2011年04月07日

難民7

バンコクでの、最後の3日間は、コータが、タイ語の勉強のために、住んでいた、アパートマンションである。

バンコクの下町である。
以前は、一泊、600バーツ。だが、新装したので、700バーツになっていた。2100円である。

アジアに出て、二千円以上の、ホテルは、わたしたちには、高いのである。
しかし、馴染みの人たち・・・
部屋も、綺麗になっているし・・・

また、食事も、一回、百円以内で、済む。
その、アパートマンションの、食堂では、大半のものが、30バーツである。90円で、食べられる。

また、近くに、沢山の、屋台がある。
更に、買って来て、部屋で、食べる方法も。

兎に角、わたしたちの、旅は、お金がかからない。
マッサージも、地元の人が行く店。
二時間、250バーツ。750円である。

水は、最初に、二本ほど、ペットボトルの水を買う。その後は、1,5リットル、1バーツ、三円の水を自動販売機から、買う。

飲んでも、全く問題ない。

タイでは、食堂で出される、水も、氷も、大丈夫である。
三年前までは、私も、注意していたが、今では、全く、問題がない。

ただし、カンボジアや、ラオス、ミャンマーなどは、まだ、危険である。
氷が危ない。

さて、私達は、何故、用もないのに、バンコクに滞在するのか。
簡単である。
格安航空券の期間が、10日間だからである。

折角だから、10日間、滞在する。
そして、その間は、何もしない。

何もしないということが、どんなことか。
とても、苦痛に感じることがある。

本も、読まない。
物も書かない。
ただ、一日を、過ごす。
私には、修行である。

毎日、本を読み、物を書くという、生活から、離れるのである。
不安になる。

今、私は、生業、職業というものを、持たない。
持ちたくない。
それでは、何で、食べているのだ・・・という、ことになる。

だが、フリーターではない。

やろうと、思えば、色々な仕事がある。
しかし、あえて、限定しないで、生きている。

私は、和芸家元である。
それは、茶の湯、いけばな、舞踊、着付け・・・その他諸々・・・
そして、占い師である。
更に、霊能者である。
だが、霊能者というのは、便宜である。

解ることはあるが、解らないことの方が、多い。

私は、何者でも、何様でもない。

ある程度の、子供が、人の心を読むように、私も読む。
ただし、それを、私は、信じない。
信じる必要がない。

その人を、やることを見れば、その人が解るのである。

行為が、その人の、すべてである。

何を言うのかではない。何をやるのか、が、問題である。

私は、死ぬことを、望んでいる。
いつも、死ぬことを、考えている。
即座に、死ぬこと。

私の、人生の、最大のテーマは、死ぬことである。

だから、戦争犠牲者の、追悼慰霊をする。

死後の世界がある、無いは、全く関係が無い。
私の興味は、生死になる。
生死を、確実に、受ける人間とは、何か、である。
死を意識するのは、人間だけである。

それは、人間の大脳化ゆえである。

それは、進化である。
人間は、その進化から、逃れられないのである。

それでは、進化とは、何か。
進化とは、人間であるということである。

進化した、人間の、あはれさ、は、極みである。
その、極みとは、何か。

必ず死ぬと言う事を、知る者であるということ。

そして、堂々巡りをする。

大脳化によって、人間は、妄想力を得た。

私は、それに、非常に興味がある。
そして、それは、いずれ、人間を解放するか、滅ぼすのである。

日本から、出掛けた時は、東日本震災の只中。そして、バンコクに着くと、寒い。更に、ベトナムでは、雪が降り、タイ、南部では、乾季であるのに、大雨による、豪雨である。

異常気象・・・
アホだろう
地球は、いつも、異常気象である。
そして、人間は、いつも、危機的状態にある。

歴史は、いつも、激動である。

何も、恐れることは、無い。

私も、何も、恐れない。
死ぬだけではないか・・・
死ねば、済むことではないか・・・

生きるということは、実に、アホ臭いのである。

死ぬことが、怖くない私には、この世のことで、怖いものが無いのである。

死んだら、やってやる・・・

と、そう、思っている。

おしまい
でも、追伸がある。




posted by 天山 at 00:00| 旅日記 難民 メーソート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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