2011年05月05日

天皇の島ペリリュー島へ5

島は南北が約9メートル、東西は約3キロメートル、南部のほぼ平坦な開けた土地に、日本軍は数字の「4」の字に似た滑走路を持つ飛行場を建設していた。
ウムルブロゴル山と飛行場を除く島の大半はジャングルに覆われ、野生のヤシの木立と草地がわずかに点在するばかりだ。密生するジャングルのため、航空写真を見ても、上陸前に潜水艦が撮影した写真を見ても、情報将校たちは峻険な島の地形をまったく見抜けなかった。
スレッジ 改行は、私。

南洋の島では、あっという間に、ジャングル化する。
その成長は、とても、早い。
私も、海岸近くに、ヤシの実が、根を張り、芽を出して、これから成長するであろう、姿を多く見た。

ホテルの前、つまり、北の港の前には、無人島がある。
ガドブス島といい、日本軍は、そこへも、橋を掛けて、飛行場を作った。
その、橋の跡が、今も残る。

スレッジが書いているのは、南側の飛行場のことである。

米軍は、その南側から、上陸した。

「戦闘は激しいがすぐに終わる」という噂は繰り返し聞いていた。われわれは、そうした噂に師団長がお墨付きを与えたことで勇気づけられていたことになる。作戦がずるずると長引いて、ガダルカナルやグロスター岬の二の舞になるのは真っ平だったのだ。われわれの士気は高く、どんな苦しい状況にも立ち向かえるよう訓練は受けてきた。それでもわれわれは、さっさとけりがつくことを願っていたのだ。
スレッジ

みな、寝床についた。だが、私はなかなか眠れなかった。郷里のこと、両親のこと、友だちのことが頭に浮かんだ。そしてーーー自分は任務を果たせるだろうか、負傷して体の自由を失うのだろうか、それとも殺されてしまうのだろうかという思いが心を領していった。戦死するなんてあるはずがない、なぜなら神はこの私を愛しているのだからと私は自分に言い聞かせた。しかし、すぐにまた別の思いが私をとらえたーーー神は私だけではなく、万人を愛しておられるのだと。明日の朝には、そしてその先にも、多くの者が死んでしまうか、傷を負うか、心を打ちのめされてしまう、いや、心も体もずたずたにされてしまうのだと。私は胸苦しくなり、冷や汗がどっと噴き出した。結局、「おまえはどうしようもない臆病者だ」と自分を罵り、自分に言い聞かせるように「主の祈り」を唱えながら、私は眠りに落ちていった。
スレッジ

スレッジは、この時、21歳である。
そして、日本兵も、多く二十代の若者たちだった。

若者たちを、戦わせて、戦争とは、笑わせる。
彼らは、何の憎しみも、恨みも無い、相手を、敵として、殺すことが、任務なのである。

玉砕した、日本兵は、1万9千人。
捕虜は、302人だった。が、兵士は7人、水平は12人であり、残りは、アジア各地の労働者である。

米軍の死者は、精鋭の第一海兵師団は、戦死者1252人、負傷者は5274人。
第一師団に属する、部隊は、第一海兵連隊、第五海兵連隊、第七海兵連隊、歩兵連隊である。
陸軍第81師団は、戦死者が542人、負傷者2736人。
だが、米軍の場合は、戦死者は、その場で、死んだ人の数であり、負傷者が亡くなった場合は、戦死者と、数えないのである。
だから、戦死者は、もっと、多い。

更に、負傷者といっても、その状態は、瀕死の場合もある。
そして、障害者になる場合も。

私は、このスレッジの、ペリリュー・沖縄戦記を、時に感じては、読む。そして、戦争の蒙昧に感じ入るのである。

精鋭の海兵隊・・・
ペリリューをめぐる攻防は、海兵隊が戦ったなかで最も苛烈な戦闘であることに変わりない。
スレッジ

兎に角、ペリリュー戦は、誰もが、敵も味方も、死力を尽した攻防戦だったと、認めている。

ペリリュー島の戦いは、その後の戦闘に甚大な影響を及ぼしたという点でも見過ごすわけにはいかない。なぜなら、この珊瑚礁の島でわが軍と対峙した日本軍は、従来の戦法を転換していたからだ。上陸するわが軍を総力を挙げて水際で撃滅する戦術に見切りをつけた日本軍は、とりわけウムルブロゴル山(中央高地)を中心に、島の内陸奥深くに洞窟やトーチカを配置した堅固な防御陣地を築き、それぞれの陣地同士が互いに援護できる複雑な防御態勢を敷いたのである。
スレッジ

それまでの、日本軍は、バンザイ突撃を繰り返し、自滅するのである。
猛然として、突進する日本兵を、海兵隊は、ただ、撃ち殺せばよかったのである。

バンザイ突撃が、成果を上げたことは、一度も無かったのである。

日本軍の、指揮を執ったのが、中川州男、なかがわくにお、大佐である。
名将である。

島そのものを、一つの前線に見立てて、完璧な、縦深防御、じゅうしんぼうぎょ、の態勢を築いたのである。
そして、最期の守りが、落ちるまで、日本軍守備隊は、徹底抗戦を続けたのである。

三日で、落ちなかった。
二ヶ月あまりを、費やした米軍である。

それゆえ、天皇の島と、呼ばれたのである。

日本兵の、心、精神にあったものは、何か。
何故、徹底抗戦が、続けられたのか。
その精神力は、どこからのものか。

私は、非常に興味を、持った。
死ぬのは、いい。
しかし、戦う、戦い続けるという、意思の強さである。
死んでも、戦う。
死んだ場合は、魂となって、日本を守るという、意識、意思。

ここに、天皇の存在を通り越した、皇祖皇宗への、思いを感じる。
つまり、祖霊に対し奉る思いである。

米兵が、神に祈る。
日本兵は、祖霊に対し奉り、その命を捧げる。

その、象徴が、天皇陛下万歳となるのである。
ペリリューでは、である。




posted by 天山 at 00:00| 旅日記 天皇の島ペリリュー島へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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