2011年01月06日

神仏は妄想である 316

神の死とは、いないものはいない、というニヒルに徹することである。・・・
しかし、神がいないというかまえ方を、神の死の神学者は捨て身でしてみようというのである。ここでは、一種の実存的なニヒリズムがある。あるといわれているから、自分にはわからないが、あるのだろう、というのではなくて、たとえ、あると言われても、自分にはないとしか思われない、という個人的・自伝的な「告白」が、ここには提出されている。いままで、神の死を言った人は少なくない。ニーチェもカフカもカミングスも「神の死」について語ってきた。しかし、まじめな神学者が、まじめに神がいないというのは何事なのか。
ここには、恐らく、ラディカルな神学者の自らの内的苦悩がかくされていよう。「神」の死を言うことは、したがって、ただの思いつきではなく、人々が言いたくても言えなかったこと、自分が感じているがゆえに黙すわけにゆかぬこと、などを、いわば預言者的に表明したことになるのである。
小原 信 改行は、私

旧約聖書に登場する、神のように、五千年来、神が、登場することがなかった。
更に、新約聖書のイエス以来、二千年間、イエスは、登場することがなかった。

雲に乗って、天から、イエスは、やって来ない。

もう待ちくたびれた。
あの、ヤハウェは、どうした。エホバは、どうした。

その間に、幾多の信者たちが、死んだか。
そして、彼らは、本当に天の国に、入ったのか。
誰も解らない。

大半の、霊位が、教会の上空に、漂っている。
これは、私の霊学からである。

勿論、極楽を目指した、霊位も、寺の上空に、漂っている。

いわゆる「神」はわからない。求めれば得られるともかぎらないのである。神は眠っているのか。旅にでたのか。死んでしまったのか。たしかに、神の死は、しばらく前から、思想上の大きな問題であり、謎であった。ブーバーは「神の日蝕」と言い、ティーリケは「神の沈黙」と言い、シモーン・ヴェイユは「神を待つ」と言う。
遠藤周作の「沈黙」は、日本的状況のなかでの神の不在を説明するのに大きな役割をはたした。
小原 改行は、私

さて、延々と、小原は、神の死、に関して、書き続けている。

一つ、誤りがある。
遠藤周作が、日本的状況の中で、神の不在を説明するのに、大きな役割を果たしたというが、それは、違う。
日本には、欧米の、キリスト教の神観念は、無い。

その、神観念が無い日本で、神の不在も何も、あったものではない。

遠藤周作の、誤りであり、勘違いである。
遠藤の、考える神など、日本には、存在しないのである。

それを、何故、神不在の、云々と、評論するのか・・・
実に、ナンセンスである。

更に、遠藤の、神や、イエスは、遠藤の、神や、イエスであり、彼、個人の妄想である。
更に、歴史的にも、誤っている。
完全、完璧に、甚だしい、勘違いによって、書いたものである。

何故、遠藤の、書いた、イエスが、私を踏みなさい、あなたの痛みを、私も、また、痛む・・・などという、アホなことを、書いたのか。
あれは、限りなく、日本的情緒の、情緒酔いである。

浪花節とでも、言う。
イエスが、浪花節であるわけが無い。

小原氏も、ここにおいて、神観念を、混ぜて論じている。
キリスト教の、神の死、のことであろう。

ここで、はっきり、言っておくが、遠藤周作は、キリスト教の、神というものを、全く知らないという。
更に、彼の中には、キリスト教の、神は、存在していないのである。
その、一連の作品の中には、一度たりとも、キリスト教の神、そして、イエスは、皆無である。

彼の、イエスの生涯、なども、全くの、出鱈目である。

勿論、文学作品としては、評価するものもあるが、神とか、イエスに関しては、素人丸出しである。
あれにより、神や、イエスを知ったと、思った人たちは、改めたほうがよい。

神の死の神学者は、ばくぜんと、神がいる、とは思わないのである。そうではなくて、神がいないという無を徹底させて、いままで多くの人がぼんやりと期待していたり、べったりと盲信的に信頼していた神をなぎはらってしまうのである。
小原

神学者のくせにけしからんとか、神学者だからまさかそんなことは言えない、というのは、人間疎外であり、自己疎外なのだ。私は、真剣に神の問題を考えるがゆえに、自らの立場をかえりみずに、神はいないと言い切った、神の死の神学者に拍手を送りたい。真実の不信仰は虚偽の信仰にまさるからである。
小原

真実の不信仰は、虚偽の信仰に、勝る。
そても、事実を、表明している。

ここから、はじまる。
いよいよ、新しい時代が、はじまったのである。

ということは、既存の、信仰は、改められなければ、ならない。

イエスは、新しい時代は、新しい皮袋が、必要だと、言う。
その通り。
イエスの時代から、二千年を経ているのである。
新しい、時代が、到来したのである。

それは、すべての、宗教に言えること。

滅びに瀕する、日本、仏教にも、言えるのである。
仏教は、死んだ。



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明るい悲惨、ビサヤ諸島 6

朝、10時、ホテルに、御願いした、レンタカー、運転手付、三時間、1000ペソが、到着したという、知らせが、フロントから、あった。

ロビーに下りると、ロザンナさんが、すでに来ていて、椅子に座っていた。

私は、ロザンナさんに、行くべき、場所を、話した。
最後は、マンダラガン山の、麓で、慰霊をしたい。そして、その付近の、人たちに、衣服を差し上げる。

ロザンナさんは、了解した。
そして、言う。
日本の、お寺があります。行きますか。
それでは、最後に、そこに、行きます。

国旗と、御幣にする神紙、支援物資を、持参して、出発する。

日本軍が、歩いた道を行く。

ダウンタウンから、出るまで、少し時間を要したが、それを、抜けると、スムーズに走る。

コータが、助手席に乗り、私と、ロザンナさんが、後部座席に乗る。
私は、戦記を手元にして、日本兵が、辿ったであろう、その風景を眺める。

当時と、風景は、変わらない。

サトウキビ畑が、続く。

その道でも、戦いがあった。
戦いつつ、マンダラガン山に、向かう日本軍である。

バコロドから、シライ市に向かう途中に、タリサイという、村がある。
そこでも、戦死者がいる。
その村の、どこかで、慰霊を、行いたいと思った。

運転手が、会社に電話をして、日本軍の、ゆかりの場所を尋ねていた。
ある、古い家があるという。そこを、日本軍が利用したとのこと。

運転手が、タリサイ村に入る。

ところが、金曜日は、マーケットが開かれる日であり、人が溢れていた。

その、溢れている、中に、車を入れた。

道に、敷物を敷いて、色々な物が、売られている。
人が多いので、車は、ゆっくりと、進む。

そうして、ある場所で、停止した。
運転手が、外に出て、確認するようである。

ふっと、横を見ると、フィリピンの英雄、ホセ・リサールの像があるではないか。
彼の、故郷なのである。

私は、ここでいいと、思った。

さて、運転手が、戻る。
そわそわして、落ち着かない。
車の下を見たり、自分のポケットを、探る。

ロザンナさんが、何か言う。
財布をスラれたらしい。

えっ
スリに遭った・・・

ズボンの後ろのポケットに入れていた、財布が、瞬時のうちに、抜かれたのである。

お金は、1000ペソあり、何より、運転免許証が、無くなったことが、ショックである。

免許証を所持していなければ、罰せられるという。

そこで、運転手の交代を、しなければいけなくなった。

私は、運転手に、そこの、古い家で、いいですからと、言い、国旗を持って、外に出た。
人ごみの中、古い立派な家の前で、祈る。

皆、注目していた。

兎に角、早く、清め祓いをして、立ち去ることだ。

朝からの、曇り空が、少し明るくなった。
太陽の光が、差す。

丁度、良い。
太陽を拝して、祝詞を上げる。
そくそくと、終わり、リサール像の前に戻り、写真を撮る。

運転手は、シライ市で、交代すると、言った。
それでは、シライ橋に向かってくださいと、ロザンナさんに、私は言う。

人ごみの中を、車が進む。

運転手は、ごめんなさいと、謝っているそうである。
私は、逆に、ソーリィ、ソーリィと、運転手に言った。

なんだか、申し訳ない気持ちである。

私たちが、スリに遭うというなら、話しは、解る。
現地の人が、スリに遭う。
なんとも、申し訳ない気分である。

シライ市に、向かう道路に出た。
車は、スピードを出して、走る。

さとうきび畑が、続く。
私は、この道を、兵士が、歩いたと思うと、感無量になる。

敗戦から、今年で、66年を経る。
こんな、遠くに来て、死んでいった、若者たち。
何を思う。

故郷を
遠く離れて
戦いに
出でたる兵士
あはれなりけり

連合軍の、大量の物量攻撃に対して、日本兵は、手も足も、出なかった。

死ぬ。
今日、死ぬ。明日は、死ぬ。

毎日が、死ぬことであった。
一万四千人の、日本兵のうち、一万人以上が亡くなったのである。

フィリピン、第三の激戦地である。


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2011年01月07日

神仏は妄想である 317

神なきいま、神の死の神学者たちは何をするのか。彼らにとって特徴的なことは、彼らがイエスに集中しようとすることである。彼らは、神は殺すが、イエスは殺さない。むしろ神なきあとは、イエスにすがる。神の死の神学は、神観を破壊してイエス像を再構築するといってもよいのである。
神の死とラディカリズム 小原 信

だが、再構築するという、イエス像は、何から、得るのかと、言えば、聖書からである。
それ以外に、方法は無い。
しかし、その聖書が、改竄されたと、現代では、常識になっている。

これは、とても、大変な試みである。

とくに、ラディカルなのは、アルタイザーのイエス観である。アルタイザーによれば、イエスは神の死によって生まれた。聖書の言う神、キリスト教の言う神が人間になったこと、神が人間「肉」になること、つまり、「受肉」が、そのまま神の死をあらわしていると言うのである。この神の自己否定もしくは自己滅却が、神の愛だと言う。かくして神は、偉大な人間性として、文字通り宇宙大の現実のなかに、イエスとして現在することになる。
小原 信

これでは、詭弁である。

神が人間になった。
キリスト教の、第一義の、教義である。
結局、神が死んでも、イエスが、その役割をするということで、内容は、変わらない。

今までも、イエスは、神の子であった。

さらに、
イエスに集中することは、新約聖書のおけるイエス像を基礎とすることであり、新約聖書のなかのイエスがどのような人物であったかは、福音書の記述からわかってくる、とハミルトンは考えている。むしろ、イエスに従い、イエスをまねようとする者には、イエスが、人のために苦しみをなめ、神がいないのなら、そしてわれわれにはイエスがわかるのなら、抽象的で観念的で形而上学的な神というものを考えないでより具体的なもの、より現実的なものととりくんで生きようとするわけである。
小原 信

それならば、今までとは、たいして、代わり映えしないのである。

神の死の、神学者も、戯言を言う。

人間、イエスとして、捉えることが、出来ない、という、既存の神学から、まだ、抜け出ていないと、見る。

ただ、神なしに、新約聖書のキリスト論を考えることが、出来ると、考える、学者も存在するというが、キリスト論というところが、実に、蒙昧である。

イエスを、キリストとしたのは、誰か。
原始キリスト教団である。

ただ、新約聖書の現代版を、創作しようとする試みに、似る。

つまり、新しく、イエス・キリストを創作しようとする試みであり、結局、イエスは、メシアとなるのである。

神なしで生きるとは永遠の生命なしに生きることでもある。神の死の運動は、神なしに、永世なしに、しかし絶望なしに生きることを求める。神がいないということは、神が何か他の名前によっても存在しないということである。神を「根底」とか「深さ」とか「創造性」とか「愛」とかいうふうに名づけ直すことも、ここでは拒否される。あるのは、ただ、神なしにイエスに集中しようということだけである。・・・・
天の神も、機械仕掛けの神もいらない。いるのはただ、イエスだけだ、と言うのである。
小原 信

気持ちは、解る。しかし、人間イエスを、見るのではない。
イエス・キリストを、見るのである。

そこで、面白い、展開が、出てくる。
これは、仏教かという、考え方である。

つまり、
神なきいま、イエスに集中するとは、この世にイエスを見出すことだから、神も聖も救いも、すべて、あるとすれば、この世の中に現に在ることになる。キリスト者とは、この世のなかに神「キリスト」を見出す者のことであり、キリスト者は、俗なる世界がそのまま同時に聖なる世界でもありうること、世俗の時間がそのまま同時に聖なる時間でありうること、肉欲的なものがそのまま同時に霊的なものでありうること、つまり二つのものの弁証法的性格を信じる者として定義し直される。
小原 信

どこかで、見た、仏教の、お話である。

煩悩即菩提などという、詭弁である。

今頃、気づいてどうする・・・

弁証法的性格などというが、単なる、言葉の遊びである。

神の死を言う、ラディカルズは、聖域のすべてを、文字通り、宇宙大に相対化させてしまった、と言うが、何のことは無い、当たり前のことである。

結局、神の死を言う、彼らも、神観念から、抜け切れていないのである。

つまり、教会は、いらない、教団はいらない。
司祭と、信徒の区別も無い。

イスラムのようで、いいのである。

これは、長い間の、教会権力に対する、反乱でもあろう。

だから、
神は天にいるのではない。地上にいるのでもない。神は上にも下にもいない。神はどこにもいないのである。・・・この世以外のものは否定され、拒否されねばならない。あるのは、われわれ人間の現実の生であり、われわれがやがて死ぬということである。だが、自己の生、つまりこの世があるということは、どこまでも自己の責任として、また課題として受け取られる。神は死んでこの世がある。イエスは死んでこの世のなかにいる。ゆえに、かつてではなくていまが、あそこではなくてここが、大切であり意味をもってくる。・・・
われわれには、この世界が、この世が、われわれの生きかつよろこびを見出す世界、つまり「神の国」ということになってくる。
小原 信

まあ、ここまでくるのに、どれほどの、時間を費やしたのか。

一体、キリスト教というものは、何をしていたのか。

思い出して欲しい。
イエスは、キリストではないのである。

そして、神は、妄想である。

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明るい悲惨、ビサヤ諸島 7

その任務とは、これからの三、四ヶ月の短期間内に、ネグロス島北西部地区に、いわゆる、州都・バコロド市に比較的近距離のシライ町を中心にして、一大航空要塞を構築することだった。その要塞の基地のひとつが、今日から着手されるタリサイ要塞であるという。タリサイ基地の完成こそが、わが第九中隊に課せられた重大任務であった。
ネグロス島戦記 池 平八著
以後、引用は、すべて、ここから、取る。

私が、慰霊した、タリサイ村である。
タリサイにも、兵舎があった。しかし、今は、それを覚えている人はいない。

私たちの、目に入るのは、さとうきび畑であるが、その向こうは、田圃がある。
池氏は、その田圃の風景を、よく描写している。

この重作業、重労働は、一日の休みもなく続く。連日、灼熱炎熱の下、裸体の上半身は汗と泥、そして、涙が入り混じって皮膚の穴から浸透した。毎夕食後、全身をいくら水洗いしても、いくらこすってみても落ちない。背中であれ顔であれ、全身真っ黒。白いものはただ一つ、歯だけだ。
池 平八

車は、シライ市に向かっている。
私は、シライ川まで、行くようにと、頼んだ。

背中の皮も痛さを通り越して、血がにじむ。何回皮がはがれたことだろう。このごろでは、手拭でこすることもできない痛さであった。目だけが、異様に光る。といっても、それは他人の顔のこと。自分の周囲の戦友のものすごい形相。鏡がある訳ではない。自分の顔、形がどのように恐ろしく変わり果てているかは、知らぬが仏だ。ただ、戦友の変わり果てた、恐ろしいまでの形相を見て、己の顔もまたあのような鬼神の形相に変わり果てているのであろうと想像するのである。
そのころから、一人また一人と、マラリアやテングなどの南方独特の風土病に次々と倒れ、作業を休み始める戦友が出るようになった。
池 平八

シライ市に入り、橋に向かう。
そのシライ川には、山の温泉で、眠る如くに、亡くなった、兵士たちの、遺骨が流れた川である。

私は、早速、慰霊の準備をする。

木の枝を取り、御幣として、神紙をつける。
国旗を、ロザンナさんに、持っていただく。

橋の上は、大型のダンプカーが、時々、土ぼこりをたてて、走り去る。

丁度、太陽が出でいるので、神呼びを行う。
そして、祝詞を献上して、少し長い、追悼慰霊の儀を執り行う。

更に、この地で亡くなられた、すべての、兵士の皆様、連合国軍兵士、フィリピン兵士に、向かう。

日本兵の皆様には、お送りの音霊により、この地から、解放されることを、促す。

いつもの通り、日本へ、お帰りください。故郷へ。
あるいは、靖国へ。

兎に角、そこに、自縛することなく。

私が、祈る間、ロザンナさんも、祈っている。

清め祓いを、行う。

最後に、御幣を、川に流す。

一通り終えて、車に戻る。
運転手が、交代するという。
来た道を、戻り、少し待ってくださいと、言う。

道を戻り、少し広い場所に出た。
そこで、車を止めて、次の運転手を待つことにした。
しかし、中々、来ないのである。

丁度、街中で、車が、渋滞し始めている、時間帯のようだ。

「敵機だ、敵機だ。緊急退避、退避、退避だ」
「退避、退避だ」
避難命令の声が聞こえ。先刻までの、歓喜の坩堝が一瞬にして、恐怖の戦慄の淵にたたき込まれた。皆、右往左往しながら安全な場所を求めている。退避壕などを造成する時間は今までになかった。
次々と爆弾が投下される。爆煙が充満し、轟音と爆風で、恐怖が、全身を走る。上半身裸体の軽装の将兵が、眼前に次々とうつ伏せになる。目と鼻を両手でおおいながら伏せる。
池 平八

作業中に、攻撃を受けたのである。
最初は、友軍の飛行機だと、歓喜の声を上げていた。
しかし、それは、敵機襲来だった。

敵機は、造成中の滑走路を、攻撃するために、訪れたのである。

硬く締め固められて、太陽の光を受けて黒く輝いていた、昨日までの滑走路の姿はもうそこにはない。ほぼ完成に近い状態までに整備されて、友軍機による使用を明二十五日にひかえていたにもかかわらず、一度も友軍に使用されることのないまま、このように破壊されてしまったのだ。
池 平八

更に、滑走路を、また造成し始めると、また、敵機が襲ってきた。
遂には、兵士たちをも、狙うようになる。

ここ、タリサイの数ヶ月間、日常の重労働は、過酷で辛いものであったが、平和そのもののうちに過ぎて、戦争や戦場が存在することさえ信じられなかったのだ。昨日まで、いや正確には数日まではそうであった。
それがある日、突然「戦争」が異様な形をもって、何の前ぶれなしにやって来た。この数日の現象が、異様さが、真の第一線、戦場であるのかもしれない。
池 平八

私たちの通り道は、昔、戦場だったのだ。
だが、実感として、感じられない。

コータが言う。
平和な時に、ここに来られて良かった。
そう、コータの年齢以下の若者が多く、その地に兵士として、いたのである。

バコロドから、シライ市、そして、マンダラガン山の裾野と、その一帯は、どこで、慰霊をしてもいい。

見渡すと、マンダラガン山と、同じような、形の山が、もう二つ並んでいる。
三つの、山の景色は、実に、いい。

だが、その三つの姿を、すべて見られるのは、本当に天候に、恵まれた時である。
私たちは、セブ島に戻る日、その三つの姿を、空港のロビーで、見ることが出来た。


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2011年01月08日

明るい悲惨、ビサヤ諸島 8

シライ市内に入り、交代の運転手を待つ。
ところが、中々、来ない。

私は、車から、出たり入ったりを、繰り返す。
車の中は、冷房ガンガン、で、外に出ると、暑い。

結局、一時間を過ぎて、やって来た。
当初は、ホテルに、一時に、戻る予定だったが、二時になる。

ようやく、走り始めた。
行くべき場所は、空港を越えて、ギンバラオンという、山裾である。

その辺り、一帯を、ギンバラオンと呼ぶが、それぞれの、村には、名前がある。

私は、ある程度のところに、止まり、慰霊を行おうと、思う。

本当は、山裾、ギリギリのところまで、行くべきだった。
しかし、車の時間は、三時間である。
その間に、すべてを、行う。

シライ市から、山に向かって走る。

その道も、日本兵たちが、歩いた道である。

そして、マンダラガン山中での、激戦である。

日本兵は、一万四千人。
犠牲者は、一万人以上である。

勿論、連合軍、フィリピン軍の、死者も、入れると、もっと、多い数になる。

何の関係も無い、他国の人たちと、殺しあう。
それが、戦争の、不合理、悲劇、不可抗力・・・

個人的には、何の、恨みも、憎みも無い。

こんな、無駄なことが、あろか。
それも、若者たちである。

ほんの、一部の、政治家、為政者たちによる、作戦によって、起こされる戦争という、愚かさ。

無理やり、無駄なことを、行わせる。

見ず知らずの、敵兵を、滅多打ち、滅多切りにする。

当時、与謝野晶子は、その弟に、詠う。
君、死にたもうことなかれ・・・
すめらみことは、戦わず・・・なのである。

反戦と、天皇批判である。

最もなことである。

天皇は、すべてを、容認した。
国の最高権力者が、容認した、戦争である、という、意識である。

だが、昭和天皇が、戦争を徹底して、回避したら、暗殺も、あり得た。
そして、天皇無き、日本の戦争は、敗戦により、立ち直ることが、出来なくなったであろう。

とても、悲しいことである。

天皇擁護も、反天皇派も、同じ悩みを持つ。
そして、何故、世界は、人類は、戦争を続けてきたのか。

第二次大戦は、必要不可欠だったと、誰が、言うのか。
それは、アメリカが言うのである。

そして、そのアメリカの、長年の作戦により、日本の軍閥が言う。

戦争も、国益のためなのである。
この世は、地獄である。
平和な日本にて、その地獄という、意味を理解できない人々が、多くなった。

日本は、被爆国である。
世界で、唯一、原爆の被害を、受けた。
さて、それを、どのように、受け入れるのか。

そして、また、日本が、原爆を有していたら、日本は、原爆を使用しなかったのか。
それは、あり得ないという。
日本も、原爆投下を行ったはずである。

勝つためには、何でもする。

戦争体験者は、言う。
日本が、戦争に負けて、良かった。
でなければ、日本は、軍事政権になっていた。

そして、その政権は、国民を途端の苦しみに、陥れたはず、と。

負けて、良かったと、思った、冷静な国民が、日本人であった。

そして、天皇は、世界で唯一、逃げることのない、君主であった。
それが、日本の救いになった。

歴史の評価は、その百年後、二百年後に、なされる。

いや、千年後に、なされることもある。

すめらみことは、戦地に出なかった。
すめらみことは、その責務を、すべて、負った。

退位せず、死ぬまで、その責務を、負った。

朕の不徳のいたすところにより・・・

君主が、自らの、不徳という。
このような、君主は、世界に、唯一である。
私は、それを、誇りに思う。
生き地獄を、生きた、昭和天皇である。


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2011年01月09日

明るい悲惨、ビサヤ諸島 9

シライの町の西方を、中央山岳の三山に源を発して、水量豊かなシライ川の流れがある。この川に沿った上流十数キロの山岳台地において、残敵(米比軍)掃討作戦が展開された。
その日、早朝から行われた戦闘は、熾烈を極めた。地の利を得て、死守する残敵との交戦は、一進一退と、ようやく掃討作戦の終結を見たのは、翌日の正午を過ぎていた。
池 平八

その付近を、ギンバラオンという。
私たちは、その手前まで、行った。
広い、さとうきび畑が広がる中で、日の丸を掲げて、慰霊を行った。

ある夜、戦友の小田上等兵が、立哨時間に敵のスパイを一人発見し、俘虜とした。俘虜は数日の取調べの後、街の郊外の共同墓地において、斬殺の刑に処せられることになった。

俘虜の上半身は、数ヶ所に試し切りの刀痕が血をにじませている。そのとき一人の海軍将校がすくっと、スパイの後ろに立った。果たしてこの将校の手によって、首を切り落とすことができるか否や。全員が息を殺して彼の一挙手一投足を真剣なまなざしで見守っている。しばしの間を置き、腰の軍刀の柄に手がかかった。その後は目にも止まらぬ早技だった。右手に持った刀は、右手斜め前方に切っ先を下げている。刀身には一滴の血痕さえ見当たらない。果たして切ったのか、まだか。
全員が息をのむ静寂の一瞬、そのときスパイの首が前方に静かに下がったのであった。
池 平八

スパイは、フィリピン人である。
それを、市民が見ていたという。
悲鳴と、怒声が上がり、恨みのこもった目で見た。という。

66年前のことである。

上空に目を移すと、激しい空中戦が、まるで天空を乱舞するがごとくに展開されているのだ。敵の大軍、グラマンや双胴のロッキードに向かって、その数わずかに十機足らずの友軍機である。
この壮烈なる戦いぶりを、他の誰が、わが地上軍の将校の誰が最後まで見届けたというのであろうか。彼ら空軍の若き将校は、南の国シライの上空において日本空軍の花として、華々しくも哀れで悲しい終末を遂げたのであった。
ああ、わが空軍の軍神よ、その霊魂よ。安らかに眠りたまえ。
池 平八

私は、帰国して、三山、シライ山、マンダラガン山、クワラオン山、特に、マンダラガン山の下にて、追悼慰霊を執り行いたいと、思った。

ネグロスに散在していた、百二師団の各部隊の精鋭が、この地に集結し、やがて、有名な、ネグロスの一大決戦の行われた場所である。

このネグロスの地に駐屯して、すでに一年有余の歳月が流れた。最近における日米の現地の状況から推察すると、もはやわが軍に有利な材料は何一つ残されていない。この半年足らずの間に、わが空・海の両軍は壊滅状態となった。早急に再建すべきだが、その望みは絶たれたのも同然だった。この地上軍が、たとえ何万、いや何十万の兵力であったとしても、敵、米軍にすればとるに足りない存在である。
池 平八

そして、池氏は、日本の敗戦を感じたのである。
しかし、物語は、これからである。

レイテ戦で、負傷した、多くの兵士たちが、九死に一生を得て、ネグロス島、シライの本部に帰ったという。
更に、ネグロス島での、負傷者も。
だが、負傷者を収容する、野戦病院が無いのである。

ネグロス島に、上陸した、米軍は、その後、益々と、増強されてゆく。

ギンバラオンを経て、台地に赴き、激戦が、繰り広げられる。

やがて、沈黙が破られることになった。ある日の夜、敵陣から轟音を発した砲撃が、わが陣地の全域に対して開かれたのだ。光の玉が、薄明かりの空間を飛ぶ。一瞬、友軍の各陣営に炸裂して、光の破片が夜空に飛散する。真夏の夜の花火のごとくきらめく。そのさまは、生易しいものではない。
轟音・・・爆発音の交錯のなかで、わが友軍兵士が何人も、いや何百となく、空中高く舞い散っていく。一瞬にして、阿鼻叫喚の修羅の地獄絵が、現前に展開された。硝煙と爆音、噴煙の中に、無数の光の断片が空中高く飛散し落下する。
多くの戦友の命が、一瞬のうちに、引き裂かれ、飛散する。・・・
池 平八

マンダラガン山を、日本軍は、筑波山と、呼んだ。

ここに至り、日本軍の大軍は、レイテ、セブ、ネグロスの戦いで、多数の重火器を破壊され、弾薬も、消耗していたのである。
更に、大砲、銃器、弾薬を持たない。

つまり、人間だけの集団だったのである。

わが軍は、この後の数度にわたる戦闘をも含め、第百二師団並びにネグロスにおける海空軍を合わせた一万数千人のうち四分の一の戦死者を出した。その後の長期間における山河地の飢餓戦線では、少量の塩をなめ、水をすすり、草を食し、最後は体に巣くう多数の小さな吸血鬼、シラミを食った。その後飢えて渇いて餓死したのである。その数は、ネグロス戦死者の数倍にも当るだろう。
私の推定では、おそらく六、七千人以上の戦友たちが飢えて死んだのである。
このネグロスの戦闘が、レイテ、マニラの戦闘に比べて、規模のうえでは遠く及ばないとしても、フィリピン第三の激戦地と呼ばれるにいたったのはあまりにも悲惨な故だ。
池 平八

では、なぜ、このような無謀な戦いに、臨まなければならなかったのであろうか。それは、ネグロスの戦場だけにとどまらない。日本軍は、かつて(明治以降)の戦争において、これと同様、人命を無視し、悲惨な結末に終わる戦いを強いてきたのである。しかも戦いの場で、多くの将兵は、皇国のために死ぬことを無上の名誉とし、本望としたのである。・・・・

そのように私たちは、当時の為政者によって教育され、洗脳されてきた。だから、この思想をなんの抵抗もなしに受け入れたのかもしれない。こうして多くの兵力を消耗し、壊滅的な打撃を受け、一歩また一歩と戦線の縮小を余儀なくされていったのである。
池 平八

死の直前に、「お母さん」と、言えずに、死ぬ者。
長い戦いの中で、「天皇陛下万歳」などとの声を、一度も、耳にした事が無いと、池氏は、書いている。

この、無益で、野蛮な、戦い。
戦争というもの。

戦記は、それを、痛烈に批判する。

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2011年01月10日

明るい悲惨、ビサヤ諸島 10

私たちは、ギンバラオンの台地に入る手前で、慰霊を行ったが、再度行く時は、そのギンバラオンを通り、山の入り口まで、行きたいと思う。

更に、池 平八 ネグロス島戦記から、引用する。

しかし、それは長い年月だった。空襲、爆撃、機銃掃射の弾雨の中におびえて、精神状態に異常をきたすのが通常のことなのか。こうした歩行もできないまでの恐怖の中に、まるで精神病者か夢遊病者のように、本人自身が今なにを言ったかさえも分からない。そうなるのが人の常であろうか。戦争とは、かくも残酷で非情なものなのであろうか。まったく戦意を喪失し、生きた屍になった、世にも哀れな人間集団。こんな放心状態の精神病患者を、まだ一人前の兵力、戦闘可能な戦力として、認めなければならなかったのだ。

わが軍は、作戦を変更。夜間ひそかに、敵陣に迫る遊激戦を採用した。そして、わずかの戦果をあげたものの、その後、敵陣地は、夜間照明を強化し、遊撃隊がつけ入る隙は全くなかった。わが各部隊の陣地は連夜、砲爆撃を受け、そのつど、戦友の胴体が、頭が、手足が、骨片が空中に飛び落下した。

突撃隊というのも、特攻の一つの、形である。
斬り込み隊ともいう。

特攻隊だけが、特攻攻撃ではなかったのである。

次第に、友軍の姿が、消滅してゆく。
そして、毎日の攻撃である。
次々と、戦友が、命を落とす。
真っ当な神経であれば、耐えられない、極めて、切迫した状況の中を生きる。

もう今日限りで、戦友の遺骨箱ともお別れである。背後の山は峻険で、大量の物資や遺骨などを残された少数兵員では、とうてい運搬不可能だと判断しての処置である。
池 平八

その数、百七十五柱という。
その遺骨を、壕の中に収めて、入り口を、爆破し、塞ぐ。

大半の、遺骨は、その地に、留まったままである。

そして、そのうちに、ビラが空から、撒かれるようになる。

「日本兵の皆さま。長い間、よく戦いました。あなた方は、なぜ戦うのですか。なぜ、ただ一人の将軍の名誉と勲功のために、あなたの尊い命を。
一生一度の自分の命を、なぜ、いとも簡単に捨ててしまって、一人の将軍に捧げるのですか」

宣伝文の散布を終え、敵機が飛び去った後に、また改めて、別編隊の後続機が来襲し、爆弾投下の後、機銃掃射の弾雨を降らせる。
わが軍がいくら深い樹海の底にひそもうとも、彼らは観測機による電波探知機を利用して、日本軍の陣地を突き止める。連日、猛爆、機銃掃射、威嚇宣伝を継続する。
池 平八

そして、深い樹海の中に、一瞬にして、阿鼻叫喚の地獄が、展開される。
傷つき、斃れる兵士は、数知れない。
多大の尊い人命を損傷する。

そして、遂に、日本軍は、敗退、後退、敗走・・・である。
しかし、走れもしないと、言う。
移動の度に、歩行困難な兵士は、その場に、置き去りにされる。

長く続いた激戦の恐怖と、食料不足による疲労衰弱が重複して、わずかな爆音、飛行音を耳にするだけで、恐怖の奈落の底に辛吟して奇声を堕すもの、泣き叫ぶ者がいる。突然賭け出す者もおり・・・
池 平八

そして、落伍者は、食糧を食べつくした時点で、餓死するしかなくなるのである。

こうして、毎日毎朝のように昨日の仮寝の場所で、そして今日の朝露に濡れて、各部隊で一人、また一人と、餓えて飢えて死んでいく。
池 平八

しかし、それが、まだ、序の口だとしたら・・・
これ以上の、ことがあるのか。
あるのである。

生き延びた兵士たちの、それは、筆舌に尽くし難いのである。

すべての感情、感覚を失う。

人の死も、我が身の死も、何の感慨もなく、受け入れてゆく。

私は、池氏の、引用を、終える。
まだまだ、続くが、今回は、終わることにする。

私たちは、慰霊を終えて、戻る道の、一番近くにある、部落に入り、衣服支援を行った。

その部落に入って行く。
細い道を、行くと、男たちが、一つの屋根の下で、休んでいた。

私は、荷物をそこに、運んだ。
ロザンナさんが、皆さんに、何か言う。
男たちは、オーッと、声を上げて、何やら、叫ぶ。
すると、家の中から、人々が、出て来た。

女、子供たち・・・

早速、手渡しが始まった。
ロザンナさんも、手伝ってくれて、大忙しである。

どんどんと、人が集う。
おばあさんから、おかあさん、娘たち、子供たち・・・

慣れてくると、声が上がる。

子供たちには、文具も、用意していた。
それを、村のおばさんに頼んで、分配して貰う。

あっという間の、支援である。
勿論、私は、汗だくになる。
一人一人に、手渡すからだ。

彼らには、見たことも無い、女性物・・・
歓声が上がる。

すべてを、私終えて、車に乗り込む。
日本語で、ありがとう、という、人がいて、驚く。

昔のことは、忘れたのか、知っていても、知らない振りをするのか。
それは、もう、恩讐の彼方なのであろう。

新しい時代が始まっているのである。


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2011年01月11日

明るい悲惨、ビサヤ諸島 11

バコロドに向かう車の中で、ロザンナさんが、言った、日本のお寺という場所に行くことにした。

市内に入り、そこへ向かう。
何とも、複雑な道である。

そして、その場所へ。
慰霊碑だった。

えっ、ここ、ここ、ここに来たかったの・・・

バコロドに慰霊碑があった。
知らなかった。

日本兵、そして、すべての、戦争犠牲者を慰霊するとある。

31年前に、建てられたものである。

それならば、最初に、ここに来るべきだった。
しかし、知ったことが、大きかった。

次に来た時は、真っ先に、来ることにする。

私は、日の丸も、御幣も何もなく、ただ、手を合わせた。

音霊の、お送りだけを、して、清め祓いを行った。

カテドラル前の、無名戦死の碑と共に、大切な場所である。
更に、比較的、綺麗にされていた。

その下には、遺骨があると、ロザンナさんが言う。
勿論、誰のものか、解らない。

時間が迫る。
後ろ髪を引かれる思いで、その慰霊碑を、後にした。

その慰霊碑は、バコロドの市長によって、管理されているという。
ありがたい。

そこから、ホテルまでは、意外に近いのである。

二時に、ホテル到着。
運転手に、千ペソを払い、お礼を言う。

そして、遅い昼食を取ることにした。
ロザンナさんが、美味しい、鶏肉の店につれて行くと、言うので、一度、着替えるために、部屋に戻る。

地元の人と、一緒にいると、心強い。
すぐに、タクシーに乗り、その店に向かう。

その店には、ロザンナさんの、いとこが、働いていた。
この街は、狭いから、誰かと、友達になると、皆、友達になるよ、と、言う。

注文も、ロザンナさんに任せた。

確かに、美味しい。
ロザンナさんと、コータが、ご飯のお替りをしたが、私は、もう、満腹だった。

兎に角、すべてが、終わったという、安堵感である。

ロザンナさんも、少し疲れ気味である。
だが、明日、船で、マニラに行くと言う。
マニラに買った、家の支払いが滞り、人にとられてしまいそうなのだ、とか。

バコロドにも、家を買った。
それらは、家賃収入のためである。

もう、老後のことを、考えている。
もう一度、日本で、働きたいと言うが、日本の入国は、大変難しくなった。

今夜、家に遊びに来てと、誘う。
結局、私は、疲れて、コータが、伺った。

ホテルの部屋で、休憩である。

もう、どこにも、出たくない。

私は、そのまま、出ることなく、翌日を迎えた。
夜のご飯は、コータが、ロザンナさんの家から、貰ってきた、お土産の、食べ物を食べた。

兎に角、こんなに、親切にされるとは、考えてもいなかった。

そして、ロザンナさんに、お礼の、現金を渡さなかったことが、良かった。
彼女は、全くの好意で、行ったようである。
それを、実に、喜んでいたという。

私たちの、活動に、母子で、共感し、更に、協力体制、万全である。
娘の、エィデアさんは、テラの会の、バコロド支部になると、言う。

私は、出来ない。あなたたちは、出来る。幸せなことだ、と言う。
エィデアさんの 願いは、自分も、町のために、ボランティア活動をすることなのである。

地元の、若者の、手本になりたいのが、希望なのである。

恐れ入った。
そんな、若者がいる。
一人でも、いる。それが、バコロドの、希望だ。

遊びに出かけたコータは、実際、家を見て、驚いた。
部屋を、間貸しして、色々な人たちが、出入りしていると、言う。
生活も、プライバシーが無い状態だと。

そこは、ダウンタウンにあり、路地を入り、全く、ネグロスの暮らしを見るものだったという。
先生の部屋は、まだ、マシなほうだよと、コータが言う。

現地の人たちの、暮らしを見ることが、出来た。
更に、あれ以上に、貧しい人たちが、わんさと、いると。

皆、皆、日々の暮らしで、精一杯なのである。

カップルも、間借りしていて、コータは、壁一枚で、夜の生活を営む・・・
どうするのだろう・・・と、心配していた。

子供たちから、お年寄りまで・・・

身内から、他人まで・・・

皆、共生して、生きている。
何か、日本人が、失ったものを、見る思いが、した。

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2011年01月18日

神仏は妄想である 318

神の死の神学は、すぐれてアメリカ的な神学である。ここで言う「アメリカ」ということには、特別の重みがある。これまで、アメリカ人にとって、神学とは「ヨーロッパ」の神学であり、ヨーロッパの神学とは、バルト、ブルンナー、ブルトマン、ボンヘッファーなどの神学であった。アメリカという国は、少なくとも人文系の学問に関するかぎり、歴史と伝統の浅い不毛の砂漠とみなされがちであった。
小原 信

本当だろうか。
神学に関しては、そうかもしれないが、共産主義が、吹き荒れた時期、ヨーロッパから、多くの文人たちが、非難してきた国である。

歴史と、伝統が、浅いゆえに、新しい多くのものが、育った。

しかし、この砂漠は、たしかに不毛の地であり、伝統も歴史も浅いことは浅い。束縛されるもののないがゆえに、アメリカは、未来の多くの約束に満ちている。かくして、神の死の神学者は、アメリカ的な神学風土を自覚して、彼らが、明らかにあるいは潜在的にいだいていたヨーロッパ・コンプレックスからの脱出を宣言する。かくして、このアメリカの新しい神学は、「神の死」を、いわゆる「神学」としての「ヨーロッパ神学」の死としても表現するのである。
小原 信

建国から、200年ほどの、アメリカの神学を、論じているわけだが、腑に落ちないのは、建国の際の、彼ら、キリスト教徒の、反省すべき、原住民から、土地を奪った、反省から、成り立つものではないか。

結局、白人の、キリスト教というものを、論じているだけである。

それはそれは、実に、納得するものであるが、そこには、全く、自分たちの国の、成り立ちなど、眼中に無いのである。

ヨーロッパに、対立、対決するという・・・
実に、傲慢である。

神の死よりも、彼らが、考えなければならないのは、建国によって、行った行為である。それが、キリスト教徒としての、行為だったのかを、問う事が、まず、先決であろう。

神の死の、神学など、どうでもいいことになる。

キリスト教から、抜け切れない、キリスト教の、再開発なのである。

だから、小原氏が、解く、神の死の、神学というものも、空論になる。

彼も、キリスト教なのであろうが、そこから、一歩も、出ないし、更には、仏教のような、世界に、踏み出しているということに、気づいて、いるのか、いないのか。

もともとプロテスタント・キリスト教は、プロではないキリスト者がすべて、祭司的な役割をはたすという万人祭司主義をとる。平のキリスト者が責任をもつものであり、プロテストしつづけるかぎりにおいて、自己完結的ではない。体系は開かれ、ドグマも開かれている。つまり、神学を神学者から開放して、神学を神学者の私有物にせず、平信徒と庶民のものにするのである。
小原 信

そして、その活動が、社会全体の、様々な、活動に、なりうるというのが、小原氏の、言い分である。

信仰というものが誰にでもできるものであるということは、またどこにでも、どんな形においてでも、表されうるという信仰の流動性と柔軟性を示している。
小原 信

そんなことは、仏教では、すでに、新しいことでもなんでもなく、行われている。

更に、イスラムも、そうである。

これは、要するに、進退窮まった、キリスト教の、新しい展開を、促す、運動の、勧めである。

神の死の神学者たちは、この二、三年アメリカに起こって来ている変化に気づいて、それを積極的に受け止めようとする。話しをアメリカに限っても、神学ははるかに大切ではない学問になりつつあり、それだけではなく、その伝達様式も変わりつつあると言うのである。短く言えば、神学の体系などがいったいありうるのか、どれが正統で、どれが異端かがわからなくなってきたといってもよいであろう。
小原 信

はじめから、神学は、学問ではない。
妄想である。

要するに、間口を、どんどんと、広げてもいいのであると、神学者たちが、言い始めたのである。でなければ、彼らは、神学者と、名乗ることも出来ない、時代に突入するのである。

アメリカ的な神学を形成するとは、既存のヨーロッパ神学から独立することであり、それはかつての権威が崩壊することでもある。
小原 信

当然であろう。
最初から、権威などといわれるほどの、神学など無い。
それは、教会が、定めたもので、信徒には、全くの発言は、許されなかった。

それは、プロテスタントでも、同じであろう。

最後に、神の死がたんに外国でのゴシップに終わらずに、異なった風土において個性化できるとすれば、われわれ日本人は、「神の死」をどう生かせばよいのか。もともと「神」なき異教の地に、神の死をもちこむことは早すぎはしないか。こういう疑問をすでに私はいくつか聞いている。だが、私自身は、日本でも神の死を叫ぶことは早すぎはしないと思う。むしろこれをうまくとらえうるなら、日本人のためにラッキーなことだとさえ考えている。なぜなら、日本人はいま初めて日本型のキリスト教をつくり出せるかもしれないからである。
小原 信

ここで、言われる、神とは、キリスト教の言う神である。

ここ、ここに至ると、論外である。

日本型の、キリスト教を、作り出すとは、傲慢も、甚だしい。
そんな必要は無い。
それより、必要なことは、キリスト教の、不必要性である。

そして、聖書の嘘、改竄の改竄を知り、それが、宗教に、相応しくないということを、知るべきなのである。

だから、このように、とんでもないことを、言う。
非キリスト者は、自らのいだく誤った「キリスト者像」をうちこわす必要があるのであろう。

非キリスト者は、云々とは、大きなお世話である。

日本的心情を生かしつつ、神の死の神学を越えて、日本人のためのキリスト教を、誰にもわかる世俗的な言語に訳し直して、非キリスト教徒との対話をすることが求められるゆえんである。

これは、日本における、キリスト教の、新しい布教の、一端を言うものである。
しかし、それ自体が、もう、時代が、求めない、時代性になり、時代精神になっているのである。

神の死の、神学が、云々などとは、全く関係ないのが、日本人の、心情である。
更に、日本には、宗教、宗教的なものさえ、必要ないのである。

多くのキリスト者が、教会を、離れる如く、日本人も、日本の伝統から、離れつつある。しかし、日本の伝統を、息をするように、我が物として、内包している、日本人も、多々存在する。

そして、その、日本人の、心情を持ち、歴史と、伝統を、保ちつつ、日本人として、生きる人たちによって、日本は、再生し、キリスト教のような、まがい物は、必要ないのである。

神の死、というものも、言葉の遊びに過ぎない。
神というものは、観念の産物であり、神という存在は、皆無だからである。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

神仏は妄想である 319

神の死の神学は、その否定の意図において注意されるべきである。・・・
彼らは、そのかぎりにおいて、神学的な冒険をなしており、キリスト教的な無神論者として生きてゆこうとする者を支えようとする配慮を、牧会的に行ってはいない。しかし、ここでの否定は、冒険と改革のためゆえの否定であって、破壊のための破壊でも、否定のための否定でもない。・・・・神の死をとらえたのは、神学にはプロでない大衆であった。新しい神学者たちは、また、自らが楽をするために神を否定しようとするものでもない。われわれは、彼らが、現状維持という、現体制的なキリスト教界内での常識的な安らぎを誘惑としてしりぞけつつ、創造的な否定を指向していることを見てとるべきである。
小原 信

創造的な否定を指向するという。

それが、以前、書くはずだった、箇所、
われわれは、自らの生き方については、結局は、自らのおかれた状況のなかで、何が求められており、自らに何ができ、何をなすのがふさわしいか、を「状況」のなかで判断し、自己決定するほかはない。真理は形式的な原理のなかではなく、具体的な状況のなかにあるからである。だが、たんに状況を見よ、というのではなく、状況のなかに論理を入れつつ、他方、論理のなかに状況を入れる弁証法性が大切であるということは言うまでもない。
小原 信

キリスト教の原点とは何か。それを自らで模索せよ。神の死の神学は、われわれにこのことを教えてくれる。自明にして普遍的なる神などどこにもいない、のである。
小原 信

前回も、この部分を書いた。

普遍的なる神などどこにもいない。

と言いつつ、結局は、キリスト教という、世界の中での、出来事なのである。

それは、
神もしくは超越的なものなしに、哲学することはできない。
と、小原氏は言うのである。

これを、読むと、彼らが、より、仏教に近づいてきているようである。
キリスト教神学者は、仏教の、底の見えない、滅茶苦茶な、仏教教義を、知るべきである。

要するに、既存の、教会権威に対する、反乱である。

カトリックにも、プロテスタントにも、その教会に対する、プロテストである。
その過程の中に、どうしても、神とか、イエスとかを、組み入れなければ、話しが進まないという、蒙昧である。

勿論、小原氏は、より、時代性に合う、キリスト教というものを、模索している、神の死の神学を、解説しているのであろうが、結局、神観念から、抜けられないでいる。

神もしくは超越的なものなしに、哲学することはできない。というのである。

論旨は、理解するが、矢張り、既存の、教会教義、神学教義からの、脱出であろう。最初から、そんなものは、無いものだと、考えられないのである。

勿論、哲学なども、哲学から、更なる哲学が、つまり、弁証法によってなる。

何も無いところからは、何も、生み出せないということなのであろう。

「神の死」を言うラディカリズムは、その哲学化において、弁証法的な思惟を援用しているのである。結論から言えば、弁証法的な思惟の適用される領域(もしくは次元)が哲学としても新しさを持つと言うことである。二十世紀の哲学としての論理実証主義(分析哲学)は、観念論に対抗して経験を重んじ言語の分析を行ってきたが、弁証法をもたない哲学である。

神の死の神学者たちがキリスト教を弁証法的に考察するとは、否定が肯定に結びつく否定になること、正統との緊張感を保った異端になることをわきまえつつ、「原点」を創造的に指向するがゆえに、前衛的になることをいとわぬダイナミズムをもつことなのである。
小原 信

非常によく、分析されている、論文であるが、結局、新しい、信仰のあり方であり、人生論である。

そのようにして、哲学が、進化してきたのであろう。
更に、神学も・・・と、いいたいが、妄想の、神学体系を、変更できるものではない。

それとも、全く新しい、神学の、創造ということか。

新しい神学がたたかうのは、この聖と俗の二分法なのである。俗の中の聖、いまのなかのかつて、生のなかの死など、これらは、弁証法の有無ではなく、弁証法の適用の仕方の多様性を認めれば当然出てくる考え方である。
小原 信

この方は、矢張り、仏教、日本仏教でもいいから、学ぶべきである。

もう、仏教は、それを超えて、遥かに行っている。

そして、その仏教も、瀕死の状態なのである。

この世はわれわれの主体的な努力次第で、キリストが住みもし、住まなくもする。文化のなかに、キリストを見出しつつ、キリストが文化そのものを変革しつつあると信じる者は、世俗化されたこの世をふたたび聖化することができる。
小原 信

新興牧師の説教に、聞こえる。

世俗化、即、仏の世界である。
と、仏教は、解く事が出来る。

神の死の、神学を、批判し、評価する、哲学的態度は、評価する。
しかし、結果は、世俗化された、この世を、再び、聖化するとは・・・

勿論、それぞの、人の心が、為すことであろう。
それを、神の死の、神学を通して、語るのである。

われわれは「神の死」が人々の「かつて聞いたこともない個々人の内面的孤独化の感情」をひき起すかもしれないことを承知せねばならない。人はすべて、ほんとうは孤独なのである。・・・神すらいない世界に、働くこともなくレジャーをもつ現代人は未曾有の淋しさをもつのである。
小原 信

これは、今更である。

神が存在した、時代の人々は、孤独感を持たなかったのか・・・
そんなことは、無い。

更に、孤独化である。
そんなことは、有史以来の人の存在のことである。

ご苦労なことです。
次ぎは、アメリカの、キリストは死んだか、というタイトルで書く、各界の人たちの、言葉を、見ることにする。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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