2011年01月01日

明るい悲惨、ビサヤの私

寒い時期、暖かい国、フィリピンの、セブ島、ネグロス島へ出掛けるという、楽しい思いを抱いて、部屋を出た。

中は、夏物の、絽の襦袢に、単の着物、袷の羽織・・・
変な、気分である。
夏、春、冬物を、着ているのである。

そして、セブ島・・・
ああ、朝夕が、涼しい、いや、寒い。
夜は、もっと、寒い。

フィリピンは、今は、乾期の時期と、思いきや、セブ島、ネグロス島は、雨季なのである。

雨が降ると、益々寒い。
日本の冬物の、ジャンバーを着ている人もいた。

勿論、気温は、寒いといっても、20度はあるはず。

私は、暑い国というイメージを強固に持っていたので、寒くても、半袖。さらに、タイパンツ姿である。

そして、悪いことに、泊まるホテルは、古くて安いか、ゲストハウス。
夜も、送風が必要なのである。
臭いから・・・

イメージというのは、恐ろしい。
南国なのだという、思いが、薄着にさせる。
後半、くしゃみをして、鼻水が出て、ああ、今は、寒いと、納得した始末である。

飛行機は、セブ島直行便。
最初は、セブシティに入る。

前回も、泊まったホテルである。
観光地は、マクタン島である。

セブシティに泊まり、ネグロス島に行く、二日前に、マクタン島に、移ることにした。

一月の第三日曜日は、年に、一度の、お祭り、サントニーニョ祭があるという。
それで、ホテルの値段が、高くなっていた。

900ペソが、1000ぺソである。2000円。

ツーベッドルームである。
バッグを、六個。とても、大変な荷物。支援物資である。

コータのバッグの、半分も、支援物資。
兎に角、支援物資である。

だが、国内線に乗る前に、少し、支援をして、少なくしなければならない。
その前に、日本でも、荷物の分量が多く、機内持ち込みにしたほど。

50キロ以上は、持ち出したことになる。

セブシティでは、二日の間に、以前のストリートチルドレンに、逢うという。
とても、嬉しかった。

まず最初の、子どもは、すぐに、私を見つけた。
一緒に食事をすることになる。

着いた、翌日の朝のこと。

それで、彼の友達にも、パンを買って渡した。
驚いたのは、彼は、自分の注文したチキンと、ご飯を、三分の一食べると、他の、友達に、渡したことである。

さらに、私に、何も要求しないのである。

それは、翌日の、子供たちも、そうだった。
六人組みの、ストリートチルドレンが、目に入った。
見覚えのある顔。

あーーーー
元気・・・

一人の子が、私に、服を貰ったと、言う。
そうそう。
しかし、何も、要求しない。

彼らは、金にするために、ダンボールを集めて歩いていた。

その時に、渡さなければ、時期を失うストリートチルドレンが、私に、何も要求しないという・・・
実に、驚いた。

その驚きは、この旅の、驚きと、重なる。
多くの、驚きがあった。

私は、彼らの友達になっていたのである。
だから、要求しないと、気づく。

新しい子供たちは、私に、手を出す。物乞いである。
翌日も、その場に、行くと、子供たちが、手を出すので、パンを買う。
どこかで、私の行動が、見られている。
さらに、大人までも、手を出す。
ストリートアダルトたちである。

お金ではなく、食べ物を上げると、ストリートアダルトたちも、ニセモノの、バイアグラや、コンドームなどを、売りつけないことも、知った。

コータと、食事をした後、コーヒーを飲みながら、ホテルに戻る途中、向こうから、中学生くらいの、女の子三人が、やってきた。

私は、子供たちに上げた、パンの残りを、一つ持っていた。

ばったりと、私たちの、前に来た。
そして、手を出す。
パンを一つ渡すと、コーヒーも、欲しいと言う。
それが、とてもスムーズで、堂に入っていた。

私も、コーターも、コーヒーを渡した。

サンキュー
すれ違いざまの、行為である。

セブシティは、そんな、子供たちと、大人たちで、溢れている。

だが、観光地のマクタン島は、まだ、酷いのである。




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神仏は妄想である 311

イエスはキリストではない。
よく「イエス・キリスト」といわれ、それも一般的には、とくに日本ではイエス・キリストよりもキリストのほうが多く用いられている。しかしイエスはキリストではない。
イエス逆説の生涯 笠原芳光

笠原氏は、同志社大学大学院神学研究科修士課程修了である。
聖書を古典として、現代的に解読する。

私も、同じことを、言う。
しかし、私は、兎に角、素人であるから、説得力がない。
しかし、神学研究をした者が、それを言うと、説得力がある。

およそイエスという名は新約聖書の原語であるギリシャ語ではイエースースであり、語意は「神は救いなり」である。ヘブライ語のヨシュアとおなじであり、珍しい名前ではない。
笠原芳光

日本にキリスト教が、伝えられたときは、天主教と呼ばれた。それは、明治時代まで、続く。カトリシズムである。
プロテスタンティズムを、耶蘇教と、呼んだ。

もっとも、イエスはキリスト教の開祖でも、教祖でもない。イエスはキリスト教とかなり異なった宗教思想の創唱者であったからである。
笠原

旧約聖書という言葉は、二世紀に用いられている。だが、本当は、ユダヤ教聖書、ヘブライ語聖書と、称するのが、真っ当である。
四世紀になり、キリスト教団が、それを自らの聖書として、取り入れ、イエス以後を新約、以前を旧約と、名づけた。

キリスト教が、世界的宗教に発展し、以後、旧約聖書と呼ばれるようになる。

だが、これは世界史上最大の著作権侵害というべきであろう。
笠原

イエスの、死後、かつての弟子たちを中心として、グループのような、原始教団が、エルサレム、ガリラヤ、シリアなどの、各地に、いくつも作られた。その中で、当時、待望されていた、メシアに擬せられて、キリストという、称号で、呼ばれた。

イエスをキリストであると信じ、それを文書に表現した最初期の一人はパウロと考えられる。パウロはユダヤ教の大教派パリサイ派の人物であり、ローマの市民権を所有し、ギリシャ的教養に富んでいた。パウロの書いた現存する最初の文書は、紀元50年ごろにギリシャのコリントからマケドニアのテサロニケの教会、といっても初期のキリスト者の集会、に宛てた「テサロニケ人への第一の手紙」であるが、その冒頭に「主イエス・キリスト」と明記されており、文中にもしばしば用いられている。
笠原

同じ頃に、イエスの生き方、教えに、共鳴する、イスラエルの民衆に間に、イエスの教え、言葉を書いた、語録風にまとめた、文書がつくられていたと、仮定されている。それは、福音書よりも、早く、40年から、60年ごろに書かれたもの。
現在は、存在しない。

そして、最初の、福音書は、マルコである。

その、マルコを参照して、マタイと、ルカが、書かれた。

三つの、福音の他に、「Q」と名づけられた、資料が存在する。
ドイツ語の、資料という意味の、略称である。

さて、この、パウロであるが、余計なことを、書いておく。
彼は、イエスを知らない。
彼は、イエスを信奉する人々を、迫害していた人物である。

では、何故、突然、イエスをキリストと、信じたのか。
これが、曲者である。

馬に乗っていた。
突然の、光が差し込めて、イエスが、現れた。
そして、何故、私を迫害するのかと、言う。

イエスを知らないのに、光のイエスが、言った言葉を信じたという・・・
呆れる。
信じるものは、こうして、騙される。

その、霊は、イエスだったのか・・・

そして、その根拠は・・・

無い。
何も無い。

頭の悪い宗教の教祖たちと、同じである。
要するに、霊に、やられる。
霊の、判別が、出来ないのである。

そして、多くの、霊的能力者と呼ばれる人、自称する人は、そうである。

「Q」資料には、生前のイエスに接した人もいると、いわれる。

イエスの死後、およそ20年間はイエスをキリストではなく自由な教師と見る者も多くいたに違いない。
笠原

ともあれイエスに共鳴する人々にとってイエスの死は大きな衝撃であった。その死はユダヤ教とローマ国家に対して自由な生き方を貫いたことによる刑死であったのもかかわらず、民衆、ひいては人類の原罪をあがなうという贖罪の死であるとする説が、パウロやもとのイエスの直弟子によってつくられたのである。さらに当時、ユダヤ教のなかに取り入れられていて、本来は農耕文化の宗教思想であるが、そこでは黙示的思想に由来すると思われる復活という考えがイエスに当てはめられるようになった。
笠原

死後、三日目に、復活したとみなすことにより、信ずる者に、安心と、崇敬の念を与えるものとして、処置された。

そのように、信じたいから、そのようになったと、仮定、いや、信じたのである。

最初に、答えを作り、それを、説得する資料を作るという。
宗教というものは・・・
救われない。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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