2010年08月14日

天皇陛下について 14

敗戦国の、主たる、責任者、王や、大統領・・・
敗戦後には、自殺する。亡命を願う。亡命する。
それが、大半の、主たる者の、取るべき道である。

しかし、昭和天皇は、ただ、日本に留まり、更に、その身を、国民の前に晒し、退位もしなければ、責任回避の行動も、取らなかった。

後に、日本の天皇に、多くの国の、訪問者が、日本で天皇に、お逢いすることを、兎に角、光栄に思い、喜んだ。
それは、国の主としての、無形の権威を、生きたからである。

更に、その後の、天皇の、歩みを見れば、それが、よく解る。
兎に角、皇祖皇宗の、子供である、国民を守り、国民を滅ぼすようなことは、出来ないと、考えた天皇の、支えは、その歴史にある。

天皇は、作られるものではない。
日本以外に、天皇は存在しない。
作れないからである。

そして、その支えは、天皇の歴史にある。
日本の歴史にある。

敗戦、65年の年は、神武天皇、建国より、2670年である。

この、長きに渡る、歴史を有する国は、日本のみ、である。

また、その歴史を、支えたのは、天皇という、存在である。

もし、大化の改新なく、蘇我王国が、誕生していたら、今の日本は無い。
武力政権は、必ず、交代する。

敵を想定しない、無形の権威を、天皇が、抱くゆえに、日本という、奇跡の国が、出来上がった。

西欧の歴史と、比べてみれば、一目瞭然である。

それでも、彼らは、王を戴いた。
武力を持つ、王を、戴く。
現在は、王室とは、それぞれの、国の、ある種の、飾り物である。

または、支配者として、君臨と、統治を行う。

無力になった、王は、国民からの、支持を失い、姿を消す。

日本の天皇は、君臨するが統治は、せず、存在する。
更に、天皇の軍隊も持たない。

その存在意義は、権威である。
その権威は、作ることが出来ない。

人の世は、一時期に、何々の権威であると、称するが、天皇は、一時期ではない。
何代にも渡る、権威である。

伝統には、適わないのである。
歴史に、裏付けられた、伝統であり、権威である。

さて、昭和天皇は、玉音放送を、行う。

それ以前の、日本国民は、陛下の声を聞くことも、なかった。

陸軍内部には、天皇制がなくなれば、国体も、失われるという、危機感があった。

陛下の意思に、背いても、皇祖皇宗の元に、辱めを受けないように、最後まで、戦うという、意思である。
阿南陸相、梅津参謀総長のところには、そのような、クーデター計画が、届けられていた。

ここでは、便宜上、天皇制と、書くが、天皇は、制度ではない。
これは、西欧の、考え方である。
後々に、それについて、書くことにする。

8月14日、東郷外相は、午後十一時、スイス、スウェーデンに向けて、ポツダム宣言受諾の、電文を発信した。

その夜、宮内省政務室にて、天皇陛下の、「終戦の詔書」の朗読の、録音が行われた。

大和言葉で、読めば
いくさのおわりの みことのり の おみかき
となる。

一度目を、取り終える。
陛下は、今のは、声が少し低かったと、もう一度、取り直すことになった。
再度の、朗読は、読み違いがあり、また、取り直すという時は、深夜12時を過ぎていた。

陛下は、当時、いつなんどき、上奏があるか、わからないために、執務室にお出ましになられるため、更に、御用の時間帯は、深夜から、明け方が多く、連日の睡眠不足で、あらせられた。

見かねた、藤田侍従長と、石渡宮相の、勧めで、三回目の、録音は、中止された。

録音版は、徳川侍従の手により、侍従職事務官室にある、軽金庫に、納められた。

天皇陛下が、就寝されると、宮城内に、事件が発生したとの、報が、届けられ、再び、眠られぬ夜となった。

陛下の、放送を阻止しようと、青年将校たちが、決起したのである。

陸軍省軍務室の、畑中健二少佐などが、中心になり、クーデターでは、国民の支持は、受けられないと、反対する、阿南陸相の、意見を聞かず、単独行動に、踏み切ったのである。

一団は、宮城内で、共に、決起を促した、近衛師団長、森中将から
われわれは、天皇の御親兵である。事の、理非によらず、大御心で、動くのである。陸軍大臣の命令があっても、聖旨に添わねば、拒否する
との、言葉を受けた。

畑中、椎崎中佐の二人が、発砲し、森師団長を、射殺した。
更に、その場に、居合わせた、白石中佐を、斬殺した。

徳川侍従は、彼らに、道案内を強要されたが、巧みに、拒絶して、難を逃れた。
金庫室は、防空壕にもなっており、徳川侍従は、その扉に、「女官湯殿」との、表札をかけていた。

青年将校たちが、頼りにしていた、阿南陸相は、姿を見せず。
阿南陸相は、事件を聞いて、失敗を予期し、酒を飲んだ後、割腹して、果てた。

青年将校たちは、クーデターの拠点となると、期待した、東部軍の、司令官、田中大将に、逆に、大喝されて、クーデターは、失敗に終わった。

陛下が、藤田侍従長に、漏らした。
あのものたちは、どういうつもりで、あろう。私の、この切ない気持ちが、どうして、わからないのであろう。

翌日、15日、古賀少佐は、森師団長の遺体の前で、割腹し、畑中、椎崎少佐は、二重橋の前で、拳銃による、自決である。

この日、正午、天皇の声は、全国にラジオ放送された。

天皇を守ろうとした、青年将校たちである。
しかし、陛下の御心の、真意が、理解出来なかった。
だが、それは、彼らのせいではない。

そのように、教育されたのである。
国体であらせられる、天皇を、守り抜くことが、使命であると。

天皇陛下のために、命を、捧げることが、兵士の誉れであると。

その後、その教育の現場を、昭和天皇は、多々見ることになる。
それは、断腸の思いであったと、思われる。

天皇陛下のために、死にました。
これを、聞かれた陛下の、お気持ちは、いかばかりか・・・

一身に、昭和天皇は、戦争責任を、生涯に渡り、負い続けたのである。
処刑されるよりも、それは、生き地獄であろう、と、私は、察する。
それを、思えばこそ、私は、天皇陛下について、を、書くのである。



posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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