ペリリュー戦記 ユージン・B・スレッジ
米軍海兵隊のスレッジの戦記から、ペリリュー戦を眺めつつ、これを書く。
ペリリュー島は、その珊瑚礁のなかにあって、ロブスターの鋏のように、二本の陸地が延びている。南側の半島は、平坦な土地から北東へ延び、珊瑚の小島とマングローブの生い茂る干潟の入り交じった湿地帯になっている。それよりも長い北側の半島は、中央部を平行して走る隆起珊瑚礁の尾根、ウムルブロゴル山(中央高地)が占めている。
スレッジ
私は、北側の、港の前の、ホテルに三泊した。
港を見渡せ、更に、向こうの無人島が見えて、絶好の景色が、広がる。
実に、美しい。
夕日が、ホテルの左手に沈む様子は、平和で心穏やかな気持ちにさせる。
すべてが、自然の音。
潮騒、虫の音・・・
人工のものは、何一つ無い。
そして、実に不便である。
一件の店があるだけで、私は、すべて、その店から買った。
水も、食べ物も。
街中、ダウンタウンといっても、一本道で、そこにホテルが三件と、店があるだけ。
観光客は、大半が、ダイビングに訪れる人たち。
パラオ空港で、入国、税関を通る。
その際に、日本語で、言われた。
楽しんでください・・・
それだけ。
何の検査もなく、素通りした。
和服の私は、とても、得をする。
夜の、11:30頃に、ホテルの迎えの車に乗り込んだ。
その際も、親切に、若い女性が出てきて、
どこですか
車は、ありますか
ホテルの名前を言うと、わざわざ、調べて、そして、探して、待っていたホテルの男の子を連れてきてくれた。
親日であり、更に、私の和服は、島の人たちの、曾お祖父さんの、時代を偲ばせる姿だったのだ。
一泊、70ドルという、高いホテルだった。
しかし、それでも、安い三流ホテルである。
今までの、旅で、最も高い料金のホテルである。
夜風は、気持ち良かった。
この程度なら、大丈夫だと思ったが、見当違い。
朝から、気温がどんどんと、上がり、32度を超える、暑さである。
パラオ、コロール島と、ペリリュー島の、ホテルは、日本から予約していた。
到着した、翌日は、休み、三日目から、行動する。
そして、四日目に、ペリリューに移動する予定である。
ペリリューには、二泊する予定だった。
が、帰りの日を定期船の、受付の男の子に言うと、その日は、船は無いという。
えっ
11日はなくて、12日、朝10時に、出る。
船が無いと、戻れない。
それで、三泊することにした。
ホテルは、一泊、55ドル。
ここでも、高い。
さて、私は、慰霊と、支援をするために、やって来たのである。
観光はしない。
コロール島では、慰霊碑に出かけ、支援をする予定である。
すべては、車が必要である。
受付の、女の子と、仲良くして、色々と、教えて貰うが、あまり、パラオ、コロールのことを知らない。
それは、彼女は、フィリピン、ビサヤからの出稼ぎだったから。
それでは、タクシーの運転手に、尋ねて、行くことにした。
三日目、朝の10時に、タクシーを呼んでもらった。
いかつい、パラオ生まれの、おじさんである。
南洋特異の体型。
太っている。
訛りのある英語。
大半が、解らない。
一応、行き場所を示して、出かけた。
ホテルから近い、ベラウ・ナショナル・ミュージアムである。
そこには、日本軍の遺物が展示されてあり、更に、慰霊碑もある。
ところが、日曜日で、閉館である。
歩いていた男の子に、尋ねると、昼の一時から、開くとのこと。
実は、タクシー代が、30分で、10ドル。
私は、一時間半の予定で、廻ることにした。30ドル。
追悼慰霊に、金がかかるのは、パラオが一番である。
私は、その玄関前にある、パラオの人たちの犠牲者を追悼する、慰霊碑の前で、祈ることにした。
もう一度、出直すなんていう、お金をかけられないのである。
それを済ませて、運転手に、プアピループル、チルドレンに、衣服をプレゼントしたいと言う。
運転手は、皆、貧しいが、と、車を走らせる。
ところが、暑いせいか、外には、誰も出ていない。
すぐに、海に出た。
小さな港である。
そこで、丁度船を出す、家族連れがいた。
運転手が、彼らはチープだと、言う。プアではなく、チープと言うのが、印象的だった。
子供は女の子と、赤ん坊を抱いた女が、一人、陸にいる。
フラムジャパン・プレゼント・・・
オッケー
そう言うと、嬉しそうに、頷く、親子。
そこで、女の子用と、赤ん坊の衣類と、ぬいぐるみを、渡す。
とても、喜んだ。特に、父親である。
写真を撮る。
皆、きちんと、並ぶ。
何か、あらかじめ、決められたような、対応である。
そして、また、車を走らせた。
オーバーゼーアー
向こう側に行くつもりになった。
だが、女の子が、一人遊んでいるだけ。
その子に、ぬいぐるみや、衣服を渡す。
女の子は、三歳くらい。
私から、受け取ると、隠れて見えなかった、父親が、大きな声で、サンキューと、言った。
もう、時間が無い。
私は、ホテルに戻ることにした。
ところが、事は、急展開する。
いつものことである。