2010年08月01日

天皇陛下について

アインシュタインが、日本を訪問した後で、次の感想を述べている。


近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界の一ヶ所くらいなくてはと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後は戦いに疲れるときがくる。そのとき人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まりアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを・・・。
1922年 アルバート・アインシュタイン

私は、上記の、アインシュタインの日本に対する、感想を、より深く、深めて、これから、天皇陛下について、書く。

現在の天皇陛下ではない。
天皇の存在について、知るうる限りのことを、書く。

私は、日本人として、生まれたことに誇りを持つ、その一つの存在が、天皇陛下である。

先に、最も、通俗的な言い方をする。
天皇は、人間である。

キリスト教のように、主イエスは、神が人間になった、つまり、神が受肉されたという、考え方は、無い。
天皇は、人間であらせられる。

昭和天皇が、人間宣言をする前も、天皇は、人間である。

今年は、建国から、2670年を経る。
神武天皇から、現在の天皇の、歴史である。

更に、私の、古史古伝の、教養から、日本の前進である、富士王朝から、9060年の、歴史がある。
いや、これは、私の計算違いである。
いずれ、正しい、計算をする。
それでは、きっと、12000年を超える、歴史を、有するはずである。
何故なら、日本列島が、大陸から、離れたのが、12000年ほど前であるから、それ以前であるはずだと、考える。
富士王朝は、日本列島で、建国されたものではないからだ。

いずれ、それについては、徐々に書きつけてゆく。

世界最古の、民衆歌集、万葉集は、舒明天皇御製から、1382年を経る。
天皇から、庶民に至るまで、歌の道では、平等であるという、日本の伝統であり、宝である、万葉集である。

そして、世界最古の小説、源氏物語は、成立から、1001年を経た。
それも、天皇の存在なくしては、生まれなかった物語である。

アカデミズムでは、天皇制という言葉があるが、あれは、あれである。
天皇制という、言葉は、日本には、無い。

制度ではない。
自然発生的に、天皇家が、成り立った。

富士王朝では、大政頭、おおまつりことかしら、である。
それが、すめらみこと、と、呼ばれるようになった。
漢語による、天皇である。

最初は、漢語の大王であったが、読みは、おほおみ、である。

大和言葉を、すべて、漢語にするという、推古天皇時代の、試みがあったが、それでも、大和言葉は、捨てられなかった。

漢語を書いて、これは、大和言葉では、つまり、わが国では、このことであると、解説した。
だから、今でも、音読みと、訓読みがある。

訓読みは、すべて大和言葉である。

和歌は、すべて、大和言葉による。
どんなに、優れた、漢詩を詠む者も、和歌は、大和言葉になるのである。

この、大和とは、現在の奈良県辺りである。
しかし、大和が、日本を示す時代が来る。

富士王朝、高天原王朝の天照が、即位した時期から、とよあしはらのみずほのくに、と、称した。
更に、太陽の光を紋章にした、国旗が、出来上がる。

天皇家の、御紋は、菊の御紋だというが、実際は、太陽の光である。

富士王朝から、血族である、天皇が、九州王朝を築いて、天都とし、富士王朝を、神都と、称して、日本という国の概念が、広がる。

さて、それは、以後、詳しく書くことにする。

先の、アインシュタインの、言葉の中に、この世界の盟主なるものは武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。
とある。

武力を持つことの無かった天皇家。
これは、奇跡である。

一時的に、天皇が、武力を持って、戦いを起こした時期があるが、それは、瞬時のもの。
天皇家は、武力を持つ家ではなく、国民の、敬意によって、無形の権威によって、成り立った家柄である。

例えば、織田信長は、比叡山焼き討ちを行ったが、天皇家を、滅ぼすことは、決してなかった。

どの、軍事政権も、日本の場合は、天皇家を、壊滅させようとする、武将はいなかった。

平家、源氏、戦国時代、信長、秀吉、家康と、軍事を持つ政権が、天皇家に、刃を向けることはなかった。

何故か。
天皇家を、攻撃することは、国民を、国を滅ぼすことであると、知っていたからである。

更に、天皇を敵にすることは、全国民を敵に回すことになるのである。

会津藩主、容保が、降伏する際に、仙台藩から、王氏に歯向かうことは、子孫末代までの、恥であると、説得されたからである。

錦の御旗に、立ち向かうことが、子孫末代までの、恥とは・・・

勿論、その時の、錦の御旗というのは、また、複雑な意味があるが、ここでは、単に、天皇に、刃を向けることは、子孫末代までの、恥であるということに、注目する。

天皇とは、欧州における、王様とは、全く違う、権威である。

王様は、軍隊を持って、王様であり、それは、武力だけではなく、金力も、兎に角、民が、歯向かうことが、出来ないだけの力を、有しての、王様である。

秀吉は、天皇家の、侘びた皇居を見て、即座に、寄進するほど、貧しい時期もあった。

平安京で、その周囲に、何も、壁を作らなかったということに、驚いた中国人がいたという。

日本以外の、盟主で、自分の住まいを、壁で覆い、敵の侵入を防ぐという建物を、築かない盟主は、いないのである。

何故、天皇は、敵を想定しないのか。

国民は、一人として、天皇の敵ではなく、天皇の守るべき、祈るべき、存在なのである。

天皇は、国の、国民の、祈りの、象徴なのである。
つまり、祭司なのである。
それを、国民は、無意識に、理解し、心に深く、刻まれているのである。

それは、歴史である。
遠い、遠い、悠久の歴史から、天皇が、祭司であることを、国民は、無意識下で、知っている。

そんな国民も、また、世界では、皆無である。

天皇を、支持するか、支持しないかと、問うことはない。
天皇陛下は、祖霊と共に、国の国民の、やすらけく、たいらけく、を、祈る存在なのである。

これは、私が、死ぬまでかかっても、書ききれないものである。
未完であろう。


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千鳥ヶ淵、靖国神社へ

夏は、暑いと、知りつつも、暑い。

何を、着ても、暑い。
私は、出掛ける時は、着物である。
夏物、絽の着物と、絽の長じゅばん。
羽織は、暑くて、いらない。

東南アジアへ出掛けたら、下着もつけない。
浴衣のままで、行動する。
足袋も、履かない。

そうして、今も、足袋を履かなくなった。
北海道の冬も、足袋を履かずに、行く。

足袋は、白足袋である。
昔、茶の湯をやっていたせいである。

さて、千鳥が淵戦没者墓苑に、慰霊に出掛ける。

横浜支部の、辻さんと、コータと、三人である。

曇り空。
台風が、来ていて、日本海側、東北地方は、大雨の様子。

こちらも、時折、ぱらぱらと、降るが、大雨にはならない。

二時に、部屋を出る。
辻さんの車に乗る。

カーナビの通りに、走るが、随分と、時間がかかっている。
すると、辻さんが、このカーナビ、バカなのーーーと、いう。

ようやく、千鳥が淵に、辿り着いた。

駐車場には、他に、車が、三台である。

早速、御幣と、日の丸を、持って、向かう。
すると、若い親子が、虫捕りをしていた。

平和な雰囲気である。

今年は、千鳥が淵墓苑には、新たに、3937柱の、遺骨が、納骨された。
ここには、遺骨が、奉られてある。

行き先の無い、遺骨である。
総数、358,269柱である。

ちなみに、戦没者数、2,400,000名である。
そして、民間人を入れた、総数は、320万人である。

人類発生以来、最大の戦争である。

改めて、日本は、アメリカと、ど、えらいことを、したのである。
太平洋という、大海を舞台にした、最大の戦争を、この、小さな、島国、日本が、行った。

書きたいことは、多々あるが、慰霊のことだけを、書く。

私が、慰霊塔に向かうと、すぐに、担当の、おじさんが、やって来た。
ご苦労様です。今、明かりを点けます。

何か、勘違いしているのかなーーー
私を、誰だと、思っているのかーーー

平民なのに。

ところが、もうひとりの、おじさんも、やって来て、私が、祝詞を献上し、更に、清め祓いするのまで、見ていた。

そして、深く、黙祷する。

二人の、若い女性も、慰霊にやって来た。
その場に、菊の花が、置かれて、それを、捧げる。

私は、今回、新たに出来た、シベリア抑留戦没者の慰霊碑と、引き揚げによる、死者の慰霊碑を、回ることにしていた。

おじさんに、尋ねると、すぐ傍である。

一つの、囲いの中に、それぞれの、慰霊碑が、建立されていた。

数霊を、唱えて、お送りの、音霊を唱える。

すべて、私の、やり方である。
古神道には、方法とか、手順はない。

ちなみに、ひとりのおじさんからは、神道の方ですかと、尋ねられた。
いえ、古神道です。
しかし・・・
古神道というと、変な新興宗教に、間違われる可能性もあり、これからは、テラの会ですと、答えることにした。

更に、私の慰霊の写真を撮っていて、会報誌に載せても、いいでしょうかと、問われた。

古神道を、名乗る、嘘の古神道の、宗教がある。
古神道では、集団や、組織を作るはずがないのである。
勿論、建物も、建てない。

神道を、名乗るのは、神社神道と、教派神道があり、教派神道は、皆、新興宗教である。

明らかに、宗教団体であるから、古神道ではない。

教祖が、自分に、コンタクトしてきた、霊を、神と、勘違いして、立ち上げたものである。

憑依された、教祖もいる。
そんな、霊に騙されるほど、愚かなのである。

さて、三十分ほどで、慰霊の儀を終わり、次に、靖国神社に向かう。

途中、休憩所に入り、無料配布の、色々な、会報誌を貰う。
そして、慰霊名簿に、記入する。

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2010年08月02日

天皇陛下について 2

普段の生活の中で、天皇という存在を、思うことはない。
私も、毎日、天皇陛下を思うということは、ないし、必要ない。

ところが、国事に関わること、国難に関わる時に、天皇を思う。
陛下は、どのように、考えておられるのだろうか・・・

最も、天皇を意識したのは、昭和天皇崩御の際である。

葬送の儀の日は、街が、静まり、森閑としていた。
私は、舞踊教室で、弟子たちと、踊っていた。

昭和天皇のことは、断片的に知るだけである。

それほどの、関心を寄せなかった。
その頃は、自分の生活を、立てるということで、闇雲に突っ走っていた。

ただ、時々、国体などの行事に、今上天皇が、お出ましになられて、お言葉を、述べられるのを聞いた。
そして、ある時から、天皇のお言葉に、興味を持つようになった。

公式の、天皇のお言葉に、必ず、ある言葉があった。
それが、先の大戦で、亡くなられた、320万人の皆さんの・・・である。

更に、天皇の、お言葉を、保存するようになった。

そこに、一環して、流れる、天皇陛下の、先の大戦で、亡くなった、皆さんのことに、私は、惹かれた。

天皇陛下の、生活は、私には、窺い知れないものである。

朝から、寝るまで、天皇は、公的存在であるというのは、どういうことであるのか。
そして、その精神と、心は、どうなのか。

もし、私の、一日が、公的なものだとしたら、私は、狂うと、思う。

昭和天皇は、風呂上りも、スーツを着られて、正装されていたという。
私のように、裸同然で、部屋を歩き回るようなことは、ない。
何と、不自由な生活か・・・

時には、酒を飲んで、二日酔いするようなことは、ない。
殿上人という言葉があるが、天皇は、それであるのか・・・

もう一つの、疑問は、天皇は、汗をかかない。
映像で、汗を拭いているところを、見たことがない。

そして、もう一つの、疑問は、神社などの、神域に入り、その礼拝の様子が、違う。
拍手を打つことはない。

ただ、一礼するのみ。

様々な、儀式を、すべて見ることは、出来ないが、古式に則り、行われているということは、理解する。

だが、何故、古式に則り、今も、その儀式を続けておられるのか。

昭和天皇は、あれほどの、試練を受けられても、報道の質問に、淡々として、時には、笑い声さえ、記者が立てるほどの、健やかさがあった。

その、昭和天皇が、特に、訪問したかった、場所が、沖縄であった。
その願い叶わず、崩御された。

沖縄に対する、深い思いを、私が、考えた事がある。
それは、沖縄戦を調べていてである。

その、地上戦の、凄まじさは、言葉にならない。
犠牲となった・・・

更に、敗戦後は、アメリカのものになった。
昭和天皇は、沖縄を、本土のために、犠牲にしたことは、本人が認めている。

そして、広島、長崎への、原爆投下である。

御前会議が、開かれた。
戦争終結に、誰も、声を上げることができない。

陛下・・・

今まで、天皇は、政治家、軍人の、決定を、承認するという、手続きである。
ご自分の、発言は、一切無い。
そして、それが、伝統だった。

私が、調べたところでは、大和朝廷以前の、ころからである。

その話は、壮大なドラマであり、追々と書くことにする。

昭和天皇は、戦争終結を決定された。

聖断といわれる。

国民皆、玉砕という、考え方があった。
要するに、すべて、壊滅。国民の一人も、いなくなるまで、戦うというものである。

だが、昭和天皇は、それを、支持しなかった。
皇祖皇宗からの、この、日の本の国を、壊滅させることは、出来ない。

伝統。

この、伝統を、すべて、無きものにすることは、到底出来ることではない。

天皇陛下は、国体であると、考えられた。
つまり、国、そのものである。

国、そのものである、存在、天皇は、戦争終結を、ご決断された。

そして、日本は、救われた。

天皇が、はじめて、決められた、決定である。
誰も、戦争終結を、決定することが、出来なかった。

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あらっネグロス島へ 2

靖国神社は、千鳥が淵墓苑と、隣同士である。

車を靖国神社に、移動する。

日の丸だけを、掲げて、参拝に向かう。
明後日の、敗戦の日に向けての、準備が行われていた。

参拝者の姿も、結構多い。

靖国神社の、ご神体は、戦没者の名簿、お名前である。
そんな、行為は、日本だけであろう。

要するに、書かれた、お名前を、拝するのである。

何故、それで、通ずるのかは、日本の伝統について、語らなければならない。

さて、私は、一人先頭を歩いていた。

済みませんが
と、声を掛けられた。
警察官である。
国旗を持たれているというのは、右翼の方でしょうか・・・

えっ
私は、彼の顔を見詰めた。

後ろから、コーターが、来て、
違います
と、言う。

境内では、旗や、幕などを掲げての、集いは、禁止されている。
だが、私は一人である。

私は言う。
この、国旗を持って、アジアの追悼慰霊を行っています
そして、衣服支援をしています

警官は、それを聞くと、失礼しました
と、戻った。

至る所に、警備の警官が、立っている。
そして、携帯電話で、やり取りしている。
私のことも、連絡がいったのだろう。

確かに、右翼の街宣車が、数台、目に付いた。

参拝は、理想的なものではなかった。
丁度、賽銭箱が、横に片付けられているところである。

遠くに、鏡が見える。
私は、日の丸を掲揚し、深く、頭を下げた。

ただ。それだけ。
拍手は、打たない。

別に、気取るわけではない。
皇室と、同じ、参拝の仕方であるが、不遜な気持ちはない。

その、成り立ちは、明治二年である。
東京招魂社として、はじまる。

それは、明治維新の、戊辰戦争の犠牲者を、お祭りしたところからである。

私が、靖国神社に、組しないのは、この、最初にある。
官軍の、犠牲者を、お祭りしたのである。

つまり、敗軍の犠牲者は、祭られていない。

官軍とは、薩長同盟である。

明治維新の、犠牲者は、官軍も、敗軍も、共に、合祀するべきである。
それぞれが、国を思い、戦ったのである。
そして、かむながら、というものは、そういう、寛容なものである。

何せ、大和心である。

さて、その後の多々、屁理屈があるが、国のために、犠牲になった、皆様を、お祭りするのは、日本だけではない。
世界のすべての国が、行うことである。

靖国だけが、例外ではない。

更に、それぞれの国の、多数の人が奉じる、宗教の形態をとる。
つまり、常識である。

その、常識を知らないのが、中国と、韓国であり、彼らと、話し合うには、千年もの、時間が、必要である。

世界の常識を知らない国が、どのような、展開をするのかを、とくと、見ていることにする。

更に、日本の仏教団体、キリスト教団体も、話にならない。

政教分離という、言葉を掲げるが、彼らは、政教分離などという、観念を、歪曲して、理解している。

アメリカも、政教分離を掲げるが、大統領は、聖書に手を置いて、誓う。
どうだろう・・・
政教分離か・・・

アメリカは、キリスト教国である。
カトリック、プロテスタント諸派、多々ある。

政教分離とは、どこの、派閥にも、組しないということであり、キリスト教という、柱は、失われていない。

日本の、宗教団体は、甘えているだけである。
日本は、古来から、道教、儒教、仏教、そして、キリスト教にも、寛容に接した。
一時期の、キリシタン弾圧は、弾圧ではなく、自衛のための、行為である。

あのまま、天主教が、日本に蔓延すれば、確実に、ローマ法王に、日本は、乗っ取られた。

その、証言は、多々ある。
イエズス会が、行ったことを、検証すれば、一目瞭然である。
傲慢不遜に、イエス・キリストを信じない人々は、簡単に殺された。

今年は、全閣僚が、参拝しないと、表明した。

民主党政権が、日本には、利益とならないことは、明白である。

誰に、遠慮しているのか・・・
中国、韓国・・・国内の、偏屈な人たちに、である。

自国の戦争犠牲者を、追悼慰霊する、施設である。
神社が駄目なら、靖国戦争犠牲者追悼慰霊社と、すれば、いい。
国会で、決議すればいい。

全閣僚が参拝しないと、堂々としたところが、低レベルである。
つまり、アホ。

小学生のような、知性の社民党の、党首は、政教分離を考えると、当然だということを、いう。
勉強不足も、ここまでくると、政治家という、職に就いていること、自体、異常事態である。

ドイツ、イタリア、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ロシア、インド、インドネシア、タイ、台湾、ミャンマー、パキスタン、スリランカ、チベット、トルコ、パラオ、ソロモン諸島、ポーランド、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、ベルギー、リトアニア、チリ、メキシコ、ブラジル、エジプト、モロッコ、更に、南アフリカの国々である。

世界各国の、政治家、外交官、宗教家、軍人などが、相次いで、参拝している。

あの、馬鹿ブッシュも、靖国参拝を、希望したが、更なるバカの、外務省が、懸念して、明治神宮に、変更した。

お解かりだろうか・・・

それが、世界の常識である。

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2010年08月03日

天皇陛下について 3

昭和天皇である、裕仁親王が、初等科五年生のときである。

七月十九日、昼、明治天皇は、皇后と食事をしている時に、突然、テーブルの上に、倒れた。

六十になる、明治天皇は、糖尿病を患い、節制された生活を送っていた。
急に、訪れた、変調に、検査を繰りかえと、腎臓病に、尿毒症を併発していた。

病勢は、悪化し、二十九日、夜、崩御された。

即座に、皇太子、嘉仁親王が、大正天皇となる、践その儀が、行われた。
同時に、裕仁親王は、皇太子になられた。

明治45年は、大正元年と、改められた。

御大葬の儀は、九月十三日である。
その前日、裕仁親王の、教育係りであり、学習院長の乃木大将は、
殿下のご勉学に、もう私は必要ではございません。しかし、私はいつも殿下と、日本の幸福を祈り、見守っております。
と、述べた。

乃木大将は、十一歳の、裕仁親王が、陸海軍の少尉に就任された、お祝いに、東宮御所を訪れ、山鹿素行の、中朝史実と、中興鑑言の、二冊の、書籍を献上している。

乃木大将の、態度に、いつもにない、暗い影を、裕仁親王も気づかれたようである。

御大葬の日、乃木大将は、自宅二階の居間で、静子婦人と共に、自決したのである。

うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり 希典

出でまして 還ります日の なしときく きようの御幸に あふぞ悲しき 静子

明治天皇と、乃木大将の、死は、明治という時代の終焉であり、新たな時代の、幕開けとなる。

GHQによる、大日本帝国解体作業の中で、最も、大きな変革を迫られたのは、軍隊と、天皇家であった。

旧体制は、壊滅的な打撃を受けて、華族廃止、財産税、農地解放、公職追放令などなど、矢継ぎ早に、打ち出された法令により、国民はもとより、国の支配層の人たちも、動揺が大きかった。

その中にあり、天皇制というものは、存続した。

天皇制というのは、何か・・・
この、言い方も、西欧の言い方である。

天皇制という、制度と、捉えている。

私は、天皇制という、制度は、日本には、無いと、考えている。
これは、私の、長い、古代史研究と、天皇陛下に関する、検証による。

戦後の、デモクラシーの時代、身分制度が消滅し、自由と平等が、謳歌された。
それは、とても、良いことだった。
国民に、自由と、平等の精神が、養われることは、理想である。

しかし、歴史家たちは、怠慢であり、そのように、分析するが、身分制度がなくなったのであり、身分は、厳然として、存在した。
今も、である。

更に、戦前の、軍人、政治家が、天皇の名の元に、自己の正当化を図り、とうてい、考えられない、分不相応な態度を、取っていたことは、事実である。

とても、信じられない、時代が、戦前である。
彼らは、天皇の存在の、意味を知らない。
それが、悲劇を生んだ。

簡単に言えば、彼らは、天皇も、人間だという、単細胞的、思考能力である。
天皇も、人間であるが、天皇という、立場が、歴史上に、どのような、意味を持つものかを、忘れた。

それほど、軍人や、政治家が、アホになっていた時代が、戦前である。
更に、戦中も、である。

民主化という、耳障りの良い言葉によって、天皇家の、防壁を、すべて取り払った罪は、重い。

どのような、政治形態でも、日本の天皇は、存在するのである。

それは、これを、読み続ければ、解る。

さて、敗戦時、宮家は、14家存在した。
それが、昭和21年5月に、総司令部が、宮家の特権を剥奪する、指令を出した。

残ったのは、秩父、高松、三笠の、三宮家である。

11の、宮家は、臣籍降下である。

更に、華族は、皇室の藩屏と、呼ばれていた。
皇室の守護に当たるという意味である。

華族といっても、色々な、立場がある。しかし、説明は、省略する。

更に、宮内省は、宮内庁に、格下げされた。
宮内大臣も、内大臣も、廃止された。
戦前、戦中、天皇を、輔弼した、枢密顧問官などの、重臣制も、消滅した。

明治政府は、旧幕藩勢力の残滓を一掃するために、天皇を維新以前より、遥かに、神格化する必要を感じて、それが、意図的に行われた。

これは、天皇の意思ではなく、明治政府、政治家の、意思である。

マッカーサーの、作業は、この、神格化した、天皇の、否定である。
人間であるという、もの。
単なる、人間の一人。

彼らは、日本の歴史を知らない。天皇の存在の意味を知らない。知るはずがない。
アメリカは、原住民である、インディアンを、皆殺しにして、建国した国である。
歴史など、理解できるはずが無い。

当時、皇室民主化という、言葉が、生まれたというが、全く、意味不明である。

今では、開かれた皇室などと、マスコミが、表現するが、彼らは、その意味さえ、知らないで、国民に迎合するようである。

つまり、あまりに、歴史を知らない。そして、それを、教える者がいないのである。

もう一つ、おまけにいう。
象徴という言葉である。

これを、正しく、明確に、説明出来る人がいるのか。

日本国の、象徴であると、私も、便宜上使用するが、それは、とても、意味を考えると、困難なことである。

国旗も、国の、象徴である。
天皇は、国旗と、同じように、象徴ではない。

天皇は、国の頭、かしら、である。
それは、富士王朝の、高天原府の時から、大政頭、おおまつりごとかしら、である。

その下に、政頭、まつりごとかしら、が、いたのである。

それから、何も、変わっていないのが、日本の歴史である。

つまり、西欧の言葉を使えば、元首である。

いや、私は、矢張り、国体と、いう方が、合っている。

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あらっネグロス島へ 3

憲法には、政教分離という、言葉はない。

それでは、どこから、その言葉が出るのか。

国の宗教的活動などを禁止した、憲法20条と、宗教団体への公金支出を禁止した、憲法82条の、前段を総称して、政教分離と、呼んでいる。

それが、強固になったのは、日本のアホな、憲法学者たちの、説である。
何も、知らない彼らは、厳格分離説を、掲げた。

国民大多数の常識、世界的常識と、かけ離れた、厳格分離説である。

完全に、国家と、宗教を、切り離して考えると、その混乱は、甚だしい。

一つの例は、国宝、重要文化財に指定される、神社、仏閣、その宗教的文化財に対する、補助金の支出は、一切出来ないのである。

刑務所に、収監されている、受刑者に対する、教戒師の活動も出来ないのである。

お分かりか。
憲法学者の、不勉強振り・・・

更に、学者たちは、日本の伝統的、心情である、たゆたふ心、あはれ、なる心というものも、知らない。

地鎮祭で、町から、市から、お礼のお金を渡すことは、政教分離に反するという、偏狭な、考え方・・・呆れる。
それが、伝統であるという、お勉強をしていないのである。

何よりも、日本は、伝統の国である。

それは、宗教などを、飛び越えている。
世界に、その伝統を、有する国は、日本のみである。

さらに、言う。

ミッションスクール、仏教、神道系の、私立学校への、公費助成は、どうする。
それも、政教分離に反することになるのである。

憲法89条には、公の支配に属さない私立学校への、助成を禁止し、宗教団体に対する、公金の支出も、禁止されている。

さあ・・・どうする。

宗教系私立学校は、学校法人であるが、その母体は、各種の宗教団体である。

そこでは、宗教家が、養成されたり、宗教教育も、されている。

さあ、どうする・・・

さながら、イスラム圏の国のような、考え方が、厳格分離論者である。

その癖、上記に上げたようなことは、合憲だとする。

イカレている。
それに、追従する、アホなマスコミ、政治家、官僚・・・・
全く、知らない。事の真相を知らない。

いつも、真実というものが、犠牲になるのである。

教育を受ける権利の保障、私学振興の必要性・・・などを、理由に、合憲とするというから、笑う。

政教分離についての、古典的著作がある。
ジョン・ロックの、寛容についての書簡、である。

第一に、政治と、宗教は、その任務、役割において、明確に区別されなければならない。何故なら、政治は、世俗的事項にのみ関わるのに対して、宗教は、魂の救済を目的とする。

第二に、政治の担い手である、国家と、宗教の担い手である、教会は、区別され、組織的にも、分離されなければならない。

第三に、政治と、宗教は、互いに、その役割を尊重しなければならず、互いの領域に介入したり、干渉したりしては、ならない。

これは、広義の意味の、政教分離である。

公明党などは、これに、全く違反していることになる。

更に、時代は、新しい世紀は、宗教を必要としない、時代になるから、自然、問題は、解決に向かう。
とは、言え、宗教という、商売は、止められないから、宗教団体は、続く。

特に、日本の場合は、政治と、宗教とは、一緒に活動しているようなもの、である。
宗教団体の、政治活動を見てみるとよい。

吐き気がする。

商売であり、政治的であり、どこに、魂の問題の、更に、魂の救済などあるか・・・

誰も、宗教家は、一人として、宗教的ではない。

政治が、宗教の役割を尊重し、宗教も、政治の役割を、尊重する。
誰が・・・それが、出来るのか。

そんな、上等な人間は、いないだろう・・・

政治の宗教への介入が禁止される。更に、宗教の政治的権力の行使を禁止する。
それが理想である。

創価学会、幸福の科学等々は、憲法違反となる。

とまあーーー

もう少し、よく考えてみることだ・・・・

ちなみに、専門家は、狭義説、限定説、広義説色々上げている。

私は言う。
伝統行為の前に、宗教は、飛ぶ、散る。

戦争犠牲者への、追悼慰霊は、靖国神社という、伝統が、存在するという、ことである。

神社に、拘りがあるなら、靖国のお宮でいい。
それでも、駄目になら、靖国さん、でいい。

それでも、駄目なら、兵隊さんの、お家でもいい。

靖国神社が、宗教法人なのは、アメリカ占領軍の、指示である。
本来は、宗教法人ではない。

森の鎮守の神様と、同じ。
誰のものかも、解らないが、昔から、やっていたから、ねーーーである。


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2010年08月04日

天皇陛下について 4

天皇は日本民族の家長であって、任期もなければ交代もない。共和国の大統領は、その地位を維持するためには、常に民衆と接する必要に迫られているが、天皇にはその必要がない。更にいえば、一般国民のプライバシーが尊重されるのと同様に、天皇家のプライバシーもまた尊重されなければならない。
今上天皇 藤島泰輔 総監修

私も、上記に賛成である。
更に、加えて、いえば、日本民族の、家長、それは、国体であり、民衆の決定ではなく、自然発生的に、出来上がったものであるということ。
そして、それが、民衆に、受け入れられてあったこと。
つまり、日本人は、自然に、民の上という意識を持って、天皇を見ていたこと。

昔、天皇を、天子様と、呼んでいた。
更に、そのお姿さえ、見る事が出来なかった。
それが、理想的だった。

天皇陛下を、見る必要は無い。

その存在だけで、十分だった。

上記の本を、引用する。
天皇制という制度は、ごく短い親政の期間を除いて、天皇が現実の政治と無縁だったから今日まで続いて来た。これは長い歴史の間に日本人が体得した「知恵」である。将軍家が日本を統治していた時代に、天皇家は京都の御所に在って、名目的に将軍や諸侯に官位を授与する立場でしかなかった。その時代、御簾の彼方の天皇を垣間見ることさえ、民衆には機会がなかった。それでも天皇家が常に将軍家の上に存在したのは、存在が見えなかったからである。

あの、戦国時代でさえ、天皇家を、攻撃するものが、無かった。
あの、信長でさえ・・・

何故か。
天皇を敵にするということは、民衆、国民を敵にすることだと、知っていたからである。

貴い身分の天子様という、存在を置いたのは、日本人が体得した、知恵であるという。
和を貴ぶ、日本民族の、知恵なのである。
その、和の、象徴が天皇であり、その天皇が、国体なのであるという意識。
つまり、元首であるという、意識。

その、元首である天皇は、武力を持たない存在である。
つまり、敵を想定しない、存在なのである。

国民の一人に、敵を想定しない存在である、人がいる。
そういう人を、上に、頂くというのが、知恵だというのである。

名目的に、官位を授与する立場でしかなかった、というが、違う。

それは、大きな勘違いである。
確かに、行為としてみれば、そのようである。

しかし、明治維新前後、会津藩主、容保が、孝明天皇から、御製、お歌を、贈られている。彼は、その後、生涯に渡り、その御製を、胸に、掲げていたという。
肌身離さず、御製を抱いていた。

武士には、武力があるが、権威が無い。
そこで、無形の権威ある、天皇の名の下に、大義名分を欲した。

会津藩を打つために、薩長は、錦の御旗を作ったほどである。
そして、容保が、降参したのも、仙台藩の、王氏に逆らうのは、末代までの、恥であると、説得されてである。

それが、民族の、知恵であると、看破したのは、見事である。

戦をしないように、殺しあわないように・・・

ただ、平清盛のように、一時的に、上皇を追放するという、暴挙に出た、傲慢なものもいる。

驕れる平氏は、矢張り、滅んだ。

源頼朝も、天皇から、官位を頂いて、鎌倉幕府を開いた。

日本には、そういう、伝統と、知恵がある。

大化の改新の前に、丁度、舒明天皇の時代である。
蘇我氏の勢力と、今風に言えば、連立政権を、天皇家、大王家が結んでいた。

しかし、蘇我入鹿の、目に余る、暴挙を見て、このままでは、大和の国が、蘇我王朝になると、舒明天皇の、皇子である、後の、天智天皇が、立ち上がって、大化の改新を遂げた。

天智天皇は、天皇家の、中興の祖であると、いってもよい。

そして、天武天皇により、天皇家の、位置が、更に確定する。
だが、それで、納得しては、いけない。

天皇家の、地位の確定は、その以前にある。

少し、話は、変わるが、天皇家が、常に、イギリスの王室と、比べられたり、そこに、学べという、勘違いする者たちがいる。

全く、イギリス王室と、天皇家は、異質である。
その、歴史は、滅茶苦茶である。
更に、彼らは、海賊から、成り上がった、王様である。
つまり、地主の、親玉である。

成り立ちが、全く違う。

イギリス王室は、いくらでも、庶民的になってもよいが、天皇家は、庶民的になる必要は無い。

タイでは、ウィリアム王子の、裸体の写真が、出回るほどだ。
それほど、あちらの王室というものは、天皇家とは、異質過ぎる。

園遊会などで、高齢の昭和天皇が、各界の著名人たちと、言葉を交わすのを、見るたびに、何故、このような、馬鹿下駄ことをするのかと、いつも、思った。

天皇陛下は、そんな必要は無い。
ただでさえ、天皇の、一日は、忙しいのである。
つまり、朝から、国と、国民のための、祈りを、御行為される。

特に、昭和天皇から、それが、多くなったという。

御簾の向こうから、その御声が、洩れ聞こえるだけで、よい存在である。


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あらっネグロス島へ 4

参拝を、終えて、戻る道、声をかけられた。

木村さんですか・・・
ええ
大西です
ああーーー

戦没者の慰霊のために、戦地に出掛けて、桜を植えている方である。
桜会の代表であり、本日も、靖国神社の、草刈に来ていたという。

最初に、お会いしたのは、チェンマイである。
あれから、三年が過ぎる。
チェンマイの、タイ・ビルマ戦線の追悼慰霊碑にも、桜を植えていた。

お手紙では、お話している。
偶然のことで、嬉しく、驚いた。

今日は、こんな格好ですから、声をかけるのを、躊躇ったのですが・・・
と、仰る。

確かに、草刈用の服装である。
しかし、ご苦労様である。

戦争犠牲者を、忘れていない人々がいる。

次は、パラオの、ペリリュー島へ、出掛けると、言う。
私も、あの、激戦地である、ペリリュー島には、出掛けるつもりだった。

直行便が出るのが、九月の時期なのだそうである。
八月、九月に、特別便が出る。夏休みのせいでもある。

更に、ツアー旅行になる。

格安航空券だと、台北か、グアム経由になる。

しばしの、立ち話だった。
いつか、ご一緒したいと、申し上げて、頭を下げた。

それから、茶屋に立ち寄る。
ソフトクリームを食べるためである。

そして、母に、お土産の、お菓子を買う。
もう、靖国神社などに、出掛けて来られない年である。

落雁を買った。
昔、落雁は、贅沢なお菓子だった。
今は、貧乏臭い・・・
しかし、懐かしさで、食べる。

日の丸を、丸めて、しばし、休憩する。

参道を通る人を見ている。

二時間ばかり歩いて小休止となった。私も崩れるように地面に腰を降ろす。転がるように横に寝てしまう兵士もいた。しばらくして出発となり、闇の中に立ち上がり歩き始めたが、間もなく「橋本がいないぞ」と誰かが言い出した。しかし、長い隊列は容赦なく暗闇の中を進んで行く。
私たちの小隊もこの流れの一部となって最後尾辺りを行くだけで、誰も止まるわけにいかない。引き返し、先ほど休憩した所まで探しに行きたい気持ちはあるが、そうなると闇夜の中で方向を失い、自分も落伍者になってしまう恐れがあるので、どうにもならない。躊躇している頃、後方遠くで「ドーン」という手榴弾の爆発音がした。橋本上等兵がやったのだろうか。誰も悲痛のあまりものも言わず黙ったままで闇の中を遅れまいとして歩いた。
ビルマ最前線 白骨街道生死の境 小田敦巳

病になった人、もう、動けない、体力を失った兵士は、自爆して果てた。

戦死ではない。
自爆で、亡くなった兵士も多い。

戦記を読むと、時々、先が、読めなくなる。
その状況を理解しようとして、佇むからである。
しかし、理解を超える。
皆の迷惑になると、自爆する兵士もいる。

連隊本部の山本上等兵が自分の水筒に水を汲んできて、竹竿の先に括りつけ林伍長に差し出した。彼はそれをゴクリと飲み、「有難う、俺は助からない、死ぬ・・・山本、わしはここで死ぬがお前が内地に帰ったら、故郷の父母にこの歌を伝えてくれ」と言った。
「身はたとえ ビルマの果てに 朽ちるとも とどめおかまし 大和魂」という辞世の歌を。そして、「みんな、あっちへ行ってくれ」と言い、手榴弾を自分で叩き轟音と共に散っていった。実に見上げた最期であった。
上記より

これを、我が身のことと、考えてみるのが、体験の追悼、追憶である、経験となる。
体験するわけではないが、共感する能力により、経験となる。
言葉遊びをしているのではない。

その、共感能力を、日本では、別名、あはれ、という。
もののあはれ、である。

その兵士たちが、靖国にお奉りされている。
だから、彼らに、その御霊に、お逢いするために、参拝に来ている。

国のために、命をかけて、苦労された兵士の皆様に、感謝と、慰霊の心を、持つことは、世界の常識である。

戦犯合祀があるから・・・
敗戦したから、戦犯になったのであり、勝てば、戦犯などというものは、存在しない。

歴史を、見よ。

今、この世界大戦の、事実が、明るみにされてきた。
その時、アメリカの、ルーズベルトが、戦犯になるだろう。
しかし、アメリカ国民は、彼を裁くだろうか。

更に、ルーズベルトの墓を暴き、不遜な行為をするだろうか。
更に、マッカーサーを、戦犯とするだろうか。

アメリカが、仕掛けた戦争であるとが、明確になってきた。
さて、どうする・・・

日本には、戦犯という、罪状は無い。
あれは、東京裁判によるもの。それを、今、認めないとしてもいい。

日本に、戦犯は、存在しないのである。

フィリピン、モンテンルパの刑務所に、日本兵の戦犯とされた、B、C級戦犯が、収容されていた。
その大半は、無実である。

何とか、理由をつけて、戦犯にされたという、悲劇である。

だが、数名の処刑者を出して、開放された。
一人の、歌手によって、それが為された。
渡辺はま子である。

モンテンルパの夜は更けて、という、獄中で、作詞し、作曲された、歌を、日本に持ち帰り、歌った。
それが、国民を動かし、自発的に、嘆願書の署名が集まり、フィリピン大統領が、開放した。
大統領も、その妻と、子供三人を、日本兵に、射殺されていた。

全国に、戦犯を開放する、嘆願書の、署名運動が、展開された。

戦犯などとは、実に、馬鹿馬鹿しい。

戦犯を、戦犯と呼ぶ、日本人が、戦犯認定戦犯者である。

私は、言う。
日本に、戦犯はいない。
戦犯は、アメリカにいた。

さて、これを書き続けても、終わらない。
兎に角、私は、今年、二度目の、慰霊を、行った。

最期に、靖国神社に、私は、組しないといった。

それは、それ、これは、これ、である。

私は、神社神道の、神道を、新神道と、便宜上言う。
私は、古神道である。
更に、新興宗教の古神道を名乗る、偽者の古神道ではない。

大和朝廷以前の、富士王朝、一万余年の伝統を有する、天照るかむ、の、定めた、かむながら、である。

富士吉田市に、微かに、その名残がある。
阿曽山大神宮跡の、小さな、社、やしろ、である。

現在は、坂上田村麻呂が、創建した、浅間神社が、ある。

しかし、それは、大和朝廷の、命により、創建したもの。

ただし、みらめみこと、当時は、大政頭、おおまつりごとかしら、と、呼ばれた、主を、持つ、民族である。

そして、すめらみこと、は、現在まで、信じられないが、一系なのである。

富士王朝の、おおまつりごとかしら、が、大和朝廷、そして、神武天皇の、血族である。

証拠があり、私の霊感である。

アカデミズムの、歴史学者が、権威を失う。
それだけの、私は、確信がある。

学者は、プロである。そして、それは、商売である。
私は、素人である。そして、それは、商売ではない。

誤てる学者は、幽界にて、反省し、己の罪を、贖っている。
この世の、名誉を欲した者、霊界には、中々、上がれないのである。
これを、あはれ、という。

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2010年08月05日

天皇陛下について 5

権力闘争によって王位を得たヨーロッパの王朝は、かつてどの王朝でも栄耀栄華を極めている。日本の皇室にはその経験がない。明治維新までも、富と権力は将軍家にあって天皇家にはなかった。日光東照宮の絢爛と、伊勢神宮の素朴さを比較するだけでも明らかである。
藤島泰輔

豊臣秀吉は、天皇家の、垣根が荒れ果てているのを、見て、即座に、手直しを命じたという。

天皇家は、少しばかり、庶民の上の暮らし振りだった、時期もある。
ただし、その権威だけは、失わない。

天皇が、病にある時は、京の花僧が、快癒の祈りで、天皇家の前に、花を立てた。
更に、庶民も、手を合わせて、快癒を祈る。
そのような、存在だった。

決して、栄耀栄華を、謳歌したという、事実はない。
ただ、国と、国民のために、祈る存在だった。

天草島原の乱の際に、幕府は、不気味な自然状況から、朝廷に、特別祈願を願い出ている。

そのような、存在が、朝廷だった。
そして、天皇の祈りも、である。

さて、日本の皇室は、一度たりとも、閉ざされた皇室を、目指したことはない。
ただし、皇室の周辺に、皇室への道を閉ざして、自らの権力の道具に利用した、勢力が存在したのは、事実である。

開かれた皇室を、唱える人々に言う。
皇室は、一度たりとも、閉ざした事実は無い。
今更、何をいうのか。

ただ、その無形の権威に、国民は、畏敬の念を抱き、恐れ多いと、畏まっていただけである。
開かれた皇室を、目指せとは、お勉強をしていない、証拠である。

更に、王は、作ることが、出来るが、天皇は、作ることが、出来ないものであることを、肝に銘じるべき。

西欧の、王室と、皇室の違いは、天地の差ほどある。

比べる対象ではない。

日本人は、天皇の存在を、忘れて、生活していて、いいのである。
天皇は、君臨も、統治もしない存在である。

だが、国難、政治が不安定など、大きな出来事の際に、天皇の存在に、安堵するのである。

再度言う。
皇室は、一度たりとも、閉ざされたことはない。

開かれた皇室などを、掲げる、連中は、何かの魂胆があってのこと。

陛下は、日本国中の、出来事に、心を砕く。
毎日。
朝から、晩まで、いや、24時間、心を砕く。

そのような、無私の存在は、世界に二人と、いない。

更に、勉強不足なのは、現人神という言葉である。

これは、国民のことを、言う。
皆が、現人神なのである。

古来の、伝統である。
それを、天皇のみに、当てたというのは、間違いである。

正式に、天皇を、いう場合は、現人御神、あらひとみかみ、と、お呼びする。

大和朝廷以前の、富士王朝では、国民を、皆、神として、呼んだ。
その、伝統を忘れたのである。

更に、加えて言う。
君とは、あなたと、私との、関係で、使われる。

君が代という、国歌は、あたなの、幸福と長寿を願う、歌である。

天皇は、大君と、呼ばれる。
おほきみ、である。

それも、お勉強不足である。

どこの国に、私の大切な人が、幸福で、長寿でありまように、という、歌詞の国歌があるか。
日本の国歌こそ、世界国歌に、相応しい。

これほど、平和な内容の、歌詞の国歌を、私は知らない。

それで、天皇は、国歌を変更せよと、仰せられたか。
そのままである。
それは、国民、皆が幸福で、長生きして欲しいと、思うからである。

無形の権威は、そのように、ある。
我が身は、無私なのであるから、平然として、君が代を、受け入れている。

これが、王室になると、とんでもないことになる。
王の権威と、権力を、謳いこまなければ、納得しない。
それほど、王位というものは、不安定なのである。
つまり、作られるからである。

天皇は、作ることが出来ない。

今年、建国から、2670年を、迎える。
その長きに渡る伝統があるから、首相が、コロコロと、変わっても、国民は、平然としていられる。
天皇陛下の存在があるからである。

海外の要人は、陛下に逢えば、それで、納得する人たちが、多い。
今や、天皇は、キングでも、エンペラーでもない。
世界の、天皇なのである。

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2010年08月06日

天皇陛下について 6

大正10年3月3日、ロンドン・タイムスは、次の社説を掲載した。

三月三日は日本の歴史上最も記念すべき日の一つとなるであろう。裕仁殿下は、きょう横浜からわが国訪問の旅に出られる。日本の皇太子が国外へ出られるのはこれがはじめてである。これは世界最古の皇室の歴史の中で明治維新にも匹敵する大きな出来事である。

裕仁殿下、つまり、後の昭和天皇である。

世界最古の皇室。
日本の歴史上最も記念すべき日。

イギリスでさえ、皇室に対して、最大の敬意をはらう。何故か、世界最古の皇室としての、認識である。

イギリス王室が、決して、適わない歴史と、伝統を有する、皇室の存在である。
そして、イギリスは、それを、歓迎すると共に、誇りにしたのである。

当時のイギリスは、暗黒時代の只中にあった。
失業者は、180万人を数えたという。

そんな中、日本の皇太子の、訪問は、イギリスの、国力を示す良い機会だった。

バッキンガム宮殿をはじめ、多くの場所で、歓迎式典が、催された。
その際の、殿下の、お姿は、多くの人に、感銘を与えたという。

殿下は、目の上が発達されていて、観察力の鋭さをあらわしている。快活で気取らない、礼儀正しい態度は、感謝の気持ちに満ちている。
との、評である。

ただし、国内では、殿下の御外遊に対して、右翼団体の黒竜会のリーダー頭山満などが、過激な反対運動をしていた。

要するに、野蛮な外国へ行くことは、自分と、日本をいやしめる、という、内容である。

それは、知らないゆえのこと。
イギリスでの、歓迎の様を、見たら、如何に、それが、愚かなことか、解るのである。

ここで、特記すべきことは、オランダにて、第一次世界大戦の戦場を、訪れ、殿下は、戦争は、本当に酷い、可愛そうだと、しみじみと、感想を漏らしたということである。

大和言葉でいえば、あはれに儚きことなつかしくも哀しく思われた、のである。

ここに、昭和天皇の戦争に対する、思いが、象徴される。

9月3日、半年間の外遊を、終えて、日本に戻られた裕仁殿下は、二十歳を過ぎたばかりである。

帰国して、次々と、事件が起きる。

安田財閥の頭首、安田善次郎が、刺殺された。
天誅をくわえられたのである。

そして、11月4日、東京駅構内で、原敬首相が、暗殺された。

11月25日、殿下は、摂政に就任された。

父親の、大正天皇の、病状が優れず、執務は、不可能で、皇太子である、殿下が代行していたのである。

時代が、変わろうとしていた。

権威と名声を欲しいままにしていた、山形有朋公爵が、病死した。
明治維新から、日清、日露戦争を戦った、幾多の志士たちの、時代が終わりを告げる。

そして、青天の霹靂、関東大震災が、大正12年9月1日に、起きた。

大変な被害を出した。
東京市内でも、五万数千人が、焼死したという。

損害総額は、推算で、65億円。

流言蜚語が飛び交い、朝鮮人虐殺事件が起こった。

無政府主義者、大杉栄が、憲兵隊の手で、殺された。

摂政宮である、裕仁皇太子は、救済基金として、一千万円を寄付された。
現在では、一千億円に相当する額である。

更に、殿下は、被災地視察に出られ、大災害の状況を、目の当たりにした。
更に、殿下にも、災難が襲った。
難破大助という、凶漢による、皇太子狙撃事件である。

彼は、孤独な共産主義者であった。
特権階級にたいする過酷な警告の一つとして、皇族にテロリズムを遂行する、というものだった。

今でも、共産主義者は、特権階級云々をいうが、一番、特権階級を作るのは、共産主義であろう。

邪な、考え方を持つゆえに、そのような、考え方に染まる。
先祖の因縁が、悪いとしか、いいようがない。

その後、ご成婚、そして、大正15年12月25日、大正天皇が、崩御される。
47歳で、あられた。

皇太子裕仁殿下は、即座に、第百二十四代天皇に、なられた。

昭和が、はじまる。

大正天皇の、御大葬は、翌年、2月7日に、夜を徹して行われた。
宮城から、新宿御苑の斎場まで、50万人の参列者が、街道を埋めた。

イギリスでも、ウエストミンスター大寺院にて、追悼式が、しめやかに行われたという。

東京聖公会の、サザンプトン司教は、日本語で、祈りを上げたという。
ラテン語以外の、言葉が使用されたのは、はじめてである。

それから、天皇陛下としての、即位の大礼が、一年九ヶ月後に、京都御所にて、盛大に、行われた。

当時は、銀行閉鎖や、企業の倒産が、相次ぎ、失業者が、巷を埋める、暗い時代であった。しかし、皇室尊崇の篤い国民は、喜び、慶祝の声が、通津浦浦に満ちたという。

ここで、今上天皇の、生誕を書く。
第四子まで、内親王、つまり、女の子だった。

昭和8年12月23日、皇太子継宮明仁親王が、誕生された。
つぐのみやあきひと親王である。

この年に、月の砂漠という、歌が流行したのが、印象的である。

王子様と、お姫様が、砂漠をラクダに乗って、旅をする。

月の砂漠を はるばると 旅のラクダがゆきました
先の鞍には、王子様、後の鞍には、お姫様

皇太子を、連想させる歌詞が、この歌を、人々の口に上せたのだろう。


posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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