2010年10月03日

チェンマイの風 3

翌日から、チェンマイでの、朝の食事は、ホテルで、食べることにした。
というのは、泊り客には、チケットを買うと、二人分が、食べられるという、特典があったからだ。

しかし、支払いの時に、どうも、腑に落ちない。
私が、それを、理解していなかったのである。
要するに、同じ物を、二人が注文すると、一つの料金でいいというもの。

別なものを、注文すると、それぞれの、値段になるのである。
だから、四日目の朝、私は、フロントで、喧嘩をした。
日本語で、大声で、怒鳴った。
説明不足だ・・・

英語で、通訳するコーターに話し掛けて、私の方を見ない。
タイ人は、大声を嫌う。

まあ、そんなことは、いつものこと。

三日目の朝、ホテルのレストランの外で、アメリカンブレックファーストを注文する。
コーヒーを、飲みつつ、タバコを吹かす。

すると、辻さんが、やって来る。
それから、コータが、来た。
最後に、千葉君が、来た。
四人揃って、朝ごはんである。

八時を過ぎると、日差しが、強くなる。
ターペー門沿いを走る、朝のラッシュを眺めながら、食べて、話す。

昨日の、追悼慰霊の話である。
辻さんは、もう一度、行くべきだとのこと。
次回も、藤田さんの、慰霊碑に行くべき。
その理由は、人があまり、訪れない場所であり、慰霊碑として、寂しい感じがするという。

結界を張る時に、辻さんに、塩を撒いてもらった。
四方に、私が、御幣を置いて、その後を、塩で、清めたのである。

そうねーーー
私は、答えた。
私の中には、行くべき所が、沢山あるのである。
ミャンマーの、マンダレーに早く行かなければならないとか・・・

来年のことだから、また、来年考える、という、感覚である。

三人は、おかゆを食べている。
私だけが、一番高い、アメリカンブレックファーストである。
それで、腹が一杯になる量である。

今日、三日目は、サンサーイ県にある、山岳民族子女職業施設での、衣服支援と、メーリム寺の境内にある、戦没者慰霊の、お地蔵さんのところに行く。

女子物であり、寒い季節のものを、大量に持参して来た。
更に、伺う前に、生理用品を買ってゆく。

おおよそ、300名ほどが、そこで、暮らし、学んでいる。
全員が揃うことはない。
今日は、100名程度ということだった。
それなら、間に合うと、思った。

出発は、同じく、午前11時である。

辻さんと、そのための、準備をしなければならない。
衣服の仕分けである。
おおよそ、女子物は、辻さんに、任せていたので、簡単に出来る。

あらかじめ、船便で、送っていたものは、私の勘違いで、二箱ともに、子供物だった。
本当は、一箱が、子供で、もう一箱が、寒い季節の男物だったはず。
しかし、それが、大変助かることになる。

カレン族村用に、用意したものだ。

部屋に戻り、辻さんと、仕分けをする。
辻さんの、大きなバッグと、二つのバッグが、女子物である。
更に、それに、私の持ってきた物を、少し足す。

そして、今日は、千葉君に、ギター演奏をして貰う、と共に、辻さんには、歌ってもらう。
そこで、私が、踊ることになるのか、どうかは、その時に、決めることにした。

前回、私は、次は、日本の踊りを見せますと、言っていたのである。

小西さんは、必ず、早めに来ることを、知っている私は、早めに、荷物を、一階に下ろすことにした。

武士は、遅刻はしないのである。
小西さんは、武士である。
小柄であるが、合気道と、タイの、ムエタイ、つまり、ボクシングを身につけている。
喧嘩をすれば、どんな大男でも、やられるはずだ。

矢張り、小西さんは、11時前に、到着した。
運転手の、おじさんも、同じく、到着である。

早速、支援物資を、車に積み込み、生理用品を買うため、卸売りの、市場に向かう。

生理用品の、見定めは、辻さんに、任せる。
男には、どれがいいのか、分からない。

辻さんは、三種類の生理用品を選んだ。
説明を受けるが、よく分からない。
小西さんが、数を数えてくれた。

それぞれ、600個である。
料金は、約2000バーツ、6000円である。

私は、その他に、小西さんの奥さんの、お母さんにと、お菓子を買った。
カレン村に行く時の、お土産である。

生理用品を車に、積んで、施設に向かった。
町を、抜けて、自然溢れる場所にある。
とても、良い環境である。

昨年来た道を、思い出した。
林を抜けて、森の中に入るようである。





posted by 天山 at 00:00| チェンマイの風 平成22年10月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇陛下について59

ひねくれた考え方ですけれど、華夷秩序における「東夷」というポジションを受け容れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得したというふうには考えられないか。朝鮮は「小中華」として「本家そっくり」にこだわったせいで政治制度についても、国風文化についてもオリジナリティを発揮できなかった。それに対して、日本列島は「王化の光」が届かない辺境であるがゆえに、逆にローカルな事情に合わせて制度文物を加工し、工夫することを許された(かどうかは知りませんけれど、自らに許しました)。
内田 樹

このように、日本を、辺境の地と、捉える考え方から、日本を見詰めるという、作業は、尊敬する。
ただ、それに、いつまでも、拘泥し、さらに、それで、いいではないかという、この方の、論旨には、すべて、賛成できるわけではない。
だが、参考に、見てみる。

この国際社会における微妙な(たぶん無意識的な)「ふまじめさ」。これはもしかすると、辺境の手柄の一つかもしれないと私は思うのです。はるか遠方に「世界の中心」を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまず確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか。・・・・例えば、この「コスモロジカルな劣位」を逆手にとって、自己利益の追求に専心するという生存戦略は1945年の敗戦のあとに日本人が採択して歴史的成功を収めたものだからです。
内田

それでは、その後に、書いている、
私たちは現にアメリカの「核の傘」の下で軍事的安全を享受しています。政府は核拡散には反対しても、アメリカが核を保持することに反対したことはない。それどころか、近年では日本の自主核武装の必要を論じる政治家や評論家がおり、その支持者たちがいる。そして、たぶん誰も反対しないのは、第二次世界大戦末期にもし日本が原爆を開発していたら、大本営はそれをニューヨークやサンフランシスコのアメリカの非戦闘員の上に落とすことをためらわなかっただろうし、当時の日本国民はそのニュースを歓呼の声で迎えただろうということです。そういう国民が発信する「核廃絶」のメッセージが国際社会に対して指南力を持つことはむずかしいだろうと私は思います。
内田

上記は、とても、おかしい。

日本国憲法は日本人が書いたものではありません。これは護憲派も改憲派も事実関係ではもう争ってはいません。GHQのニューディーラーたちがその当時の憲法学の最先端の知見を総動員して、人権宣言や独立宣言やワイマール憲法やソ連憲法を素材にして起草したものです。間違いなく、理念としては実にすぐれたものです。でも、これは日本人が作ったものではない。日本人がそれまでの歴史的経験を踏まえて、その叡智を集結して、長期にわたる国民的合意形成の努力の果てに、振り絞るようにして世界に宣言したものではありません。敗戦の結果、われわれよりも文明的な上位にある国から「下賜品」として与えられたものです。
内田

「コスモロジカルな劣位」を逆手にとって、自己利益の追求に専心するという生存戦略は1945年の敗戦のあとに日本人が採択して歴史的成功を収めたものだからです。
と、書いている先から、上記のような、実に多弁な、論理的な、意見を書くという、姿勢に、私は、頭だけの、思考作業と、判断する。

文明的な上位にある、国から、下賜されたとは・・・
文明的に、上位にある国とは、アメリカ、その他西欧諸国のことか・・・

中華の、辺境、更に、アメリカ、連合国の文明を上位として、解釈するという・・・

更には、原爆が日本にあれば、当然使用した・・・

それを、前提にして、論理的に、書く、思考するというのは、血の通わない、人間が、頭脳だけで、言葉を、遊ぶものだということを、知らない。

敗戦後の、思想家たちの、基本を踏まえて、辺境論を論じるのだろうが、辺境意識を、いつまでも、持つというような感覚に、私は、この方の、知性の、辺境と、偏狭を、見るのである。

そういう国民が発信する「核廃絶」のメッセージが国際社会に対して指南力を持つことはむずかしいだろうと私は思います。
と、何故、そのように言えるのか。

そういう国民・・・
つまり、原爆を持っていたら、使用したであろう、国民が・・・
ということ。
信じられない、蒙昧である。

もし、歴史が、こうであれば、云々・・・という、お話しに、現実味を感じて書くと言う神経は、ただ事ではない。

原爆は、無かったのであり、使用したくても、出来なかったのである。
現実は、原爆を使用しなかったのである。

それを、前提として、書くことが、出来るならば、何とでも、書ける。

更に、
日本人がそれまでの歴史的経験を踏まえて、その叡智を集結して、長期にわたる国民的合意形成の努力の果てに、振り絞るようにして世界に宣言したものではありません。
この方は、一体、何を言いたいのであろうか・・・

敗戦後の、日本の状態を、何も、把握せずに、いや、その前に、
この「コスモロジカルな劣位」を逆手にとって、自己利益の追求に専心するという生存戦略は1945年の敗戦のあとに日本人が採択して歴史的成功を収めたものだからです。
と、書いているではないか。

劣位・・・
この方の、書いたものは、反日精神であると、判断するしかない、のである。

そして、読者を、騙すのは、辺境人で、いいじゃないか・・・
そうして、これからも、生きてゆこう、である。

自虐史観と、何の変わりも無い。

思想的にも、戦略的にも、何もなく、ずるずると、戦争に突入した。
そういう国が、日本という国である。

生存者の、戦記を読んでいて、そのような、書かれているのを、読む時に、私は、そこに佇むが、この方は、戦争体験もせず、単なる、言葉の寄せ集めを、読んで、更に、遊びとして、このようにして、日本を、堕落させるのである。

それに関しての、具体的な、この方の書いた戦争の分析を、読んでみることにする。

posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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