2010年07月15日

メーソート・ミャンマー難民を訪ねる

深夜バスで、九時間かかる。
それでは、大変だと、飛行機にする。

バンコクから、スコータイまで、エア・バンコクで、飛ぶ。
一時間と少し。
そして、バスに乗り、メーソートに向かう。

スコータイまでの、飛行機は、何の問題もなかった。
朝、七時の飛行機であるから、私たちは、朝四時に、起きて、出掛けた。

その前に、私は、バンコクで、暑さに慣れるために、四泊している。
また、バンコクで、カンボジア流民の親子に、衣服支援をしていた。

スコータイの、バス乗り場に到着して、その人の多さに驚いた。
何と、明日から、三日間、タイの三法祭という、お祭りがあり、皆、帰郷するという。

だから、バスは、満席で、乗れません、である。

私たちの、荷物は、大きなバッグが、三個、小さなバッグが、二個、そして、それぞれの、バックが、一つずつ。合計、七つのバッグなのである。

次のバスを待つことにした。
ところが、受付の、お姉さんが、混んでいるが、乗れると言う。
これ幸いと、乗ることにした。

そして、到着したバスは、満席であり、すでに、立っている人もいる。
更に、私たちの、荷物である。

バスの下の、荷物入れに、入らない。
おじさんは、両側のバスの、下を開けて、何とか、こんとか・・・不思議だが、入れてしまった。

ただ、入れた場所を覚えていなければならないと、思った。

乗車するが、座れる席は無い。
混雑する、バスの中で、立つ。
これが、また、大変に辛いものである。

だが、一時間程度で、降りる人もいて、漸く、席が開いた。
立つ人は、全員が座ることが、出来たのだ。

スコータイから、タークという、街に向かう。
時々、止まるので、約二時間ほど、かかった。

更に、バスは、二等エアコンバスである。
つまり、日本からの、払い下げのバスなのである。
乗り心地は、良くない。

タークに着いた。
兎に角、荷物である。
一つでも、忘れられない。

外は、熱風である。
私は、紗の着物を着ていたが、汗だくになる。
裸になりたい・・・

さて、そこからが、問題である。
メーソートには、ミニバスが、走る。
しかし、メーソート行きの、チケット売り場は、混雑の限り。
百名ほどが、並ぶ。
皆、帰郷する人たちである。

コータは、これじゃあ、乗れないと、いう。
しかし、ここに泊まるわけにはいかない。
今日中に、メーソートに行かなければならない。
そういう、予定である。

コータの、タイ語学校の、休みを利用して来ているのである。

すると、先ほどの、バスで一緒だった、おばあさんと、孫の二人連れが、私たちに、声を掛けた。

混んでいるから、娘に電話して、迎えに来るように、頼んだので、一緒に、乗せてあげるというのだ。

ありがたい、と、思った。

私は、バスの中で、男の子に、お菓子を、差し出して、食べていた。
席に座るのも、一緒だった。

ところが、メーソートの、広倉さんから、電話が入る。
そして、迎えに行きますと、いう。
また、小西さんからも、電話が入る。

私が、事情を説明すると、小西さんは、それは、勧められないという。
タイでは、何があるか、解らない。特に、タークから、メーソートの道は、山道であり、どこに連れられていかれるか、知れないし、身包み剥がされることも、あり得るというのである。

そんなことは、無いと、思うが、両氏が、心配するので、コータと、考えた。

ミニバスは、期待できないとすると、迎えを頼むか・・・
しかし、ここまで来て、また、メーソートに戻るというのは、大変なことだと、感じる。

私は、トイレに行った。
そこで、一台のタクシーを、見つける。

コータ、タクシーがいるよ
ちょっと、アンタ、交渉してみて

コータは、タイ語の会話は、ほぼマスターしている。

700バーツで行くといっている
少し、下げてくれと、言ってみて

戻ったコータが、それ以下に出来ないという。

ああああーーーーしょうがない、それで、行こう。



posted by 天山 at 00:00| メーソートへ 平成22年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奇跡の旅・ビアク島へ 追加2

一体、インドネシアで、何が行われていたのか。

1965年以降、豊富なインドネシア資源の、掠奪が、大規模にはじめられた。
その後の、スハルト独裁時代、米英豪日は、インドネシアを外交的、経済的、軍事的に、支援し続けた。

特に、日本は、インドネシアの最大の、スポンサーである。
アメリカは、最大の、武器、軍事援助を提供した。

1975年、インドネシアによる、東ティモール侵略と、その後の不法占領は、アメリカの、フォードと、キッシンジャーが、ゴーサインを出していた。

インドネシア軍は、即座に、東ティモール全面侵略を開始するのである。

国連、国際法では、インドネシアの、不法占領は、一度も、認められていない。
しかし、実質的には、日本をはじめ、米英豪などの政府は、それを、認めていた。

1999年、米英豪各国は、東ティモールの自決権行使を支持し、インドネシアに対立することは、全くなかった。
国連合意の、枠組みで、不法侵略者であり、東ティモール人に、拷問、強姦、強制失踪を加え、人口の三分の一になる、20万人の人々を、虐殺してきた、インドネシア治安当局に、住民投票の「治安維持」の役割を与えた。

更に、驚くべきことは、オーストラリアと、インドネシアは、共謀し、本来、東ティモールの経済水域に属する、海底油田、ガス田を掠奪してきたことである。
その時は、互いに、50パーセントの配分である。

東ティモール独立後は、オーストラリアが、10パーセントで、ティモールが、90パーセントになった。

しかし、実際は、100パーセント、ティモールのものである。
オーストラリアの、横暴は、見るに見かねる。
どれほど、インドネシアと、共謀して、多くの利益を生み出しているか。

実は、ティモールだけではない。
これが、ニューギニアにもいえるのである。
しかし、今回は、それらは、省略する。

さて、ビアク島に戻ると、その東ティモールの独立を阻止するための、予行演習を、ビアク島で、行ったといわれる、インドネシア警察と、軍である。

日本は、インドネシア、最大の、支援国だ。
その、日本が、それらに対して、何の、意見もなく、ただ、為すがままにしていたという、怠慢である。

また、オーストラリアも、そんな、国際的な、暴力を、公開することもなく、ただ、黙って、流していたことである。

横暴も、極まれり、である。

インドネシアは、スマトラ島の、アチェに代表されるように、独立の気運の高い、地域が、多い。
しかし、それらに対する、見せしめともいうべき、行為を、ビアク島で行い。今では、パプアは、独立の、どの字も出ない状態に、落とされたのである。

ただし、怨念は、消えない。

インドネシアは、軍事政権である。
更に、イスラムによる、独裁国家であると、いってもよい。

私が、泊まった、ビアク島のホテルの主人は、イスラムですかと、尋ねると、ブディストであると、言い、更に、加えて、この島は、どんな宗教でも、受け入れていると、言った。

つまり、宗教による、争いは無い。
それは、また、つまり、それ以上に、国との、戦いという、潜在的な意識があると、感じた。

インドネシアの各地には、宗教対立が、激しい場所が多々ある。

インドネシア領の、ティモールでは、イスラムと、キリスト教の対立が、激しく、互いに殺し合うことが、当たり前になっている、地域もある。

更に、驚くべきは、キリスト教の、新興宗教が、布教をはじめて、キリスト教同士の、争いも、始まっているという。

呆れる。
一体、彼らは、信仰による、平和を求めるのではなく、信仰による、戦いを、求めるようである。

インドネシアは、その政治批判に対して、非常に、厳罰的である。
世界には、知られていないが、矢張り、独裁国家の面目である。

ただ、個人としての、インドネシア人は、日本人に対して、非常に、親日的である。
更に、日本は、仏教の国という、イメージがあるが、それも、大した問題ではない。

空港で、話した、おじさんは、日本との関係を、兄弟だと言うほどである。

そして、戦時中に、インドネシア人も、多く、日本軍によって、使役させられたが、独立戦争を戦った、日本兵の存在によって、その憎しみが、消された。

様々な、複雑な問題を、抱えているが、個人と、個人として、相対したときは、人間としての、付き合いが出来る。

インドネシアは、世界最大の、イスラムの国であるが、地方に行くと、少しばかり、雰囲気が違う。

例えば、パダンに出掛けた時に、若い女性は、自由を語る。
イスラムの、服装は、しない。
それぞれ、自由であると、考える風潮が出来つつある。

更に、イスラムでも、それぞれの土地に伝わる、伝統的行事は、そのまま、受け継がれている。

原理主義的、イスラム教徒も多いが、そのように、緩やかな、イスラム教徒も、出現しているのである。

ただ、地域により、宗教指導者により、抑圧されている地域もあることは、確かである。

私は、これからも、インドネシアに出掛けて、戦争犠牲者の追悼慰霊を、行う。そして、その、ついでに、衣服支援を、行う。

ただ、それだけである。

社会、共産主義国と同じように、政府の批判は、ご法度である。
独裁政権というものは、どこも、同じである。

更に、それらの政権の、特徴は、政府関係者のみが、豊かであるということだ。
それ以外の、国民は、生かさず、殺さず・・・である。

日本の歴史から、見ると、徳川幕府の、農民の政策と同じである。
生かさず、殺さず、である。

更に、日本の軍事政権のときと同じである。

そして、最も、嫌悪すべきは、宗教である。
その政権は、宗教を、人々の、不幸の捌け口にする。
信仰は、現実逃避となる。

ちなみに、アメリカも、キリスト教により、現実逃避をもくろむ。
信仰に生きていれば、何とかなるのである。
そこに、原理主義が、生まれる。

黒人の奴隷たちが、ゴスペルを歌い、その不幸を、乗り切ろうとしたのに、似る。
宗教は、決して、人間を、その現実から、救わない。
救えないのである。

唯一、救いがあるとしたなら、それは、進化である。
政治的進化、倫理的進化・・・

私は、倫理進化学に、期待する。
更に、文化人類学である。
そして、それぞれの、民族の、伝統回帰である。
伝統にある、宗教的なものは、宗教ではない。
伝統は、宗教を内包するが、それは、儀式、所作としてあるもので、十分である。

それが、期待できる国がある。
日本である。
伝統を象徴する、天皇の存在があり、その歴史的意義は、深い。
更に、民族としての、伝統を明確に有する。

宗教から、生まれた、社会・共産主義は、進化しない。
それらは、対立と、不幸を生み出すだけである。

伝統などは、明確に出来ないと、識者がいうが、それは、彼が、それを、知らないからである。
知らないものは、無いものである。

私は言う。
日本の伝統とは、唯一、無私の天皇が、存在し、歌道があり、民族の心象風景である、もののあはれ、という、心情がある。

すべてが、それに行き着く。
今は、ただ、忘れているだけである。


posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 304

例えば、「マルコ福音書」では、イエスが「神殿を清めた」、つまり両替商の台をひっくり返し、「私の家は・・・祈りの家とよばれるべきである。・・・ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」と言ったのは、死ぬ最後の週だったと書かれている。ところが「ヨハネによる福音書」によれば、この出来事はイエスの宣教活動の最初期に起こったことになっている。
イエスが宣教の初期と最後の週の二回、神殿を清めたのだと考える読者もいる。しかしそうなると、「マルコ」も「ヨハネ」も「真実」を語っていないことになる。さらに、歴史的に見て、この二つの記述をすりあわせることは可能だろうか?もしイエスが初期の宣教活動の最中に神殿で騒ぎを起こしたなら、なぜ彼は当局によって逮捕されなかったのだろうか?聖書が矛盾を抱えていることに気づけば、「マルコ」と「ヨハネ」が神殿を清めるというイエスの行為を通して、異なる教えを説いているがために、この出来事をそれぞれイエスの宣教活動の違う時期に設定したのだと考えることもできる。
しかし歴史的観点から見れば、この二つの記述に整合性を持たせることはできない。
アーマン
上記、読みやすく、改行した。

新約聖書には、こうした、多くの矛盾した、記述が、あるということ。

通常の、キリスト教徒や、読者は、それに気づかないのである。
言われて、はじめて、解る。
それほど、意識しないで、読むのである。

単なる、読書ならば、いいが、それを、信仰の根幹にするというならば、その矛盾を解かなければならないはず。

しかし、そんなことは、どうでもいいことだ、要するに、イエスの教えの、象徴なのであると、キリスト教の保守的な人は、言うであろう。
聖書作家の、意図するものを、無視して、どうして、聖書が理解できるのかとは、考えない。

それらは、信じれば、いいということになる。

日本の、キリスト教徒作家の、誰ひとりも、そのような、テーマを掲げなかった。
とても、残念である。
単なる、キリスト教の、片棒担ぎである。

しまいには、日本には、神不在の云々という、実に、蒙昧な、作家もいた。
神という、観念の違いさえも、知らずに、言うのである。
いずれ、名前を挙げて、批判することにする。

上記のような単純な事例よりも、つじつまを合わせることがずっと難しい(事実上不可能であるとあえて断言してしまってもいい)。聖書を構成する書の間に齟齬が見られるだけではなく、一つの書の記述自体が首尾一貫していないこともある。歴史的・批判的な学者は、福音書の記者が様々な出典を繋ぎ合わせたことによって、矛盾が生じたためだろうと長らく考えてきた。
アーマン

実は、私も、長い間、気づかずに、そうして、聖書を読んでいた。
まず、イエスキリストを、信じた。それから、カトリック教会の、教えを信じた。そして、聖書を読む。
聖書批判から、信者になったのではない。
最初に、信じたから、信者になったのである。

だが、私は、批判的に、聖書を読む前に、キリスト教というもの、その、教団の、教義に、疑問を持ち、さらに神学というものの、不明さにも、気づいた。
これは、神の学である。一体、人間が、神の学なるものを、論ずることが、出来るのかという、疑問だった。

そして、それらが、ギリシャ哲学の派生によって、なったものであるという。
更に、妄想逞しい、教父といわれる、人たちの、考えによって、何故、神学というものが、出来上がるのか、である。

仏教の、教義が、滅茶苦茶であるように、キリスト教の、教義も、滅茶苦茶であると、考えるようになった。

例えば、「ヨハネ」では、イエスは二章で初めて奇跡を行い、水をワインに変える。そして「イエスは、この最初のしるしを・・・」行ったと続く。この章の後半部分では、イエスがエルサレムで「沢山のしるし」を行ったと書かれている。さらに四章には、イエスが役人の息子の病を癒す場面があり、「イエスが・・・なされた、二回目のしるしである」となっている。あれ?最初のしるし、沢山のしるし、それから二回目のしるし?
アーマン

とても、単純な、誤りである。

だが、信じている人には、何も影響を与えない。
それは、信じているからである。
信じて、見えなくなっている。

信仰とは、目が開くことだったのではないか・・・
そして、信仰とは、心の自由を得ることだったのではないか・・・

ところが、逆である。
信仰とは、馬鹿になることである。
真っ当な、理性を、生かさないことである。
更には、知性さえも、投げ捨てることである。

そうして、立派な、キリスト教徒になってゆくのである。

まさに、自己洗脳である。

それに、牧師や、司祭が、拍車を掛ける。

そうした、妄想に浸りきった信者の中には、とても、正常だとは、思えない、霊感者が、現れたりする。
祈りのうちに、予知が出来るだの、予言が出来るだのと、妄想に、振り回されて、更には、人を巻き込み、混乱させる。

自己陶酔の、極みである。それも、嘘だらけの聖書を、見抜けずに、自己暗示のような、信仰を、純粋な信仰と、大きな勘違いをするという。

そして、悪いのは、更に、人をその世界に、引きずり込もうとする、熱心な信者である。

自分も、分からない、勿論、人も、解らないという、キリスト教、主イエスの元に、集うものたちを、集めるのである。

牧師、司祭に引き合わされて、感動の、信仰体験などという、妄想を、感じて、入信するという、段取りである。
何故、人は、拝むのか・・・
今の、私のテーマである。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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