2010年09月05日

あらっネグロス島へ 5

追悼慰霊は、三度、行った。

一つは、セブシティの港に面した、サンチャゴ要塞跡である。
そして、トゥマゲッティのビーチにて、ビサヤ諸島の海で、亡くなった、皆さんの、である。
更に、トゥマゲッティから、セブ島に渡る、船から、早朝、私とコータが、それぞれ、別の時間に行った。

サンチャゴ要塞跡は、スペイン統治時代のものであるが、日本軍が占領していた時、捕虜収容所として、利用された。
大砲が、そのまま、残る。

薔薇の花を、御幣として、清め祓いを行った。
更に、その付近、港付近に住む人たち、特に、子供服を持参して、手渡した。

丁度、慰霊を終えて、港に向かうと、多くの人たちが、いた。
薔薇の御幣を、海に戻してから、その傍に行くと、生まれたての、赤ん坊がいた。

即座に、幼児物を取り出して、渡すと、その母と、祖母であろう、とても、喜んだ。
すると、私も、私もと、人が集まる。

トゥマゲッティのビーチの朝、人がまだ、まばらな時に、長い祝詞を唱えて、追悼慰霊の儀を行った。

その際は、日の丸だけを、掲げた。

周囲の人たち、海で泳いでいた、子供たちも、注視していた。

無事に済み、再度、早いうちに、激戦地だった、コバロド、シライ市のシライ川で、慰霊を行おうと、思う。

海上慰霊は、勘違いによるもので、セブ島に戻る船の上で、行った。

それは、セブシティに帰る予定の日に、フライトが無いと、分かったからだ。

9日に、戻るはずが、チケットを見ると、8日になっていて、すぐに、セブパシフックに、問い合わせた。
すると、9日は、フライとが無いという。
それでは、何故、受付の女が、説明しなかったのか・・・

いや、したのかもしれないが、ペラペラ英語が、聞き取れなく、そのまま、勘違いしてしまったようだ。

8日の、夜七時頃から、慌てふためいた。
どうする・・・

コータが、フロントに相談に行く。
すると、深夜12時に、出発する、セブシティ行きの、船があるという。
それに乗るしか、方法が無い。

急いで、帰り仕度をする。

フロントの女性は、親切で、コータを連れて、船乗り場まで、行き、二人分のチケットを取ってくれた。

11時までに、乗船すること。

その間の、私は、ベッドで、寝ていた。
おおよそ、10時過ぎまで。

コータに言われた。
大物だね・・・こんなときに・・・である。

支援物資が無くなったので、荷物は、軽い。
バイクタクシー、トライシクルに乗り、船乗り場まで、行く。
乗船すると、すでに多くの人が、乗っていて、四段ベッドに寝ていた。

私たちは、300ペソの最高の部屋である。
エアコンが効いている部屋。
私は、個室かと、期待したが、大部屋である。

そこにも、すでに、人々が、眠っていた。

これは、大変だと、思った。
その船の揺れである。
船酔いする可能性あり。

すぐに、薬を飲む。
兎に角、眠ればいいと。

そして、そのまま、眠った。
私は、大物である。
船酔いせず、眠った。というより、薬のお陰で、大物に成る。

船が海上を走る、大きなうねりを感じたが、眠り続けた。
目覚めたのが、朝の六時頃である。

コータが、寝ているので、起こさず、甲板に出て、日の出を拝し、慰霊の、黙祷を捧げる。

その前に、コータが、起きて、一人で、慰霊をしたと言った。

兎に角、無事にセブシティに到着し、翌日の帰国便にも、乗れることになった。

そこで、最後の、宿泊を、セブ島の、観光地、マクタン島のホテルに泊まることにした。だが、観光地のホテルは、高い。唯一、調べたホテルの中で、1200ペソ、2400円の、ホテルを目指した。

港から、タクシーに乗る段になり、私は、また、大声を上げた。
一人のタクシー運転手が、マクタン島までなら、550ペソと、言ったからだ。

空港の、タクシークーポンでも、390ペソである。
コータが、抗議したが、私は、怒鳴りつけた。

勿論、日本語だから、相手は、解らないが、それでも、怒っていることは、解る。

そうすると、一台のタクシー運転手が、メーターで行くという。
即座に、そのタクシーに乗り込む。

メーターで、行けば、200ペソ以内で行けるのである。

どこでも、タクシー運転手を、怒鳴りつけるようになった。
外国人からは、三倍程度、頂くと、決めているようである。

ジャカルタの、空港でも、タクシークーポンを買えと、おじさん二人に、詰め寄られ、私は、何と、おじさんの肩を、押して、私は、メータータクシーで、行くのだと、怒鳴った。

周囲の人たちからも、笑い声が聞こえた。
おじさんたちは、その上がりで、生活しているのである。

それも、理解するが、私は、貧乏旅行である。
妥協できない。

バリ島でも、運転手を、怒鳴り続けた。
そして、やっと、メーターを下ろした。

それ以後、バリ島で、タクシーに乗ると、皆、メーターを下ろす。
どこかで、情報が、行き渡っているのか・・・

着物を着た、髪の長い日本人の男には、注意せよ・・・

ただ、最初から、真っ当な料金で、乗せる運転手には、必ずチップを渡す。

荷物があるから、タクシーに乗るが、なければ、バスや、公共の乗り物に乗る。
ホント、旅の移動は、大変である。




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神仏は妄想である 294

天地創造、そして、人間を造りたもうた、神というモノに、徹底的に対決した、一人の作家がいる。

マルキ・ド・サドである。

ぼくは思うに、このけがらわしい宗教の神というやつは、今日一つの世界を創造したかと思うと、明日はその出来栄えを後悔するといった態の、およそ無定見で野蛮なやつでないとしたらいったい何だ?けっして人間を思うとおりに仕込むことのできない、力の弱いやつでなくて何者なのだ?神から出たにもせよ人類は、かえって神を支配しているよ。

まさに、創世記の神の、技は、実に、矛盾している。
しかし、キリスト教司祭、牧師は、言う。

神は、人間に最大の愛である、自由意志を与えたと。

その自由意志で、人間が、神の愛を受け入れることが、信仰である。
更に、人間の罪を、我が子を使って、救うという、その愛の行為・・・

とてもとても、妄想なのである。

人間の、原罪というもの・・・
生まれながらに、罪人であるという、観念は、ただ事ではない。

人間には、罪を犯す、種を持つものである。だから、罪人・・・
あらゆる、キリスト教作家は、そこに、問題意識を見出して、小説を書くという、アホ振りである。

その人間存在の、根底にある、原罪というものを、いかに、観念するか、である。

この、人間の自虐性は、どこからのものか。

原罪説というものも、教義の一つである。
最初から、それが、存在していたのではない。

教父といわれる、神学哲学者によって、作られたものである。

それでは、サドの続きである。

神の意志にそむき、そのために地獄の苦しみをなめることだって、人類にはできるのだから!神様としたことが、何とまあ意気地のない、何とまあ情け無いことだろうね!われわれの眼にふれるありとあらゆるものを創造することができたというのに、人間一匹思い通りに作りあげることができなかったとは!しかしあなたはそれに対してこう答えるかもしれない。もし神が人間をそんなふうに立派に作りあげてしまったら、人間の価値というものをどこに求めたらいいのだろう、とね。じつに愚劣な議論だよ。第一、人間がその神にふさわしく立派にあらねばならぬ必要が、どこにあるだろうか?もしも、人間をまったく善良に作りあげさえしたら、人間はけっして悪事をはたらくことができなかっただろうに。そうしてこそ初めて、人類創造という仕事は、まことの神の事業というに辱しからぬものであったはず。人間に選択を許すということは、人間を試みることだ。ところで神は、端睨すべからざる先見の明をお持ちなのだから、その結果がどうなるかというようなことは、いちいち分かっていたはずだ。

リチャード・ドーキンスとは、また、別な形で、創世記の矛盾を突くのである。

勿論、それに対して、キリスト教側は、妄想逞しく、反論する。

そうしてみると、神は自分でつくった人間を好んで堕落させているということになる。何という怖ろしい神だろう。この神様というやつは!何という酷いやつだろう!むしろわれわれの憎悪と容赦なき復讐を受けてしかるべき極悪人だよ!しかもそいつは、神としての最高至上の勤めには満足しないのか、改宗させるためには人間を大洪水で溺れさせたり、業火で焼き殺したり、呪いを唱えて禍を被らせたりする。

嫉妬と裁きの、神であるとは、神自ら、聖書の中で、語る。
人格神とは、よく、言ったものである。
人格神で、全知全能であるはずがない。
つまり、完全な人格というものは、無いのである。

人格神ということ、自体に、矛盾がある。

更に言えば、全知全能であれば、次元も質も違うということで、全く、人間と、接する何物も無いのである。

しかし、そうまでしても、人間を変えることはさっぱりできない。だからこの醜悪な神よりももっと力強い存在たる悪魔が、相変わらずその勢力を失わず、相変わらずその創造者を見くびって、もって神の子羊たる人間どもをさまざまに誘惑し、絶えず堕落せしめることもできるというわけだ。われわれにはたらきかけるこの悪魔の力に打ち克つことは、何物をもってしても不可能だ。するというと、あなた方が口をすっぱくして唱えるあの怖ろしい神は、このときいったい何を考えているのかしら?神にはひとり息子がある。どんな交渉から生まれたものかとんとぼくは知らないが、ともかく一人息子だ。何のことはない、人間は自分がマグアイするものだから、自分たちの神も同じようにやることを望んだわけさ。神は自分自身のこの尊い部分を天国から下界へつかわした。ひとびとは想像した、この崇高な神の子はおそらく天上の光に乗って、儀杖の天使たちに取り巻かれて、全世界の衆目を集めながらその姿をあらわすのだろうと・・・・しかるに、何ぞはからん、救世主として地上へやってきた神が姿をあらわしたのは、ユダヤの淫売婦の腹の中であり、汚らしい豚小屋の中だったとは!これが実に世に伝えられる神の子の素性だとは!それはそうと、彼の栄光ある使命によって、いったいわれわれ人類は救われるのだろうか?

ここから、実に、興味深い、サドの、イエス・キリストに関する、問い掛けが行われる。

つまり、彼は、イエスは、何を言い、何をしたのか。この男から、どんな使命を授かったのか。どんな霊妙な教えを彼は告げたのか。どんな教義を規定したのか。要するに、どんな行為のうちに、彼の偉大さが、発揮されたのか・・・である。

ぼくの心に浮かぶのは、まず第一に、少しも知られていない少年時代と、この悪童がエルサレムの寺院の坊主どもにしてやったにちがいない、きわめて淫らなある種のお勤めと、次に十五年間の逃亡だ。この山師は行方をくらまして十五年、その間エジプト学派のあらゆる妄想にかぶれて、やがてこれをユダヤに持ち帰ったらしい。そしてユダヤに姿をあらわすやいなや、彼はわれこそは神の子であり、父なる神と等しきものである、などとほざき、かくしてその狂気沙汰がはじまるのだ。あまつさえ彼はこの神の子との組み合わせに、さらにもう一つ聖霊と称する化物を付け加えて、この三つの位は一体にして分かつべからざるものであると断言する!この哂うべきマヤカシがわれわれの理性に怪奇に響けば、いよいよこの下司な男は、それを受け入れることの功徳を主張し・・・それを棄てることの危険を力説する。神であるにもかかわらず、ひとの子の腹に宿って肉身となったのは、全人類を救済するためであり、やがて自分によって行われるでろあう目覚しい奇蹟の数々は全世界を承服させるであろうと、この男は断言する!

これは、文学である。
だから、救いがある。
しかし、サドが、宗教家として、説教をするというのであれば、救いは、無い。

実に、烈しい、皮肉である。
それには、当時の、聖職者たちの、堕落の最たる時代であるということも、ある。

私は、ここで、新訳聖書当時の社会情勢、状態を鑑みることで、更に、イエスという、人間に、迫ってみる。
勿論、マタイの福音書を、理解するためである。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇陛下について 36

天皇陛下の、全国行幸は、敗戦の焦土の中で、随分と、不便と、難儀を伴った。

地下500メートルの炭鉱の最先端まで、降りて、炭鉱夫をねぎらい、田圃のあぜ道、漁村の水揚げ場へも、出掛けて、農漁民を、慰めた。

ソフト帽を無造作に、つかんで、会釈する。
型が、崩れて、毎晩それを、内舎人や、侍従が、直すのである。

カンカン帽は、すぐにツバが、ガタガタになった。

さて、私は、天皇行幸の、詳しい様子を、書きたいと、思う。
佐賀県の、因通寺に、行幸した様子である。
それは、後で、書くことにする。

その前に、天皇行幸についての、評価と、反応について、少し書くことにする。

天皇の、国民からの、絶大な人気を、アメリカはじめ、連合国側に、再認識させたということである。

他の敗戦国とは、異を事にした。

自殺した、ヒトラー、ムッソリーニーは、民衆に虐殺されて、三日間も、公園の木の枝に、逆さづりになり、石を投げられた。

イタリア王は、国外に追放である。
長男が即位したが、一ヶ月で、廃止された。

敗戦国ではないが、ベルギーのレオポルド国王も、戦後、その対独協力を、国民が許さず、長い間、国外から、留位を画策したが、退位し、長子に譲位せざるを得なかった。

それらの、悲惨な末路に、引き換え、日本のみは、国民が、全国津々浦々で、天皇を歓迎し、熱狂して、迎えた。

欧米の人たちは、それが、理解できず、不思議だった。

イギリスの新聞は、
日本は敗戦し外国軍に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群集は天皇に対し超越的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。

GHQが、天皇巡幸を、認めたのは、天皇の人気をはかるバロメーターにしようとしたからである。
そして、それにより、占領政策における、天皇の位置と、近くはじまる、極東国際裁判での、処遇を決めるためであった。

ソ連をはじめ、一部の連合国は、強硬に、天皇の戦犯要求を出していた。

GHQは、何よりも、占領行政における、天皇の利用を、考えていたのである。

そして、その様を、見て、
天皇の存在は、米軍20個師団の駐留にも匹敵する
という、マッカーサーの、嘆賞を証明することになった。

更に、期待を、裏切られたのは、共産党である。

必ず、人民の反発を引き起こし、失態を晒すと、考えていた。
ところが、全く違う。
彼らは、いつも、予想を間違えるが、それを、認めない。

天皇が侵略戦争の最大の責任者であるのに、最近各地に出動して自己の責任を棚に上げて、人民に呼びかけている。天皇のかかる行動は、天皇制護持の旗をかかげ、日本の民主化を挫折させようとする反動政党のための選挙運動に他ならない
と、意味の無い、悲鳴を上げた。
焦燥感。
しまいに
天皇は箒だと、ののしる。

歓迎のために、街や道路が、綺麗になるからである。

共産主義者は、天皇を廃止するとの、考え方であるが、共産主義より、民主主義より、天皇親政は、民に、平等で、民のために、存在するという、存在が、天皇であると、知らない。

ここに、大きな誤りがあるが、それを、知らない。

大和朝廷以前からの、富士王朝という、長い、古代史の中で、築かれてきた、すめらみこと、の、存在意義を、知らないし、知ることも、拒否する。

実に、その愚かさは、無明である。

理想的な、政、まつりごと、を、天皇親政が、行っていたという、歴史的事実を、理解しないのである。

だが、一般国民は、無意識に、それを、見抜いていた。
天皇は、国民の、最大の権威であり、最大の、味方であると。

帝の、承認のない者は、天下を、治められないのである。
その、帝を、擁立したのは、民である。

日本民族の、知恵が、天皇存在を、承認したのである。

民は、天皇に、すべてを、託した。そして、託してよい、存在なのだ。
何故なら、陛下は、唯一、民の側に着く方である。

上下の思想。
上は、天皇であり、下は、民である。

今は、政治家というもの、その中間に位置する。
いや、征夷大将軍と、許される者も、その中間に位置するのである。

朝廷、帝、天皇に、許されなければ、政治を担当できない。
明治維新が、成ったのも、天皇あれば、のこと。
そうでなければ、いつまでも、戦が続いた。

その内乱を予想して、商売をするというのが、イギリス商人たちだった。
ところが、明治維新は、成った。
天皇を、戴いて、明治政府が樹立された。

戊辰戦争にて、最後まで、抵抗した、会津藩も、王氏に逆らうこと、子々孫々までの恥であるとの、仙台藩の、説得に応じたのである。

いかに、薩長同盟であろうが、今それ、帝に、逆らうことになるとはと、藩主、容保は、恭順を示し、降参したのである。

帝、天皇の存在が、日本には、必要なのである。
それが、知恵であること、民が一番知っている。

無形の権威というものが、日本の歴史を支え、日本精神を、支え、そして、日本という、国を、創造してきたのである。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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