2010年08月20日

天皇陛下について 20

初期の、アメリカ人と、アメリカという国を、精神分析する、実に、面白い、「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」岸田秀氏の、著作から、俯瞰してみる。

岸田氏は、白人を被差別民族と、断じている。

その中でも、最も、差別されたのが、イギリスから、アメリカへ渡った、ピューリタンであるという。

これを説明するには、古代エジプトまで、遡る。

古代エジプトでは、高度な文明が築かれ、大帝国を成していた。
その、文化の、担い手は、黒人である。

エジプト帝国は、征服地を北に広げて、そこから、奴隷を連れてきた。
この奴隷が、白人である。

黒人の方が、文明のレベルが、高かったのである。

近代史では、奴隷というと、黒人であるが、それは、白人の、復讐であろう・・・か。

紀元前13世紀あたりに、この白人は、モーゼによって、指導され、エジプトから、逃亡した。
旧約聖書の、出エジプト、である。

この、逃亡奴隷たちは、何十年か後に、カナンに侵入して、イスラエル王国を、創設した。
そして、唯一絶対神の、ヤハウェを信仰する、ユダヤ教を作り上げた。

フロイトは、このユダヤ教を、当時エジプトで行われていた、アテン信仰が、元だとしている。

唯一神、アテンの信仰は、エジプト第18王朝の、アメンホプ四世が、突如として、はじめたものである。
その子である、ツタンカーメンの時代に、衰退する。
これを、モーゼ一行が、受け継いだと、ユダヤ人の、フロイトは、考えた。

旧約聖書の、最初の部分は、モーゼの手によるものであり、モーゼによる、妄想が、大半であると、いえる。

イスラエル王国は、紀元前10世紀に、南北に、分裂し、北が、イスラエル王国、南が、ユダ王国となった。だが、それぞれ、紀元前8世紀と、紀元前6世紀に、滅亡した。

その後、ユダヤ人たちは、カナンの地に戻るが、ペルシャや、マケドニアなど、様々な帝国に、支配される。
そして、最後に、ローマ帝国の、属州とされて、過ごすことになる。

紀元一世紀初めに、その属州に、イエスが、生まれる。
そして、イエスを奉じる、一派は、ローマ帝国に迎合するユダヤ支配層に、反抗し、そのため、不穏分子として、イエスが処刑される。

イエスの、死刑は、純粋に、宗教的なものではない。
多分に、政治的なものである。

処刑されたことにより、イエスは、神格を持つことになる。
そのように、イエスを奉じる一派が、考えたのである。

この辺りについては、神仏は妄想である、私のエッセイを、参照してください。

その後、イエスのグループとは、別のユダヤ人グループが、二回にわたり、反乱を起こす。
第一次、 第二次ユダヤ戦争といわれる。

しかし、惨敗して、ユダヤ民族は、離散することになる。
これが、ディアスポラである。

イエスをメシアと仰ぐグループは、この反乱に参加せず、パウロを指導者として、キリスト教を創始した。

キリスト教とは、実は、パウロ教なのである。
イエスは、教団を、作らなかった。
更に、このキリスト教は、最初は、迫害を受けるが、政治的利用が得策だとして、紀元380年、ローマ皇帝により、認証されて、ローマの国教となる。つまり、ローマカトリックである。

だが、その頃の、信者には、ユダヤ、キリスト教徒は、少なく、新しい集団になっていたと、解釈する方が、真っ当である。

ユダヤ、キリスト教徒は、迫害によって、おおよそ、皆殺しにされたのである。

だが、それまでの、ローマは、多神教である。
ローマ人には、受け入れ難いことであったが、ローマ皇帝は、自身を唯一神と、重ねて合わせて、支配力を強めるために、不合理な教えのキリスト教を、強制したのである。

ローマ帝国は、広大である。
当然、ローマの属州にも、キリスト教が、押し付けられた。

ドイツなども、深い森があるように、本来は、多神教である。
一神教とは、無縁な民族だった。
しかし、権力によって、キリスト教を押し付けられ、受け入れざるを得ない。

だが、納得しないものを、受け入れた場合、無意識の世界に、その抑圧が、押し込められる。
決して、それは、消えない。

それが、異端となって、現れる。

異端は、様々な形があるが、一番、キリスト教に多い、異端は、一神教に対する、反発である。

甚だしいものは、創造主を、悪魔扱いする。

その、人々の、不満が、爆発したのが、16世紀の、宗教改革である。
文句をつける奴、つまり、プロテスタントである。
ドイツの、マルティン・ルターが、ローマカトリックに対して、反旗を掲げた。

プロテスタントは、カトリックと、袂を分かつが、その結果、皮肉なことに、ユダヤ教に近づくことになる。

それは、カトリックを批判する運動であったがため、プロテスタントは、聖書を第一に掲げた。

潜在的に、キリスト教に、反発していた闘争が、かえって、キリスト教の源流となった、ユダヤ教に近づけることになったのである。
聖書第一主義が、最も、ユダヤ的である。

このために、一層、ヒステリックになった彼らは、仲間内でも、激しく対立することになる。

そして、この宗教改革が、イギリスへと、飛び火した。

丁度、ヘンリー八世の再婚問題がこじれて、カトリックから、分かれた、英国教会も、両者の間で、揺れ動いたのである。

そこで、英国教会から、カルヴァン主義の、ピューリタンが誕生する。

これも、プロテスタントで、清教徒と、呼ばれる。

その、清教徒が、ジェームズ一世の、王権神授説の立場から、弾圧、迫害されるのである。

1642年から、清教徒革命が始まるが、その前の、1620年に、弾圧を逃れたピューリタンたちが、メイフラワー号に乗って、アメリカの、プリマスに、上陸したのである。

これが、アメリカの、創始者たち、ピルグリム・ファーザーズ、である。




posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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