくして、おりました、あの年月の後は、すっかりと、駄目になりましたのに、主上のご器量は、昔にさえ、比べられる者は、ないとまで、結構に拝します。とんでもない、考え違いですと、おっしゃる。
女は、時々、お目にかかれたら、こんな年まで、生きながらえた命が、また、伸びるかもしれません。今日は、老いも忘れ、この世の悲しみが、皆消えてしまった気持ちです、と、おっしゃっては、泣く。
女、三の宮は、羨ましい限りで、離れないお方が出来て、いつも親しく、お会いになっていらっしゃるのを、羨んでおります。この亡くなられた宮も、そう言っては、時々、後悔していました、とのお言葉に、はじめて、少し耳を止められた。
源氏は、そういう風に、出入りさせていただいていましたら、今も、嬉しいことでしたのに、どなた様も、お構いにならぬようで、と、恨めしく、気を持たせた、言い方をするのである。




あなたの御前を見やり給へば、かれがれなる前栽の心ばへもことに見渡されて、のどやかなるながめ給ふらむ御有様容貌もいとゆかしくあはれにて、え念じ給はで、源氏「核侍ひなるついでを過ぐし侍らむは、心ざしなきやうなるを、あなたの御とぬ゛らひ聞ゆべかりけり」とて、やがてすのこより渡り給ふ。暗うなりたる程なれど、鈍色の御簾に、黒き御凡帳の透き影あはれに、追風なまめかしく吹きとほし、けはひあらまほし。すのこはかたはらいたければ、南の庇に入れ奉る。




あちらの庭に、目をやると、うら枯れた庭の、草花の風情も、格別に、情緒あるように見えて、心静かに暮らす、姫の様子も、器量もしのばれて、早くお目にかかりたいと、我慢が出来ない。
源氏は、このように、お伺いしたついでに、お寄りしませんでは、気持ちが足りないようでございますゆえ、あちらのお見舞いをいたしましょう、と、おっしゃり、そのまま、縁を伝って、渡られる。暗くなりつつある頃で、にび色に縁どられた御簾に、黒い凡帳の、ほのめく影も、胸を打つ。なまめかしい薫物の香りが、漂う気配も、申し分ない。縁側では、不都合なので、南の庇の間に、入れた。

いと ゆかしく あはれにて
現代語では、訳しきれない。

透き影あはれに
現代語では、訳せない。
共に、状況と、心情を合わせ持った、感覚で、あはれ、と、表現する。

その状況を、あはれ、に、見渡されるということになり、あはれ、と、見る心の風景を言う。
余程、心に染み入る風景である。
つまり、風景に共感し、更に、我が心の有様を、深めるのである。
心の、有様を、深める時に、様々な、形容詞が、使われるが、あはれ、と、統一するのである。

そして、それは、読む側に、委ねられる。

読む者も、その情景に共感し、そこに、入るのである。
高い、共感能力が、必要になる。

それを、単に、しみじみとした、気持ちと、訳すことは、限定することになる。

更に、今度は、しみじみ、とは、何かという、問いを生むことになる。
だから、あはれ、は、あはれ、いい。

言うに言われぬ思いだから、あはれ、なのである。
そして、言うに言われぬ思いを、人間は、持つものであるということ。
ぎりぎりのところまで、追い詰めた、あはれ、なのである。

共感という、心の働きを、凝縮した言葉が、あはれ、である。

私は、迷いの極地を、観たものだと、思う。

源氏物語は、もののあはれ、の、文学だと、言われる。
しかし、その前に、物語は、歌の道を見つめている。
その歌の道は、和歌である。
極めて、言葉、いや、音の、限られた、言の葉、シラブルによって、成り立つ歌の道の世界を、物語として、語る。

それは、結局は、削り取れるだけ、削り取り、最後に残る、言葉としての、あはれ、に結集するのである。

その、あはれ、を、語り切るとしたなら、日本のすべての、文学、書き物を持ってきても、終わらない、言葉の世界が、広がる。
語り尽くせぬ思いというものを、持つのが、人なのであるという、あはれ、という言葉に、託した、知恵である。

日本文化、特有の、言葉遣いなのである。
永遠に、語り続けることが出来る、言葉を、日本人は、発明したといってよい。

万葉集、舒明天皇御製から、今年、2011年で、1383年を経る、そして、源氏物語成立から、1002年を経る。

それ以後、膨大な、文学と、書き物が、著された。
それを持っても、なお、足りないという、あはれ、という言葉を、有した、日本の文化は、更に、深まり、深まり行くのである。

語り尽くせぬものが、ある、という、日本の伝統文化とは、なんと、素晴らしく、凄いものなのか、である。

そして、それを、楽しむことが、出来る、文学という、上に置いた。
文の世界、歌の道こそ、ゆかしけれ、なのである。
そこには、何一つの、限定も無いのである。


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2011年07月12日

もののあわれについて。522

宣旨対面して、御消息は聞ゆ。源氏「今さらに若々しき心地する御簾の前かな。神さびにける年月の労かぞへられ侍るに、今は内外も許させ給ひてむ、とぞ頼み侍りける」とて、飽かず思したり。朝顔「ありし世は皆夢にみなして、今なむ醒めてはかなきやと、思う給へ定めがたく侍るに、労などは静かにや定め聞えさすべう侍らむ」と聞え出だし給へり。げにこそ定めがたき世なれ、と、はかなきことにつけても思し続けらる。




宣旨が出て体面し、お言葉をお伝えする。
源氏は、御簾の前とは、新しい若い者の扱いの気分です。神さびるほど、長い年月の、功労を積んでまいりましたのに、今は、自由に内外の、出入りを許されるものと、楽しみにしていました、と、物足りない思いでいる。
朝顔は、今までのことは、皆夢と思い、今は、やっと夢が醒めて、はかない気がするものと、何とも、決めかねています。仰せの、功労とは、いずれゆっくりと、考えてみたいと思います、と、仰せられた。
真に、世の中は、はかないものだと、ふっと、漏らされたお言葉につけ、色々、過去のことが、偲ばれるのである。




源氏
人知れず 神のゆるしを 待ちしまに ここらつれなき 世をすぐすかな

今は何のいさめにかかこたせ給はむとすらむ。なべて世に煩はしき事さへ侍りし後、さまざまに思ふ給へ集めしかな。いかで片端をだに」と、あながちに聞え給ふ。御用意なども、昔よりも今すこしなまめかしきけさへ添ひ給ひにけり。さるはいといたう過ぐし給へど、御位の程にはあはざめり。




源氏
誰にも言わず、一人、神のゆるしを待っている間に、長い辛い、年月を過ごしました。

今は、何の戒めにかこつけて、隔てようとされるのか。あのような、苦しいことに遭いまして、色々と感じることがありました。その少しでも、申し上げたいと、と、無理にお話しを進められる。昔よりも、なまめかしき・・・洗練された技巧を加えている。
なる程、お年は、召したが、位に似合わない、若さである。
最後は、作者の言葉である。




朝顔
なべて世の あはればかりを とふからに 誓ひしことと 神やいさめむ

とあれば、源氏「あな心憂、その世の罪は、みなしなとの風に偶へてき」と宣ふ愛敬もこよなし。源氏「みそぎを神は如何侍りけむ」など、はかなき事を聞ゆるも、まめやかにはいとかたはらいたし。世づかぬ有様は、年月に添へても、もの深くのみひき入り給ひて、え聞え給はぬを、見奉り悩めり。源氏「よはひの積りには、面なくこそなるわざなりけれ。世に知らぬやつれを、今ぞだに聞えさすべくやは、もてなし給ひける」とて出で給ふ。名残り所せきまで、例の聞えあへり。大方の空もをかしき程に、木の葉の音なひにつけても、すぎにしもののあはれとり返しつつ、その折々、をかしくもあはれにも、深く見え給ひし御心ばへなども、思ひ出で聞えさす。




朝顔
すべて世の、過ぎし後の、誓いを立てましたのにと、神がお咎めになるかと、存じます。

とあり、源氏は、ああ、情けない。その頃の罪は、すっかり、しなとの風に任せて、吹き払ってしましました、と、おっしゃられる、戯れである。また、格別である。
源氏は、誓いの言葉を、神様は、お聞きとどけになりましたか、など、たわいない事を申し上げても、真面目に聞くに堪えない。
色恋の道に、馴染まない性格は、年とともに、強く、ますます考え込んでしまうので、返事がないのを、お傍の者は、困ったことと、見ている。
源氏は、色めいたこと、と、ため息をついて、お立ちになる。
源氏は、年をとりますと、面目ない目に遭うものです。考えもしなかった、やつれた姿を、今ぞ、と、いって、お目に掛けたいのですが、それさえ出来ない、随分な扱いを受けました、と、おっしゃり、お出になる。
後には、名残が、満ち溢れ、人々は、例によって、噂をする。
空さえも、風情のある、この頃である。木の葉が、はらはらと、散る音にも、久方ぶりに、もののあはれ、を、感じさせる。やさしかったり、切なげだったりした、昔の日の、その折々の、なみなみならぬ、心の程を、偲び申し上げる。

をかしくもあはれにも
過去に、心を砕いた有様である。

すぎにし もののあはれ とり返しつつ
過ぎた日々の、心の有様を、思い出し・・・

これ以上に、言葉に出来ない、その心の、様を、もののあはれ、に、託すのである。




心やましくして立ち出で給ひぬるは、まして寝覚めがちに思し続けらる。とく御格子まいらせ給ひて、朝霧をながめ給ふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれに蔓ひまつはれて、あるかたなきに咲きて、にほひもことにかはれるを、折らせ給ひて奉れ給ふ。源氏「けざやかなりし御もてなしに、人わろき心地し侍りて、うしろでもいとどいかが御覧じけむとねたく、されど、

見しをりの 露忘られぬ あさがほの 花のさかりは 過ぎやしぬらむ

年頃の積りも哀れとばかりは、さりとも思し知るらむやとなむ、かつは」など聞え給へり。おとなびたる御文の心ばへに、「おぼつかなからむも、見知りらぬやうにや」と思し、人々も御硯とりまかなひて聞ゆれば、

朝顔
秋はてて 霧のまがきに むすぼほれ あるかなきかに うつるあさがお

とのみあるは、何のをかしき節もなきを、いかなるにか、おきがたく御覧ずめり。青鈍の紙のなよびかなる、墨つきはしも、をかしく見ゆめり。




気持ちの晴れないままに、立ち去る身は、それどころか、夜も眠られず、この事ばかりを、思い続ける。
朝早く、格子を上げて、朝霧を眺めていると、枯れた花の多い中に、朝顔が、あれこれに、這い回って、あるかなきかの、花をつけて、色艶も、一段と衰えものを、折らせて、お贈りになる。

余りの、きっぱりとした、もてなしに、決まり悪くなり、私の後姿を、どのように、御覧になったのかと、思いますと、嫌になります。

しかし、いつぞや拝見したときの事が、忘れられなくて。あの朝顔の盛りは、過ぎましたか。
長い年月、あなたを思う、この心を、哀れと、思いになりますか。そのお心を、楽しみにしています。
など、おっしゃる。大人らしい、手紙の言葉なので、答えないのも、心ないことと、思い、お傍の者も、硯を進めるので、

朝顔
秋は、終わりの霧の立ち込める垣根に、人目につかず、衰えてゆく朝顔の、花。それが、私です。

と、だけの、返事であり、何の面白みのないものだが、手元から離さず、御覧になる。青鈍、あおにび、の、しなやかな紙に、墨付きは、見事な、書きぶりである。

つまり、源氏は、朝顔の、つれない態度に、少しの望みをかけているのである。
だが、矢張り、思い叶わぬ。

年頃の積もりも哀れとばかりは、さりとも思し知るらむやとなむ、かつは
かつは、とは、少しばかりは、脈があるのではないかとの、願望である。

長年の、片思い・・・
それを、感じて、哀れと、思ってくれまいか・・・

恋多き、源氏の有様である。
その恋を、やんわりと、断る歌である。

秋はてて 霧のまがきに むすぼほれ あるかなきかに うつるあさがお

なんとも、優雅である。


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2011年07月14日

もののあわれについて。523

人の御程、書きざまなどに繕はれつつ、その折は罪なきことも、つきづきしくまねびなすには、ほほゆがむ事もあめればこそ、さかしらに書き紛はしつつ、おぼつかなき事も多かりけり。




人の身分の程は、筆跡などに、欠点が隠れるもの。その時には、何も難がないようでも、もっともらしくと、伝えると、事実から、逸れることも多いものでも、いい気になって、書き上げて、変なところも、多いのです。

最後は、作者の言葉である。




「立ち返り、今更に若々しき御文書きなども、似げなきこと」と思せど、なほかく昔よりもて離れぬ御気色ながら、口惜しくて過ぎぬるを思ひつつ、えやむまじく思さるれば、さらがへりてまめやかに聞え給ふ。




昔に立ち返り、事を新しく、若々しい恋文を書くのも、似合わないことと、思うが、それでも、このように、昔から、慕わしい心のまま、何事もなく、月日が流れたことを思うと、諦めきることも出来ずに、若返って、熱心に、お手紙を書くのである。




東の対に離れおはして、宣旨を迎へつつ語らひ給ふ。侍ふ人々の、さしもあらぬ際の事をだに靡きやすなるなどは、あやまちもしつべくめで聞ゆれど、宮はそのかたみだにこよなく思し離れたりしを、今はまして、「誰も思ひなかるべき御齢おぼえにて、はかなき木草につけたる御返りなどの折り過ぐさぬも、軽々しくやりとりなさるらむ」など、人の物いひを憚り給ひつつ、うちとけ給ふべき御気色もなければ、ふりがたく同じさまなる御心ばへを、世の人にかはり、めづらしくも、ねたくも思ひ聞え給ふ。




東の対に、人目を避けて、宣旨を迎えて、ご相談になる。
お付の女房たちの、大したこともない、身分の低い男にさえ、靡いてしまいそうな者は、間違いもしかねないほど、誉めるのだが、宮は、あの頃でさえ、全く、気持ちがなかったのに、今は、まして、色恋沙汰の年齢や、地位でもなく、何でもない、木や、草につけて、返歌などの、風流な挨拶さえ、身分に相応しくないと、噂されるのではないかと、世の評判を、憚り、親しくなりそうな、様子も見せない。昔のままで、変わらない仕打ちを、世の人と違う、珍しい方とも、また、妬ましいとも、思われるのである。

宣旨とは、源氏と、朝顔の文の、仲立ちをしているもの。
侍ふ人々とは、朝顔の君に仕える、女房たち。




世の中に漏り聞えて、「前斎院、ねんごろに聞え給へばなむ。女五の宮などもよろしく思したなり。似げなからぬ御あはひならむ」など言ひけるを、対の上は伝へ聞き給ひて、しばしは、「さりとも、さやうならむこともあらば、隔てては思したらじ」と思しけれど、うちつけに目とどめ聞え給ふに、御気色なども、例ならずあくがれたるも心憂く、「まめまめしく思しなるらむことを、つれなく戯に言ひなし給ひけむよ」と、同じ筋にはものし給へど、おぼえことに、昔よりやむごとなく聞え給ふを、「御心など移りなばはしたなくもあべいかな。年頃の御もてなしなどは、立ち並ぶ方なく、さすがにならひて、人に押し消されむこと」など、人知れず思し嘆かる。「かきたえ名残りなきさまにはもてなし給はずとも、いとものはかなきにて、見なれ給へる年頃の睦、あなづらはしき方にこそあらめ」など、さまざまに思ひ乱れ給ふに、よろしき事こそ、うち怨じなど憎からず聞え給へ、まめやかにつらしと思せば、色にも出し給はず。端近うながめがちに内ずみ繁くなり、役とは御文を書き給へば、「げに人の言は空しかるまじきなめり。気色をだにかすめ給へかし」と、うとましくのみ思ひ聞え給ふ。




世間に、噂が、漏れて、前斎院に、熱心にお便りされるので、女五の宮なども、喜んでおいでとのこと。似合いの、仲であろう、なとど、言うのを、対の上、紫の上は、人伝に、聞かれて、はじめのうちは、まさか、そういうことがあれば、おかしくなることは、ないだろうと、思っていた。
だが、何かと、注意して、見ていると、素振りも、いつもと、違い、そわそわとしている様子で、嫌な気がする。本当に、思いつめて、いらっしゃるのを、何でもない冗談のように、言いくるめられてしまった、と、同じ血筋のお方でありながら、世間の声望も高く、昔から、大切に思いの方でもあり、もし、お心が、そちらに移るのであれば、みっともない目に遭う。長い年月、殿のなさりようは、他に肩を比べる人もなく、それが癖になり、今更、あちらに、負かされてしまうとは、などと、一人胸のうちで、悔しく思うのである。
急に、見限ることは、無いにしても、幼い頃から、ご一緒であったという、長年の心やすさに、軽い扱いになるだろう、などと、あれこれと、思い乱れる。それほどでもないこと、ならば、怨み事も、愛嬌におっしゃるのだが、真実辛いと、思うので、顔色にも、見せない。
端近くに、出ては、物思いに耽る様子。
御所に泊まられる日が、重なり、お役目のように、お手紙を書くので、なるほど、噂は、本当だったのだろうと、せめて、ほんの一言でも、おっしゃってくださればと、他人のように、思うのである。

恋心、多い源氏の有様である。

なんとも、はや、手のつけられぬ状態である。

いと ものはかなき さまにて
もののあはれ、とは、別にして、ものはかなき、を、使う。

これは、そのまま、儚いのである。

人の心の、移ろいやすさ、をして、はかない、と感得する。
この、はかない、という言葉も、あはれ、に、対して、日本人の心情となる。

すべての、移り変わりを、はかない、と、捉えるのである。


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2011年07月15日

もののあわれについて。524

夕つ方、神事などもとまりてさうざうしきに、つれづれと思しあまりて、五の宮に例の近づき参り給ふ。雪うち散りてえんなる黄昏時に、なつかしき程になれたる御衣どもを、いよいよたきしめ給ひて、心殊にけさうじ暮らし給へれば、いとど心弱からむ人はいかがと見えたり。




夕方、今年は、神事なども、中止になり、気が晴れず、することも無い思いに、たまりかねて、五の宮の御方へ、またも、お伺いする。
雪がちらつき、心の弾む夕暮れに、着慣れて柔らかくなった、お召し物を重ねて、いよいよと、香をたきしめて、更に、入念に、身ごしらえに日中を過ごしたので、ますますと、気の弱い女であれば、たまらないと思える、美しさである。




さすがに、罷り申し、はた聞え給ふ。源氏「女五の宮のなやましくし給ふなるを、とぶらひ聞えになむ」とて、つい居給へれど、見もやり給はず。若君をもてあそび、紛はしおはする、側目のただならぬを、源氏「あやしく御気色のかはれる月ごろかな。罪もなしや。しほやき衣のあまり目なれ、見立なく思さるるにやとて、とだえ置くを、またいかが」など聞え給へば、女君「馴れ行くこそげに憂きこと多かりけれ」とばかりにて、うち背きて臥し給へるは、見捨てて出で給ふ道もの憂けれど、宮に御消息聞え給ひてければ、出で給ひぬ。




それでも、女君、紫に、お出かけの、挨拶をされる。
源氏は、女五の宮が、わずらっていられるので、お見舞い申し上げに、と、軽く膝をついて、おっしゃる。が、振り向きもしない。若君を相手に、あやしている横顔が、ただならぬ様子に、源氏は、変に、ご機嫌の悪くなったこの頃です。思い当たることはないが、しほやき衣の、馴れ馴れしくなるのも、飽きられてしまうかと、わざと、家を空けますが、それも、どのように、邪推されるのか、など、仰せになると、女君は、ほんに、慣れ行く、のは、悲しみの多いこと、とだけ、おっしゃり、顔を背けて、横になったので、そのまま、構わずに、出るのも気になるが、宮に、お手紙を差し上げているので、出掛けるのである。

しほやき衣
須磨のあまの 塩焼き衣 なれ行けば うとくのみこそ なりまさりけれ

更に、源氏は、藤壺の喪中ゆえ、鈍色の喪服を着ている。

それにしても、浮気をするために、出掛ける、源氏の様子・・・
それに、紫の上が、嫉妬する。
浮気に到っていないが・・・

このやり取りは、現代でも、見られる光景である。




かかりける事もありける世を、うらなくて過ぐしけるよ、と思ひ続けて臥し給へり。鈍びたる御衣どもなれど、色あひかさなり好ましくなかなか見えて、雪の光りにいみじくえんなる御姿を見出して、まことかれまさり給はば、と、忍びあへず思さる。




このような事もある、世の中だと、無邪気に過ごしていた、と、女君、紫は、思い続けて、横になっている。
源氏は、鈍色の装束だが、その色合いも、重ねての濃淡も、喪服なのに、かえって感じよく、雪の光に、素晴らしく、心ひかれる姿を見送り、もし、源氏が、遠のいてしまったらと、我慢出来ない気持ちになるのである。




御前など忍びやかなるかぎりして、源氏「内より外のありきはもの憂きほどになりにけりや。桃園の宮の心細きさまにてものし給ふも、式部卿の宮に年頃はゆづり聞えつるを、今は頼むなど思し宣ふも、ことわりにいとほしければ」など、人々にも宣ひなせど、供「いでや、御すき心の旧りがたきぞ、あたら御疵なめる。軽々しきことも出で来なむ」など、つぶやきあへり。




前駆なども、内々の人たちだけにして、源氏は、御所以外の出歩きは、気の進まない年になってしまった。桃園の宮が、頼りなげな様子で、暮らして、今までは式部卿の宮に、お任せしていたが、これからは、よろしく、などと仰せになるのも、無理も無いこと。お気の毒だ、などと、供の人たちにも、取り繕う言葉である。供人は、いやはや、好き心が変わらないのが、玉に疵と申すもの。今に、困ったことも、起こるだろう、などと、呟き合う。

源氏の、好き心は、皆に、見透かされている。
それが、また、面白い。

何とも、平和な情景である。
それは、取りも直さず、平安期の、様子である。

戦の場面が無いという、物語である。
ただ、人の心の、微に、筆を進める。

日本文学の、最高峰である、源氏物語の、骨頂である。
人の心の、微を、あはれ、と、表現して、総まとめにしている。

後に、この心の、あはれ、の、模様が、百面相になり、更に、あはれ、は、日本文化のあらゆる場面で、表現されるようになる。

これほど、一つの言葉を、追求した、文化も無い。
そして、現代でも、その、あはれ、の、諸相が、様々な形において、表現される。
それを、感動という。

あはれ、に、感動する心を作り上げてきた、日本人なのである。

千年を経ても、それは、変わらない。
それを、私は、信じられるのである。

敵にさえ、あはれ、の、心をかける・・・という、武士道も、あはれ、なのである。

posted by 天山 at 06:33| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最後の沈黙を破る。55

戦争犠牲者の追悼慰霊を、はじめて、丸五年が過ぎる。

アジア、太平洋の国、10カ国を廻った。
知らないことが、多いと知る。
更に、大東亜圏の広さである。

中国、モンゴルまでを入れると、相当に広い範囲である。

慰霊は、日本にても、出来る。
しかし、追悼慰霊は、その場に出かけなければ、ならないと、考える。

その戦いの場所に立ち、追悼する。

戦記を読む。
更に、現地の人に聞く。

不可抗力によって、兵士になり、その地で、斃れる。
赤紙一枚で、命を引き換える。

戦争とは、そして、あの、戦争とは、何かと、考える。

今でも、日本兵の幽霊が出るという、場所にも行く。
敗戦から、67年を経ても、幽霊として、出るという、悲しみ。

霊の存在の、有無ではない。
そのような話しが出るという、あはれ、である。

更に、場所によっては、戦士ではなく、餓死、病死である。

無念の想い・・・

言葉に出来ずに、歌詠みをする。

どうして、こんなところにまで来て、死ぬことになったのか・・・
当時の、若者たちも、そう、思ったであろう。

更に、私は、敵、味方関わらず、慰霊をすることになる。
それは、両者同じ、境遇だからだ。

見知らぬもの同士が、戦う。
憎みも、怨みもない者同士が、戦う。
この、不合理。

この、人間の蒙昧との、戦い。
私の中でも、戦いがある。

国のために、死ぬとは、一体、どういうことなのか・・・
日本は、あれから、67年、戦争をしていない。
それは、実に、珍しい。

アメリカは、毎年、戦争をしている。続けている。
その精神状態は、如何なるものか。

紛争、内戦は、至る所で、行われている。

いつまで、この、蒙昧が、続くのか。

戦争は、国際社会の、紛争の一つの解決手段であると、簡単に言う事が出来る。
しかし、それに関わるのは、生身の人間である。

一人の人間を殺せば、殺人罪である。
しかし、戦争では、多くの人を殺すことが、求められる。

私は、パプアの、ビアク島に出掛けた。
一万二千人の日本兵が、洞窟で、火炎放射器で、焼かれたという。

その洞窟に立った。

現在の、インドネシア、イリアンジャヤである。
ニューギニア戦線の最後の、激戦地だった。

洞窟は、インドネシア政府によって、見事に整理されていた。
それ以前は、遺骨が、そのままだったという。

私の知り合いではない、
一人の兵士の名前も、知らない。
しかし、同じ日本人として、私は、深く深く、黙祷した。

言葉も、無かった。

彼らの、家族の思い・・・
それも、胸を痛めた。

ここで、この場所で・・・

阿鼻叫喚の中で、死に絶えた兵士たち。
何を思ったのか・・・

すでに、過去のことである。
知らずに済むことである。

もう、忘れてもいい。

そして、忘れてください、とも、感じた。

あはれ

私は、洞窟の中で、君が代を、二度、斉唱した。

言葉にするのは、虚しい。

その行為が、衣服支援となった。

それは、現地の人々を巻き込んで行われたのである。
現地の人々も、多く亡くなった。
何の関係もないのに。

死ぬまで、私は、続ける。

posted by 天山 at 18:28| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

性について。180

売春・・・

それは、金を払い、女、または、男の体を買う行為であり、買う側の人間は、買春となる。

売春の歴史は、長い。
それに、売春という言葉が、いつ頃できたのか・・・

日本の社会では、援助交際という名の、少女たちの、売春行為が、流行った時期がある。勿論、今も、それは、続いている。

よくぞ、援助交際などという、言葉をつけたものである。
少女の売春行為と、名付けなかったというところが、マスコミの、狙いか・・・
マスコミの人間の中にも、少女買春をしていた者、多数いるのだろう。

これから、しばらく、この、売春に、テーマを移して書く。

古代、原始時代は、売春行為などは、無い。
勿論、そんな概念も無い。

乱交であり、特定の、男女が、二人で、家庭のようなものを、築くのは、女の知恵からである。

つまり、子供が、出来ると、その子供を、育てるために、狩をして、獲物を持ってくる、持続的関係が、必要になった。
女は、男の、気を引くために、性が武器になったのである。

最も、原始的な欲望、欲求である、性欲は、また、種族保存という、本能に、促される。

もし、それが、売春行為であると、定義すれば、売春は、古代、原始時代から、存在したといえる。

だが、それは、違う。
女は、男の、付属物だったのである。
家畜と同じ扱いである。

旧約聖書の、時代から見れば、そうである。

原始的社会では、厳密な意味での、売春、つまり、現代で言うところの、売春と言うものは無い。

売春するということは、取引契約をすることである。ところが原始社会の女性は、契約の当事者ではない。契約を受け入れ、その対価を手に入れるのは、彼女自身ではない。肉体的・精神的に成熟しているばかりか、その若さのゆえに、婦女は譲渡または貸借の対象となるのであって、要するに、女性が自らその貞操を売ることはなかったのであり、売買の対象だった。事実、売春の歴史は売春仲介の歴史と混ざりあっている。
売春の社会学 ジャン=ガブリエル・マンシニ

古代カルディア、メソポタミア地方では、はじめて、慈善的な歓待売春が行われていたといわれる。
それは、旅行者や、船乗りに対する、救護の意味で、一種の社会奉仕である。

上記の、売春行為が、後に、神聖化されるに至る。
つまり、宗教的性格を持った、義務とされるのである。

それは、インドや、エジプトにも、存在していた。

ヘロドトスによれば、歴代王朝のエジプト王は、自ら、その皇女の身を、捧げたという。

特に、クフ王は、自分の皇女に命じて、その巨大なピラミッドの構築を早めるように、通過客一人一人に、身を任せて、これを報償としていた。

更に、ヘロドトスは、リディア地方、小アジア西部の古代国家で、前560年頃に繁栄した国では、娘は、皆、売春行為をするという。
結婚をするまで、身を売ることで、持参金を稼ぐのである。

この、習俗は、アフリカにも、存在していた。
サハラ地方の、アトラス山脈の北方に住む種族にも、存在していたという。

人を持て成すための、売春行為、更に、司祭を中心にした、祭式の形をとり、司祭の利益のために、行われた、宗教的な売春行為に続き、公認の売春が、現れるのである。

中国古代の専制君主たちは、エジプトのクフ王よりも遥かに巧みに、売春事業を組織する。たちのわるいやくざ連中の手にみすみす利益をゆだねるよりは、国家公認の施設を大量に設けて利益を独占するわけである。
ガブリエル・マンシニ

宗教的売春は、インドにては、バビロン以上に、盛んだった。
様々な、神々の豊かに存在する、インドでは、迷信により、司祭は、迷信に捉われやすい人々に付け込む、絶好のチャンスに恵まれていたのである。

昔から、宗教を利用し、活用する人々がいたのである。
それも、宗教の内部に、である。
司祭・・・

その、利益のために、売春行為を、行わせるという。

インドでは、破壊と生殖を司る、シヴァ神の信仰が盛んであり、その、リンガ、つまり、男根を象徴とする。
大小様々な、男根、象徴物が、創られた。

そこで、司祭たちの、狡猾極まりない儀式が、執り行われる。
その、儀式により、司祭たちは、人々を引き寄せていた。

東エジプト、ギリシャにも、男根の、生殖器崇拝があった。

この生殖器崇拝は、別にその出現に深淵な哲学的な意味を探る必要などさらさらない。要は、性交の神秘化をねらった結果に他ならない。
ガブリエル・マニシン

その後は、宗教的偶像崇拝的な、行為から、国家の大事業と、移り変わってゆく。

その狙いは、公序良俗を守り、税収源を上げることである。

売春を、国家事業とすれば、莫大な資金を得ることになる。
現在は、ヤクザの世界に、莫大な資金を得る、手段を与えているようなものである。

取り締まり・・・
無理である。
売春が、廃れるわけが無い。

日本では、昔の赤線、青線を、廃止したが、その後、理想的に、推移したか。
否である。
少女たちが、進んで、その体を金に換えるという、所業である。

女性の、性を守る、人権を守る・・・
絵に描いた餅である。

更に、売春を、厳しく取り締まれば、それだけ、比例して、性犯罪が、多発する。
つまり、売春を廃止するという、考え方そのものが、誤りなのである。


posted by 天山 at 05:11| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月17日

性について。181

ちなみに、旧約聖書、モーゼ律法では、売春は、禁じられていた。
だが、それにも、関わらず、ソロモンの神殿では、婦女子の売買が行われていた。

売春は、禁止はヘブライ人に適用され、異邦人の婦女子は、取引の対象になりえたのである。

古代から、今日まで、結局、売春に関しては、二つの制度しかない。
売春廃止か、売春登録かの、制度である。

初めて、売春登録制を提唱したのは、ギリシャのソロンである。
この売春登録制は、売春宿が閉鎖された、1946年まで、フランスで、なお、適用されていた。

政治家で、立法家のソロンは、アテネ、ピレーに、ディクテリオンという、国家の資金で買った、奴隷に売春させた売春宿を設けたのである。

ここに、売春婦を収容して、下級の売春宿とし、これを公認の機関とした。
この売春地域の税額の査定を、税務官に、委ねた。
税務官は、売春価格の監督に当り、国外の港に、奴隷を買い入れるための、使節団を派遣した。

奴隷以外では、オーレトリットと言われる、売春婦が、存在していた。
ちなみに、最上級の売春婦は、ヘタイライと、呼ばれた。ヘタイライは、幼少の頃から、将来のために、技芸を習わされたという。

われわれは、精神の満足を得るために、情人としてヘタイライを擁しているのだ。感覚を満足させるには売春婦、パラディデスがいる。この両者の中間に、眼と耳を楽しませるためのフリュートの演奏者と踊り子、オーレトリッドがいるのだ。
デモステネス

香港では、歌姫と呼ばれ、日本では、芸者、南朝鮮には、妓生、キーサンと、呼ばれる存在である。

芸者でも、売春を専門とする者は、枕芸者と、呼ばれた。

これらの、売春婦は、極東一帯のビジネス用の宴席に招かれ、花を添えたのである。

ギリシャ人がよく言っていたように、「淫売になる以外に、使いようのない」あばた面の女も、不運な女も、頭の足りない女たちもいた。
その他の連中は、ひもの手中に落ちることもよくあった。
ガブリエル・マンシニ



posted by 天山 at 05:20| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

性について。182

初期のローマの歴史には、別に注目をひくようなことは何もない。初期のローマ人は洗練されたところもほとんどなく、女性の地位もまことにみじめなものであった。
ガブリエル・マンシニ

原始ローマは、場末のかたまりのような場所だという。
そして、淫売宿が、ひしめきあう。

どんな場所でも、処構わず、事が行われていた。
特に、城壁の陰、人気の無い、道端、青空の下・・・

ラテン語の、fornixは、淫行する女が犯す売春行為と言うが、これから、姦淫という言葉が、出来た。
姦淫とは、旧約聖書に、多く用いられる。

ローマ帝国成立以前は、ギリシャ人に見られるような、優雅な雰囲気は、ローマ人には、皆無である。

性的関係は、放埓が支配し、淫らな女たちが、それに、加わる。
正当な権利を持つ主人であろうと、そうではない事実上の主人であろうと、一端、主人の手に落ちた女、ないし、女奴隷は、ローマ人であるなしに関わらず、残酷な獣性に、支配されていた。

紀元前二世紀頃は、甚だしく、無秩序乱脈の時代である。
そのため、後の、警察のような存在が、秩序を守るために、干渉していた。

紀元前180年頃に、マリスウが、初めて、売春婦たちの登録制を行った。
マリウスは、ローマの将軍であり、執政官となり、軍政を行った。

この、登録制は、現代まで続くものとなるのである。

この事実は、決して取るに足らぬものではなかった。というのは、売春登録こそ売春婦を法律上決定的に奴隷とすることになったからだ。
ガブリエル・マンシニ

鑑札の携行者として、売春婦は、死ぬまで、生涯法的保護を受ける資格のない、恥ずべき行為を行う、公権を剥奪された者であるとの、刻印を押された。

つまり、差別の対象である。

更に、指定された地域を出ることも、適わなくなったのである。

ローマでは、場末の町、シュブュールが、そうした地域である。
売春仲介業者は、ただ、届出をするだけで、許可が下りた。

更に、この時期は、甚だしく、放埓である。
多くの、人身売買が行われた。

二代ローマ皇帝、ティベリウスは、特に、騎士階級が、その子女を売春に従事させることを、禁じ、何とか、事態を改変するために、干渉した。

騎士階級の、子女でも、売春に従事すれば、結婚の機会が失われ、後の人生は、恥ずべき行為をして、生きるしか、なかったのである。

ローマ社会は、無為徒食の輩が多く、売春仲介の女主人、売春請負業者、そして、ヒモの数が、多数であった。
女に、売春させて、暮らすという、男を、ヒモという。

ティベリウスは、あまりにも、過度に売春宿が、流行し、これを禁じる方策を取った。
彼は、貴族老オソニウスを任じて、こうした連中の監督に当らせた。

現代風に言えば、風紀取締りであり、それを活用して、利益を上げたと言う。

歴史が、売春と、切っても切れない関係を有していたということである。

そして、それは、人類が消滅するまで、続く。
決して、消滅はしない。
だから、為政者たちは、何とか、売春行為を、監視し、更に、許可して、そこからの、利益を得ることを、考えた。

どんなに、文化、文明化が、進んでも、この人間の、根本的欲望である、性欲は、止められない。また、止めると、それが、犯罪に結びつくことになる。

ポンペイを訪れた旅行者は数多い。そこには、売春婦がまるで鳥籠にでもいれられているように閉じ込めていた独房の遺跡がみられる。どれほど案内人の説明が簡単であっても、どうやってこの種の女性たちが取引され、また有名な売春取引の仲介を業とした「レノ」によって、ふたたび売りに出されたかが分るだろう。
ガブリエル・マンシニ

ローマ帝国になっても、売春は、無制限に行われていたということである。

公衆浴場、居酒屋、理髪店などなど、自由自在。
売春仲介業者は、法律的にも認可され、組織を作り、莫大な利益を上げていた。

それが、キリスト教に改宗し、国教とした、ローマ皇帝、コンスタンチヌスから、現代に続く意図を持った、登録、鑑札制度が、行われるようになる。

コンスタンチヌス皇帝の事業は、ローマ人の習俗を改善することであった。
だが、奴隷が存在していたゆえに、売春を阻止するのは、不可能。
若い売春婦は、売春のために、市場で取引された。

彼女たちは、売春こそ、主人の気に入ることだった。

五世紀はじめ、東ローマの、テオドシウス皇帝は、自分の子女や奴隷を売春させた親、奴隷所有者を、国外、鉱山に追放して、売春を止めようとした。
だが、売春の歴史における、画期的な事跡は、ユテティニアヌス皇帝を持って、初めて現れることになる。

その、売春禁止制度は、今日にも、価値がある、数多くの条文が実施された。

その内容は、売春仲介業者、売春宿経営者、更に、ヒモたちを対象としている。
売春婦の大多数は、自らの意思によらない、犠牲者である。

だが、売春宿の、閉鎖により、再開を求めて、絶えずキャンペーンが行われたという。

若いといっても、現代の若い、ではない。
児童買春なども、奴隷であれば、当然行われた。
野蛮といえば、野蛮であるが、その自覚がないのである。
無自覚といえば、実に無自覚である。

posted by 天山 at 05:06| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月19日

神仏は妄想である。344

神道が、限りなく、伝統行為に近いこと。更に、建物を、持たないものとの、前提で、建物を作り始めたことを、見てゆく。

土地の霊、地霊を、奉る。
産土とも言い、氏神ともいう。更に、村の鎮守の神様である。
それら、社を作り奉る。

それは、農耕定住民族である、古代の日本人の、風習を作るものになった。
そこまでならば、まだ、許容範囲を持って、認めることが出来る。

だが、それから、である。
稲荷、八幡、雷神と呼ばれた、菅原道真を奉る、社が造られる。

稲荷は、伊勢神宮の外宮、豊受大神の、眷属としてある。
だが、それが、次第に、妖しくなっていく。
単なる、狐の霊を奉るところもあるのだ。

八幡は、渡来の神である。つまり、中国、インド系などの、複合した、霊を奉る。
これは、特に、問題がある。
だが、大和朝廷は、この宇佐八幡神を、とても、大切にした。また、その、霊示を、頂くのである。

八幡神に関して、学者たちの、妄語は、あまりある。
霊感の無い者が、いくら、研究しても、解るはずがない。

八幡宮辺りから、大きく、神道が、堕落するのである。
建物・・・
それは、中国、インドにては、神の威力を示すものである。

自然は、その威力をあえて、示す必要は無い。神道は、それであるのだが。

さて、菅原道真である。
左遷されて、恨みの死を迎えた。それによって、都に、祟りが起きたと、考えた。
そこで、ある学者は、日本の宗教は、恐れの宗教だと、言う者もいる。

祟りを起こすモノの霊を、奉り、その祟りを鎮めてもらう・・・
ということは、荒ぶるモノも、神として、奉るということである。

更に、それらは、現世利益を主とする。
現在も、そのようである。
現世利益など、全く、神道とは、関係無い。

神道は、自然からの、恵みを最も大切にして、それ以上の要求などないのであるから。

稲荷、八幡、雷神、つまり、天神ともいう、それらは、多くの土地に、勧請されて、広がり、元々の土地の神社は、単なる、社として、飾りになるのである。

ただし、明治期までは、まだ、素朴な信仰形態を、保っていた。
明治政府によって、それらの神、社は、祭神を、記紀に合わせるようにと、神社本来の、あり方に、圧力を掛けて、各地の神社は、伊勢神宮の元に、統一、管理されることになるのである。

これで、更に、神道は、堕落することになる。

神社とは、何者かによって、管理、統一されるものではない。
自然発露としての、社であった。

簡単に言えば、村人の、集いの場であり、相談や、会合の場としても、機能していたのである。

政府によって、特定の神の名の下に、信仰を強要されるものではない。

その、堕落とは、組織と、統一によって、神社に仕える者たち、つまり、神主などの、管理統合である。

今は、おおまかな、神道の歴史を見ている。
後で、細かな、神道の妄想を、書く。

神道の、供え物・・・
これが、驚きである。

唯一、紙を、捧げた。
幣帛である。

麻を使用して、神の紙とも言われる、幣帛を捧げ物にするという。
後々で、神前に捧げる物が、複雑になってゆく。
それも、勿論、堕落である。

神社は、祭りを執り行う場所である。

さて、冬とは、フユであり、それは、万物が忌み籠もるという意味であり、その期間は、万物の再生を持つ期間として、フユと、呼んだ。

それは、「御魂の殖ゆ」、みたまのふゆ、として、新たな命が、殖える時期なのである。

そこで、冬には、力の弱い太陽を、復活させるという、様々な、祭りが、行われた。

太陽祭祀とも、言うべき、お祭りは、各地方で、それぞれの、伝統的な形で、行われる。

鎮魂祭というものも、その一種である。
それは、また、天皇の霊力を賦活させるものでもあった。

そして、冬至を過ぎると、太陽が復活する。
万物に春が、訪れる。

この、春を、祖霊を迎えて、お祭りするのである。
新年の豊穣を願い、祖霊祭りを行う。
正月の行事である。


大和言葉では、ハル、は、ハレであり、木の芽、万物の新しい芽が、張る、のである。

やがて、農作業の時期がくる。
春の、祈年、としごい、の、祭りがある。

春から夏にかけて、万物は、活動のピークを迎える。
そして、秋は、収穫の時期である。

秋、アキ、は、飽き食い、あきくい、と、呼ばれ、収穫したものを、自然霊、祖霊と、共に食す祭りが、行われる。

食物による、エネルギーを、食い、我が身に、そのエネルギーを引き込み、御魂の殖ゆ、に、備えたのである。

ここで、私は、あえて、歳神という、言葉を使用しなかった。
すべて、この歳神、つまり、年の神に、掛けて、説明されるのだが、それは、中国、陰陽道、道教の影響を受けた、説明である。

中国思想によって、説明されると、誤る。
とても、妖しいものになるのである。


posted by 天山 at 05:18| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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