2010年08月30日

天皇陛下について 30

昭和21年4月、極東軍事裁判、いわゆる、東京裁判がはじまった。
それは、ドイツの、ニュールングベルク裁判と並んで、世界的に注目された。

法廷の中心は、A級戦犯となった、28人の閣僚と、幕僚たちの証言である。

その、論点は、天皇の戦争責任である。

各国の、検事たちは、それぞれの遺恨を持って、天皇訴追の姿勢を、崩さない。
オーストラリアの、ウェッブ裁判長や、アメリカのキーナン首席検事も、当初は、その方針を貫く構えを示していた。

だが、キーナン検事は、急転直下、天皇を擁護する側に回った。
それは、マッカーサーの意向もあるが、宮内省松平康昌総裁の、働きかけも、大きかったという。

松平は、キーナン検事と、友好的外交を展開していた。
検事側が、天皇の法廷出頭を叫んだときに、彼らの主張を跳ね除けたのも、キーナン首席検事だった。

キーナン検事が、
誰の意志によって、戦争を行ったのか
と、法廷で、問いただしたとき、東条は、
私の進言により、しかたなく、同意された。これが、事実だ。陛下は、最後まで、平和外交を求められた。逆に、意志に反したことになる
と、全責任を負う答えをした。

東条の答えは、嘘偽りがない。
陛下は、最後まで、平和外交を、望まれたのである。
だが、私は、天皇陛下について、を、書くに当たり、調べていて、解ったことがある。

追い詰められた日本の、あの当時の、状況下で、絶対戦争を反対すると、天皇が、意見を差し挟むことは、専制的な議決権を持つということで、それは、あり得ないこと。更に、尚も、戦争に反対すれば、暗殺の危険もあったと、私は言う。

再度、戦争に至る、状況を読み直すがいい。

天皇が、専制的な議決権を、持たないという、専制君主ではないということは、明確である。

政府、統帥権の決定を、天皇は、承認するという、天皇の存在の核心である。

昭和23年12月23日、東条英機をはじめ、七名の戦犯が、絞首刑に、かけられる。

判決の後で、キーナン検事が
証拠を見ると、われわれ西洋人の概念からいえば、天皇は、意志の弱い人間に見える。だが、天皇は、つねに平和を望み続けたという、明確な証明が得られた
と、述べる。

私は言う。
日本の天皇は、どこの国より、民主的で、あらせられたのである。
西洋人の概念から、言えば、意志の弱い人物・・・
それは、西洋には、国王という、絶対主権の、専制的支配があったからである。その、概念みから、見れば、意志が弱いとなる。
全く、違う。
その根本からして、違う。

日本国の、天皇を理解できるのは、日本人だけである。
更に、今 、現代、ようやく、そのことが、世界的に、理解されつつある。

世界の盟主となるべき、お方であるというのは、ユダヤ系、共産系からでさえ、認識されるようになった。

天皇は、作られる存在ではない、
天皇は、歴史と、伝統が、作った成果なのである。

それでは、陛下は、後年
終戦のときは、御前会議で、意見が、三対三と、分れ、困り果てた鈴木首相が、問うたので、賛成したが、開戦は、政府、統帥権の、決定であり、立場上、容認するほかはなかった。
と、証言されている。

天皇の、戦争責任問題は、陛下個人の人間性を認める方向で、幕が下ろされた。
更に、これが、引き金となっての、国際紛争には、至らなかったのである。

更に、ソ連をはじめとする、諸外国も、マッカーサーの主張するように、占領軍の、75パーセントを出している、アメリカに、屈伏せざるを得なかった。

ちなみに、戦犯に対する、罪状である。
平和に対する罪は、A級。
通例の戦争犯罪は、B級。
人道に対する罪は、C級。
絞首刑は、七名。
終身禁固は、十六名で、全員が有罪である。

ただし、この、東京裁判が、いかに、無法なものであるかを、これから、検証する。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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