三月、東北太平洋沖地震が、発生した。
敗戦後、最大の、災害である。
何か、しなければ・・・
という、思いを、持った人たちは、大勢いる。
しかし、中々手を出せなかった。
専門家による、被災地への、活動の邪魔になる。
私の場合は、古着のみ、扱うので、出番はなかった。
避難生活をはじめた、被災者の皆さんの、悲痛な様子を見て、私は、計画通り、タイ、ミャンマー国境の町、メーソートに、ミャンマー難民支援に出掛けた。
バンコクから、メーソートの中で、多くの人たちに、出会った。
そして、日本の被害について、尋ねられた。そして、励まされた。
ラオス人であり、オーストラリアの国籍を持つ、男性には、ニュージーランドでの、地震の被災者、犠牲者の日本人と、東北地震の犠牲者に対して、篤い、哀悼の意を受けた。
露天、屋台のタイ人の皆さんからの、励まし・・・
更に、メーソートでは、はじめて出掛けた、ミャンマー人学校の代表者から、日本が、このような状態であるのに、私たちのために、来てくださり、本当に、ありがとうと言われた。
実は、その学校に行くときは、支援物資は、何も無かったのであるが・・・
今回は、先に送っていた支援物資が、100キロ、持参したものが、50キロである。
150キロは、足りなかった。
難民キャンプに出掛けたのではない。
支援を受けられない場所、特に、孤児の家、孤児の施設を、中心に、廻った。
そして、メータオクリニックである。
ミャンマー難民のための、無料診療所である。
そこで、前回の時より、人が大幅に増えていた。
子供も、大人も、である。
予定が、そこで、狂ったのである。
まさか・・・
子供たちも、とても、数が増えていた。
診療所に学校が、あるようだった。
皆、着の身着のままである。
更に、山の中、林の中を分け入ってゆくところにある、孤児の家では、新しい子供たちが、増えていた。
それも、小さな子供たちである。
それで、おおよその、支援物資が、無くなったのである。
実は、ミャンマーは、内戦状態である。
選挙を終えて、新しい政権が出来たというが、以前と、変わらない、軍事政権である。
その、政権に、キリスト教カレン同盟と、仏教カレン同盟が、手を結び、政権に、対抗していた。
更に、これから、少数民族の、団体が、合流して、一年以内に、現政権を倒す意気込みである。
メーソートと、結ぶ、ミャワディーとの、国境の橋は、閉じられている。
そこから、ミャンマーには、渡れない。
それでも、川を渡って、ミャンマーから、抜けてくる人たちがいる。
現政権が、続く限り、それは、続く。
タイでは、難民を受け入れるという、明確な表明はしていない。しかし、受け入れざるを得ない。
現地の人は、タイ国王の存在によるものだと、言う。
慈愛の行為である。
しかし、タイ政府は、難民が、田畑などを耕すことを、禁じている。
そこに、住み着かれると、政情不安になるからである。
兎に角、難民なのである。
更に、移民である。
移民と、難民の数を合わせると、200万人とも、言われる。
メーソートには、その中の、20万人以上が、いる。
難民も、大変な状況だが、移民も、大変な生活状況である。
3Kの仕事を、受け持つのが、ミャンマー人である。
町の中では、働く、ミャンマー人が、多く、目立つ。
世界には、多くの難民が、存在する。
アフガン難民も、そうである。
更に、国内難民という、存在もある。
内戦により、国内をさ迷うのである。
更に、難民のような、扱いを受ける、人たちも、数多い。
それは、それぞれの、国の事情による。
そして、それぞれの、国の宗教思想による。
例えば、インドは、ヒンドゥー教により、現在の不幸は、前世の報いによるものと、判断する。
だから、貧しい人たちは、前世で、善い行いをしなかったから、それは、当然であると、考える。
タイの、上座部仏教でも、そのように考える人たちもいる。
この、蒙昧を打ち砕くには・・・
そうとうの、進化が必要である。
様々な、民族と、その宗教の、価値観の中を、私は、旅する。
人は、誰もが、幸せな境遇を得られること・・・
それが、願いである。
そのためには、紛争、内戦、戦争を止める必要がある。
解決の一つの手段として、それを、受け入れない、世界の人たちの、意識の進化を、願うものである。