2010年08月27日

天皇陛下について 27

敗戦後の、混乱は、甚だしい。
筆舌に尽くし難いものがある。

貧しさの中で、まず、一番に必要なものは、食料であり、次に、衣類であり、そして、住まいである。

今でも、東南アジアの、スラムや、山岳地帯に、向かうと、日本の敗戦を思わせるような、様子を、見る。

勿論、私は、当時を知らない。

父から、敗戦後の、話で聞いた言葉は、たった、一言。
それは、私の祖母、父の母親の、話である。

食うものがなくて、農家に行った。
手に入れたのは、芋だった。
だが、少しである。
それを、自分は、食べずに、父に、食わせたという。

ただ、それだけである。

食うものがなくて・・・・

そこに込められた、当時の、様子。
私は、その言葉で、察するしかない。

父も、母も、敗戦後の様子を、一切話さないのである。
つまり、いかに、辛かったかということ・・・

思い出すのも、嫌なのである。

母は、着の身着のままで、樺太から、引き上げた。
その話も、一切しない。
出来ないのである。
私は、少しばかり、母の、妹から、無理に、聞きだしたことがある。

昼間、捨ててある、ゴミを、見て、必要なものは、夜になってから、取りに出たという。昼間は、恥ずかしくてね・・・

下駄さえもなかった・・・
おばさんから、それ以上を聞けなかった。

昨日まで、政府要人だった、者たちが、入獄する中で、逆に、胸を張って、出所したのは、共産党員を、主とする、三千人近い、政治犯である。

12月8日、徳田球一ら、共産党幹部は、早速、戦争犯罪人の追及人民大会を開き、気勢を上げた。

乱立する、赤旗の中で、天皇、皇族以下、1600名の、リストを発表する。

天皇を、戦犯として、起訴せよ、天皇制を、廃止し、民主人民政府を、樹立せよ。
その、絶叫が、異常だった。

国民の多くは、その、有様には、共感できなかった。

昭和21年1月、中国にて、反戦運動を、展開していた、野坂参三が、帰国すると、国を挙げて、沸きかえったという。
売国奴が、一転して、救国の英雄と評価された。

本当は、どこから、どう見ても、売国奴なのであるが・・・

更に、共産党主義者たちによって、暴露雑誌、真相、が、発刊された。

暴露といっても、これ以上は、醜悪な書き方は、できなにいと、思われるほど、エゲツない、あること、ないことを、書きたてた。

皇室を、こき下ろすことには、命がけだった。

不敬罪、名誉毀損にもならぬ、言論の自由に、国民は、驚き、最初は、興味で、近づいたが、あまりの、行き過ぎに、次第に、引いてゆく。

共産主義というものは、人をして、品格を人格を、堕落せしめるようである。
過去の、すべてを、否定し、抹殺する。
雑草を、抜くのではない。
稲穂も抜くという、自体である。

彼らの、歩いた跡には、草も、生えない。

GHQは、政治犯の即時釈放と、山崎内大臣の罷免、思想警察、特高の廃止と、警察首脳の罷免、市民の自由を弾圧する、一切の法規の廃止、停止を、指令した。

ただ、未曾有の混乱にありながら、政府自体に、混乱が少なかったのは、皇族内閣、東久邇内閣によるものだった。
50日という、短命内閣であったが。

後継首班は、幣原喜重郎で、マッカーサーは、内政干渉はしない、経歴から、幣原が良いとの言葉があった。

幣原は、自由主義で、新英米であり、占領下の首相としては、打ってつけの人物だった。

治安維持法や、天皇の、政治上の、輔弼機関である、内大臣府が、廃止された。

陸海軍の、葬送も、この内閣の下で、行われた。
復員、軍の解体作業も、ひと段落し、11月30日には、陸海両省が、廃止された。

明治、七十余年、栄光を誇った、帝国陸海軍は、消滅した。

天皇陛下も、この日から、軍服を、脱ぎ、海軍士官型の、天皇服が、制定された。

だが、11月12日、伊勢神宮へ、敗戦奉告のために、その服で、西下したところ、評判が、悪く、軍服のイメージに、つながるとの、批判だった。

宮内省は、しぶしぶと、天皇の服装を、背広と、モーニングに改めた。
相手が、国民ならば、聞き流すところ、GHQに、騒ぎを与えるとの思いである。

そして、天皇のお写真である、御真影にも、影響が、及び、軍服から、天皇服に交換するとの、旨を、発表すると、世論が、今更、御真影とは、何か・・・ということになり、中止になったのである。

更に、驚くべきことは、天皇の人間宣言と、いわれる、行為である。

天皇陛下は、人間であらせられる。
ご本人も、そのように考えていた。
ところが、現人神との、軍部の喧伝により、それを、国民の前で、否定することを、暗に、GHQから、要求された。

漏れ聞く話は、陛下が、人間宣言をされた、その日に、皇后に、私は、どこか、変わりましたか・・・と、お尋ねになったという。
神であるなどとは、陛下自身、考えたことはなかったのである。




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2010年08月28日

天皇陛下について 28

大君は神にしませば天雲の
   雷のうへにいほりせるかも  柿本人麿

おおきみは かみにしませば あまくもの 
いかづちのうへに いほりせるかも 

遠く古事記、万葉の古から、天皇は神として国民の崇敬を一身にあつめてきた。
自然発生的な貴種賛仰の心が、素朴で敬虔な天皇観を民族の血のなかに伝承させたのである。
武家の台頭とともに、朝廷の権威は衰退したものの、根づよい尊皇心は民草一人一人の胸に宿りつづけていた。
それが明治以降は「現御神」「現人神」の美称そのまま、天皇を雲の上におき、超人間的な存在として、国民に畏服を強制するようになった。
天皇裕仁の昭和史 河原敏明

自然発生的とは、古事記、万葉の時代を、遥かに、さかのぼるのである。
富士王朝として、富士の裾野に、高天原府を拓いた、王朝からの、伝え、である。

万葉の歌の、神とは、美称であり、尊称である。
崇敬の念を持って、歌にしていたのである。

超人的な存在だとは、一言も言わない。

明治期に、現人神と、呼んだというが、それは、明治の人たちが、伝統を知らないゆえのものである。

現人神とは、日本国民すべての人を言う。
天皇は、現人御神、あらひとみかみ、と、お呼びする。

明治維新は、日本の近代化を進めたが、その伝統を、詳しく学ぶ暇がなかった。
それゆえに、勝手な解釈をしたのである。

大半の、国民は、天皇の姿さえ、見なかった。見えなかった。
そして、見てはいけない存在だった。
それで、良かった。

つまり、どんなに、武力政権が、現れようと、日本には、天子様が、おいでになり、国民に、一大事があれば、国民のために、お言葉を、述べられる存在として、在ったのである。

決して、武人たちが、天皇の、命を受けなければ、国民が、受け入れなかった。
帝の、許しにより、国を、治めることが、できたのである。

あの、信長でさえ、京に上ることをして、天下を治めると、認識していた。

武田信玄も、信長が、破った北条も、その他、皆々、京を、目指したのである。

どうしても、朝廷、天皇の命を受けなければ、天下を治められないのである。

尊称としての、神という、言葉。それは、尊と、呼ばれることからも、解る。

そして、その後、カミとは、守のことを意味するようになる。
播磨の守・・・
大岡越前の守・・・

治める者を、カミと、呼んだ。

天皇は、大君であり、神という、字は、尊称である。

昭和の軍国的高揚が、天皇を更に、怪しくした。
天皇の、絶対性を、掲げて、兵士を、動かす。
天皇の、絶対性を、強調するあまり、天皇という、名を、利用することになる。

天皇は、何も変わらない。
生まれた時から、人間として、育つ。

作られた観念である。
そして、それは、宗教に、多く現れる。
作られた観念により、人は、混乱の迷いの中に入ってゆくのである。

軍国主義は、そのように、天皇の名を利用して、更に、掲げて、行われた。

誤りである。
完全な、誤りである。

国民が、崇敬した、天子さまは、超越した、存在ではなく、宮廷にいらして、祈る存在であった。
それは、日本の先祖、祖霊を、お奉りして、祈る存在、つまり、祭祀としての、存在である。

雲の上の人。
確かに、普段は、見ることも無い。
また、お会いすることも、叶わない存在である。
ただ、存在していることが、国民の安心だった。

天皇の、人間宣言とは、実に、おかしなことである。
人間が、あえて、人間宣言するという、実に、馬鹿下駄ことである。

だが、昭和天皇は、全国を、行幸して、特に、戦争犠牲者の言葉を、聞かれて、愕然としたことだろう。
天皇陛下のために、死にましたと、父母を、失った子供の言葉を、聞いた時、そこから、動けなくなったという。

その、全国行幸については、後で、書き記すことにする。

GHQの要求と、天皇の思いが、共通のものとなった。
天皇の神格化の、否定である。

天皇の神秘性を、GHQは、恐れた。
彼らは、従来の天皇観を一変させる内容を考えていた。
更に、それは、押し付けではなく、天皇自身の発意として、である。

それを、お聞きになった、陛下は、即座に、賛意を示されたという。
つまり、昭和天皇は、我が身を、神などとは、考えてもいなかつたのである。

崩御された、天皇は、神として、お奉りされたが、生きている、人間が、神になることは、ないとの、考えであり、当然のことであった。

国民も、亡くなれば、神と、呼ばれる存在になることも、伝統である。

しかし、生きているうちの、カミは、役職上の、守、カミしか、いないのである。

幣原首相は、わが意を得たりの、感慨だった。
時代錯誤と、感じていたのだ。

幣原は、得意の英語で、下書きを書いたという。
詔書を出す真意は、国内よりも、外国向けだった。

原文を見た、陛下は、とても良いと、大きく頷いたという。
実に、真っ当な感覚を、お持ちだったのである。


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2010年08月29日

天皇陛下について 29

朕は、なんじら国民と共にあり、常に利害を同じうし休戚を分たんと欲す。朕となんじら国民との間の紐帯は、始終相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず。天皇をもって現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族にして、ひいて世界を支配すべき運命を有するとの架空なる観念に基づくものに非ず。
私が、読みやすいように、書き改めた。

上記、天皇の、人間宣言として、認識された。

ここにおいて、天皇はご自身で、神格否定をし、マッカーサーからも「国民の民主化」を促し「将来の天皇の立場は自由主義的な線にそうもの」を示したとして高く評価された。
今上天皇 藤島泰輔・総監修

何度もいうが、天皇陛下は、はじめから、神格などを、有するとは、思っていない。
しかし、当時の状況から、そのように、人間宣言をしなければ、ならなかった。つまり、当時の、軍部の造り上げた、天皇像を、否定する、姿勢を示されたといえる。

昭和21年5月24日の放送であった。

その時、強烈な天皇批判の声が、共産党をはじめとする、政治犯の釈放などにより、上がった。

この月に、中国から野坂参三が、帰国し、国中で、待ちわびたような、騒ぎになる。
英雄登場のような、観である。

この、スパイであり、売国奴が、英雄視されるという、混乱である。

天皇の前身は、富士王朝、高天原府からの、ものである。
大政頭、おほまつりごとかしら、と、呼ばれた、存在が、天皇の前身であり、その下には、政頭、まつりごとかしら、が、多数存在し、彼らが、協議して、決めたことを、承認するという、立場が、大政頭であった。

この、富士王朝から、九州へと、都を遷都して、政と、祭祀を別にすることになる。
それについては、後々に、書くことにする。

日本の古代の歴史ほど、民主的であったものはない。
改めて、民主化などと、マッカーサーが、納得したというのは、日本の歴史を知らないからである。

一体、アメリカは、民主国家だったのか。

昭和22年当時、皇室財産は、37億7500万円とされ、百三十万町歩という、御料地の面積は、全国の、3パーセントを占めるものだった。

陛下は、皇室財産を、すべて、政府に明け渡そうとするが、GHQは、許可しなかった。

逆に、33億4千万円の、財産税を課し、国が所有することになる。
つまり、その大半が、政府の手で、管理されるようになったのだ。

そして、戦時中は、8700人の皇室職員も、4700人に、減らされた。
だが、6千人にものぼる職員が、仕事を失い、路頭に迷ったといわれる。

さて、当時は、大変な食糧難である。
勿論、皇居も例外ではない。

マッカーサーは、皇族に対して、缶詰などの食糧を当てていた。
だが、陛下は、手も触れず、弱っている、職員たちに、それを、回された。

天皇家の食事は、政府から、無料借地とされた一角に、侍従たちが栽培する、畑の芋などだった。
更に、それでも、陛下は、入江侍従長に、お前たちが、困るのではないかと、仰せられ、側近たちの勧めで、ようやく、召し上がられたという。

そんなさなか、野坂参三、共産系の人々による、「米よこせ区民大会」の一群が、宮内省に乱入する。職員の調理場を、荒らして、引き上げる。
真っ当な常識を、持たない人々というものが、必ずいる。
それらは、思想教育を受ける。
その思想教育は、破壊の思想である。

それにより、宮内省は、保存用の米、小豆など、五十俵ずつ、他の施設に寄付するのである。

上記の、彼らは、陛下の、台所を見ることなく、職員の台所を、見て、喚いた。
こんないい物を、食っているんだと・・・

もし、彼らが、陛下の台所を、見たら何と言うか。
破壊の思想を持つ者は、天に唾する行為だとは、知らない。
自分たちの、祖先が、崇敬した、天皇という、存在に対する、不敬が、そのまま、祖先に対するものだとは、決して気づかない。

だから、次の話しは、矢張りと、思わせる。

宮城県栗原郡の、青年有志たちが、皇居広場の掃除奉仕をしたいという、申し出があった。

宮内省では、宮殿の焼け跡を、片付けてもらうことにした。

一行、60数名は、超過密状態の、汽車に乗り、宮城、皇居に到着した。
おそるおそる、坂下門から、中に入ると、天皇の御座所は、累々とした瓦礫となって、崩壊していた。

一行が、様々な思いで、清掃に励んでいると、突然、団長であった、鈴木徳一が、
気をつけ、天皇陛下にたいしたてまつり、最敬礼
と、大声を張り上げた。

一行の、目の前に、ソフト帽をかぶられた、背広姿の、陛下が、立っておられたのである。

陛下は、奉仕団の話を聞いて、彼らに会うために、仕度をするようにと、側近に命じて、彼らの元に、いらしたのである。
汽車が混雑して、酷いと、聞いているが、どうだったのか
言葉を、かけられた一行は、陛下のお言葉に、声なくして、ようやく、
はい、大変混雑しておりますが、大丈夫でございました
そう答えるのが、精一杯であった。

皆、体を大切に、お元気で
陛下の立ち去る姿を見て、一行は、君が代を、斉唱したが、次第に、その声は、涙に曇る。

陛下は、その後で、皇后陛下にも、奉仕団に会うことを、勧められた。
皇后陛下も、彼らの元に来て、ねぎらいのお言葉を申されたのである。

それから、毎年、皇居の清掃という、奉仕団が、出来る。
毎年、二万人が、参加するほどの、規模になった。
全国各地から、出て来るようになるのである。

現在は、慣例化されて、希望者が後をたたない。
奉仕者には、天皇皇后両陛下、皇太子ご夫妻が、ご挨拶される。

皇居は、こうして、国民の意思によって、次第に、整えられていったのである。


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2010年08月30日

天皇陛下について 30

昭和21年4月、極東軍事裁判、いわゆる、東京裁判がはじまった。
それは、ドイツの、ニュールングベルク裁判と並んで、世界的に注目された。

法廷の中心は、A級戦犯となった、28人の閣僚と、幕僚たちの証言である。

その、論点は、天皇の戦争責任である。

各国の、検事たちは、それぞれの遺恨を持って、天皇訴追の姿勢を、崩さない。
オーストラリアの、ウェッブ裁判長や、アメリカのキーナン首席検事も、当初は、その方針を貫く構えを示していた。

だが、キーナン検事は、急転直下、天皇を擁護する側に回った。
それは、マッカーサーの意向もあるが、宮内省松平康昌総裁の、働きかけも、大きかったという。

松平は、キーナン検事と、友好的外交を展開していた。
検事側が、天皇の法廷出頭を叫んだときに、彼らの主張を跳ね除けたのも、キーナン首席検事だった。

キーナン検事が、
誰の意志によって、戦争を行ったのか
と、法廷で、問いただしたとき、東条は、
私の進言により、しかたなく、同意された。これが、事実だ。陛下は、最後まで、平和外交を求められた。逆に、意志に反したことになる
と、全責任を負う答えをした。

東条の答えは、嘘偽りがない。
陛下は、最後まで、平和外交を、望まれたのである。
だが、私は、天皇陛下について、を、書くに当たり、調べていて、解ったことがある。

追い詰められた日本の、あの当時の、状況下で、絶対戦争を反対すると、天皇が、意見を差し挟むことは、専制的な議決権を持つということで、それは、あり得ないこと。更に、尚も、戦争に反対すれば、暗殺の危険もあったと、私は言う。

再度、戦争に至る、状況を読み直すがいい。

天皇が、専制的な議決権を、持たないという、専制君主ではないということは、明確である。

政府、統帥権の決定を、天皇は、承認するという、天皇の存在の核心である。

昭和23年12月23日、東条英機をはじめ、七名の戦犯が、絞首刑に、かけられる。

判決の後で、キーナン検事が
証拠を見ると、われわれ西洋人の概念からいえば、天皇は、意志の弱い人間に見える。だが、天皇は、つねに平和を望み続けたという、明確な証明が得られた
と、述べる。

私は言う。
日本の天皇は、どこの国より、民主的で、あらせられたのである。
西洋人の概念から、言えば、意志の弱い人物・・・
それは、西洋には、国王という、絶対主権の、専制的支配があったからである。その、概念みから、見れば、意志が弱いとなる。
全く、違う。
その根本からして、違う。

日本国の、天皇を理解できるのは、日本人だけである。
更に、今 、現代、ようやく、そのことが、世界的に、理解されつつある。

世界の盟主となるべき、お方であるというのは、ユダヤ系、共産系からでさえ、認識されるようになった。

天皇は、作られる存在ではない、
天皇は、歴史と、伝統が、作った成果なのである。

それでは、陛下は、後年
終戦のときは、御前会議で、意見が、三対三と、分れ、困り果てた鈴木首相が、問うたので、賛成したが、開戦は、政府、統帥権の、決定であり、立場上、容認するほかはなかった。
と、証言されている。

天皇の、戦争責任問題は、陛下個人の人間性を認める方向で、幕が下ろされた。
更に、これが、引き金となっての、国際紛争には、至らなかったのである。

更に、ソ連をはじめとする、諸外国も、マッカーサーの主張するように、占領軍の、75パーセントを出している、アメリカに、屈伏せざるを得なかった。

ちなみに、戦犯に対する、罪状である。
平和に対する罪は、A級。
通例の戦争犯罪は、B級。
人道に対する罪は、C級。
絞首刑は、七名。
終身禁固は、十六名で、全員が有罪である。

ただし、この、東京裁判が、いかに、無法なものであるかを、これから、検証する。

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2010年08月31日

天皇陛下について 31

日本には、戦犯という、罪状は無い。
これを、明確にしておく。

これは、後の法律でも、謳われた。

1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が、独立国に復帰した。
この時点で、自由に発言できるようになった時、不当な東京裁判の判決に対して、激しい、批判と、抗議を行っている。

それは、国内から、自然と、湧き起こったものである。

戦犯とされた英霊たちの、名誉回復が叫ばれた。
戦犯釈放は、国民運動となり、四千万人もの、署名が集まった。

英霊の、汚辱を晴らせとは、与野党を問わず、国会でも、湧き起こり、1953年8月3日の、衆議院本会議にて、
戦争犯罪による受刑者の赦免に関する議決が、全会一致にて、採択されたのである。

その結果、戦勝国の一方的な、東京裁判によって、有罪判決を受けた、すべての人々は、日本の国内法では、犯罪者と見なさないとの、基準が出来るのである。

更に、A級戦犯とされた人々は、1956年3月31日までに、B、C級戦犯とされた人々は、1958年5月30日を、もって、釈放された。

つまり、日本には、戦犯という、罪状はないのである。

だが、何故、今でも、戦犯という言葉が残り、更には、日本人までが、戦犯云々を言うのか。
それは、マスコミ、識者たち、左翼系の人々・・・
呆れる。

政府要人の、靖国神社参拝が、近隣諸国から、激しい抗議を受けるが、それを、最初に、行ったのは、国内からである。

その国の、伝統行為について、他国が、干渉できないことは、自明の理である。

大半の人は、日本人であるが、靖国神社のあり方を、知る者は、少ない。

神社とは、通称名である。
社でいい。
神社という言葉が、神道に結びつくという、感覚なのだろうが、靖国神社は、神道というより、英霊を、お奉りする、社である。

大東亜戦争の英霊たちだけではない。
明治維新の志士たちも、お奉りされている。

罪人とされた、松田松陰を、はじめ、坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作、橋本佐内・・・
加えて、獄中で、斃れた、志士たちの、妻、従軍看護婦、沖縄で、戦没した、ひめゆり部隊・・・
女性の、御祭神は、五万七千余柱。
総数、二百四十六万六千余柱の、御祭神である。

御祭神というのは、戦没して、亡き後は、神との、尊称を持って呼ばれる。それ、伝統である。

通常の神社とは、訳が違うのである。

今一度、それを、明確にしておく。
更に、日本では、罪人であろうが、亡き後は、神と、尊称を受ける。素晴らしい寛容の精神である。世界の、どこに、そのような、感性があるか・・・

さて、東京裁判に関して言う。
私は、素人であるから、言いたい放題言う。

実に、馬鹿馬鹿しい裁判である。

戦勝国による、報復裁判である。

マッカーサーは、極東国際軍事裁判条例を、発布して、1946年、日本解体の、ハイライトともいうべき、東京裁判を開廷する。

戦犯のみならず、日本を、侵略国家として、裁いたのである。

侵略国家・・・・
信じられない言葉である。
それでは、侵略国家の、多くの西欧の国は、どうなるのか・・・

その行状については、後で、徹底的に、書く。

東京裁判の目的は、日本という、国を、裁くという、前代未聞の、茶番劇を、行ったのである。

戦勝国の狙いは、何か。
とても、尋常ではない。

復讐
それは、唯一、白人に歯向かった、有色人種に対するもの。
日本人の洗脳
日本に、侵略国の、レッテルを貼り、贖罪意識を、植え付ける。
白人のアジア侵略の帳消し
連合軍の、アメリカ、イギリス、オランダ、フランスは、アジアを、分割して、植民地化し、搾取のし放題だった。
自分たちの、悪行を、すべて、日本に負わせるという、白人主義の旺盛さに、呆れる。

東京裁判の、筋書きは、あらかじめ、決められていた。
それに、沿って、行われたのである。
つまり、結論は、すでに出来ていたということ。

判事たちは、インド代表のラダ・ビノード・パール判事以外は、すべて、国際法の、素人である。

占領軍の、多数派工作による、茶番劇を、演じたといえる。

平和に対する罪
人道に対する罪

バカ馬鹿しくて、話にならない。
もし、それが、認められるならば、西欧列強の、アジア、アフリカの侵略行為こそ、裁かれなければならないのである。

戦勝国側は、自分たちの、罪状には、一切、触れることなく、日本のみを、侵略国家として、断罪したのである。

日本が、侵略したといわれる、国や、地域は、国際法により、認められていたものであることを、彼らは、忘れたようである。

いかに、白人主義というものが、勝手気ままなものかということを、忘れるなかれ。


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