2010年07月25日

メーソートへ 11

スコータイで、何をしたか。
何もしない。
遺跡の観光地である。

ゲストハウスの、お客は、皆、観光客だった。

私は、コータと、夜の食事をとめため、地元の食堂に出掛けた。
お洒落なレストランも、多々ある。
観光客のために、出来たものだ。
しかし、全く、興味がない。

一食、百円程度の、ご飯を地元の、食堂で、食べる。そこに、私は、意味がある。

観光には、興味が無い。
そんな時間は、無い。

その時、私は、考え続けていた。

ミャンマー難民キャンプ支援のことである。

キャンプは、沢山あるという。
それも、多くは、山間部である。

山の中腹にも、キャンプがあると、教えられた。
メラキャンプは、有名であり、知っていたが、その他にも、多々あるとは、知らなかった。

そのキャンプの中での、生活は、とても、想像できないものである。
山から、山菜を採ってきて、売る。大きな葉を採ってきて、屋根を作り、僅かな、金を得る。

支援の無い、キャンプは、それはそれは、貧しい。

私は、チェンマイから車で、行く方が、近いキャンプもあると、平倉さんから、教えられた。
それでも、四時間、五時間は、かかる。

そして、山道である。

到着しても、しばらく、動けないだろう。
しかし、宿泊施設がないので、日帰りしなければならない。

とても、体力がいる。

実は、チェンマイから、車で、五時間のところに、少数民族の子供たちが、寝泊りしている、学校があると、聞いた。
そこにも、支援物資を、持参したいと、考えている。

荷物を持って行くのだから、普通の車では、駄目である。
大型車が、必要である。

十月には、チェンマイに、慰霊と、支援と、コンサートのために、出掛ける。しかし、その時は、それで、予定が、限界である。

そして、更に、多くの支援をするとしたら、船便にて、チェンマイに先に送るということも、考える。

だが、私の頭の中には、タイだけの話ではない。

カンボジアの孤児たち、ラオスの山間部への、支援、ベトナムの北部地方への、冬物の、支援。

ミャンマー北部の、アカ族への、支援も、考える。
ミャンマーは、マンダレーにて、追悼慰霊もしたい。

インパール作戦で亡くなった、兵士の遺骨が、その山の中に、散乱し、すでに、土と、化したものもあるだろう。

インドネシアの島々への、慰霊と、支援。

そして、ニューギニアである。
追悼慰霊は、長期に渡る。
ラバウルからはじめて、ニューギニアの、東海岸線を、慰霊して、回る。
そして、支援もする。

とうてい、一人で、出来ることではない、が、やもうえない場合は、単独行動である。

更に、皆の太平洋の島々への、追悼慰霊である。

パラオでは、砂浜と、遺骨が、混じり合っているという。
ペリリューでは、玉砕である。

死ぬまでに、出来るだろうか・・・

そんなことを、考える。

私は、建物や、団体を作るつもりは無い。
今ある、建物や、団体を支援しなければならない。

学校などを建てるのは、簡単である。
しかし、それを維持する、持続するということが、どんなに大変なことか。

だから、今ある、それらの施設に、支援することであると、思う。
それが、私の方法である。

そして、それなのに、私は、南アジアへも、活動を広げようとしている。

インドから、ネパール、バングラディシュ、パキスタン・・・

支援するべき、場所は、限りない。
しかし、今こそ、日本の心を、アジアに、世界に示すべき時である。
大和心、である。

和の心
つまり、争わない、分かち合う心

私の、死に場所は、そこにある。
死に場所を、見つけた私は、実に、幸せである。
着物を着て、日の丸を持って、歩く。



posted by 天山 at 00:00| メーソートへ 平成22年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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