2010年10月04日

チェンマイの風 4

私たちが、施設に到着すると、職員の方々が、出て来られた。
挨拶をする。

すると、すぐに、施設内に放送が流れた。
ニープンという、日本人という言葉が、分かったので、日本の皆さんが、来ましたので、集会室に集まってください、とでも、知らせていると、思った。

私たちも、集会室に、支援物資を、運ぶ。

校長先生が、いらした。
二度目の再会である。

お元気ですか
日本語でいう。
あちらも、タイ語で、答える。

今回は、50名ほどの、女子が、残っていた。
他の女子たちは、休みがはじまり、帰郷しているもの、近くの大学に出ているものである。

施設で、暮らしつつ、学び、ある者は、近くの大学へ行く。

お寺によって、運営されている、施設である。

男子は、僧侶になって、寺で生活できるが、女子には、それが無い。それゆえ、お寺に、交渉して、女子のためにも、施設を創ってくださいとの、願いに、寺が応えたのである。

だが、男子が、先行で予算を使う。その、余りで、経営されるから、貧しい。

皆、少数民族の、女子たちである。

全員が揃った。
私は、以前、民族服を着ていたことを、言うと、校長先生が、何か言う。
すると、生徒たちは、もう一度立ち上がり、集会室を出た。

民族服に着替えてきたのである。

最初に、私たちは、タイ国王讃歌を歌うことにした。
コータみが歌詞を暗記しているので、私と、辻さんが、メロディーを唱和した。

全員が起立した。
タイの場合、国歌と、国王讃歌の際に、起立しないと、罰せられるのである。
長いものだと、懲役4年の刑を受ける。

それが、終わり、辻さんに、さくらさくらを、歌ってもらう。

それから、支援がはじまる。
私が、挨拶した。
今回は、寒い季節の衣服を多く持ってきました。
あなたが、必要なければ、家族の方で、必要なものを、二つ取ってください。

今回は、辻さんが、女子用の下着を、持参したことも、いう。
そして、下着の貰わない人には、私が、用意した、ハンカチ、ミニタオルを、差し上げることにした。

左側の列から、衣服を取ってもらう。
最初は、控え目だったが、慣れてくると、色々と、衣服を手に取り、探し始めた。

辻さんは、パンティの前に立ち、必要な人に、色など選ばせる。
私は、衣服の前に立ち、サイズを合わせてあげる。

静かだった、会場に、少し声が響くようになる。

中に、男子物も混じってあり、私は、それを掲げて、ブラザーのいる人は、貰ってくださいと、言った。
英語の授業があり、少しの英語は、通じる。
勿論、私の英語は、実に、怪しいが・・・

遠慮しつつ、手を上げる生徒たち。
それを、手渡しする。

手渡し。
それが、確実な、方法である。
手から、手へと、確かに渡す。

支援した下さった方々の、ためにも、その基本は、変わらないし、変えない。

それが、どんなに大変なことでも、である。
その、手間暇かけることに、私の支援の実がある。

誰に、渡ったのか、解らないような、支援はしない。

手と手、顔と顔が、見詰め合う、手渡しの凄さである。

相手は、私のことを、忘れない。
私が忘れても、相手は、忘れない。

すべての生徒が、衣服を取って、元の場所に着いた。

それでは、ギター演奏と、歌を披露します。
コータの訳である。

ところが、私が、日本の天皇陛下と、タイ国王陛下は、とても、親しい、友人ですから、私たちも、親しく付き合いましょうといったが、コータは、天皇と、タイの、お釈迦様は、友人で・・・

小西さんの登場である。

更に、私は、日本人と、タイ人は、とてもよく似ている。
曖昧で、争わないところ・・・

でも、戦争の時には、一緒に戦いましょうね。
その部分は、カットされた。

千葉君の、ギターソロが始まった。
真剣に聴く生徒たち。

そして、辻さんの、万葉集の歌である。
千葉君のギターと、コータの、篠笛、そして、私は、踊ることにした。
全員の、出演である。

勿論、私が、一番目立つ。
何せ、皆の、前に出て、踊る。踊る。

後で、辻さんから、先生のための、裏方だったと、言う。
辻さんの、前を、行ったり来たり・・・

皆の目が、私に向かう。

すべてが、終わり、記念写真を撮る。

若い女の子の、エネルギーを、久しぶりに感じた。

残った、衣服は、他の生徒たちに、差し上げてくださいと、校長先生に言う。

皆さんは、私たちを、見えなくなるまで、見送ってくれた。

日本語、英語、タイ語、それぞれの、民族の言葉が、入り乱れる、お別れである。

車に乗り込むと、矢張り、汗だくだった。



posted by 天山 at 00:00| チェンマイの風 平成22年10月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇陛下について60

相違点は本質的には一つしかありません。幕末の日本人に要求されたのは「世界標準にキャッチアップすること」であり、明治末年の日本人に要求されたのは「世界基準を追い抜くこと」であったということ。これだけです。
日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から領導することが問題になると思考停止に陥る。ほとんど脊髄反射的に思考が停止する。あたかも、そのようなことを日本人はしてはならないとでも言うかのように。あたかも、他国の範となることが日本人だけには禁じられているとでも言うかのように。そのようなことをしたら日本人はもう日本人ではなくなってしまうとでも言うかのように。
内田

鋭い分析。

更に、
この脊髄反射的な無能化から、私たちはこれが民族のアイデンティティにかかわる問題だということを察することができます。というのも、長期にわたる国益を損じても守らなければならないものがあるとすれば、それは論理的には一つしかないからです。それは国益を享受すべき当の主体です。日本人が国益を損なっても守ろうとするものがあるとすれば、それはひとつしかありません。それは日本です。
内田

そこから、日清戦争後の、日本の、歩みを、
日本はそのあと韓国を併合し、満州国を建国し、インドシナを抑え、フィリピンを制し、大東亜共栄圏と称して「あまねく東洋を威服せん」としました。私たちが忘れてはならないのは、その行為の邪悪さや愚かしさではなくて、それらの行為がすでにその三十年も前に国際世論によって正確に予測されていたという事実です。・・・どうして予見できたかというと、それら一連のアジア戦略は「帝政ロシアが日露戦争に勝って、そのまま満韓を支配した場合にしそうなこと」だったからです。事実、日本は「ロシアだったらやりそうなこと」をほとんど一字一句たがえずにそのあと満韓において再演したのでした。
内田

更に、
だから、この作業は本質的には「キャッチアップ」なのです。ロシアが制定してくれた「世界標準」に追いつこうとするとき、日本人はきわめて効率的に知能を使うことができる。指揮系統が機能していなくても、出先機関が動けたのも、出先機関の「暴走」を参謀本部が糊塗し、軍略全体のうちに位置づけることができたのも、彼ら全員が「見えざる台本」を共有していたからです。
内田

陸軍の、暴走も、然りであると、言う。
このまま、この方の、論調に、のめり込んでしまいそうである。

確かに、
その中に「諸国民に先立って、日本が人間としての範を示すべきこと」を提言している人は一人もいません。もし「日本が諸国民に卓越している」というのがほんとうなら、これまでどの国みのどの国民も思いついたことがないような種類の、真にオリジナルな、そして同時に真に普遍的な、国際社会の行く末をあかあかと照らし出すような理念やプログラムが日本人によって提言されていていいはずです。でも、この「世界に冠絶する」日本のナショナリストたちが提言しているのは「他の国が「こんなこと」をしているのだから、うちも対抗上同じことをすべきである」という提言だけです。それだけです。・・・
内田

要するに、日本人は、他を見て、これからの、行為を思考するというのである。
一見、胸のすくような、観察と、洞察である。
さらに、批判である。

だが、そこにある、共生と、調和ということを、考える日本人という、評価は無い。

ヨーロッパ思想史が教えてくれるのは、社会の根源的な変革が必要とされるとき、最初に登場するのはまだ誰も実現したことのないようなタイプの理想を今ここで実現しようとする強靭な意志を持った人々です。
内田

これは、比べられないものを、比べるという、あまりに、無謀な、考え方である。

この方も、辺境人の一人であるから、最もなことであるが・・・

日本の、適当な、識者や、思想的偏りの、人々に対して、の、批判なのであろう。

幕末から後で、自分の言葉であるべき社会像を語り、それを現実に繋げ得たのは坂本竜馬の「船中八策」くらいでしょう。
内田

この方は、横の、関係のみ、見るが、上下の関係は、見ない、見えない。

天皇のお言葉・・・
明治天皇の、五箇条のご誓文に関しては、見ない。

真にオリジナルな、そして同時に真に普遍的な、国際社会の行く末をあかあかと照らし出すような理念やプログラムが日本人によって提言されていていいはずです。
と、言うが、それでは、ご自分が、打ち出してみると、いい。

この方も、辺境人なので、それは、出来ないらしい・・・

今まで、様々に、分析された、戦争のことがらに、対して、新しい思考法で、論じているが、軍部の暴走などは、何故、そのようになったのか、実によく分析されている。

日本は、激しい利害関係を、体験しないできたのは、島国だからであり、それは、何も、卑下することではない。
さらに、空気で、決めるということも、問題ない。

歴史は、確定しているのである。
その、確定している、歴史の事実を、どのように、理解するのも、自由である。

日本の右翼左翼に共通する特徴は、どちらも「ユートピア的」ではないこと、「空想的」でないことです。すでに存在する「模範」と比したときの相対的劣位だけが彼らの思念を占めている。
内田

右翼左翼を、相手に、こんなことを言うのは、辺境人らしい。

そんなもの、ことを、相手にしていられないのである。

兎に角、横にしか、批判が向かないのである。
上下というものの、感覚を見失っている。

勿論、その分析は、聞くに価する。
しかし、分析は、分析で、終わる。
最後まで、分析して、そして、辺境人の、特徴をさらに、生かすことだとは、いい気な、商売である。

物書きの、限界を、示した意味では、とてもよい、評論である。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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