2011年06月26日

パプアの叫び 8

ココポの街での、支援は、あのポートモレスビーの危険に比べたら、全く問題ないもの。

私たちが、二つのバッグを抱えて、街に向かい歩く。
ハロー
ハロー
皆が、挨拶する。

一人のおばさんが、近づいて来た。
挨拶をして、何やら話しをしていると、これから何処へと、言うので、説明すると、何と、貧しい人たちは、病院にいると、言う。

皆、貧しいのだが、それ以上に、貧しい人たちは、病院にいるのである。
そして、おばさんが、8番のバスに乗って、行くといいと、8番のバスを止めてくれ、私たちの、行き先まで、運転手に伝えてくれた。

歩くには、遠いが、バスだと、すぐに到着した。
少し、道から外れた場所に、病院があったが、バスが、病院の前で、止まってくれた。

病院の前には、受付をしている人たちが、大勢いた。
更に、診療を待つ人たち。

私たちは、日の丸を掲げて、診療を待つ人たちの所に、向かった。

大人も子供もいる。
日本からの、プレゼントを持ってきました・・・
私が言うと、歓声が、上がる。

丁度、皆さんとは、金網の、柵で、隔てられているので、こちらと、向こう側になる。
一つ一つの、衣服を取り出して、それに、合う人に、手渡しする。
そして、次第に、熱が帯びてくる。

それっ、ミー
ミー
ミー

おばさんたちは、本当に元気である。
子供用のものは、子供に渡す。
遠くにいる、子供にも、大人の手を通して、渡される。

ほぼ全部を出したが、足りないのである。

最後に、フェイスタオルを取り出した。
すると、皆、手を出す。
すでに、後ろにも、人が集っていた。

限りあるもので、女性を中心に、手渡す。
日本語の入った、タオルである。

どこでもそうだが、タオルは、貴重品で、とても、喜ばれる。

最後に、バッグが欲しいと、言う人・・・
そこで、いつもの、バッグ二つを差し上げることに。

支援物資を入れていた、バッグである。
だから、残ったものは、大きなバッグと、日の丸の旗だけになった。

次に来た時は、もっと、沢山もって来ます
私が言うと、歓声と、感謝の言葉である。

戻る私たちの、背に、更に、言葉を書ける。
サンキュー

道に出て、八番のバスを待つことにした。
すると、一人の男が、子供用にと、上げた、シャツを持ってきて、私に、サインして欲しいと言う。

だが、ペンが無い。
すると、彼は、その道の前に、売店があるという。そこに行くことにした。
何と、カトリック教会の売店だった。

そこで、ペンを借りて、サインをする。
木村天山と、その下に、TENと、書き入れた。
男は、とても、喜んだ。

そして、次に来た時は、電話をくれと、番号を言うが、残念ながら、覚えられない。
オッケーオッケーを、繰り返して、別れた。

8番のバスは、多く、何台も来る。
その一つに、乗る。

そして、街中にある、バス乗り場で、降りることにした。
その前には、私たちの行く、スーパーがある。

そのまま、スーパーに買い物に行く。
毎日の食事は、そのスーパーの、フードコーナーのものを買って、食べた。
要するに、弁当である。

水は、毎日、買う。

汗だくで、ホテルに戻り、すぐにシャワーを浴びる。
水シャワーだが、ぬるい。
暑さで、水も、温くなっているのだ。

かえって、少し冷たいのが、心地いい。

ホテルスタッフたちも、私たちが、何をしているのか、理解しているので、親切である。
何か、現地の言葉で、私たちに、感謝の言葉を言う。

一般的に、英語だが、現地の人たちは、現地語で、話す。
最初の、スクールでは、現地語での、教育をし、中学から、授業が、英語になるという。

兎に角、支援を終えて、慰霊を終えると、すべてを、終わる。
慰霊は、後、二回することにしていた。

最初に、慰霊をして、次に、支援活動をする。
そのように、決まっている。

街の人たちの着ているものは、実に、使い込んでいて、更に、汚れている。
皆、そうだから、気にしないようである。
私から、見ると、皆、貧しいのである。

ボロ布を着ているという、感じである。
だから、私は、自分たちの、着替えのものまで、最後に、渡すことになる。





posted by 天山 at 00:00| 旅日記 パプアの叫び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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