2010年08月29日

天皇陛下について 29

朕は、なんじら国民と共にあり、常に利害を同じうし休戚を分たんと欲す。朕となんじら国民との間の紐帯は、始終相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず。天皇をもって現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族にして、ひいて世界を支配すべき運命を有するとの架空なる観念に基づくものに非ず。
私が、読みやすいように、書き改めた。

上記、天皇の、人間宣言として、認識された。

ここにおいて、天皇はご自身で、神格否定をし、マッカーサーからも「国民の民主化」を促し「将来の天皇の立場は自由主義的な線にそうもの」を示したとして高く評価された。
今上天皇 藤島泰輔・総監修

何度もいうが、天皇陛下は、はじめから、神格などを、有するとは、思っていない。
しかし、当時の状況から、そのように、人間宣言をしなければ、ならなかった。つまり、当時の、軍部の造り上げた、天皇像を、否定する、姿勢を示されたといえる。

昭和21年5月24日の放送であった。

その時、強烈な天皇批判の声が、共産党をはじめとする、政治犯の釈放などにより、上がった。

この月に、中国から野坂参三が、帰国し、国中で、待ちわびたような、騒ぎになる。
英雄登場のような、観である。

この、スパイであり、売国奴が、英雄視されるという、混乱である。

天皇の前身は、富士王朝、高天原府からの、ものである。
大政頭、おほまつりごとかしら、と、呼ばれた、存在が、天皇の前身であり、その下には、政頭、まつりごとかしら、が、多数存在し、彼らが、協議して、決めたことを、承認するという、立場が、大政頭であった。

この、富士王朝から、九州へと、都を遷都して、政と、祭祀を別にすることになる。
それについては、後々に、書くことにする。

日本の古代の歴史ほど、民主的であったものはない。
改めて、民主化などと、マッカーサーが、納得したというのは、日本の歴史を知らないからである。

一体、アメリカは、民主国家だったのか。

昭和22年当時、皇室財産は、37億7500万円とされ、百三十万町歩という、御料地の面積は、全国の、3パーセントを占めるものだった。

陛下は、皇室財産を、すべて、政府に明け渡そうとするが、GHQは、許可しなかった。

逆に、33億4千万円の、財産税を課し、国が所有することになる。
つまり、その大半が、政府の手で、管理されるようになったのだ。

そして、戦時中は、8700人の皇室職員も、4700人に、減らされた。
だが、6千人にものぼる職員が、仕事を失い、路頭に迷ったといわれる。

さて、当時は、大変な食糧難である。
勿論、皇居も例外ではない。

マッカーサーは、皇族に対して、缶詰などの食糧を当てていた。
だが、陛下は、手も触れず、弱っている、職員たちに、それを、回された。

天皇家の食事は、政府から、無料借地とされた一角に、侍従たちが栽培する、畑の芋などだった。
更に、それでも、陛下は、入江侍従長に、お前たちが、困るのではないかと、仰せられ、側近たちの勧めで、ようやく、召し上がられたという。

そんなさなか、野坂参三、共産系の人々による、「米よこせ区民大会」の一群が、宮内省に乱入する。職員の調理場を、荒らして、引き上げる。
真っ当な常識を、持たない人々というものが、必ずいる。
それらは、思想教育を受ける。
その思想教育は、破壊の思想である。

それにより、宮内省は、保存用の米、小豆など、五十俵ずつ、他の施設に寄付するのである。

上記の、彼らは、陛下の、台所を見ることなく、職員の台所を、見て、喚いた。
こんないい物を、食っているんだと・・・

もし、彼らが、陛下の台所を、見たら何と言うか。
破壊の思想を持つ者は、天に唾する行為だとは、知らない。
自分たちの、祖先が、崇敬した、天皇という、存在に対する、不敬が、そのまま、祖先に対するものだとは、決して気づかない。

だから、次の話しは、矢張りと、思わせる。

宮城県栗原郡の、青年有志たちが、皇居広場の掃除奉仕をしたいという、申し出があった。

宮内省では、宮殿の焼け跡を、片付けてもらうことにした。

一行、60数名は、超過密状態の、汽車に乗り、宮城、皇居に到着した。
おそるおそる、坂下門から、中に入ると、天皇の御座所は、累々とした瓦礫となって、崩壊していた。

一行が、様々な思いで、清掃に励んでいると、突然、団長であった、鈴木徳一が、
気をつけ、天皇陛下にたいしたてまつり、最敬礼
と、大声を張り上げた。

一行の、目の前に、ソフト帽をかぶられた、背広姿の、陛下が、立っておられたのである。

陛下は、奉仕団の話を聞いて、彼らに会うために、仕度をするようにと、側近に命じて、彼らの元に、いらしたのである。
汽車が混雑して、酷いと、聞いているが、どうだったのか
言葉を、かけられた一行は、陛下のお言葉に、声なくして、ようやく、
はい、大変混雑しておりますが、大丈夫でございました
そう答えるのが、精一杯であった。

皆、体を大切に、お元気で
陛下の立ち去る姿を見て、一行は、君が代を、斉唱したが、次第に、その声は、涙に曇る。

陛下は、その後で、皇后陛下にも、奉仕団に会うことを、勧められた。
皇后陛下も、彼らの元に来て、ねぎらいのお言葉を申されたのである。

それから、毎年、皇居の清掃という、奉仕団が、出来る。
毎年、二万人が、参加するほどの、規模になった。
全国各地から、出て来るようになるのである。

現在は、慣例化されて、希望者が後をたたない。
奉仕者には、天皇皇后両陛下、皇太子ご夫妻が、ご挨拶される。

皇居は、こうして、国民の意思によって、次第に、整えられていったのである。




posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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