2010年10月10日

チェンマイの風 10

カレン村へ行く道の途中に、小西さんが、瞑想を行っている寺がある。
そこに、立ち寄った。

中に入ると、丁度、瞑想指導の、ご住職がいらした。
何の飾りもない、タイの僧侶の衣を着ていた。

自然体で、どこにも、力が入らない姿勢である。

自然と、同化しているのである。

私たちは、小西さんの案内で、岩場の瞑想場所に、向かった。
大きな、磐穴である。

一人の僧侶が、瞑想をしている。

私たちは、その、大きな磐の口の前に立ち、中を眺めた。

そこに立つと、まず、息がしやすい。
そして、少しすると、体の弱っている場所に、痛みが起こる。
私は、目の奥から、側頭部である。

鼻が通るのである。

瞬間、この場所では、病が、治ると、直感した。

ちなみに、古神道では、山の中の、修行を、危険視する。
とても、危ないのである。
山の霊的存在に、憑依されたり、とんでもない、霊能力を得たりする。

滝行などは、最悪である。

しかし、この場所は、入り口が広く、公開されている。
隠されているのではないから、安全であると、感じた。

息を、意識できる。
即座に、息遣いを意識できるとは、凄い場所である。

日本でも、パワースポットと呼ばれる場所があるが、これほど、息を意識できる場所は、少ないし、大半の場所、勘違いが多い。

気が付くと、他の皆は、次に移動していた。
私も、彼らを追いかけた。

建物の中で瞑想する、場所に案内された。
そこには、誰もいない。
が、しかし、私には、二名、あるいは、三名の気を感じた。
つまり、霊体になった、方々が、瞑想していると、感じた。

そのことは、誰にも言わない。

日本の、修験道の場所には、そういう、霊体が多い。
死後も、その場所にて、修行するのである。
それは、あまり、良いとは、言えない。

修行自体に、囚われているからだ。
つまり、自縛である。

だが、あの、洞窟は、素晴らしかった。
多くの瞑想希望者が、やってくるという。

初期仏教の頃の、瞑想法を、受け継いでいると、いう。
つまり、釈迦ブッダの瞑想である。

それが、宗派、宗教を超えて、世界に広がっているらしい。

先の、住職様は、その、指導者の中でも、特出している。

宗教、特に、仏教は、行が、中心の教えである。
思想ではない。
行為が、先行する。

更に、瞑想法は、禅とは、違う。
日本の禅は、中国禅である。
インドの、ヨーガ、ブッダの瞑想法とは、異質なものである。

言葉が、先に来るものではない。
感じることが、先に来る。

解らないという言葉があるが、解らないことは、言わない。感じることなのである。
瞑想とは、感じる力であり、更に、同化する力である。
ただし、我というものを、失わない。

我というものは、とでこにも、無いという、詭弁は、言わない。
ただ、その我が、変容するのである。

兎に角、小西さんの、瞑想修行の場を、見ることが、出来たのが、幸いだった。

車に乗り込み、更に、山の中に入る。
路は、次第に、揺れる。

山道だらだら・・・
村の入り口に入ると、象の出迎えを受ける。

カレンの男たちは、象使いでもある。

すぐ目の前の、象は、迫力がある。
私は、メロンの食べ残しを、象の鼻に渡した。
その、鼻に、巻かれると、大の大人でも、危ない。

そのうちに、犬が出てきた。
鶏が出てきた。
更に、黒い子豚が出てきた。
いよいよ、カレン族の村である。

懐かしい風景である。
私は、二年前に、来ている。
ああーーーー懐かしい。




posted by 天山 at 00:00| チェンマイの風 平成22年10月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇陛下について 66

ロバート・クレーギは、駐日英国大使として、1937年9月に、赴任した。

10月14日、クレーギーは、天皇陛下に、拝謁する。
その際の、天皇陛下のお言葉が、残る。

日中事変で日英関係が急速に悪化している事に、私は深い懸念を持っている。それまでのロンドンでの対話に、大きな期待を寄せていただけに真に残念である。
この関係を食い止め、かつての良好な日英関係に戻すのを、自分は心から願っている。その事を、日夜考え続けている。どうか、大使も力を貸して欲しい。

クレーギーが、答えた。
両国の困難を取り除きたいとの真摯な願いはよく分かりました。私も両国の関係改善に全力を尽させていただきます。ただ、良好な日英関係を築く唯一の基盤は、中国を敵ではなく友人にする事です。

天皇が応じた。
その方向に、すべての努力を傾けねばならない。
1937年10月23日 英国外務省報告

ただし、日本の軍部は、日中戦争の士気高揚に、しきりに反英感情を煽るのである。
英国が、南京政府を支援し、日本を牽制しているというものである。

だが、皇族は、英国への愛着と、忠誠心を捨てては、いない。今後の、対日外交で、重要な武器となると、クレーギーは、漠然とした、期待を抱いた。

ところが、10月28日の夜、宮城と向かい合う、英国大使館の正門に、若者たちが、集まりはじめ、「英国は中国から手を引け」「英国と徹底抗戦すべし」などの、垂れ幕を持っている。

アジア主義を唱える団体であり、やがて、若者たちの、一群が、敷地内に侵入した。

大使館は、国際法上、外交特権を持ち、その敷地は、不可侵である。

更に、若者たちは、大使を出せと、要求する。

若者たちが、残した声明である。
欧州の抑圧を取り除かない限り、アジアに平和と繁栄は実現しない。・・・日中戦争は日本と中国の戦いではなく、南京政府を支援する英国やロシアとの戦いである。これはアジア開放の歴史的闘争で、われわれは日本の政策を全面的に支持する。
1937年11月4日 英国外務省報告

日中戦争の開始以来、日本軍は、南京の国民政府に圧力を加えるため、空爆を行ってきた。南京、上海、漢口などの、主要都市を空爆した。この都市空爆は、民間人の大量の死者、負傷者を出し、連日、世界のマスコミで報道された。それが、欧米での、反日運動を激化させていた。

しかし、実は、それは、中国側の報告なのである。
当時の、蒋介石政権は、積極的な欧米メディア工作を行っていた。
中国側の被害を、大きく誇張するという。
それに、日本政府は、翻弄された。

中国のプロパガンダへの対応で、外務省と参謀本部は、意見が異なる。外務省は中国の虚偽に具体的に反論する意向だ。一方、参謀本部は、中国の主張はあまりにグロテスクで、反論するのは時間の無駄としている。
1937年10月6日 英国外務省報告

今も、昔も、中国の、嘘八百は、変わらない。

日本では、次第に、アジア主義者が、活動を起こし始めた。

新聞も、連日、ブリュッセルの九か条約国会議の、欺瞞を指摘し、雑誌なども、戦慄する大英帝国、日英戦わば・・・などの、特集を組んだ。

国民は、強烈な、反英感情を持つことになる。

過去六年の日本は、軍備拡張の予算を確保するため、(外国の脅威を煽る)プロパガンダを行ってきた。・・・これらの扇動行為に深い根拠があるとは思わないが、危険な側面も抱える。神秘的信念を持つ青年将校が、中国の戦局に大きな影響を持ち、深刻な事態を起こすリスクがある。・・・彼らの行動を強く支持する群集心理も働いている。
1937年12月2日 英国外務省報告

英国は、天皇、要人が、英国との関係改善を望んでいることを、理解したが、現実には、日中戦争に続き、英国の権益にも、脅威となっている、状態である。

英国が、注目したのが、日本の、金保有量である。
結果は、日本政府は、日銀の金には、手をつけていないが、他の在庫から、五億円相当の金を輸出している。
この戦争は、永遠に続けられず、いずれは、終結させなければ、ならないだろう。
という、英国側の、考えである。

1938年1月、近衛首相は、国民政府を相手とせず、との、声明を発表した。
これにより、日中戦争終結の交渉は、頓挫した。

英国は、そのネットワークを最大限に生かして、日本の内情を、探った。

日中戦争の長期化に伴い日本は疲弊し、いずれ英米に頼らざるをえない。日本は国力の全てを投入して、華北地帯への侵攻、上海と南京の支配を達成したが、その結果に落胆している。今後、金のかかる戦争を継続しなければならない事に不安も感じている。
中国やドイツやソ連の助言を受け、戦力を立て直しつつある。・・・日本が本気で仲介を求めるまで、今後も中国を支援し、彼らが望む限り戦闘を続けみさせるべきである。その上で適正な平和を達成できる。
1938年4月13日 英国外務省報告

英国政府は、誠実な紳士を演じていた。
日本と中国、双方と、関係を維持してきた。

その上で、日中の思惑、軍事力、経済力を分析し、英国にとって、最大の、メリットを探っていたのである。

現時点では、さらなる犠牲者が出ても、日中戦争を続けさせた方が、得策である。
やがて、日中が疲弊しきったところで、善意の仲介役として、登場するという、英国のシナリオである。

国益。
すべては、それぞれの、国益を、考えての、分析、行動なのである。

相手の、国の事情などは、関係ない。
自国の、国益が、最優先なのである。

posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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