2010年08月24日

天皇陛下について 24

マッカーサー元帥を、訪問される日、陛下は、車四台という、前例のない、簡略な行態で、御文庫を出発された。

玄関を出る際の、陛下は、いとも御深刻な御表情に拝したと、総務課長筧の手記にある。

警備配置は、一切しないこと、随員の数は、少なく、元帥は、玄関で送迎せず、会見室の入り口の、廊下で迎えることなどを、言い渡されていたのである。

元帥の宿舎である、虎の門の大使公邸に到着。
玄関には、副官らが冷厳さを、たたえて、並んでいた。
車を降りられた陛下は、一瞬、気負わされた戸惑いを見せた。

その時、陛下の前に、出た、フェラーズ代将は、
ようこそ、いらっしゃいました、陛下
と、にこやかに、笑顔で、手を差し伸べた。

この、フェラーズ代将の、いとこが、外務省の寺崎英成参事官の夫人グェンであった。
寺崎は、後に、御用掛となり、陛下と元帥の会見の通訳をする。

会見にあてられた、ホールは、二階にあり、元帥は、笑みもなく、陛下とは、事務的な握手をした。

米軍の写真班員が、二人の写真を三枚写した。

マッカーサーは、この時まで、日本を誤解していた。
ナチスと同じく、全体主義、軍事国家であり、悪魔の国と、想像していたのである。

陛下と、元帥が、卓をはさみ、通訳の奥村勝蔵が、その中間に座った。
宮内大臣と、侍従長ら五人は、別室に入れられた。

さて、ここで、会見の内容は、謎とされている。

様々な資料を、基に、私は、想像する。

まず、随員たちは、予定時間を過ぎても、陛下が、お戻りにならないので、気をもんだが、十分もオーバーしたころ、二人の声が、廊下に聞こえた。

二人の、表情に、一同は、歓喜したという。

元帥には、先ほどとは、打って変わって、温和さがあり、陛下も、いつもの温顔を取り戻されていた。

更に、随員たちを、元帥に紹介した。
驚くべきことは、次である。
元帥は、公邸玄関の、車の前まで同行した。

玄関での、送迎は、しないとの、申し渡しを、元帥自らが、破ったのである。
そして、最高の敬意である、ドアを開けて、陛下を乗せた。

ただ、元帥は、陛下と握手をして、車が発車するのを、待たず、身を翻して、引き返したのである。

これは、元帥が冷静に戻り、あまりの、感激に、度を逸したと、思ったのだろう。
だが、別の書き物には、陛下に近い側近が、語ったこととして、元帥は、車が去るまで、敬礼していたとも、ある。

帰りの車中で、陛下は、嬉しさを堪えきれず、極めて異例なほど、侍従長に、語りかけたという。

元帥が、天皇に、好感を持ったことは、占領下の日本に、大変な好結果をもたらすことになった。
通訳を務めた、奥村勝蔵の、まとめた、会見録は、正副二部あり、外務省と、慣例に反して、そのまま、天皇の私室に保管された。

会談の内容については、他言しないという、約束だった。
昭和天皇は、それを、生涯、守られた。
ただ、元帥は、回想録で、ある程度、披露している。

だが、何がしかは、洩れる。

昭和30年9月14日の、読売新聞に、重光元外相が、渡米時に、元帥から、聞いた話として、陛下が、
私は、日本の戦争遂行にともなういかなることにも、また、事件にも全責任をとります。また私は、日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても、直接に責任を負います。自分自身の運命について、貴下の判断がいかようのものであろうとも、それは自分には問題ではない。私は全責任を負います。
との、談話である。

二人の会談により、以後の、占領政策、天皇の存在、戦争責任に、大きく係わっている。

さて、再度、元帥と、陛下との、会談の前の、元帥の心境を、推察する。

天皇が、会見を申し込まれた。
元帥は、天皇も、命乞い、あるいは、亡命を願い出るだろうとの、思いがあった。
何故か。

陛下会見の、前には、元帥に、ツテを求めて、多くの、指導的立場の者たちが、元帥の下を、訪れていた。
そして、
自分だけは許して欲しい
自分は戦争に協力しなかった
自分は親米主義であり、大東亜戦争には、反対し続けた
日本は駄目な国、アメリカは、素晴らしい国、自分はアメリカのために何でもする
それらは、軍の高級幹部、政治の表舞台で、活躍していた者、財界のボスといわれた人、言論界の重鎮・・・

彼らは、
戦争は悪かった。自分は戦争に反対していた。だから、自分に罪は無い。自分の命だけは、助けてくれ、という、者ばかりだった。

彼らは、元帥の、靴に、頭を擦り付けて、頼み込む。中には、元帥の靴に、しがみ付いて、哀願する者もいた。

これらは、今まで、書かれなかったことである。

こうした、日本人の姿を見た、マッカーサーは、どのように、日本人を、理解したか・・・

所詮、日本人といっても、他の国の者たちと、何の変わりも無い者たちである。
マッカーサーには、日本人に対する、侮蔑の思いが、広がった。
そして、日本に対する、先入観である。

天皇をお迎えした時も、マッカーサーは、彼らと、同じ人間であると、見ていたのである。

しかし・・・

しかし、である。
天皇陛下は、違った。
全く、違った。
どこの国に、いる者たちもと、違った。

マッカーサーは、最初、倣岸無礼な姿勢だった。
天皇の、お言葉が、通訳されると、話の途中から、組んでいた足を、解いた。
更に、ソファーに座りなおした。
そして、最後になると、陛下と、同じく、直立不動の姿勢を取った。

黒色のメガネを外し、パイプを口から外し、そのすべてを、応接台の上に、おいた。

陛下の、お言葉の通訳が、終わると、両手を陛下に差し出し、陛下に握手を、求めた。

これは、陛下に近い方々の、証言として、聞いたものを、私は、書いている。
まだ、それを、続ける。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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