2010年09月04日

神仏は妄想である 293

旧約聖書、創世記には、天地創造の由来が、書かれる。
由来というから、それは、神話である。

夕べがあり、朝があった。第五の日である。
神はいわれた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ」
そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神はご自分にかたどって人を創造された。
男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」

ここでは、地球のすべての、生き物が、人によって支配される、という、定義が、持ち出される。

そして、神は、我々に、似せて、人を造るという。
この、我々とは、何か。

似せてというのは、何を、似せるのか。

それでは、神が、人を造った経緯を見る。

主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

そして、神は、その人を、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。・・・アダムのことである。

また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」
主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」
・ ・・・
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
「ついに、これこそ
私の骨の骨
私の肉の肉
これをこそ女と呼ぼう
まさに、男から取られたものだから」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

ここには、恐ろしいほどの、差別がある。
人とは、男のことをいう。
女は、人とは、呼ばない。

男は、イシュであり、女は、イシャーと呼ばれた。
女は、男の、付属物なのである。
一夫多妻の原型である。

そして、蛇の誘惑を、女が受けることになる。

その前に、人を、神、我々に、似せてという、部分である。
ここには、どのような意味があるのか。
人、つまり、男は、神に似せて、造られたのである。

普通、似せるとは、その形である。
しかし、聖書解釈には、神と、同じ霊として、となる。
鼻から、息吹を掛けられて、人が、造られた。
その、息吹とは、霊のことである。

肉体は、塵である。
肉体が、朽ちると、塵に還る。

蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引きつけ、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

そして、神の登場である。

主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから」
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」
主なる神は女に向かって言われた。
「なんということをしたのか」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました」

キリスト教の原罪説は、ここから、はじまる。

主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

善悪を知る者となり、永遠に生きる者となる、恐れがある。
一体、この神の言葉は、何を意味するのか。

天地創造などとは、実に、いやらしいほど、の、傲慢の思想がある。

創世記は、モーゼによって、書かれたと、言われる。
その、モーゼは、神と契約をした。
その契約の内容は、神を、モーゼの意のままに、使うというものである。

神が、モーゼを、使うのではない。モーゼが、神を使うのである。

その後、創世記には、神が、
わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけではなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。
と、言うのである。

全知全能、天地創造の神が、後悔するのである。

その前段で、
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。

神という、我々に似せた人とは、そのようなものであった。
つまり、神と、同じである。

神は、それを、願っていたのである。
そして、ノアの箱舟。
それでも、人は、生きて、増え続けた。

神話であると、言えば、いいが、それを、そのままに、信じる姿勢を、キリスト教は、求める。

女は、男から、出た者である。
全くの、見当違いである。

人は、受精した瞬間は、皆、女から、はじまる。
神話であるから、許せるが、これが、真っ当な話であると、するならば、明らかに、間違っている。
つまり、原罪という、生まれながらに、罪を持つという、思想は、妄想としか、いえない。

その原罪を持つ人間を、愛するに相応しくないと、考える神学なるもの・・・
その、愛する価値のない人間を愛する、イエスの存在・・・

そこから、教義がはじまること、自体が、誤りである。




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あらっネグロス島へ 4

セブシティの、港の傍に、サンペドロ要塞がある。
スペイン統治時代、1738年から、イスラムの海賊などから、防御のために、造られた、要塞である。

マニラの、イントラムロスと並び、最古の要塞である。
その後、アメリカ統治時代は、兵舎として、更に、日本軍による、捕虜収容所として、利用された。

私は、そこで、慰霊の儀を、執り行った。

観光客で、賑わう要塞に入り、人がいなくなったのを、見て、祈りを上げた。
朝の十時過ぎだが、日差しが強く、暑い。
長い、祝詞の間に、汗だくになった。

慰霊の儀を終えて、すぐに、そこを出た。
そして、御幣にした、薔薇の花を、海に流すべく、海岸に歩いた。

その際も、支援物資を、持参していた。

まず、港に出て、花の御幣を、流し、それから、港に近くいる、人たちの元に行き、支援物資を、渡す人を、探した。

目に付いたのが、生まれたての、赤ん坊だった。

私は、その赤ん坊の傍に行き、プレゼントと、言い、幼児の衣類を、差し出した。

すると、人が集まりだした。
私にも、子供がいるという、男たちが、殺到した。

ボーイか、ガールかと、問い、それに、答えて、手渡ししたが、次から次と、人がやってくるので、私は、場所を移動した。

だが、人の波は、更に、大きくなる。

限界を感じて、場所を移すが、それでも、人が増え続ける。
駄目だと、感じた。
とりあえず、一度、支援を止めることにした。

ネクスト、タイム
そう言いつつ、私は、その場を、離れた。

一度、ゲストハウスに、戻るつもりだ。

誰も彼も、やって来て、収集がつかないのである。

彼らは、その場で、何がしかの、仕事を探して、生活する人たちだった。
特定の、仕事は無い。

その、海岸に、後で、船で、到着するとは、考えられなかった。

通りに出て、ジプニーを乗り、一度、ゲストハウスに戻ることにした。

ところが、若い母親とみられる、女性が、追いかけて来た。
私には、娘が一人いるの・・・
御願い・・・服をください・・・

私は、再度、そこで、バッグを開けた。
すると、また、人が集う。
その女性だけに、渡して、また、急ぎ足で、その場を、去った。

すべてを、渡しても、いいが、そうすると、ストリートチルドレンに、渡すものが、なくなる。

通りに出て、ジプニーを待つ。
沢山の、ジプニーが走る。

ジプニーとは、トラックの荷台を、改造して、客を乗せて、街中を走る、ミニバスのようなものである。
7ペソで、乗る事ができる。

だから、行き先ではない、場合は、降りて、また、行き先に向かう、ジプニーに乗る。

私は、出来るだけ、そういう、公共の、乗り物に乗ることにしている。
何故か。
それは、地元の人々の、顔が見えるからだ。

勿論、外国人は、注意が必要だ。
スリに遭いやすい。

財布を入れた、バッグは、肩掛けバッグに、入れて、それを、胸の前に、置く。

海外では、日本にいる時とは、違い、とても、そういうことに、緊張する。

その、緊張が、疲れになる。
そのために、私は、一日おきの、予定を立てる。

暑い国での、緊張は、とても、体に負担である。
一日、何事かをすると、一日は、休む。
観光旅行だと、そんなことは、考えない。

地元の人と接するというのは、そういう、ストレスも、受けるということだ。

悲しいことだが、ストリートチルドレンにも、注意が、必要である。
支援をしている間に、私の、胸の前の、バッグの、チャックを、開けようとする、子供もいる。

そういう、子は、それが、当たり前の、行為になっているのだ。
スリ、盗みという、行為が、身についている。

本当に、悲しいことだ。
しかし、それが、現実である。

だが、そんな子は、本当に少数である。
味方であると、私を、認識する子は、絶対に、そんなことは、しない。



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2010年09月05日

天皇陛下について 36

天皇陛下の、全国行幸は、敗戦の焦土の中で、随分と、不便と、難儀を伴った。

地下500メートルの炭鉱の最先端まで、降りて、炭鉱夫をねぎらい、田圃のあぜ道、漁村の水揚げ場へも、出掛けて、農漁民を、慰めた。

ソフト帽を無造作に、つかんで、会釈する。
型が、崩れて、毎晩それを、内舎人や、侍従が、直すのである。

カンカン帽は、すぐにツバが、ガタガタになった。

さて、私は、天皇行幸の、詳しい様子を、書きたいと、思う。
佐賀県の、因通寺に、行幸した様子である。
それは、後で、書くことにする。

その前に、天皇行幸についての、評価と、反応について、少し書くことにする。

天皇の、国民からの、絶大な人気を、アメリカはじめ、連合国側に、再認識させたということである。

他の敗戦国とは、異を事にした。

自殺した、ヒトラー、ムッソリーニーは、民衆に虐殺されて、三日間も、公園の木の枝に、逆さづりになり、石を投げられた。

イタリア王は、国外に追放である。
長男が即位したが、一ヶ月で、廃止された。

敗戦国ではないが、ベルギーのレオポルド国王も、戦後、その対独協力を、国民が許さず、長い間、国外から、留位を画策したが、退位し、長子に譲位せざるを得なかった。

それらの、悲惨な末路に、引き換え、日本のみは、国民が、全国津々浦々で、天皇を歓迎し、熱狂して、迎えた。

欧米の人たちは、それが、理解できず、不思議だった。

イギリスの新聞は、
日本は敗戦し外国軍に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群集は天皇に対し超越的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。

GHQが、天皇巡幸を、認めたのは、天皇の人気をはかるバロメーターにしようとしたからである。
そして、それにより、占領政策における、天皇の位置と、近くはじまる、極東国際裁判での、処遇を決めるためであった。

ソ連をはじめ、一部の連合国は、強硬に、天皇の戦犯要求を出していた。

GHQは、何よりも、占領行政における、天皇の利用を、考えていたのである。

そして、その様を、見て、
天皇の存在は、米軍20個師団の駐留にも匹敵する
という、マッカーサーの、嘆賞を証明することになった。

更に、期待を、裏切られたのは、共産党である。

必ず、人民の反発を引き起こし、失態を晒すと、考えていた。
ところが、全く違う。
彼らは、いつも、予想を間違えるが、それを、認めない。

天皇が侵略戦争の最大の責任者であるのに、最近各地に出動して自己の責任を棚に上げて、人民に呼びかけている。天皇のかかる行動は、天皇制護持の旗をかかげ、日本の民主化を挫折させようとする反動政党のための選挙運動に他ならない
と、意味の無い、悲鳴を上げた。
焦燥感。
しまいに
天皇は箒だと、ののしる。

歓迎のために、街や道路が、綺麗になるからである。

共産主義者は、天皇を廃止するとの、考え方であるが、共産主義より、民主主義より、天皇親政は、民に、平等で、民のために、存在するという、存在が、天皇であると、知らない。

ここに、大きな誤りがあるが、それを、知らない。

大和朝廷以前からの、富士王朝という、長い、古代史の中で、築かれてきた、すめらみこと、の、存在意義を、知らないし、知ることも、拒否する。

実に、その愚かさは、無明である。

理想的な、政、まつりごと、を、天皇親政が、行っていたという、歴史的事実を、理解しないのである。

だが、一般国民は、無意識に、それを、見抜いていた。
天皇は、国民の、最大の権威であり、最大の、味方であると。

帝の、承認のない者は、天下を、治められないのである。
その、帝を、擁立したのは、民である。

日本民族の、知恵が、天皇存在を、承認したのである。

民は、天皇に、すべてを、託した。そして、託してよい、存在なのだ。
何故なら、陛下は、唯一、民の側に着く方である。

上下の思想。
上は、天皇であり、下は、民である。

今は、政治家というもの、その中間に位置する。
いや、征夷大将軍と、許される者も、その中間に位置するのである。

朝廷、帝、天皇に、許されなければ、政治を担当できない。
明治維新が、成ったのも、天皇あれば、のこと。
そうでなければ、いつまでも、戦が続いた。

その内乱を予想して、商売をするというのが、イギリス商人たちだった。
ところが、明治維新は、成った。
天皇を、戴いて、明治政府が樹立された。

戊辰戦争にて、最後まで、抵抗した、会津藩も、王氏に逆らうこと、子々孫々までの恥であるとの、仙台藩の、説得に応じたのである。

いかに、薩長同盟であろうが、今それ、帝に、逆らうことになるとはと、藩主、容保は、恭順を示し、降参したのである。

帝、天皇の存在が、日本には、必要なのである。
それが、知恵であること、民が一番知っている。

無形の権威というものが、日本の歴史を支え、日本精神を、支え、そして、日本という、国を、創造してきたのである。



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神仏は妄想である 294

天地創造、そして、人間を造りたもうた、神というモノに、徹底的に対決した、一人の作家がいる。

マルキ・ド・サドである。

ぼくは思うに、このけがらわしい宗教の神というやつは、今日一つの世界を創造したかと思うと、明日はその出来栄えを後悔するといった態の、およそ無定見で野蛮なやつでないとしたらいったい何だ?けっして人間を思うとおりに仕込むことのできない、力の弱いやつでなくて何者なのだ?神から出たにもせよ人類は、かえって神を支配しているよ。

まさに、創世記の神の、技は、実に、矛盾している。
しかし、キリスト教司祭、牧師は、言う。

神は、人間に最大の愛である、自由意志を与えたと。

その自由意志で、人間が、神の愛を受け入れることが、信仰である。
更に、人間の罪を、我が子を使って、救うという、その愛の行為・・・

とてもとても、妄想なのである。

人間の、原罪というもの・・・
生まれながらに、罪人であるという、観念は、ただ事ではない。

人間には、罪を犯す、種を持つものである。だから、罪人・・・
あらゆる、キリスト教作家は、そこに、問題意識を見出して、小説を書くという、アホ振りである。

その人間存在の、根底にある、原罪というものを、いかに、観念するか、である。

この、人間の自虐性は、どこからのものか。

原罪説というものも、教義の一つである。
最初から、それが、存在していたのではない。

教父といわれる、神学哲学者によって、作られたものである。

それでは、サドの続きである。

神の意志にそむき、そのために地獄の苦しみをなめることだって、人類にはできるのだから!神様としたことが、何とまあ意気地のない、何とまあ情け無いことだろうね!われわれの眼にふれるありとあらゆるものを創造することができたというのに、人間一匹思い通りに作りあげることができなかったとは!しかしあなたはそれに対してこう答えるかもしれない。もし神が人間をそんなふうに立派に作りあげてしまったら、人間の価値というものをどこに求めたらいいのだろう、とね。じつに愚劣な議論だよ。第一、人間がその神にふさわしく立派にあらねばならぬ必要が、どこにあるだろうか?もしも、人間をまったく善良に作りあげさえしたら、人間はけっして悪事をはたらくことができなかっただろうに。そうしてこそ初めて、人類創造という仕事は、まことの神の事業というに辱しからぬものであったはず。人間に選択を許すということは、人間を試みることだ。ところで神は、端睨すべからざる先見の明をお持ちなのだから、その結果がどうなるかというようなことは、いちいち分かっていたはずだ。

リチャード・ドーキンスとは、また、別な形で、創世記の矛盾を突くのである。

勿論、それに対して、キリスト教側は、妄想逞しく、反論する。

そうしてみると、神は自分でつくった人間を好んで堕落させているということになる。何という怖ろしい神だろう。この神様というやつは!何という酷いやつだろう!むしろわれわれの憎悪と容赦なき復讐を受けてしかるべき極悪人だよ!しかもそいつは、神としての最高至上の勤めには満足しないのか、改宗させるためには人間を大洪水で溺れさせたり、業火で焼き殺したり、呪いを唱えて禍を被らせたりする。

嫉妬と裁きの、神であるとは、神自ら、聖書の中で、語る。
人格神とは、よく、言ったものである。
人格神で、全知全能であるはずがない。
つまり、完全な人格というものは、無いのである。

人格神ということ、自体に、矛盾がある。

更に言えば、全知全能であれば、次元も質も違うということで、全く、人間と、接する何物も無いのである。

しかし、そうまでしても、人間を変えることはさっぱりできない。だからこの醜悪な神よりももっと力強い存在たる悪魔が、相変わらずその勢力を失わず、相変わらずその創造者を見くびって、もって神の子羊たる人間どもをさまざまに誘惑し、絶えず堕落せしめることもできるというわけだ。われわれにはたらきかけるこの悪魔の力に打ち克つことは、何物をもってしても不可能だ。するというと、あなた方が口をすっぱくして唱えるあの怖ろしい神は、このときいったい何を考えているのかしら?神にはひとり息子がある。どんな交渉から生まれたものかとんとぼくは知らないが、ともかく一人息子だ。何のことはない、人間は自分がマグアイするものだから、自分たちの神も同じようにやることを望んだわけさ。神は自分自身のこの尊い部分を天国から下界へつかわした。ひとびとは想像した、この崇高な神の子はおそらく天上の光に乗って、儀杖の天使たちに取り巻かれて、全世界の衆目を集めながらその姿をあらわすのだろうと・・・・しかるに、何ぞはからん、救世主として地上へやってきた神が姿をあらわしたのは、ユダヤの淫売婦の腹の中であり、汚らしい豚小屋の中だったとは!これが実に世に伝えられる神の子の素性だとは!それはそうと、彼の栄光ある使命によって、いったいわれわれ人類は救われるのだろうか?

ここから、実に、興味深い、サドの、イエス・キリストに関する、問い掛けが行われる。

つまり、彼は、イエスは、何を言い、何をしたのか。この男から、どんな使命を授かったのか。どんな霊妙な教えを彼は告げたのか。どんな教義を規定したのか。要するに、どんな行為のうちに、彼の偉大さが、発揮されたのか・・・である。

ぼくの心に浮かぶのは、まず第一に、少しも知られていない少年時代と、この悪童がエルサレムの寺院の坊主どもにしてやったにちがいない、きわめて淫らなある種のお勤めと、次に十五年間の逃亡だ。この山師は行方をくらまして十五年、その間エジプト学派のあらゆる妄想にかぶれて、やがてこれをユダヤに持ち帰ったらしい。そしてユダヤに姿をあらわすやいなや、彼はわれこそは神の子であり、父なる神と等しきものである、などとほざき、かくしてその狂気沙汰がはじまるのだ。あまつさえ彼はこの神の子との組み合わせに、さらにもう一つ聖霊と称する化物を付け加えて、この三つの位は一体にして分かつべからざるものであると断言する!この哂うべきマヤカシがわれわれの理性に怪奇に響けば、いよいよこの下司な男は、それを受け入れることの功徳を主張し・・・それを棄てることの危険を力説する。神であるにもかかわらず、ひとの子の腹に宿って肉身となったのは、全人類を救済するためであり、やがて自分によって行われるでろあう目覚しい奇蹟の数々は全世界を承服させるであろうと、この男は断言する!

これは、文学である。
だから、救いがある。
しかし、サドが、宗教家として、説教をするというのであれば、救いは、無い。

実に、烈しい、皮肉である。
それには、当時の、聖職者たちの、堕落の最たる時代であるということも、ある。

私は、ここで、新訳聖書当時の社会情勢、状態を鑑みることで、更に、イエスという、人間に、迫ってみる。
勿論、マタイの福音書を、理解するためである。


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あらっネグロス島へ 5

追悼慰霊は、三度、行った。

一つは、セブシティの港に面した、サンチャゴ要塞跡である。
そして、トゥマゲッティのビーチにて、ビサヤ諸島の海で、亡くなった、皆さんの、である。
更に、トゥマゲッティから、セブ島に渡る、船から、早朝、私とコータが、それぞれ、別の時間に行った。

サンチャゴ要塞跡は、スペイン統治時代のものであるが、日本軍が占領していた時、捕虜収容所として、利用された。
大砲が、そのまま、残る。

薔薇の花を、御幣として、清め祓いを行った。
更に、その付近、港付近に住む人たち、特に、子供服を持参して、手渡した。

丁度、慰霊を終えて、港に向かうと、多くの人たちが、いた。
薔薇の御幣を、海に戻してから、その傍に行くと、生まれたての、赤ん坊がいた。

即座に、幼児物を取り出して、渡すと、その母と、祖母であろう、とても、喜んだ。
すると、私も、私もと、人が集まる。

トゥマゲッティのビーチの朝、人がまだ、まばらな時に、長い祝詞を唱えて、追悼慰霊の儀を行った。

その際は、日の丸だけを、掲げた。

周囲の人たち、海で泳いでいた、子供たちも、注視していた。

無事に済み、再度、早いうちに、激戦地だった、コバロド、シライ市のシライ川で、慰霊を行おうと、思う。

海上慰霊は、勘違いによるもので、セブ島に戻る船の上で、行った。

それは、セブシティに帰る予定の日に、フライトが無いと、分かったからだ。

9日に、戻るはずが、チケットを見ると、8日になっていて、すぐに、セブパシフックに、問い合わせた。
すると、9日は、フライとが無いという。
それでは、何故、受付の女が、説明しなかったのか・・・

いや、したのかもしれないが、ペラペラ英語が、聞き取れなく、そのまま、勘違いしてしまったようだ。

8日の、夜七時頃から、慌てふためいた。
どうする・・・

コータが、フロントに相談に行く。
すると、深夜12時に、出発する、セブシティ行きの、船があるという。
それに乗るしか、方法が無い。

急いで、帰り仕度をする。

フロントの女性は、親切で、コータを連れて、船乗り場まで、行き、二人分のチケットを取ってくれた。

11時までに、乗船すること。

その間の、私は、ベッドで、寝ていた。
おおよそ、10時過ぎまで。

コータに言われた。
大物だね・・・こんなときに・・・である。

支援物資が無くなったので、荷物は、軽い。
バイクタクシー、トライシクルに乗り、船乗り場まで、行く。
乗船すると、すでに多くの人が、乗っていて、四段ベッドに寝ていた。

私たちは、300ペソの最高の部屋である。
エアコンが効いている部屋。
私は、個室かと、期待したが、大部屋である。

そこにも、すでに、人々が、眠っていた。

これは、大変だと、思った。
その船の揺れである。
船酔いする可能性あり。

すぐに、薬を飲む。
兎に角、眠ればいいと。

そして、そのまま、眠った。
私は、大物である。
船酔いせず、眠った。というより、薬のお陰で、大物に成る。

船が海上を走る、大きなうねりを感じたが、眠り続けた。
目覚めたのが、朝の六時頃である。

コータが、寝ているので、起こさず、甲板に出て、日の出を拝し、慰霊の、黙祷を捧げる。

その前に、コータが、起きて、一人で、慰霊をしたと言った。

兎に角、無事にセブシティに到着し、翌日の帰国便にも、乗れることになった。

そこで、最後の、宿泊を、セブ島の、観光地、マクタン島のホテルに泊まることにした。だが、観光地のホテルは、高い。唯一、調べたホテルの中で、1200ペソ、2400円の、ホテルを目指した。

港から、タクシーに乗る段になり、私は、また、大声を上げた。
一人のタクシー運転手が、マクタン島までなら、550ペソと、言ったからだ。

空港の、タクシークーポンでも、390ペソである。
コータが、抗議したが、私は、怒鳴りつけた。

勿論、日本語だから、相手は、解らないが、それでも、怒っていることは、解る。

そうすると、一台のタクシー運転手が、メーターで行くという。
即座に、そのタクシーに乗り込む。

メーターで、行けば、200ペソ以内で行けるのである。

どこでも、タクシー運転手を、怒鳴りつけるようになった。
外国人からは、三倍程度、頂くと、決めているようである。

ジャカルタの、空港でも、タクシークーポンを買えと、おじさん二人に、詰め寄られ、私は、何と、おじさんの肩を、押して、私は、メータータクシーで、行くのだと、怒鳴った。

周囲の人たちからも、笑い声が聞こえた。
おじさんたちは、その上がりで、生活しているのである。

それも、理解するが、私は、貧乏旅行である。
妥協できない。

バリ島でも、運転手を、怒鳴り続けた。
そして、やっと、メーターを下ろした。

それ以後、バリ島で、タクシーに乗ると、皆、メーターを下ろす。
どこかで、情報が、行き渡っているのか・・・

着物を着た、髪の長い日本人の男には、注意せよ・・・

ただ、最初から、真っ当な料金で、乗せる運転手には、必ずチップを渡す。

荷物があるから、タクシーに乗るが、なければ、バスや、公共の乗り物に乗る。
ホント、旅の移動は、大変である。


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2010年09月06日

あらっネグロス島へ 6

ネグロス島、トゥマゲッティでの、支援である。

私が、ホテルで、寝ている間に、コータが、街中を、歩いて、支援に相応しい場所を、探した。

それは、川沿いにあった。

下流から、上流にかけて、スラムが、続くという。
その一つの、地区に入り、衣服は、必要ですかと、問い掛けた。すると、声を掛けた、おばさんが、勿論、必要と、いった。そして、それなら、地区を、担当する、事務所に、申し出てくださいと、言ったという。

コータは、すぐに、その示された、事務所に向かった。
そこで、説明を受けた。

場所は、無料診療所と、子供たちの施設としている、建物で、行って欲しいと、言われた。

私が、夕方の四時と、指定していたので、それを、告げると、それでは、地区の人たちに、連絡しておくということになった。

私と、コータは、すべての、支援物資を、持参して、三時半にホテルを出た。
荷物を、持って、地区まで、歩いた。

地区の、入り口に来た。
私は、早速、見つけた、子供たちに、ぬいぐるみを、手渡した。

すると、どんどん、子供たちが、集まる。
歓声が上がる。

準備していた、施設の、おばさんが、こちらに来て、下さいと、呼ぶ。

私たちは、施設の前に、出た。
すると、地区の人たちが、どんどんと、集まる。

担当の、おばさんが、何かいうと、皆、列を作った。

混乱せずに、支援が、出来たのは、おばさんの、助力である。

皆、並んで、私たちの、支援物資を、待った。

とても、いい、雰囲気である。

我先にという、行動はなかった。

私が、支援物資を、一つの、テーブルに、出した。
すると、おばさんが、列を作る人たちに、一人、一つと、渡すのである。

私は、別に、子供たちに、衣服を渡した。

和やかな、雰囲気で、とても、スムーズに、進んだ。
大人物は、担当のおばさんが、一人一人に、合うものを、渡してくれた。

今回は、残念だが、男物は、無い。
子供物と、女物である。

最後に、私が、ハンカチを、渡すことになった。
私は、ママ、ママと、言って、女性たちに、手渡した。
歓声を、上げつつ、女性たちが、それを、受け取る。

すべてを、私終えて、写真を撮る。
皆、とても、嬉しい表情、顔だった。

何枚も撮った。

戻る道々も、多くの人たちと、写真を撮った。
男たちも、何か言う。意味は解らないが、その表情から、ありがとうと、聞こえる。

若い男の子たちも、一緒に写真に、収まった。

兎に角、私たちは、彼らの、敵ではない。
彼らの、味方である、という、意識を感じた。

その、地区の女の子たちは、皆、美人で、肌が、美しい。
とても、セクシーである。

私に、腕を絡ませる、女の子もいた。
少し、ドキドキする。

地区の人たちで、飼っている、ブタがいた。
子豚である。
私が、その檻の前に立つと、男の子が、やって来て、一緒に写真を撮った。

何か、いいたそうである。
何と、悲しいことか・・・
言葉が、分からないのである。

ネクスト、タイムね
また、来るね

日本語で、言うしかない。

最後の最後まで、私たちを、追い掛けて来た、男の子たちが、何か言う。
コータは、現地の、ありがとう、という意味だという。

私も、その言葉を、繰り返して、分かれた。

地区の入り口に出ると、また、人々がいる。

とても、歓迎してくれる。
ジャパニーズは、通用しない。
日本人は、何とかこんとかと、言われる。

よく、聞き取れない。
タガログ語でもない。
ビサヤ諸島の、言葉があるという。

ビサヤ語である。
こうして、私は、また、縁を作るのだ。

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神仏は妄想である 295

イエスが、その生涯を送った時期、ガリラヤでは、ヘロデ・アンティパスの、そしてユダヤでは、ローマ総督の治世下に当たる。

イエスは、その大部分を、ガリラヤで送り、ガリラヤは、ユダヤに比較して、風土的にも、社会的にも、固有性を持っていた。

しかし、政治的、宗教的にガリラヤは、圧倒的に、ユダヤの支配下に入っていた。
すなはち、政治的には、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスも、ローマのユダヤ総督の傀儡に過ぎず、宗教的には、ガリラヤも、徹底的に、ユダヤ教化されていた。

ユダヤと、サマリア、インドマヤの、領主、アルケラオスは、度重なる失政、特に、ユダヤ教大司祭に対する、弾圧政策と、不当な結婚のゆえに、絶えず、ユダヤ人の反抗を受けていた。

そして、ついに、ユダヤ人の支配者が、不倶戴天の敵、サマリア人と組んで、アルケラオスを、皇帝アウグストゥスに讒訴するのである。

皇帝は、これを、受けて、アルケラオスの領土内における、財産を没収し、彼をガリラヤに追放する。

更に、紀元前四年に、ヘロデ王が、没した年に、ユダヤ人の支配層は、ユダヤ教徒は、神以外に、王を戴かないという、理由で、パレスチナをローマのシリア州に、編入してもらうべく、皇帝に、願い出ていた。

これは、ユダヤ人の、富裕層が、自らの財産を、ヘロデ家の手から、守ろうとする、自衛手段だった。

これは、ユダヤ地方を、直接支配下に置こうという、ローマ側の、利害と一致したのである。

ローマ皇帝は、ユダヤ人支配層に、信仰の自由と、ある程度の、自治を認め、彼らの財産に、保護を与えることを、約束した。
そして、アルケラオスの旧領地を、シリア州と並ぶ、皇帝直轄属州、いわゆる、ユダヤ州にして、皇帝の、直接支配下に置いたのである。

ユダヤ人の、一部の特権階級は、皇帝の保護下に、平和を享受したのである。
だが、大部分のユダヤ人は、アルケラオスの統治下よりも増して、新しく、ローマ側からも、課せられる、重税に、苦しめられることになる。

この以後、ユダヤ州は、ローマの総督によって、統治されることになる。

ポンティウス・ピラトは、ユダヤ州の五代目の総督に当たり、この時代の皇帝は、ティベリウスに変わっていた。

ピラトは、ローマで、皇帝以上に、実験を握っていた、親衛隊長セヤーヌスの庇護を受けて、ユダヤ人に対して、弾圧政策を、取っていた。

ローマ総督が、ユダヤ州において、所有していた、最大の、権限は、徴税権である。
戸籍調査によって、課せられる、人頭税、地租の直接税、移動税、市場税等の間接税から、なり、ローマの大商人、徴税請負人によって、直接的には、出先機関である、ユダヤの取税人によって、徴収された。そして、皇帝財庫に入れられた。

司法権としては、イエスの時代は、政治犯に対する、死刑執行権を持っていた。
これらの、職権以外の、一切は、ユダヤ人の、自治機関である、最高法院に、委託されていた。

その最高法院の、頂点には、大祭司がいたのである。
この職は、ユダヤ人の、元首といわれるほどの、絶対権力を、持っていた。

大祭司職は、伝統的に、世襲制であったが、その経過は、省略する。

紀元後六年、アルケラオスの領地が、皇帝直轄属州に編入された時点で、反アルケラオス運動の功績を認められた、アンナスが、シリアの州総督、クイリニウスによって、大祭司が任命され、以後、ローマ当局の絶対的信任を得て、彼が、職を下りた以後も、五代の長きにわたり、アンナス家から、大祭司が、選ばれた。

イエス時代の、大祭司カヤパの時も、実際には、アンナスが大祭司としての、実権を握っていたのである。

当時の、ユダヤにおいて、宗教、つまり、律法と司法、そして、政治、行政、軍事が、実に、密接に結びついていたのである。

他方、神殿財庫管理者は、収穫の初穂、さらに、祝祭日ごとに、特に、国外在移の、ユダヤ人から、奉納される、莫大な数に上る貢物のほかに、二十歳以上の、すべてのユダヤ人から、毎年徴収する、神殿税を、管理運営することで、ユダヤ国内の、財務を担当した。

さらに、神殿に仕える、祭司たちの生活を支えるために、下級祭司、レビ人を使い、イスラエルに伝統的な、いわゆる、十分の一税を、民衆から、取り立てていた。

最高法院は、大祭司を頭として、70人の、議員によって構成されていた。
それは、祭司長たち、また、役人たちの他に、長老たち、律法学者たちから、成り立っていた。

祭司長、役人たちは、貴族信徒で、大土地所有者であり、長老、律法学者たちは、小市民層の、利益を代表する。

前者は、サドカイ派、後者は、パリサイ派と、呼ばれる。

サドカイ派は、伝統主義、保守主義の立場をとり、モーゼ律法、旧約聖書の最初の、五つの書、モーゼ五書のみを、聖文書として、ここに、認められない、あるいは、これ以降の時代に成立したといわれる、新しい思想を、一切認めなかった。
つまり、モーゼ信仰である。


彼らは、ユダヤ社会の、経済的上層と密着して、外国勢力に対して、一般的に、協調政策を取っていた。
その、保守的国民的主義は、自由主義として、機能することも、できたのである。

イエスの、時代には、ローマの傀儡的存在であった、アナンス家の大祭司、祭司長たち、長老たちと、密着することにより、体制を擁護する役割を果たしていたのである。

パリサイ派は、分離者を意味する、ヘブライ語、ペルーシームに由来する。
彼らは、律法を守らない者、いわゆる、地の民の、不浄から、自己を分離することによって、宗教的清浄の理念を、世俗世界に、貫徹させ、その場を、彼らの同志的結合、ハーペールの中に、形成していった。

その際、彼らがとった、手段は、律法の、敷衍解釈である。その目的は、古き律法から、理念を取り出し、それを解釈することによって、新しい時代に、生かそうとするものである。

律法の合理化である。

彼らが、天使論や、復活信仰を受け入れたのも、モーゼ五書に固有な、神の使いの概念や、一元的人間観を、ペルシャから導入された、新思想、マカベア戦争による、殉教者という、新事態に即して、解釈した結果である。

パリサイ派は、預言者の時代は、終わったという、認識に立ち、法理念の、この世における、貫徹の中に、神の国の建設を期待した。

その結果、律法と、その解釈に基づく、細則を守らない者は、救われないという、律法主義に、陥る傾向があった。
この傾向が、特に出てくるのは、紀元後、70年代以後に、この派閥が、ユダヤ教正統の位置についた以後のことであり、イエスの時代は、それほど、強くは無かった。

ユダヤの、最高法院は、社会的には、貴族祭司と、大土地所有者、および、手工業者を中心とする、小市民層との、利益代表者によって、構成されていた。

サドカイ派と、パリサイ派は、それぞれの、社会層の存在を、正当化する、役割を、果たしていたと、いえる。



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2010年09月07日

神仏は妄想である 296

イエスの時代の、ユダヤでは、まだ、大土地所有者と、大商人とが、分離していなかった。

大土地所有者は、彼らの、広大な土地に、バルサム材、棕櫚の木を植えて、これから取れる、高価な薬品、香料を輸出することで、莫大な、利益を上げるだけではなく、小麦まで、国内の需要さえ、十分でなかったにもかかわらず、利益のために、輸出していたのである。

他方、彼らは、国内においては、穀物の買占めを手段とする、投機によって、あくどい商売をしていた。

穀物の隠蔽が、行われていたことは、旧約聖書、箴言の書にも、出ている。

穀物を、しまいこんで、売らない者は、民に呪われる。それを、売る者の頭には、祝福がある。
箴言の書

これ以上、詳しく書かないが、実に、ユダヤ人というものは、自国民にたいしても、冷酷だった。
更に、差別主義である。

古代は、穀物の生産が、自然条件によって、大きく支配されていた。
市場価格を一定に保つことは、問題にならなかったのである。

イエスの、時代は、穀物4セアの、通常値段は、1セラ、1デナリであった。
バケツ一杯ほどの、穀物の値段は、日雇い労働者一日分の、平均給与に当たる、1デナリであった。

そして、エルサレムの市場管理者は、最高価格を抑えることはせず、購買量を制限していた。

このような、大農場経営に、立脚する、古代資本主義経済機構は、ローマ市民共同体から、巨視的に見れば、奴隷を含む、いわゆる外人に対する、そして、これを、属州ユダヤの自治体から見れば、小農民に対する、経済搾取によって、成り立っていた。

ユダヤの、農民は、小土地を私有する独立自営農民の場合でも、多くの場合は、その農具を、大土地所有者から、借金によって、買うか、あるいは、彼らから、一定の額で、現物を貸付されるかして、農業を営む状態だった。

そして、その借金は、補遺率で、禁止されているにも、関わらず、実際には、利息がつけられていたことは、ラビ文献でも、福音書でも、確認される。

このような、生活状態の中で、ある程度生活を安定させるには、小農民は、家内手工業や、小規模な家畜の飼育、そして、ガリラヤでは、漁業を営んでいた。
だが、それでも、生活が出来ない場合は、土地を放棄し、小作人になるか、町に出て、日雇い労働者になるか、負債奴隷となるか、女の場合は、売春である。

ユダヤにおいて、奴隷は、他のローマ属州と違い、七年ごとに来る、安息年に、自動的に開放されるという、掟があったので、比較的、人道的な扱いを、受けていた。
だが、この、掟が、完全に守られていたことは、疑わしい。

解放後に、進んで、奴隷になる人、奴隷と、ならざるを得なかった人もいる。
特に、このような、状態にある者が、障害者となったり、重病になった、場合は、極めて、悲惨だった。

さて、イエスの時代、祭司と民衆の間に、社会層上の、区別は、明確ではなかったという、事実である。

貴族祭司が、大土地所有者であり、大商人であり、最高法院の頂点に立って、ユダヤ自治組織の体制を、動かしていたことは、確かであるが、下級祭司、いわゆる、レビ人たちは、むしろ、小農民と、同列か、それより、低い経済状態を、余儀なくされていたのである。

ユダヤ古代史によれば、
祭司の中資力を失った者たちは、貧困の中に死んでいった
と、ある。

この時代、祭司の間にも、階級ギャップが、生じていたのである。

持てる者は、与えられ、持たざる者は、持てるものまでも取り上げられるであろう
マルコ、マタイ、ルカ福音書

イエスの活動した、ガリラヤは、ユダヤに比べて、自然状況に恵まれていた。
ユダヤは、ガリラヤなしに、経済的に、成り立たなかったといわれる。

エルサレム在住の、貴族祭司、大土地所有者は、その土地の、多くを、ガリラヤに持っていた。更に、律法学者、パリサイ派の人々は、ラビとして、ガリラヤの会堂を支配していたのである。

また、ユダヤで、土地を失った農民が、ガリラヤで、漁師などの、職、仕事をしていたと、考えられる。

また、面白いのは、ユダヤ教の反主流派組織も、多々あった。
それらは、省略する。

更に、メシアと、名乗る人々も多数いた。

福音書に、登場する、サマリアについて、少し書く。

サマリアは、ガリラヤと、ユダヤの中間に、位置する。
この地域は、ガリラヤと共に、アッシリアの一属州に、編入されて以来、イエスの時代に至るまで、ユダヤとは、接触がなかった。

ユダヤ教とは、異なる、サマリア教が、成立していた。
だが、それも、旧約聖書の、モーゼ五書だけを、経典とみなして、エルサレム神殿を拒否していた。

そして、預言者の降臨を待望していた。

そのため、ユダヤ教徒と、争いが、絶えなかった。
ガリラヤ人や、ユダヤ人が、サマリアを通ることさえ、不可能だった。

だが、ローマ帝国から見れば、サマリアも、ユダヤ州の一部であった。

イエスは、生涯の大半を、ガリラヤで過ごし、最後に、エルサレムに上り、その地で、十字架刑という、極刑に処されて、没するのである。

ユダヤ社会においての、差別は、甚だしく、貧者、最悪の場合は、小家畜飼育者、日雇い労働者、売春婦、奴隷、障害者、病人、それらは、農民層から出ていた、人々は、ラビたちから見れば、律法を守らない、宗教的、社会的な、差別の対象だった。

だが、事実は、律法を守らないのではなく、守ることが、出来なかったのである。

あるいは、守ることの出来ない、状況に置かれていた。
彼らは、ローマ当局から、人頭税、間接税を徴収され、ユダヤ自治機構からも、神殿税を課せられていた。

そして、大土地所有者からの、投機による、被害を、直接受けていたのである。

それを、ラビたち、パリサイ派が、宗教的差別の、対象として、攻撃していた。

なんと言っても、宗教というものによって、正当化する、彼らに、対抗できかる、何物もなかった、悲劇の人たちがいる。

イエスは、その、彼らの側に、ついたのである。

つまり、現代で、言えば、決して、社会的権力、権威を持つ、教会の司祭たちの側ではなく、それらに、搾取され、虐げられた、人々の側について、
もし、神がいるなら、それは、あなたたちのために、存在すると、声を上げて、叫んだのである。

キリスト教国がある。
しかし、貧しい人たちは、教会の中にも、入ることが、出来ない。
それを、私は、見ている。

日本の、キリスト教徒を見て、キリスト教徒を、想像しない方が、いい。
日本の、キリスト教徒は、イエスの存在の無い、キリスト教である。

妄想、熱に浮かれた、イメージ信徒、生ぬるい、信仰という、遊戯に遊ぶ、信徒の群れである。

更に、日本の
司祭、牧師たちは、生活の保障がされて、痛くも、痒くもない、安穏とした、状況の中にいる。
そこで、あたかも、悩んだ振りをして、信徒を、導き、尊敬を受けて、実際は、惰眠を続けている。
だが、その中途半端な信仰によって、ユダヤ魔界と、その魔神と、真剣に取り合わないことが、救いでもある。

ちなみに、彼ら、クリスチャンの言うところの、聖霊、そして、霊性なるものは、無い。
妄想である。

もし、本当に、霊性が、あれば、即刻、教会から、離れる。
その神は、魔神であるからだ。

ヤハウェの天の国に、入っても、救われない。
更に、主イエスも、そこには、いない。

嫉妬と、裁きの神の元に、愛の神を、説く、イエスがいれば、イエスの教え自体が嘘であるといことになる。

だが、鋭い、霊能力で、観れば、黒い神が、白い神を、創造したとある。
魔神が、その姿を、見せずに、善なる姿の神を、創造したことになる。

混乱の極みである。


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あらっネグロス島へ 7

今回、私は、勘違いのために、ネグロス島の、激戦地であった、バコロド近郊の、シライ市、そのシライ川に沿っての、マンダラガンの山での、戦争犠牲者の、追悼慰霊が、出来なかった。

しかし、少し、その戦禍を紹介する。
次回の旅日記の、時は、より詳しく、紹介することとして・・・

ネグロス島戦記 池 平八著
そこから、兵士たちの、死に様の、一つを、紹介する。

このような、死に様も、あったということを、知って欲しい。

多くの戦友の命が、一瞬のうちに、引き裂かれ、飛散する。右の陣地で、そして中央陣地で、はたまた左方陣地で、間断なく光の渦が、逆巻く。生き地獄の鬼火が、各所に次々と燃え上がり夜空を真紅に染める。そのつど戦友の生命が乱舞しながら闇の底に消えて行く。

日本軍は、連合軍の、猛烈な、攻撃を受けた。
それは、徹底したものである。

その、戦友の死の様をみて、池氏は、
人間の名状しがたい生の尊厳さを、改めて体得した。
と、書く。

さて、私が、一番、驚き、そして、佇んだ、死に様である。

敵の熾烈な爆撃に、駐屯軍は他の安全な場所を求めて去り、ここにはもう他部隊はいないと思っていたのであるが、下方の温泉場では、毎日数十人の見知らぬ戦友たちが入浴していた。

自分たち以外にも、まだ相当数の残留者がいるのかもしれない。一見して彼らは健康体のようである。毎日入浴する兵たちが、同一人物であるか別人であるのかわからないが、朝から夕方までの長時間、湯につかり続けている。

彼らが入浴するので、私は汚物の洗濯はできるだけ下流でするようにした。だれも無口で、話し合っているようすがない。ひたすら湯につかっている。

その後、数日間も敵の空爆はなく、静かな日々の連続だったが、突然、異変が起きたのである。

湯の中の兵が昨夜一人、今日一人と、死んでいくのだ。

石にもたれて下半身を湯の中に浸したままで息絶え、やがて流れに揺れながら湯の底に沈んでいく。

名も知らぬ戦友が、死んで、水中に沈んでいる。

ゆらゆらと揺れ動く者。そうしたなかであとから来た戦友は無表情、無言で温泉に入っている。

だれもかも、この私にしても、己の周囲に起こる事象に反応しなくなっている。全ての感動も感情も驚きの色もない。きたるべきものがきたにすぎない。ただそれだけのことである。生き残った者も、明日まだ生き続けられるとは限らない。いずれは、われもまた多くの戦友と同じ運命の道をたどるのだ。心の中に、こんな潜在意識をもっている。兵はただ死するのみなのだ。

やがて、湯の中の死体は、一日、二日と温泉の湯でふやけて溶け始める。

手足の指先から、透明なゴム製の手袋を脱ぐように、一ミリ、二ミリ・・・五ミリ、透き通るようにうすい皮膚の手袋ができる。

五本の指先からこれだけ脱けるのに約二日を要した。

この手袋が皮下の肉と分離して抜けるものであろうと、毎日洗濯のつど、観察していたのであったが、自然の状態のままでは、これ以上は無理であるらしく、その後は一ミリも長くはならない。ゆるやかな水の流れに、指先でかすかに揺れている。

やがて、体の各部分の皮膚は次々と破れ、肉はただれ、下流に流れ去る。その静かな水の流れを無言で見つめつつ、汚れた水を遠くにおしやりながら洗濯する。

四、五日後になると、遺骨が水底に静かに横たわった。

神秘な水葬の儀式が厳粛に執行されるように、美しく磨かれた白骨が水中で静かに眠る。

人骨の中で、もっとも重い頭蓋骨は、その後、数日間も水底に沈んだままであった。

そうした温泉に、兵士が一人、また一人と訪れて眠りながら入浴する。

戦友の腐乱死体が浮いていようと沈んでいようと、だれも拘泥などしないのだ。

だれもが無関心に湯につかり、やがてまた黄泉の国へと旅立っていく。

その後、スコールによって増水した渓流が濁流と化し、温泉に沈んでいた戦友の白骨を流し去った。濁流はまた清流に戻り、元の温泉郷が再現された。神の手による浄化であろうか。

下流に押し流された戦友の白骨は、このネグロス島の島を離れ、黒潮の流れにのって太平洋へ出る。八重の潮路の長い海の旅の果てに、はたして北の国、故国日本の浜辺に無事にたどり着くだろうか。そうあってほしいと祈ったのだが・・・

上記、私が、読みやすく、改行している。

この、遺骨は、流れに乗って、日本の浜辺に着くことは、なかったであろう。
また、山の中に、散乱した、遺骨も、今は、自然の中に、埋没しているだろう。

死んだら、終わりだから、それは、それでいいのか。

そんなことは、無い。
人には、想念がある。思念がある。
それは、死後も、残る。

顕在意識が、無感動でも、潜在意識は、深い悲しみと、絶望であろう。

死人に口なし、である。

誰かが、この、兵士たちの、思いを、言葉にしなければ、ならない。

一体、人生とは、何か、と、問い掛けることが、出来る人は、幸いである。
彼らは、それを、問いかける間もなく、戦地に赴き、死ぬことになったのである。

賢い者も、愚かな者も、だれかれなく、戦争という、狂気の只中に、入れられた。

池平八氏の、言葉に
熾烈極まりない戦い、飢餓、あまたの若き戦友たちの悲惨な死、そして副官の死。それらを思えば、この遅過ぎた降伏に、憤りを感ぜずにはおれない。
と、ある。

心からの、冥福を祈る。
そして、必ず、追悼慰霊に、私は、行く。
私が行かなければ、誰が行くのか。


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2010年09月08日

神仏は妄想である 297

あなたがたも聞いているとおり、昔の人には、「殺してはいけない。人を殺した者はさばきをうける」と命じられていた。しかし、わたしはあなたがたに言う、兄弟に対して怒る者はみなさばきを受ける。また兄弟に「愚か者」と言う者は、衆議所に引き渡され、「ばか者」と言う者は、火の地獄に落とされる。
マタイ 5章

兄弟に対して、怒る者は、みな、裁きを受けると、イエスが言う。
おかしい。
イエスは、いつも、怒っている。

殺人と、怒りが、同じものだと、言うのである。

怒りを殺人と同一視して、どちらも同じ罪に定められる、とする奇妙な論理はどこから来たのであろうか。こういう論理展開はグロテスクである、と言わねばならない。もっとも、キリスト教神学者の中には、どうにもならないほどに非論理的な者がいるので「グロテスクなものがまさにイエスの要求の絶対性を示している」なんぞと言いつのる者がいるのだから(G・シュテーリン)、いやになる。
田川建三

階級的な支配権力を持つ者が勝手に「怒って」その「怒り」を人殺しに結びつける時には、その「怒り」は断じて許せない。しかし、「社会の一員であることを認められず、許されない」人間が怒るのは当たり前なのだ。それとこれとを一緒にされてたまるか。狭山差別裁判の石川氏に、怒ってはいけません、なんぞと誰が説教できるのか。
田川

田川氏は、二つの問題があるという。

一つは、人間が怒ることは、それ自体として正しくない。
これは、旧約以来の伝統的、見方である。

もう一つは、怒りと、殺人を同じくするという、観念的拡大である。
それが、マタイ教団の、独自の発想だという。

だが、旧約聖書に出る、「怒り」の概念を調べると、そこには、人間の怒りが、語られることが、極端に少ない。
怒りは、大半が、神の怒り、なのである。

旧約聖書は、イスラエル民族主義の、塊であるから、神の怒りは、イスラエル民族以外に、向けられるものと、考えられるが、実は、イスラエル民族にも、向けられている。

エゼキエルが、エルサレム滅亡について、語る場合、「私は君たちを一緒にして、君たちに向かってわが怒りの火をあおり、火の中で君たちは、とかされる」と、歴史的過去、もしくは、未来の、戦禍や災害が、神の怒りの、表現とされると、田川氏は言う。

キリスト教の、馬鹿さ加減は、聖書を、歴史書としても、捉える点である。
聖書は、宗教の文書であり、作為ある、書き物、つまり、何とでも、解釈できるものなのである。

それを歴史の現実として明らさまにとらえることをせず、神によって不可抗力に定められたこととみなす。歴史の中のことを、超越的な観念「神」の世界へと追いやる。まさに典型的な宗教的疎外である。
田川

スマトラ島地震の際に、イスラム指導者、及び、キリスト教原理主義の指導者が、神の怒りに触れたのであると、語ったのを、聞いて、唖然とした。
いや、呆然とした。

一体、どこから、そんな、とんでもない、発想が、出で来るのか・・・
つまり、観念「神」の世界へと、追いやるのである。

更に、悪いのは、彼らには、許せない、者たちの、行状が、良くないからだと、決め付けるのである。

こういうのを、手に負えないという。

戦争の際の、それぞれの、祈りを、聞くと、また、愕然とする。

キリスト教徒は、神のための、戦争勝利を祈り、イスラムは、同じく、聖戦であると、祈る。

次に、田川氏は、ヨブ記の著者による、話題を書く。

当時の月並みだが、支配的な宗教世論であろうけれども、因果応報的な、発想で、「神の怒り」を、個人倫理の水準にも適用する、自然災害は、「神の怒り」と、みなされ、それは、「悪しき人」の家は「大水に押し流され」「激流がその怒りの日に押し流す」という。

この種の宗教論理がうさんくさいのは、うさんくさいどころかひどく実害があるのは、しばしばこれを論理的にひっくり返して、自然災害の犠牲者の悪口を言うことになるからである。あの人の家が押し流されたのは、あの人が何か悪いことをしたからにちがいない、と、こうして自然災害の犠牲者には更に人間社会の偏見という二重の災害が押し寄せる。
田川

実に、差別の、最たるものである。

だが、ヨブ記の、著者は、旧約には、稀な、考え方をした。

常識的な良心が、あれば、自然災害は、悪しき者にも、良き者にも、平等に襲いかかる。
だから、悪しき者、に対する、神の報いと言って、説明するなという。

そして、極めつけは、むしろ悪しき者の方が、災害から、免れると、言うのである。

話は、より、具体的になるが、要するに、宗教では、問題を、すべて、神に、帰結させるということである。

勿論、良いことも、である。

それを、田川氏は、宗教的疎外であるという。

「疎外」とは、自分の現実の中にあるものを屈折させてそとに放り出す、この場合なら宗教的観念世界へと放り出すことである。
田川

時代が、下り、個々人の、倫理が、民族共同体の問題とは、別に考えられるようになっても、怒るのは、神なのである。

この伝統の中では、人間の、怒りというものを、真剣に考えさせないのである。

これは、恐ろしいことである。
すべての、事象が、神に帰結するという、妄想である。

人間の、倫理的な、怒りを、真に考えない場合は、人間まで、疎外するのである。
つまり、人間の場所がないという、矛盾である。

宗教には、人間の場所が無い。
それらは、すべて、神や、仏の、場所なのである。

これほど、人間と、関わらない観念は、無い。

そこに、逃げ込んで、苦悩する様を、信仰の深さと、勘違いした、多くの人々。
日本では、鎌倉仏教に代表される。

更に、続けて、見ることにする。

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