2010年08月16日

天皇陛下について 16

1914年から、始まった、第一次世界大戦に、日英同盟により、日本も、参戦した。

連合国からは、ヨーロッパにも、参加して欲しいとの、要望あり。しかし、日本は、それを、断り、シナのドイツの租借地に、軍艦を派遣して、占領する。

大戦後、戦勝国の一国として、パリ講和会議に、出席し、日本が要求したのが、何と、人種差別撤廃である。

パリ講和会議では、国際連盟の、下準備も進められ、その、規約作成する当たり、第二十二条に、人種差別撤廃の規定を、盛り込むように、提案した。
だが、圧倒的な反対に遭う。

否決である。

信じられるだろうか。
いかに、白人というものが、それを、恐れたか。

アメリカ奴隷制を、廃止した、リンカーンでさえ、実は、真っ当な感覚を持っていなかった。つまり、明確に、黒人を差別していた。
公務員には、黒人を起用しないと、言明した。
それは、劣っているから・・・

色付き人間は、劣っている。
長い間、そのように、信じられてきた、歴史がある。

今なら、どうだろうか・・・
通用するか・・・
しない。

その、報いを受け始めている。
ドイツでは、移民を大量に受け入れた。

そして、学校では、ドイツ人の子供たちが、少数になり、トルコなどの、イスラム系移民の子供たちから、いじめを、受けている。

色付き、人間が、いよいよ、本領発揮である。

いつも、足元が、揺れているとは、仏陀の言葉。
いつも、歴史は、揺れている。

アジアを、植民地化した、白人たちは、未だに、謝罪は、しない。
当然だと、無意識に思うのである。

白人至上主義は、今も、生きている。
キリスト教の、キリスト像を、見よ。
あれは、白人のイエスである。

イエスは、アジア人である。
色付き人間である。

日本は、諦めなかった。
西園寺公望を団長とする、日本代表は、
大戦に勝ったのはインドがイギリスに協力し、ベトナムがフランスに協力したからではないか。日本も戦ったではないか。だから、人種差別は、撤廃して、人種は平等という原則を打ちたてようではないか。国際連盟規約の前文でもいい、人種は、平等であると、一行を加えて欲しい。
と、何度も、訴えた。

日本は、粘りに粘った。

世界史初の、日本の、この人種差別撤廃は、最大に評価されていい。

小委員会では、賛成11、反対5である。
反対は、イギリス、アメリカ、ポーランド、ルーマニア、ブラジルである。
よくよく、これを、覚えておくことだ。

それなのに、議長であった、アメリカ、ウィルソン大統領は、
全会一致、少なくとも、反対者がいないこと、
が、必要だとの、詭弁である。

そして、否決とした。
これも、よくよく、覚えておくべきことである。

一番、人種差別を恐れたのは、誰か、である。
色付き人間は、劣っていて、更に、白人より、動物に近いとの、認識。

私は、オーストラリア、アボリジニ民族について、旅日記に、書いた時、差別の思想を少し説明した。
そちらを、参照してください。

実は、この時の確執が、国際連盟脱退に、つながる。
勿論、その他、様々な、問題もあるが・・・

100年ほどの前の、白人の、有色人種に対する、差別は、想像を絶するものである。

世界の、列強の仲間入りをした、日本ですら、同じ人間として、扱われなかったのである。

一つの例を上げる。

日露戦争の翌年、カリフォルニアで、サンフランシスコ大地震が、発生した。
日本政府は、苦しい財政の中から、当時の国家予算の、千分の一以上に当たる、五十万円、現在の価値では、六百億円という、巨額の救援資金を、サンフランシスコには、五万円を、在留邦人に送った。

多額の見舞金は、日露戦争の際の、アメリカの、仲介に対する、お礼と、日本人移民への、差別を緩和させたいとの、思いである。

しかし、サンフランシスコは、どうしたか。
地震によって、崩壊した、公立学校が、無くなったとして、日本人、朝鮮人、中国人を、焼け野原に建つ、ボロ小屋に、押し込め、隔離したのである。

新しい学校に、入れる余地はないとの、理由は、詭弁である。
日本の児童は、百人にも、満たない。

有色人種の隔離政策の、口実だけである。

その後も、アメリカは、排日政策を、次々と、実施する。
1913年、カリフォルニア州に、外国人の土地所有を禁ずる土地法案を成立させる。
そこは、最も、日本人が多い地域で、明らかに、排日政策である。

それ以後も、日本人が、アメリカ生まれの子、つまり、アメリカ市民の名義で、土地を取得すること、土地を所有する会社の社員や、株主になることさえ、禁じられる。
農地の借地権も、禁止された。

更に、1922年、日本人の、帰化権が、剥奪される。

黄色人種は、帰化不能外国人であり、帰化権は、無いとされた。

第一次大戦で、アメリカ兵として、兵役に服した、アメリカ市民となった、五百名以上の、日本人も、帰化権を剥奪された。

それゆえに、80パーセントの、日系移民が、築き上げた、農地を残し、帰国せざるを、得なかったのである。

その上、1924年、絶対的排日移民法を、可決し、日本人を、完全に排斥した。
オーストラリア、カナダ、ニュージーランドも、白豪主義を掲げて、日本移民を、拒否した。

このことも、覚えておくことである。

日本は、一気に、反米感情を抱くようになる。
その上、貧乏である。
移民の道を、閉ざされて、いよいよ、満州が、日本の生命線と、なってゆく。

帝国ロシアの、ニコライ二世も、日本人を、終生、マカーキ、サル、と呼んで、憚らず、公文書にも、マカーキと、書き続けた。

これも、忘れてはならない。
勿論、恨みのためではない。
事実確認のためである。

それなのに、である。
昭和天皇、皇后両陛下が、アメリカご訪問の、際の、晩餐会で、天皇陛下が、突然、アメリカの皆さんに、お話したいと、席を立った。
皆、驚いた。
予定にないことである。

陛下は、
アメリカ国民の皆様に、一言、感謝の言葉を、述べたいのです。
戦後の、日本に、食料を支援してくださったことに、心から、感謝の意を表します。
と、仰せられた。

戦時中の、日本人が、アメリカ政府にされたことなど、一言の、恨みも、もたずに、大和心で、対処された。
見事な、人間主義である。

アメリカでは、一気に、天皇に対する、敬意と、熱狂が、起こった。

マッカーサーをして、ここに、紳士がいると、絶賛された、陛下の人間性である。




posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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