2010年09月21日

天皇陛下について47

歴史を見る目を、いつから、日本人が、西洋の側から、見るようになったのか。
明治維新である。

明治維新自体は、とても評価できることだった。
しかし、西洋文明を取り入れることも、評価できたが、その裏にあるものまで、見なかったことである。

最悪なのは、福沢諭吉である。
西洋文明とは、一に蒸気機関車、二に電信、三に鉄道、そして軍艦、洋式軍隊と、物質文明のみを、取り上げた。
そして、西洋文明を取り入れなければ、インドのように、植民地になるしかないと、言う。

彼の目には、西欧の物質文明と、科学技術、社会制度のみ、見た。
そして、白人社会、キリスト教の本質である、野蛮さ、残虐性を、見なかった。

さらに、それらが、西欧自らの、力によって、得られたと、勘違いした。
それらは、すべて、植民地を食い物にして、得られたものであることを。

それを、見ずして、ただ、単純に、西洋かぶれの、歴史学者たちのよって、西欧の歴史が、光り輝くように、教えられた。
西洋史観という。

そして、その大元は、アジア蔑視、アジア野蛮論であり、西欧の優位性を正当化するものである。

今の今まで、その教育がされているという、悲劇である。
日本人は、欧米諸国を批判できないものとして、洗脳された。
西欧は、善であるという、考え方を、今、砕くときである。

それが、自国の学者たちによって、為されたという悲劇もある。
日本の伝統文化の、蔑視、否定、西洋礼賛の、歴史観である。

だから、私は、少し、西欧の、キリスト教文明が、行ったことを、紹介する。

人類文明の、発祥は、シナ文明、インド文明、メソポタミア文明、エジプト文明である。
世界の四大文明である。

西欧には、長く、文明が育たなかった。

15世紀の、ルネサンスが全盛を向かえるまで、西欧は、野蛮な未開の地であった。

中世までは、オスマントルコ帝国、ペルシャ帝国、モンゴル帝国など、東方文明に、適わなかったのである。

巨大な、アジアの帝国の、ヨーロッパ進出により、東西交易、人間の交流が、活発になり、中国の、絹、陶磁器、南洋の香辛料などの物産と共に、東方の学問、技術が、入る。

これが、やがて、ギリシア・ローマの古典文化を指導理念とする、ルネサンスに結びつくのである。

何と、ギリシアの古典は、アラブから、もたらされるという、逆説である。

であるから、それ以前は、暗黒時代なのである。

15世紀に入り、ようやく、ヨーロッパが目覚め始めた。
東洋には、適わない、しかも、東方からは、モンゴル、イスラム勢力が迫り、東への道は、閉ざされている。このままでは、征服されてしまう、と、考えたのである。

そこで、海洋に新天地を、求める。
大航海時代の、幕開けである。

その要因は、二つ。
黒死病、ペストが、モンゴル軍の西欧遠征によって、もたらされ、14世紀半ばに、大流行して、人口の三分の一、約、三千万人が、死亡する。
この病に、最も効くと信じられたものが、胡椒をはじめとする、香辛料である。

当時は、アラビア商人が、独占的に、扱っていた。
それは、非常に高価なものである。

ペストの、大流行により、高価だった、胡椒の値は、急騰する。
西欧の、商人、王たちは、東南アジアの産地に達する新航路を発見して、直に取引を願っていた。

そして、もう一つが、マルコ・ポーロの「東方見聞録」である。
この書の中で、東洋の島、ジバング、つまり、日本の豊かさ、文明の高さを驚嘆する。

当時は、鎌倉時代中期である。

ルネサンスは、目覚めを、促した。
科学技術の発見である。
火薬、羅針盤、活版印刷など・・・

技術革新が起こる。

火薬と、羅針盤は、航海時代の、幕開けを促した。

最初に、海原に、乗り出したのは、スペインとポルトガルである。
イタリア生まれの、コロンブスは、スペインのイサベル女王の援助を受けて、1492年、サンタマリア号以下、三隻の船で、東洋へと、旅立つ。

コロンブスは、アメリカ大陸に、到着し、そこを、インドと勘違いして、先住民族を、インデアン、カリブ海の島々を西インド諸島と、名づけた。

コロンブスの旅は、最初から、収奪が目的である。

スペインの、フェルナンド国王との間で、新たな地域を発見し、富と資源をスペインにもたらせば、その十分の一を、取得できるという、契約を交わしていた。

コロンブスは、珍しい動植物と共に、快く迎えた先住民族を、奴隷として、連れ帰る。

これを、最初として、スペイン人の、中南米での、強奪がはじまる。

コロンブスの、航海後、間もなく、西インド諸島を、征服し、1521年には、メキシコのアステカ帝国、1532年には、ペルーのインカ帝国を、征服する。

征服に次ぐ、征服により、スペインは、16世紀前半には、広大な海洋帝国を、形成したのである。
ヨーロッパ最強の、国に伸し上がるのである。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

天皇陛下について48

イベリア半島の最先端の国、ポルトガルは、早くから、海に、発展を求めていた。
スペインが、東方へ西航路で、向かっていた時、ポルトガルは、東航路で、東方へ、向かった。

多くの探検家を、アフリカ大陸に派遣していたポルトガル。
喜望峰を廻る、東への航路の開拓に、熱心で、1498年、バスコ・ダ・ガマが、喜望峰を廻り、インドの西、カリカットに到着し、インド洋貿易の道を、開く。

1511年、マレー半島の南端、マラッカに達し、マラッカ王国を占領する。
ここを、貿易の拠点にし、南シナ海に出て、1557年、シナのマカオを奪う。

マラッカ王国は、15世紀に成立し、スマトラ島バレンバン、ジャワ島を支配して、東南アジア貿易の交易国家として、栄えていた。
この、マラッカ王国を、侵略したことにより、ポルトガルは、東南アジアの香辛料により、莫大な利益を手にした。

それに、遅れをとった、スペインは、ポルトガル人の、マゼランを援助して、西回りの航路の発見を、命じる。

マゼランは、南アメリカから、太平洋を横断して、サイパン、テニアン、グアムの島々で、海賊行為をしつつ、1521年、フィリピン、セブ島に到着する。

上陸したマゼランは、島に十字架と、スペイン王室の標識を立て、スペイン領の宣言をする。
しかし、先住民との、戦いで、毒矢にあたり、死亡する。

その後、マゼラン隊は、隊長を失い、フィリピンを離れて、念願のスパイスの島、モルッカ諸島に到達する。

マゼランは、スペインの、侵略、植民地化の、手先であり、偉大な冒険家でも、なんでも無い。

その後、スペインは、マゼランが発見したということを、根拠に、セブ島、ルソン島などを、1571年に、自国領土とし、スペイン王、フェリペ二世の名にちなみ、フィリピンと、命名し、その後、330年間、植民地支配を続けた。

植民地化を、争う、スペインと、ポルトガルは、次第に、衝突を始める。
この、ローマ教会の下にある、両国の争いの、調停に乗り出したのが、ローマ法王、アレクサンドル六世である。

法王は、教書を出して、進出区域を分ける。
トリデシリャス条約である。

アフリカ西岸の、ヴェルデ岬諸島の西方、西経45度を境に、西は、スペイン、東は、ポルトガルである。

しかし、地球は、丸い。
再度、1529年、両国は、サラゴサ協定を結び、東経15度に、もう一本の境界線を引く。

スペイン、ポルトガルの、世界二分割征服の裏には、白人主義と、キリスト教が、深く関与していた。

スペインの、征服は、残虐極まりない、手口である。

先住民は、皆殺し、あるいは、馬牛の如くに、奴隷にされる。
女子どもも、関係なし。

スペインは、上陸すると、黄金を要求する。
それに、インディオたちが、応えても、更に、要求を上げ、留まることを、しない。
インディオたちが、耐えかねて、反乱を起こすと、剣や槍で、殺す。

つまり、反乱を起こすのを、待っているのである。

女性は、強姦されて、殺される。

女子どもを、含めて、先住民の部族を、全員、小屋に押し込め、火を放って、焼き殺す。

あらん限りの、極悪非道振りである。

凄惨すぎて、書くことが、出来ない。

南北アメリカ大陸では、一億人が、虐殺された。

カリブ海に浮かぶ、西インド諸島では、千二百万人の、インディオが、殺された。

独自の、文明を築き、平和に暮らす人々を、根絶やしにして、金銀財宝を根こそぎ、掠奪する。

更に、酷いのは、生き残った先住民を、プランテーション、植民地農場で、強制労働させ、砂糖の収穫で、大儲けする。

スペインの、行為は、まさに犯罪であり、人類史上、最大の暴力である。

その底には、ローマカトリックが、深く関わる。

教会が、侵略に深く関わるのである。
兵士と、司祭が、共に、現地に出掛けて、スペイン語で、綴られた、書を読み上げる。

そこには、教会が、所有権を与えたと、書かれてある。

イエスが、ローマ法王を任じて、ローマ法王が、アメリカ大陸を、スペインに授けたと、記されている。
ローマ法王は、神の代理人である。

更には、キリスト教への、改宗である。

先住民は、従うか、殺されるかの、どちらか、である。

ローマカトリックも、スペインも、ポルトガルも、未だに、この行為に対して、一切の、謝罪も、反省も無い。

更に、驚くべきは、白人主義である。

その教えは、白人に適応されるのである。
愛、自由は、白人に与えられてある。
異民族、有色人種に対しては、家畜と同じなのである。

神に、似せて作られたのは、白人なのであり、他の人間は、人間と、見なさないという、極めて悪質な教えである。

異教徒は、抹殺しても、良いと言う、独善性は、今も、続いている。
白人にとって、都合の良い、教えを、ローマカトリックが、教義とするのである。

創造主を信じないものは、悪魔の一味である。
ゆえに、一人残らず、殺せ、という。

未だに、この白人主義が、内在化していることを、忘れてはならない。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月23日

天皇陛下について49

キリスト教、ローマカトリックの名の下に、行われた、残虐野蛮極まる、歴史的な行為。

私は、カトリック教徒だったが、それを知るにつけて、愕然とした。
歴史の教科書には、一切載らない、歴史史観。つまり、西洋歴史史観によって、目くらましにあっていたのである。

史観が違えば、見方も変わる。

カトリックは、それに関しての、一切の、謝罪も、反省も無い。
それは、また、白人主義だからである。

創造主が、作った人間は、白人であり、色付き人間は、家畜と同じである。
奴隷にしようが、殺そうが、問題ないのである。
更に、創造主を信じ無い者、異教徒も、同じく殺しても、罪にはならない。
罪になるのは、同じ白人、そして、キリスト教徒である。

だが、実は、彼らは、一つだけ、隠していることが、ある。
女も、家畜と同じなのである。
それを、隠すために、レディーファーストなる、作法を作り上げた。

旧約聖書の中での、女の位置は、甚だしく、差別である。

そこには、カトリックが言う、一夫多妻を禁じる法などない。

ただし、ここで、明確にすることは、ユダヤ教徒、キリスト教の違いである。

ユダヤ教を奉ずる、ユダヤ人は、中東のカナンの地である。
そこは、厳しい砂漠地帯である。

メソポタミア、エジプトの文明を羨望と、嫉妬で、眺めていた、民族である。
現実主義の目は、そこから、養われた。
更に、嫉妬、怨念、復讐、対立の念に染まる。

旧約聖書の神が、自ら、嫉妬と怒りの神であると、宣言している。

しかし、カトリックは、イエスの教えを、掲げたはずである。
つまり、愛の教えである。
だが、その愛の行為は、一度として、行われなかった。

ユダヤ教と、同じように、嫉妬と、怨念、復讐、対立の宗教と、成り果てたのである。
何故か。
それは、ユダヤ教を、引き継ぐキリスト教が、ローマをはじめ、ヨーロッパの権力者、王朝の人民支配に役立てたからである。

そして、家畜を殺して暮らす遊牧民、狩猟、牧畜民族の生活を、正当化したのである。

要するに、一神教とは、対立を持って、成り立つ宗教なのである。

イスラムも、然り。
同じく、旧約の神を奉じる宗教は、皆、対立と、掠奪の宗教と、化した。

この、成り立ちを理解して、はじめて、歴史が、西洋の歴史が、理解できる。

西洋の、戦争は、すべて、宗教戦争である。

それらは、教義により、侵略、植民地化、戦争を正当化できるのである。

更に、白人主義を、増長させる、キリスト教が、ヨーロッパに広がった訳である。

西洋史の、会田雄次氏は、
掠奪が一番簡単で、一番豊かな生活を約束することで、ヨーロッパ以上の場所はなかったのだ。日本では泥棒、強盗は馬鹿がやる一番損な仕事になっている。掠奪はヨーロッパでは優秀な人間がやる生業と考えて、日本とは全く逆の価値判断である。イギリスの王族は先祖が海賊であったことを誇らしげに宣伝しているほどだ。

だが、アラブのイスラムも、同じである。
剣を持って、イスラム圏を拡大し、開祖のムハンマドも、掠奪を平然として、行っていた。

さて、白人の、掠奪、闘争文明を、キリスト教が後押しした。
西洋の歴史は、闘争の歴史である。

百年戦争、三十年戦争、七年戦争、ユグノー戦争、バラ戦争、ナポレオン戦争、ロシア革命、そして、第一次、第二次世界大戦である。

それを、象徴する国が、また、アメリカである。

建国二百年の間に、行った戦争は、そのまま、二百回以上である。
戦争関連が、基幹産業になっているという、事態である。

アメリカ経済は、戦争なくしては、有り得ないのである。

その元も、キリスト教といえる。
清教徒たちによって、始まった、アメリカの独立国としての、最初は、原住民の、虐殺である。

インディアンの皆殺しから、である。

今度は、カトリックではないが、その精神が、受け継がれている。

キリスト教は、中世、異端審判を数多く、行った。
何故か。
異端と見なされた者たちは、処刑され、家財が審問官、つまり教会に財産になる。
ただし、火炙りや、処刑は、国王の仕事である。

そして、両者が、富を分け合うという、仕組みである。

魔女狩りなどと、言われるが、富を持つ者も、多く、異端審判にかけられ、処刑されている。

神の許す、聖なる戦い。
すべてが、それ、である。

ジハードとは、イスラムの、聖戦である。
着ける薬が無いのである。

イギリスの、オーストラリア原住民、アボリジニに行った、蛮行を見ても、ご覧の通りである。
彼らは、劣っている。神を知らない。
独善と、偏狭な、キリスト教という、教義に則って、やりたい放題であった。

神の名の下に、白人は、身勝手な行為を続けた。
南北アメリカの先住民、一億人を殺し、その失われた労働力のために、アフリカの、黒人奴隷を、一億人連行して、牛馬のように、こき使う。
奴隷制である。

奴隷制という、人道に反する、残虐行為を行った、白人文明である。
それらは、全く、歴史の教科書には、載らない。

私が、教えられた、西洋史は、素晴らしい、のである。

キリスト教、そして、白人文明は、一度として、それらを、謝罪、ないしは、反省しないのである。

もし、彼らが言うところの、神の国、天国というものが、あるならば、そこは、地獄であろう。
その、主が、ヤハウェである。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

天皇陛下について50

自衛力を持たないがゆえに、白人たちに、征服される。
そして、白人は、更に、エスカレートとして、西欧文明が、優れていることと、キリスト教の優越性を感じるのである。

キリスト教徒でない者は、未開、野蛮であると、蔑み、その人種差別は、益々激しくなり、家畜と同様の奴隷とみなして、植民地にした地域の人々を、虐待し、酷使し、更には、虐殺する。

17世紀に、オランダが、出た。
オランダは、昭和天皇が、出掛けた時、反日のデモなどを、行い、日本に対する、悪感情を、あらわにした。
しかし、オランダが、やったことは、スペイン、ポルトガル以上の、蛮行である。

オランダは、プロテスタントの中でも、先鋭的な、カルビン派である。
古くから、バルト海貿易に、携わってきた、自由商人の集合体である。

オランダの最初の、目的は、北米である。
しかし、イギリス、フランスに阻まれて、実現しなかった。

そこで、全力で、向かったのが、インド洋航路である。

1602年、オランダは、東インド会社を、ジャワに設立し、侵略の拠点とする。

東インド会社に、貿易、軍事、行政の独立権を与え、諸外国と戦争し、アジアへの進出を開始した。

17世紀半ばには、現代の、インドネシアを中心とした地域を、掌握し、350年に渡る、植民地支配を続けるのである。

この、統治方法は、野蛮尽きる方法だった。

原住民には、教育を行わず、読み書きができないようにして、放置する。つまり、愚民政策である。

これにより、三世紀に渡る、オランダ支配の中で、教育を受けたインドネシア人は、僅か、数千人である。

ポルトガルも、同じように、愚民政策を取っていた。

更に、徹底した、分断政策である。
集会、団体行動は、禁止。320の、部族語を、一つの標準語に統一することも、認めない。
更に、民族意識を、奪い、原住民は、プランテーションの、奴隷として、こき使う。
コーヒー、砂糖、きび、茶、肉桂などの、強制栽培制度を導入して、徹底的に、搾取するのである。

そして、オランダの、更に、狡賢いところは、自分たちは、決して、表に立たないのである。間接統治を行う。
統治は、地元の代表である、土侯に行わせ、流通は、華僑を使う。
搾取による、インドネシア人の、憎悪を、土侯、華僑に向かわせるという。

しかも、表向きは、東インド会社という、会社組織で、国家は、全面に出ないのである。会社組織にして、搾り取れるだけ、搾り取るという、極悪非道振りである。

もっとも、憎むべきは、オランダ混血政策を取り、インドネシア人との、混血児を中間階級にし、民族の分断を計るという。

それは、ポルトガルが、東ティモールで、スペインが、中南米で行った、支配の手口である。

そして、それは、現地の女を、強姦して、妊娠させ、生まれた子どもを統治に利用するという、方法であり、人道的に、極悪である。

混血児は、ハーフカーストとして、教育を施し、オランダのために、原住民を監督、酷使する役割を負うのである。

それは、アジアの国が独立した後も、長く暗い影を、落としたのである。

これが、キリスト教の優位性を誇り、更に、白人主義に、拍車をかけた有様である。

インドネシアは、現在、イスラム教の国である。
キリスト教により、それだけのことを、行われた人々は、キリスト教に対する、嫌悪の情が、そのまま、イスラムを受け入れた原因の一つでもある。

そして、現在も、甚だしい、宗教間の、争い。
イスラムと、キリスト教は、特に酷いのである。

更に、オランダは、日本敗戦により、インドネシア独立の気運が、盛り上がった時、今までと、同じように、植民地支配をしようと、戦争をはじめたのである。

それに、日本兵も、参加した。

搾取によって、得た莫大な利益を、忘れられず、なおも、支配しようとした、オランダである。

一時、オランダから、日本軍が、インドネシアを開放した。
それを見て、同じアジア人である、日本人が、白人の、オランダを蹴散らしたことが、インドネシア独立の気運を、作ったのである。

この時の、独立戦争に参加した、日本兵は、軍からは、脱走兵として、処理されたが、インドネシアでは、英雄として、称えられている。

スマトラ島、ジャワ島、そして、バリ島などに、英雄墓地があり、そこに、名前が記されて、ある。
ただし、日本名で無い者もいる。
現地人になって、戦った日本兵もいるのである。

また、それにより、インドネシアの人々は、多く、日本に対して、特別な感情を抱く。
日本と、インドネシアは、兄弟だと、言う人もいる。

日本は、戦後保障として、インドネシアに、莫大な、支援金を送っている。
現在も、年間、900億円程度の支援を行う。

350年間の、搾取を続けた、オランダは、何一つ、保障など、行わない。
謝罪も無い。
反省も無い。

かろうじて、英雄墓地に、オランダ政府から、メッセージが刻まれるだけである。
傲慢、極まれりの、国は、滅びる運命であろう。
それが、歴史の裁きである。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月25日

天皇陛下について51

17世紀の、オランダの覇権から、次は、18,19世紀と、イギリスの、世紀になる。

イギリスは、この二世紀の間に、大英帝国を築くのである。

オーストラリア、ニュージーランド、インド、ビルマ、マレーシアを、押さえ、そして、カナダ、南アフリカ、エジプトと、七つの海にまたがる、広大な領土を支配する。

1588年、スペインの無敵艦隊、アルマダを、撃破し、スペインを衰退させ、1652年、開戦の、英蘭戦争にも、勝利し、オランダの海上権を奪う。

イギリスの、ライバルは、フランスのみとなる。

両国は、北アメリカで、激しい、覇権争いを行うが、その間、アメリカでは、独立運動が盛んになる。
1776年、アメリカがイギリスから独立する。

北米で、失った利権を取り戻すべく、全力を注いだのが、インドである。

そこでも、フランスと、熾烈な植民地争奪戦を、繰り返したが、イギリスが勝利する。

インド、ムガル帝国を支配下に置く。

イギリスの、植民地統治は、スペイン、オランダのように、十字架を武器にして、支配住民に、強制的に、キリスト教に改宗させ、従わない異教徒には、弾圧を加えるということは、しなかった。

イギリス国教会の下にある、イギリスは、キリスト教を全面に押し出さない。
ただ、教会の組織を作ることに、重点を置く。
信仰を、強要しない。

しかし、一方、エルサレム、メッカ、コンスタンチノーブルなどの、聖地を擁する保護国を、ことごとく、取り込む。
宗教を政治に巧みに、利用するという、したたかさである。

システムとしては、オランダと同じく、会社組織方式を取り入れ、東インド会社を設立して、経営に当らせる。

イギリスは、スペイン、オランダとは、違い、その場限りの、利益を収奪するのではなく、蓄積を図った。

そこで、巨額の産業資本を得たイギリスは、技術革新が、急速に進み、それが、18世紀中期の、産業革命として、花開く。
つまり、植民地からの、利益によって、産業革命を為したのである。

歴史教科書では、それらの、植民地からの、搾取などとは、一言も、書かれない。

あたかも、イギリスが、一人前で、産業革命が、行ったように、書いてある。
嘘である。

産業革命により、機械化が進み、生産量は、大幅に向上する。
他国を圧倒する、武器を大量に生産する。

生産性が、上がれば、原材料の供給と、市場の確保が必要になる。
イギリスは、更に、植民地を拡大し、そこから、富を奪う。

そして、その富で、産業を振興し、植民地で収奪した原料で作るものを、植民地に売りつけるという、重ねた、収奪を行うという、巧妙さである。

侵略、掠奪の、拡大再生産である。

また、恐ろしいのは、ライバルとの、争奪戦で、現地の人々を、傭兵として雇い、イギリス軍として、戦わせる。
それを、また、他国も、見習ったため、植民地争奪戦が、現地人同士で、行われるという、悲惨な状況である。

第二次大戦でも、ビルマでは、イギリス軍として、インド人兵士を、使った。

自らの、手を、一切汚すことなく、植民地から、永遠に、富を収奪する、システム。
これが、200年もの長きに渡る、イギリスの、植民地支配であった。

さて、イギリスの、産業革命は、19世紀半ばになると、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカと、次々に、それに習い、産業革命を、成功させる。

その結果、西欧列強は、資源の獲得と、市場の拡大のために、更に、多くの植民地を必要とした。

そこで、狙われたのが、アフリカである。

最初の、収奪は、人間そのもの。
つまり、奴隷である。奴隷として、アメリカに売り飛ばす、奴隷貿易。
極めつけの、非人道的、行為である。

19世紀になり、アフリカ大陸内陸部の探検により、一気に、植民地争奪戦へと、突入する。

フランス、イギリス、ポルトガル、ベルギー、ドイツ、スペイン、イタリア・・・

先住民など、無視して、次々と、領土を編入するという、暴挙である。

1914年に、独立国として、のこっていたのは、エチオピアと、リベリアの二国のみである。

イギリスが、獲得したのは、エジプト、モロッコ、南アフリカ、ナイジェリアという、資源の豊富な地域。
イギリスは、メリットのある、地域だけを、侵略したのである。

ちなみに、フランスは、アルジェリア、西アフリカ、赤道アフリカである。
面積では、一番だが、大部分が、砂漠である。

アフリカは、西欧列強により、完璧に、白人社会に、蹂躙され、今に至るまで、飢餓と、貧困、搾取を受けると言う、三重苦を強いられた。

果たして、これが、輝かしい、西欧の歴史だろうか。

彼らは、その行為を、一度たりとも、謝罪しない。
反省しない。

更に、未だに、宗主国の傲慢な、気持ちを捨てきれないでいる。
勿論、その、仕返しが、着々と、自然に、行われることになる。

posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇陛下について51

17世紀の、オランダの覇権から、次は、18,19世紀と、イギリスの、世紀になる。

イギリスは、この二世紀の間に、大英帝国を築くのである。

オーストラリア、ニュージーランド、インド、ビルマ、マレーシアを、押さえ、そして、カナダ、南アフリカ、エジプトと、七つの海にまたがる、広大な領土を支配する。

1588年、スペインの無敵艦隊、アルマダを、撃破し、スペインを衰退させ、1652年、開戦の、英蘭戦争にも、勝利し、オランダの海上権を奪う。

イギリスの、ライバルは、フランスのみとなる。

両国は、北アメリカで、激しい、覇権争いを行うが、その間、アメリカでは、独立運動が盛んになる。
1776年、アメリカがイギリスから独立する。

北米で、失った利権を取り戻すべく、全力を注いだのが、インドである。

そこでも、フランスと、熾烈な植民地争奪戦を、繰り返したが、イギリスが勝利する。

インド、ムガル帝国を支配下に置く。

イギリスの、植民地統治は、スペイン、オランダのように、十字架を武器にして、支配住民に、強制的に、キリスト教に改宗させ、従わない異教徒には、弾圧を加えるということは、しなかった。

イギリス国教会の下にある、イギリスは、キリスト教を全面に押し出さない。
ただ、教会の組織を作ることに、重点を置く。
信仰を、強要しない。

しかし、一方、エルサレム、メッカ、コンスタンチノーブルなどの、聖地を擁する保護国を、ことごとく、取り込む。
宗教を政治に巧みに、利用するという、したたかさである。

システムとしては、オランダと同じく、会社組織方式を取り入れ、東インド会社を設立して、経営に当らせる。

イギリスは、スペイン、オランダとは、違い、その場限りの、利益を収奪するのではなく、蓄積を図った。

そこで、巨額の産業資本を得たイギリスは、技術革新が、急速に進み、それが、18世紀中期の、産業革命として、花開く。
つまり、植民地からの、利益によって、産業革命を為したのである。

歴史教科書では、それらの、植民地からの、搾取などとは、一言も、書かれない。

あたかも、イギリスが、一人前で、産業革命が、行ったように、書いてある。
嘘である。

産業革命により、機械化が進み、生産量は、大幅に向上する。
他国を圧倒する、武器を大量に生産する。

生産性が、上がれば、原材料の供給と、市場の確保が必要になる。
イギリスは、更に、植民地を拡大し、そこから、富を奪う。

そして、その富で、産業を振興し、植民地で収奪した原料で作るものを、植民地に売りつけるという、重ねた、収奪を行うという、巧妙さである。

侵略、掠奪の、拡大再生産である。

また、恐ろしいのは、ライバルとの、争奪戦で、現地の人々を、傭兵として雇い、イギリス軍として、戦わせる。
それを、また、他国も、見習ったため、植民地争奪戦が、現地人同士で、行われるという、悲惨な状況である。

第二次大戦でも、ビルマでは、イギリス軍として、インド人兵士を、使った。

自らの、手を、一切汚すことなく、植民地から、永遠に、富を収奪する、システム。
これが、200年もの長きに渡る、イギリスの、植民地支配であった。

さて、イギリスの、産業革命は、19世紀半ばになると、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカと、次々に、それに習い、産業革命を、成功させる。

その結果、西欧列強は、資源の獲得と、市場の拡大のために、更に、多くの植民地を必要とした。

そこで、狙われたのが、アフリカである。

最初の、収奪は、人間そのもの。
つまり、奴隷である。奴隷として、アメリカに売り飛ばす、奴隷貿易。
極めつけの、非人道的、行為である。

19世紀になり、アフリカ大陸内陸部の探検により、一気に、植民地争奪戦へと、突入する。

フランス、イギリス、ポルトガル、ベルギー、ドイツ、スペイン、イタリア・・・

先住民など、無視して、次々と、領土を編入するという、暴挙である。

1914年に、独立国として、のこっていたのは、エチオピアと、リベリアの二国のみである。

イギリスが、獲得したのは、エジプト、モロッコ、南アフリカ、ナイジェリアという、資源の豊富な地域。
イギリスは、メリットのある、地域だけを、侵略したのである。

ちなみに、フランスは、アルジェリア、西アフリカ、赤道アフリカである。
面積では、一番だが、大部分が、砂漠である。

アフリカは、西欧列強により、完璧に、白人社会に、蹂躙され、今に至るまで、飢餓と、貧困、搾取を受けると言う、三重苦を強いられた。

果たして、これが、輝かしい、西欧の歴史だろうか。

彼らは、その行為を、一度たりとも、謝罪しない。
反省しない。

更に、未だに、宗主国の傲慢な、気持ちを捨てきれないでいる。
勿論、その、仕返しが、着々と、自然に、行われることになる。

posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

天皇陛下について53

アメリカは、ハワイを強奪した、同じ年、スペインに戦いを挑む。
その理由が、スペインの植民地支配に苦しむ人々を、救うというものである。

米西戦争である。

キューバの独立戦争を助ける名目だったが、勝利すると、キューバは、保護領にされる。更に、スペイン領だった、プエルトリコも領土化され、カリブ海が、アメリカのものになるという、始末。

1903年のパナマの保護領化は、アジアの国々にとっても、大きな出来事。
1914年、アメリカは、パナマ運河を開通させ、南米大陸への航海権、通商権を掌握し、東海岸からの、太平洋への航路を確保する。

そして、更に、スペイン領だった、フィリピンにも、艦隊を派遣し、スペイン艦隊を撃破する。

この勝利は、フィリピンの独立革命家、アギナルド、リカルドを指導者とする、独立軍の活躍があった。

海から、アメリカに追い詰められ、マニラに立てこもったスペイン軍は、独立軍に方位され、あっさりと、降伏する。

独立軍が、アメリカに協力したのは、独立支援を約束していたから、である。

しかし、アメリカは、1899年に、戦争に勝利すると、独立軍の報復に恐れる、スペインの要望に応じて、独立軍の入城を禁じ、フィリピンを、アメリカの領土に組み入れる。

ジャングルに追われた、独立軍は、日本に、援助を求めつつ、ゲリラ戦を展開する。

すると、アメリカは、独立軍は、ゲリラであると、宣言し、戦争ではなく、ゲリラ掃討として、対処するという、暴挙に出た。
つまり、ゲリラとの、戦いは、国際法の適用外であるからである。

国際法では、殺傷力の高い非人道的な武器の使用、捕虜の虐待、拷問の禁止などが、定めてある。
ゲリラには、それが、適用されないのである。

とても、ずるい。

であるから、やりたい放題である。
ゲリラ戦で、アメリカ兵が、一人死ぬと、捕虜を一人以上、処刑する。
大量に水を飲ませて、みずぶくれになった、独立軍兵士の腹を、サウンドバッグのように、殴り続けるという。
さながら、中世の異端審判で、用いられた拷問も、行うという。

特に、悲惨だったのは、サマール島である。
島人が、アメリカ兵に、反撃したことで、報復として、女子供を含め、サマール島、隣の島の住民、二万数千人を皆殺しにするという。

更に、田畑、家屋が、焼き払われ、家畜が、殺され、そのため、食糧を失った島人は、飢餓によって、死んでいった。
その数は、五万人といわれる。

1902年、約、20万人の犠牲者を出した末、独立軍は、鎮圧されたのである。

この時、八万の大軍を率いて、乗り込んだのが、フィリピンの初代軍政長官となった、アーサー・マッカーサー陸軍少尉である。
そして、副官は、息子の、ダグラス・マッカーサー中尉である。
後に、日本占領した、連合国最高司令官の、マッカーサー元帥である。

アメリカは、更に、ずるいことを、考えた。

フィリピンに、独立を約束させたが、独立後も、支配するために、憲法に、戦争放棄の条項を、盛り込んだのである。

フィリピンも、日本も、占領政策で、独立後も、アメリカの支配下に、置かれ続けているのである。

アメリカは、その後も、グアム、サモア郡島と、太平洋の島々を手中に収めて行く。

そして、東アジアに迫るのである。

日本は、フィリピン人からは、裏切り者と、言われる。
侵略しないと、言ったのに、一時期、侵略し、占領したからだと。

しかし、アメリカは、どうか。
あまりに、事が大きいと、見えなくなるようである。

フィリピンの、知識層や、若者たちは、アメリカの文化を取り入れ、アメリカを目指した。ここでも、完璧に、アメリカに精神が、やられたのである。
英語教育も、その一つ。

領土だけではなく、精神も、その求めるものも、アメリカ追従になってしまったのである。
そして、それに、気づかず、現在まで、至る。

そして、豊かになったか。

英語は、外国に、出稼ぎに行くために、必要なものとなり、自国の文化は、衰退し、フィリピンには、何が、あるのか。

フィリピン精神を見たければ、マニラのある、ルソン島以外の、島々に出掛けなければ、見えないのである。

更に、である。
フィリピンから、何も得るものがなくなると、アメリカは、軍隊まで、引き揚げた。

金食い虫となった、フィリピンに、用は無いのである。

残虐の限りを尽くした、米西戦争・・・
アメリカでの、評価は、この戦いに参加し、外国人の人々に自由の手を差し伸べたアメリカ軍兵士たち、とある。

人権と、自由の国、アメリカとは・・・
人権は、同じ白人、キリスト教徒に言えること。

それ以外は、人間ではないのである。
そして、その感覚は、今でも続いている。

白人、キリスト教徒・・・
死ぬまで、傲慢不遜である。

ちなみに、フィリピンの戦争放棄の憲法は、そのまま、日本にも、適用された。
素晴らしい、平和憲法であるとは、何も知らない者の、たわ言なのである。

アメリカ憲法に、戦争放棄があるか。
無い。
アメリカに、楯突かないように、戦争放棄を憲法に、制定するという、ずるさ、である。

私は、個人的に、戦争放棄という、思想は、理想であると、思う。
そして、それは、世界のすべの国が、そうなるべきであり、限られた国にのみ、あるというのは、それは、策略であると、気づいた。

アジアは、言論にて、白人社会に対して、徹底抗戦すべきである。
一切の、武器は、使用せず、言論にて、白人、更には、その元である、キリスト教に対して、徹底抗戦すべきである。

主イエスは、彼らを受け入れるであろうか。
彼らは、神の国に、入るのだろうか。
天の国に、彼らが、入るというならば、その天の国は、全く、別の世界であろう。

余計な一言を、付け加えておく。
アメリカは、無限魔界の世界のみ、存在する。
霊界も、無い。
人権と、自由の、裏は、魔界なのである。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇陛下について52

西欧列強の、植民地政策を、見てきた。
白人主義と、キリスト教の、最悪の姿を見た。

そして、19世紀末、その植民地争奪戦に乗り込んできたのが、アメリカである。

その前に、アメリカは、先住民族である、インディアンを、民族浄化と称して、虐殺による、蛮行によって、樹立された国であることを、覚えておくべし。

西部開発という名の、侵略を完了させて、北アメリカ大陸での、膨張にメドがつくと、海を渡り、侵略行為を開始する。

最初は、ハワイである。

19世紀、ハワイには、宣教師を中心とする、アメリカ人が入っている。
宣教師であるから、布教である。
が、しかし、宣教師と、その息子たちは、ハワイの政界に進出する。

更に、要職を務めるようになる。

そして、ハワイ王国の軍隊とは、別に、最新鋭の銃器を装備した、私的軍隊、ホノルルライフル部隊を、編成するという。

1887年に、カメハメハ王朝の、カラカウア国王に、銃を向けたのである。

彼らの要求は、表向きは、近代的憲法の発布である。
だが、実質は、国王の国政への発言を封じ込め、実権を握るためのもの。

彼らが押し付けた憲法は、選挙権は、高額所得者に限る、である。
そして、二重国籍のアメリカ人にも、選挙権を認めるということ。

当時のハワイの人々は、貧しく、高額所得者とは、アメリカ人を指していた。

参政権を現地の人から、奪い、自分たちが、議会の実権を掌握するという、見え透いた行為である。

このように、キリスト教の宣教師、この場合は、プロテスタントであるが、侵略の、さきがけをするというのは、スペイン、ポルトガル以来の、伝統である。

キリスト教というものが、いかに、傲慢な思想を、白人に与えたかが、解るというもの。

カラカウア国王は、その事態を、予想していた。
そこで、実は、日本に助けを求めていたのである。

その六年前、国王は、国賓として、日本を訪れ、明治天皇に拝謁し、日本人の、ハワイ移住を懇願し、更に、国王の姪で、王位継承者である、カイウラニ王女と、山階宮親王の、婚儀を申し出たのである。

当時、人間だと、認められていたのは、有色人種の中では、唯一、日本人だけだった。

日本の皇室と、姻戚関係を結び、アメリカを牽制するという、考えである。

だが、当時は、国際社会に、出たばかりの日本である。
西欧列強を敵に回して、などということは、出来ないことだった。

明治天皇は、アメリカと事を構えるのは、日本にとって、危険であるとの、考えで、翌年、特使を派遣して、申し出を正式に、断るのである。

その後、国王は、実権を奪われ、失意のうちに、亡くなる。

代わって、即位したのが、国王の妹である、リリウオカラニである。

彼女は、1893年、最後の抵抗を試みる。
島民にも、選挙権を与える、憲法発布である。
それも、アメリカ系市民の、権利を認めた上でのこと。

しかし、駐在アメリカ公使ジョン・スティーブンは、本国に、血に飢え、淫乱な女王が、恐怖の専制王権を、復活させようとしているとの、大嘘を、喧伝する。

そして、アメリカ市民の保護を目的に、ホノルルに寄航させていた、米戦艦ボストンの砲口を、女王のイオラニ宮殿に向け、海兵隊を出動させたのである。

女王は、強制的に、退位させられた。

その後、民主的な共和国の、看板を掲げて、何と、アメリカ人の大統領を誕生させるという、暴挙である。

ドールという、宣教師の息子、サンフォード・ドールが、初代に就任する。

1898年、ドールは、島民の意思を無視し、アメリカに、国土を寄贈し、結果的に、ハワイを、乗っ取ったのである。

これから、アメリカの、植民地政策が、次々と、行われることになる。

ここでも、解るように、キリスト教の宣教師というもの、いかに、狡賢い者たちかという、ことである。
それは、カトリック、プロテスタントに、関わらない。

十字架を掲げて、人種差別を増長させて、更には、虐殺にも関わり、白人主義を、全面的に肯定するという。
呆れた、行状である。

であるから、イエスと、キリスト教とは、別物だと、考えるべきである。
今、現在も、そのような、差別意識を、キリスト教は、植え付けている。

この、歴史的事実を、彼らは、謝罪も、反省もしないのである。

宗教というものが、如何に、人間を愚かにし、蒙昧にさせるかという、良い見本である。

そして、キリスト教は、政治と、切っても切り離せないものである。
教団は、政治団体と、同じだと、考えて間違いないのである。

ローマ皇帝は、皇帝の地位を、法王に承認させ、皇帝は、法王を、承認するという、茶番を堂々と行うのである。

法王は、手を汚さずに、異端審判を繰り返して、利益を、皇帝と、山分けするという。
それが、いまだに、続いていると、見てよい。

実際、アメリカという国は、イギリス国王から、ローマ法王へ、譲渡されているのである。
アメリカの、大家は、ローマ法王なのである。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇陛下について52

西欧列強の、植民地政策を、見てきた。
白人主義と、キリスト教の、最悪の姿を見た。

そして、19世紀末、その植民地争奪戦に乗り込んできたのが、アメリカである。

その前に、アメリカは、先住民族である、インディアンを、民族浄化と称して、虐殺による、蛮行によって、樹立された国であることを、覚えておくべし。

西部開発という名の、侵略を完了させて、北アメリカ大陸での、膨張にメドがつくと、海を渡り、侵略行為を開始する。

最初は、ハワイである。

19世紀、ハワイには、宣教師を中心とする、アメリカ人が入っている。
宣教師であるから、布教である。
が、しかし、宣教師と、その息子たちは、ハワイの政界に進出する。

更に、要職を務めるようになる。

そして、ハワイ王国の軍隊とは、別に、最新鋭の銃器を装備した、私的軍隊、ホノルルライフル部隊を、編成するという。

1887年に、カメハメハ王朝の、カラカウア国王に、銃を向けたのである。

彼らの要求は、表向きは、近代的憲法の発布である。
だが、実質は、国王の国政への発言を封じ込め、実権を握るためのもの。

彼らが押し付けた憲法は、選挙権は、高額所得者に限る、である。
そして、二重国籍のアメリカ人にも、選挙権を認めるということ。

当時のハワイの人々は、貧しく、高額所得者とは、アメリカ人を指していた。

参政権を現地の人から、奪い、自分たちが、議会の実権を掌握するという、見え透いた行為である。

このように、キリスト教の宣教師、この場合は、プロテスタントであるが、侵略の、さきがけをするというのは、スペイン、ポルトガル以来の、伝統である。

キリスト教というものが、いかに、傲慢な思想を、白人に与えたかが、解るというもの。

カラカウア国王は、その事態を、予想していた。
そこで、実は、日本に助けを求めていたのである。

その六年前、国王は、国賓として、日本を訪れ、明治天皇に拝謁し、日本人の、ハワイ移住を懇願し、更に、国王の姪で、王位継承者である、カイウラニ王女と、山階宮親王の、婚儀を申し出たのである。

当時、人間だと、認められていたのは、有色人種の中では、唯一、日本人だけだった。

日本の皇室と、姻戚関係を結び、アメリカを牽制するという、考えである。

だが、当時は、国際社会に、出たばかりの日本である。
西欧列強を敵に回して、などということは、出来ないことだった。

明治天皇は、アメリカと事を構えるのは、日本にとって、危険であるとの、考えで、翌年、特使を派遣して、申し出を正式に、断るのである。

その後、国王は、実権を奪われ、失意のうちに、亡くなる。

代わって、即位したのが、国王の妹である、リリウオカラニである。

彼女は、1893年、最後の抵抗を試みる。
島民にも、選挙権を与える、憲法発布である。
それも、アメリカ系市民の、権利を認めた上でのこと。

しかし、駐在アメリカ公使ジョン・スティーブンは、本国に、血に飢え、淫乱な女王が、恐怖の専制王権を、復活させようとしているとの、大嘘を、喧伝する。

そして、アメリカ市民の保護を目的に、ホノルルに寄航させていた、米戦艦ボストンの砲口を、女王のイオラニ宮殿に向け、海兵隊を出動させたのである。

女王は、強制的に、退位させられた。

その後、民主的な共和国の、看板を掲げて、何と、アメリカ人の大統領を誕生させるという、暴挙である。

ドールという、宣教師の息子、サンフォード・ドールが、初代に就任する。

1898年、ドールは、島民の意思を無視し、アメリカに、国土を寄贈し、結果的に、ハワイを、乗っ取ったのである。

これから、アメリカの、植民地政策が、次々と、行われることになる。

ここでも、解るように、キリスト教の宣教師というもの、いかに、狡賢い者たちかという、ことである。
それは、カトリック、プロテスタントに、関わらない。

十字架を掲げて、人種差別を増長させて、更には、虐殺にも関わり、白人主義を、全面的に肯定するという。
呆れた、行状である。

であるから、イエスと、キリスト教とは、別物だと、考えるべきである。
今、現在も、そのような、差別意識を、キリスト教は、植え付けている。

この、歴史的事実を、彼らは、謝罪も、反省もしないのである。

宗教というものが、如何に、人間を愚かにし、蒙昧にさせるかという、良い見本である。

そして、キリスト教は、政治と、切っても切り離せないものである。
教団は、政治団体と、同じだと、考えて間違いないのである。

ローマ皇帝は、皇帝の地位を、法王に承認させ、皇帝は、法王を、承認するという、茶番を堂々と行うのである。

法王は、手を汚さずに、異端審判を繰り返して、利益を、皇帝と、山分けするという。
それが、いまだに、続いていると、見てよい。

実際、アメリカという国は、イギリス国王から、ローマ法王へ、譲渡されているのである。
アメリカの、大家は、ローマ法王なのである。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

天皇陛下について53

アメリカは、ハワイを強奪した、同じ年、スペインに戦いを挑む。
その理由が、スペインの植民地支配に苦しむ人々を、救うというものである。

米西戦争である。

キューバの独立戦争を助ける名目だったが、勝利すると、キューバは、保護領にされる。更に、スペイン領だった、プエルトリコも領土化され、カリブ海が、アメリカのものになるという、始末。

1903年のパナマの保護領化は、アジアの国々にとっても、大きな出来事。
1914年、アメリカは、パナマ運河を開通させ、南米大陸への航海権、通商権を掌握し、東海岸からの、太平洋への航路を確保する。

そして、更に、スペイン領だった、フィリピンにも、艦隊を派遣し、スペイン艦隊を撃破する。

この勝利は、フィリピンの独立革命家、アギナルド、リカルドを指導者とする、独立軍の活躍があった。

海から、アメリカに追い詰められ、マニラに立てこもったスペイン軍は、独立軍に方位され、あっさりと、降伏する。

独立軍が、アメリカに協力したのは、独立支援を約束していたから、である。

しかし、アメリカは、1899年に、戦争に勝利すると、独立軍の報復に恐れる、スペインの要望に応じて、独立軍の入城を禁じ、フィリピンを、アメリカの領土に組み入れる。

ジャングルに追われた、独立軍は、日本に、援助を求めつつ、ゲリラ戦を展開する。

すると、アメリカは、独立軍は、ゲリラであると、宣言し、戦争ではなく、ゲリラ掃討として、対処するという、暴挙に出た。
つまり、ゲリラとの、戦いは、国際法の適用外であるからである。

国際法では、殺傷力の高い非人道的な武器の使用、捕虜の虐待、拷問の禁止などが、定めてある。
ゲリラには、それが、適用されないのである。

とても、ずるい。

であるから、やりたい放題である。
ゲリラ戦で、アメリカ兵が、一人死ぬと、捕虜を一人以上、処刑する。
大量に水を飲ませて、みずぶくれになった、独立軍兵士の腹を、サウンドバッグのように、殴り続けるという。
さながら、中世の異端審判で、用いられた拷問も、行うという。

特に、悲惨だったのは、サマール島である。
島人が、アメリカ兵に、反撃したことで、報復として、女子供を含め、サマール島、隣の島の住民、二万数千人を皆殺しにするという。

更に、田畑、家屋が、焼き払われ、家畜が、殺され、そのため、食糧を失った島人は、飢餓によって、死んでいった。
その数は、五万人といわれる。

1902年、約、20万人の犠牲者を出した末、独立軍は、鎮圧されたのである。

この時、八万の大軍を率いて、乗り込んだのが、フィリピンの初代軍政長官となった、アーサー・マッカーサー陸軍少尉である。
そして、副官は、息子の、ダグラス・マッカーサー中尉である。
後に、日本占領した、連合国最高司令官の、マッカーサー元帥である。

アメリカは、更に、ずるいことを、考えた。

フィリピンに、独立を約束させたが、独立後も、支配するために、憲法に、戦争放棄の条項を、盛り込んだのである。

フィリピンも、日本も、占領政策で、独立後も、アメリカの支配下に、置かれ続けているのである。

アメリカは、その後も、グアム、サモア郡島と、太平洋の島々を手中に収めて行く。

そして、東アジアに迫るのである。

日本は、フィリピン人からは、裏切り者と、言われる。
侵略しないと、言ったのに、一時期、侵略し、占領したからだと。

しかし、アメリカは、どうか。
あまりに、事が大きいと、見えなくなるようである。

フィリピンの、知識層や、若者たちは、アメリカの文化を取り入れ、アメリカを目指した。ここでも、完璧に、アメリカに精神が、やられたのである。
英語教育も、その一つ。

領土だけではなく、精神も、その求めるものも、アメリカ追従になってしまったのである。
そして、それに、気づかず、現在まで、至る。

そして、豊かになったか。

英語は、外国に、出稼ぎに行くために、必要なものとなり、自国の文化は、衰退し、フィリピンには、何が、あるのか。

フィリピン精神を見たければ、マニラのある、ルソン島以外の、島々に出掛けなければ、見えないのである。

更に、である。
フィリピンから、何も得るものがなくなると、アメリカは、軍隊まで、引き揚げた。

金食い虫となった、フィリピンに、用は無いのである。

残虐の限りを尽くした、米西戦争・・・
アメリカでの、評価は、この戦いに参加し、外国人の人々に自由の手を差し伸べたアメリカ軍兵士たち、とある。

人権と、自由の国、アメリカとは・・・
人権は、同じ白人、キリスト教徒に言えること。

それ以外は、人間ではないのである。
そして、その感覚は、今でも続いている。

白人、キリスト教徒・・・
死ぬまで、傲慢不遜である。

ちなみに、フィリピンの戦争放棄の憲法は、そのまま、日本にも、適用された。
素晴らしい、平和憲法であるとは、何も知らない者の、たわ言なのである。

アメリカ憲法に、戦争放棄があるか。
無い。
アメリカに、楯突かないように、戦争放棄を憲法に、制定するという、ずるさ、である。

私は、個人的に、戦争放棄という、思想は、理想であると、思う。
そして、それは、世界のすべの国が、そうなるべきであり、限られた国にのみ、あるというのは、それは、策略であると、気づいた。

アジアは、言論にて、白人社会に対して、徹底抗戦すべきである。
一切の、武器は、使用せず、言論にて、白人、更には、その元である、キリスト教に対して、徹底抗戦すべきである。

主イエスは、彼らを受け入れるであろうか。
彼らは、神の国に、入るのだろうか。
天の国に、彼らが、入るというならば、その天の国は、全く、別の世界であろう。

余計な一言を、付け加えておく。
アメリカは、無限魔界の世界のみ、存在する。
霊界も、無い。
人権と、自由の、裏は、魔界なのである。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。