2010年08月23日

天皇陛下について 23

昭和20年8月15日正午
天皇陛下の、御声は、全国に、ラジオ放送された。

朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以って時局を収拾せむと欲し、ここに忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英紫蘇四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり・・・
堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以って万世のために太平を開かんと欲す。

慟哭と、動揺が、日本中を、震わせ、将兵の自決が続いた。

宮城、皇居前でも、集団自決が、行われるなどの、悲惨な事件が続いた。

鈴木首相は、戦争を終結させて、即日、辞職し、後継には、非常の措置として、東久邇宮稔彦王が、任命された。

皇族が、政治に関与するのは、天皇に、塁を及ぼす惧れがあり、明治以来、タブーとされてきたが、敗戦という、未曾有の危機を乗り越えるために、皇族の権威が、俄かに、要請された。

厚木航空隊の反乱などの、抗戦派の不穏な動きの、鎮圧と、占領軍受け入れ態勢の準備、外地の三軍への、勅旨伝達と、慰撫、ポツダム宣言に基づく、措置、国内の、治安維持、陸海軍の解体と、復員、戦犯問題、思想警察の解散などのほかに、経済再建、平和国家の青写真作り、など、なすべきことは、山積みしていた。

それは、天皇の権威を背景に、強力な、推進力となった。

だが、昭和6年以来、連続14年に渡る、戦争で、国民の、厭世観、無力感も、無視できなかった。

8月28日に、米軍の第一陣が、到着し、その二日後、8月30日に、マッカーサー元帥が、東京への途は遠かったと、降り立った。

米軍は、横浜、横須賀へ陸続と、陸軍部隊、海兵隊が上陸し、東京をはじめ、全国に進駐した。

9月2日、戦艦ミズーリ号のデッキで、降伏調印式が行われた。
義足を引きずり、首席全権重光外相が、出向いた。

横浜の、ニューグランドホテルに、仮滞在していた、マッカーサーは、9月8日、米国大使館の公邸に入り、17日、皇居のお濠ぎわの、第一生命館を、連合国軍総司令部、GHQとした。

いまや日本は、四等国に転落した。
マッカーサーの言葉である。
非常に、日本に対して、不敬な言葉を、吐いたが、マッカーサーは、日本のことを、知らない。多く勘違いしていたと、思われる。

日本にとって、幸いだったことは、軍政を敷く予定を、変更して、日本政府の、行政権を認めたことである。

GHQは、日本を解体すべく、復仇のメスを揮う。

その第一は、東条英機ら、39名の、戦争犯罪人を、巣鴨拘置所に、収容したこと。

東条は、逮捕のために、将校らが、自宅に来ると、自ら、拳銃で、心臓を撃ち、自決を計ったが、かすかな、狂いで、心臓を外れて、肺を貫通し、瀕死の重傷を負った。

戦犯の、逮捕は、その後も、続々と行われた。
軍、政、官、財、文化各界の要職にあった者たちは、戦々恐々と、息を潜めるように、日を送っていた。

天皇陛下は、
昨日まで、股肱と頼んだ者たちを、戦争責任者として、引き渡すのは、まことに、苦痛であり、忍び難いところである。自分ひとりが、引き受け、退位でもすることで、納めるわけにはいかないだろうか。
と、木戸内大臣に、諮ったが、木戸は、
いま退位を、仰せられては、皇族の基礎に、動揺をきたします。
と、反対した。

責任者たちの逮捕は、たしかに天皇にとって身を切られる苦痛であったろうが、じつは天皇自身、明日にもどんな過酷な運命に見舞われるか、予測もつかぬ身の上だった。
天皇裕仁の昭和史 河原敏明

そんな中、二人の、米英の、記者が、ジープで皇居に乗りつけ、天皇への、インタビューを申し込んだ。
驚いたのは、総務課の人たちである。

対応したのは、英語が得意な、黒田秘書官である。
天皇に会って、この戦争への感想と、今後の考え方などを、インタビューしたいという。

黒田は、唖然とする。
何ということか。記者の分際で、陛下に、拝謁したいとは・・・

黒田は、大臣と協議の上、
陛下とのご会見は、外務省を通して、手続きを踏んだ上にして、いただきたい。それに、陛下は、終戦時の過労で、目下、健康をそこねていらっしゃると、丁寧に、断る。

だが、彼らは、あれこれと、手を尽くし、ついに、UP社長と、ニューヨーク・タイムズ記者の二人が、9月25日に、空前のインタビューに成功した。

それは、事前に提出した、質問に、天皇が答えるもので、それは、拝謁の形をとった。

天皇が戦犯として逮捕されるか、退位を要求されるか、五里霧中の不安感にさいなまれていたが、GHQからはなんの音沙汰もなく、当たってみても手探りの域を出なかった。マ元帥は獲物が網にかかるのを待つように、余裕綽々としていたのである。
河原敏明

マッカーサー回顧録
「天皇に出頭を命じたり」すれば、日本の国民感情を踏みにじり、天皇を国民の前に殉教者に仕立て上げることになる・・・私が待っていれば、やがて、天皇は自発的に、私を訪問するだろう。
とある。

それを、知らない、宮内省は、藤田侍従長を、天皇の使者として、元帥を訪ねさせた。

藤田は、天皇のお言葉として
元帥は、開戦以来、ほうぼうの戦場で戦ってこられたが、健康は、どうであろか。灼熱の南方諸島で健康をそこなうようなことは、なかったろうか。また、日本の夏は、残暑が厳しいので、十分に、健康にご注意ありたい。
と、伝えた。

元帥は、
私のことを、種々心配してくれて、感激にたえない。どうか陛下に、よろしくお伝え願いたい。
と、答えた。

それ以上の、進んだ話は無かった。

その仔細を聞いた、吉田茂外相が、元帥に会い、
天皇陛下には、閣下を、ご訪問したいとの、お気持ちをお持ちです。
と、伝えた。
すると、
日本の進駐がスムーズに進んだのは、天皇の協力が大きいと思う。訪問されるなら、喜んで、お迎えする。
との、返答を得た。

その日程は、9月27日、午前十時、米国大使館において、ということになった。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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