2011年01月11日

明るい悲惨、ビサヤ諸島 11

バコロドに向かう車の中で、ロザンナさんが、言った、日本のお寺という場所に行くことにした。

市内に入り、そこへ向かう。
何とも、複雑な道である。

そして、その場所へ。
慰霊碑だった。

えっ、ここ、ここ、ここに来たかったの・・・

バコロドに慰霊碑があった。
知らなかった。

日本兵、そして、すべての、戦争犠牲者を慰霊するとある。

31年前に、建てられたものである。

それならば、最初に、ここに来るべきだった。
しかし、知ったことが、大きかった。

次に来た時は、真っ先に、来ることにする。

私は、日の丸も、御幣も何もなく、ただ、手を合わせた。

音霊の、お送りだけを、して、清め祓いを行った。

カテドラル前の、無名戦死の碑と共に、大切な場所である。
更に、比較的、綺麗にされていた。

その下には、遺骨があると、ロザンナさんが言う。
勿論、誰のものか、解らない。

時間が迫る。
後ろ髪を引かれる思いで、その慰霊碑を、後にした。

その慰霊碑は、バコロドの市長によって、管理されているという。
ありがたい。

そこから、ホテルまでは、意外に近いのである。

二時に、ホテル到着。
運転手に、千ペソを払い、お礼を言う。

そして、遅い昼食を取ることにした。
ロザンナさんが、美味しい、鶏肉の店につれて行くと、言うので、一度、着替えるために、部屋に戻る。

地元の人と、一緒にいると、心強い。
すぐに、タクシーに乗り、その店に向かう。

その店には、ロザンナさんの、いとこが、働いていた。
この街は、狭いから、誰かと、友達になると、皆、友達になるよ、と、言う。

注文も、ロザンナさんに任せた。

確かに、美味しい。
ロザンナさんと、コータが、ご飯のお替りをしたが、私は、もう、満腹だった。

兎に角、すべてが、終わったという、安堵感である。

ロザンナさんも、少し疲れ気味である。
だが、明日、船で、マニラに行くと言う。
マニラに買った、家の支払いが滞り、人にとられてしまいそうなのだ、とか。

バコロドにも、家を買った。
それらは、家賃収入のためである。

もう、老後のことを、考えている。
もう一度、日本で、働きたいと言うが、日本の入国は、大変難しくなった。

今夜、家に遊びに来てと、誘う。
結局、私は、疲れて、コータが、伺った。

ホテルの部屋で、休憩である。

もう、どこにも、出たくない。

私は、そのまま、出ることなく、翌日を迎えた。
夜のご飯は、コータが、ロザンナさんの家から、貰ってきた、お土産の、食べ物を食べた。

兎に角、こんなに、親切にされるとは、考えてもいなかった。

そして、ロザンナさんに、お礼の、現金を渡さなかったことが、良かった。
彼女は、全くの好意で、行ったようである。
それを、実に、喜んでいたという。

私たちの、活動に、母子で、共感し、更に、協力体制、万全である。
娘の、エィデアさんは、テラの会の、バコロド支部になると、言う。

私は、出来ない。あなたたちは、出来る。幸せなことだ、と言う。
エィデアさんの 願いは、自分も、町のために、ボランティア活動をすることなのである。

地元の、若者の、手本になりたいのが、希望なのである。

恐れ入った。
そんな、若者がいる。
一人でも、いる。それが、バコロドの、希望だ。

遊びに出かけたコータは、実際、家を見て、驚いた。
部屋を、間貸しして、色々な人たちが、出入りしていると、言う。
生活も、プライバシーが無い状態だと。

そこは、ダウンタウンにあり、路地を入り、全く、ネグロスの暮らしを見るものだったという。
先生の部屋は、まだ、マシなほうだよと、コータが言う。

現地の人たちの、暮らしを見ることが、出来た。
更に、あれ以上に、貧しい人たちが、わんさと、いると。

皆、皆、日々の暮らしで、精一杯なのである。

カップルも、間借りしていて、コータは、壁一枚で、夜の生活を営む・・・
どうするのだろう・・・と、心配していた。

子供たちから、お年寄りまで・・・

身内から、他人まで・・・

皆、共生して、生きている。
何か、日本人が、失ったものを、見る思いが、した。



posted by 天山 at 00:00| 明るい悲惨、ビサヤ諸島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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