2011年06月28日

パプアの叫び 10

ラバウル、ココポから、ポートモレスビーに、戻り、二泊して、帰国することにしていた。

次ぎのホテルは、空港に近い、街から少し離れたホテルである。

夕方、モレスビーに到着し、ホテルに電話をして、車を待つ。
夕暮れ時は、暗くなるのが、早い。

車に乗って、街を走ると、到る所が、暗い。
そこでは、男たちが、たむろする場所が、多々あった。
これでは、危険である。

襲われたら、決して逃げられない。
夜間の外出は、しないで下さいとの、勧告であったから、納得した。

一番安い、ツインの部屋である。
部屋には、両側に窓があり、開放感がある。
しかし、窓には、鉄格子である。

遅く着いたので、食べ物などを、用意しなければならない。
そこで、ホテルに頼み、タクシーを呼んでもらう。
タクシーに乗ることも、危険と、言われているので、ホテルに確認する。

スーパーに買い物に行き、戻る。
料金は、30キナ、120円であるが、随分と高い。
安全料である。

大量に、買い物をした。二日分の食糧である。
それでも、ホテルのレストンを使うより、十分に安い。

パン類が、多かった。
弁当も、買ったが、長く持たない。
その夜に、食べる。

翌朝、私は、一人で、付近を歩いた。
ホテル近くに、スラムである、セトルメントという、地区がある。
そこには、部族であった人たちが、住む。
危険なのは、違う部族の人たちも住むからである。
トラブルに、巻き込まれる。

決して、中に入らないようにとの、注意である。

だが、私は、後で、コータと一緒に、セトルセントの中に入った。

皆さんとても、人懐っこいのである。
私たちに、皆さん、挨拶する。

そして、奥に入って行く。
歌が聞える。
興味深くて、その歌の集会の前に出た。

朝から、ビールを飲んでいるという。

セトルメントは、政府が、水と電気を無料で、与えているという。

私たちが、最初に挨拶した、人たちと、奥にいた人たちは、部族が、違った。
そこで、問題が起こった。

私と、コータが、歌う中に入って、挨拶したが、一人の男、ボスである、が、立ち上がり、何か言う。
英語でないので、意味が解らない。

一緒に付いてきていた、最初の部族の人に、噛み付いている。
要するに、何故、俺の所に、最初に来なかったのか、というものである。

写真も、まず、俺たちから、写すべきだ・・・

ああ、こういうことだったのか。
私たちは、静かに、元の途を戻る。

唯一、私たちが、大きな騒動に巻き込まれなかったのは、最初から、日本人であることを、明確にしていたからである。

パプアニューギニアと、ジャパンは、ベストフレンド・・・
と、言いつつ、中に入っていったのである。

男たちが、皆、親しく、握手をする。
更に、子供たちも、出てきた。
皆で、写真を撮る。

次に来る時に、子供たちに、プレゼントを持ってくるね
そう言うと、大人たちが、サンキューと、繰り返した。

この行為は、自業自得であるから、何か起これば、私たちの責任である。
単なる、興味で、彼らの住居空間に入れば、非常に危険である。

そこで、二人の若者が、私たちに、着いて来た。
山を案内しましょうか・・・
だが、やんわりと、断った。
後で、ガイド料などを、請求されることもある。

だが、二人と、更に、ニ三人の子供たちは、ホテルの門の前まで、着いてきて、その間、色々と、話しをしたが、ホテルの門の前からは、動かない。
それ以上、中に入ることは、出来ないのだ。

私たちは、再会を約束して、別れた。

その日は、それだけである。
後は、ただ、休むことにする。

ホテルにいる間は、安心である。
何処かしこと、ガードマンが立つのである。

兎に角、安全のために、金を使うという、状況を、目の当たりにしたのである。
日本では、考えられないことである。

部屋の、一万円ほどの、料金の、大半が、安全料なのである。

水と、安全は、タダではなかった。



posted by 天山 at 00:00| 旅日記 パプアの叫び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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