2010年07月14日

奇跡の旅・ビアク島へ 14

西パプアは、オーストラリアから、200キロと、離れていない。
1963年、ニューヨーク合意後、インドネシアに、引き渡された。

元オランダ植民地だった、西パプアを巡る、オランダと、インドネシアの、長きに渡る、論争に、終わりを告げた。

そして、1969年、インドネシアが、選び出した、1025人という、パプア人の投票が、行われる。その投票で、インドネシアの一部として、留まることが、確認されたという。

この投票は、西パプアのインドネシアへの、引渡しを監視した、国連事務総長補佐の、ごまかし策であると、言われる。
たった、1025名の投票であるから、実に、おかしなものである。

そして、事件が起こった。

1989年7月、インドネシア軍による、100名以上の、虐殺である。

何故か。
西パプアの、独立を阻止するためである。

その犠牲者の、ほとんどが、女性だったという。

その7月6日に、起きた、虐殺は、実際、40年以上に渡る、インドネシア警察と、軍による、日常的、致命的脅迫と、暴力の結果である。

証言
ビアクの女性たちは、毎日、肉体的、あるいは、性的な暴力に、晒されていた。
そうした生活が、40年以上も続いた。
遠くの村々で、インドネシア軍が組織する、毎月のダンスである。そのダンスの際、あるいは、その後、しばしば自宅で、女性たちが、兵士に、強姦される。
家族や、夫は、何をすることも出来ない。

証言
朝の五時、軍が、数日前に、掲げられた、独立パプアの旗を守るために、港で寝ていた、若い人たちに向けて、発砲をはじめた。
ビアクの街の人たち全員が、銃をつきつけられ、狩り出された。
港にて、丸一日、身体的、性的な、虐待を受けた。
そこには、小さな子供もいた。
100人以上、ほとんどが、若い女性で、乳児や、子供を連れている者もいた。
そして、二隻の船に乗せられ、そこで、裸にされて殺され、体を切り刻まれて、海に投げ捨てられた。

虐殺後、三日間、数百人が、警察署と、軍基地に、拘留された。
インドネシア軍が、病院にけが人の処置をさせなかったため、治療もなく、家に帰らなければならなかった。
いまだに、行方不明の人たちもいる。

ビアク島の、コミュニティは、西パプア全体に広まっていた、独立デモに、参加していた。

当時は、スハルト大統領追放の後で、開放感と、希望が、広がっていた。

新大統領ハビビは、東ティモール独立を巡る、対話を促していた。

ビアクの女性たちは、旗、バナーを作り、港に、独立パプアの旗が、掲げられた。

7月2日、インドネシア軍は、この旗を撤去し、祝福を止めようとしたが、圧倒的な、デモの参加者により、諦めたのであるが、6日、朝五時に、デモ参加者と、ビアクの人々に、軍事攻撃を開始したのである。

身体障害を持つ人の証言
船に、無理やり乗せられたが、船員に同情されて、海に投げ入れられた。
船に乗せられた人たちに、何が行われたのかは、誰も知らない。
誰ひとりとして、生きて帰ったものがいないからだ。
それからの、数週間、遺体が、海岸に浮かんでいたという。
その中には、手足を切り取られた者、胸を切り取られた女、ペニスを切り取られた男などがいた。
別の島に流れ着いた、二人の女の遺体は、足を縛られ、性器に新聞紙が、詰められていた。
海岸に流れ着いたり、魚取りの網にかかった、小さな子供の遺体を含む、合計70名の遺体を確認したという。

さて、1975年に、インドネシア軍により、五名の、オーストラリアTVクルーが、殺された。
駐ジャカルタのオーストラリア大使館付謀報オフィサである、ダン・ウィードン少佐が、まとめた、公式の諜報報告を認めたにも、かかわらず、オーストラリア政府は、インドネシアの虐殺を、公に、非難することを、拒んだ。

オーストラリア西パプア協会が、情報公開を申請するという努力にも、関わらず、その報告は、公開されていない。

2001年、11月、サン紙・ヘラルド紙に掲載された、記事の中で、オーストラリア国防軍の諜報仕官、アンドリュー・プランケット大尉は、ビアク虐殺は、東ティモールの、リハーサルであったと、語る。

更に、大尉は、「オーストラリア政府が、ビアクにおける、インドネシアの行為に、公式の抗議を行うかわりに、目をつぶったことで、その後の、インドネシア軍による東ティモールでの、虐殺に、青信号を与えた」という。

実は、これには、大きな問題が、隠されてある。
東ティモールの、資源の権利を、オーストラリアが、所有する。それにより、インドネシアに、所有権などでの、支援をするのである。

独立により、その権利を無くすのであるから、インドネシア軍に、青信号を出したということである。

特に、石油は、インドネシアと、オーストラリアで、100パーセント、所有していた。

1975年、インドネシアによる、東ティモール侵略と、その後の、不法占領は、アメリカの、フォード大統領と、キッシンジャー国務長官が、ゴー・サインを出していた。
インドネシアは、その翌日に、東ティモールに、全面侵略を開始したのである。

後進国の、悲劇である。
そこに、大国の傲慢がある。
しかし、それらは、皆、世界に公開されずに、実行された。

日本政府も、インドネシアに、全面的支援をして、事態を把握しなかったのか、知らない振りをしたのか・・・

国際法など、完全に無視である。



posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 303

旧約聖書の歴史的叙述には、伝説上の作り話がふんだんに盛り込まれており、新約聖書の「使徒言行録」に書かれているパウロの人生や教えについての記述には、歴史的に信用できない情報も混ざっている。新約聖書の中の多くの書は、ペンネームで書かれている。すなわち使徒によって書かれたのではなく、後世の記者が使徒の名を偽って書いたものである。以上列挙したような事例は、枚挙にいとまがない。
アーマン

であるとするなら、指導者をはじめ、信徒たちは、どう反応するのか。
それは、それ、これは、これ、といっていられない、話しなのである。
信仰の根幹に関わる。

嘘の話を、信じて、信仰など、出来ない。
それならば、自然を信仰の対象にした方が、身のためである。

次から次へと証拠を突きつけられた学生の多くは、早い段階で、聖書が無謬なる聖典であり、完全なる史実に基づいて書かれているというそれまでの確信を揺すぶられる経験をする。あまりに多くの証拠があり、聖書の何百という矛盾に整合性を持たせるためには、推論に推論を重ねたあげくに、強引な解釈を次々と編み出していかなければならないため、最終的に学生の手に負えなくなるのである。
アーマン

学生だけではない、すべての、信じる人たちにとっても、そうである。

強引な解釈は、最も、教会で、行われた。
更に、教会も、歴史的事実であると、信じ込んだ時期がある。

嘘を本当だと、信じ込んだ時に、人間は、どうなるのか。
一度信じたものを、変更するのは、至難の業である。
要するに、自己洗脳であるから、手に負えない。

日本の、鎌倉仏教時代も、仏典が、すべて真実だと、信じた。
情報が少なく、信じるしか、方法がなかった。
それで、あのような、事態が、起きた。

本当は、存在しない、阿弥陀如来がいると、信じて、念仏を唱えた。
釈迦ブッダの、直の教えだと、勘違いして、座禅を持って、悟りを、開くという、蒙昧。更には、法華経のお話が、本当だと、信じて、経典に帰依するという、題目・・・
それらは、すべて、作り物だった。

だが、今更、変更するわけにも、行かず。更に、それで、生活を立てているのだから、更には、教団になると、莫大な、布施が入るのであり、変更する何物もないと、なる。

成仏を説いたが、成仏していない、開祖たちを、信じるという、とんでもないことになっている。
ブッダより、開祖が正しい。
ブッダ以上である。

堂々と、開き直り、親鸞聖人を信じているのである、と、とても、真っ当な神経ではない。親鸞が信じたものが、架空のものだったのである。しかし、それは、見ないで、親鸞を信じるという。

さて、推論に推論を重ねるという。
これは、創作活動と、同じである。

そして、強引な解釈、つまり、今まで教会で、教えていた、教義に、強引に結び付けようとするということである。

それよりも、教会の虚偽が、誤りだったと、認めて、聖書を、読み直した方が、早い。

そして聖書が矛盾を抱えていることが明々白々であるにもかかわらず、頑なにその事実を否定するよりも、いっそのこと聖書にも矛盾があるのだと認めてしまったほうが、聖書がずっと理解しやすいことに気づき始めるのだ。
アーマン

ということになる。

ルターによって、開放された、聖書は、それ以前、一般信徒は、見ることも、出来なかった。聖書は、聖なる書物であるから、神と、同じように、扱われた。

だが、歴史は、それを、許さない。
必ず、公開され、知られるようになる。

マタイの福音書が、マタイと、名乗る人物、集団によって、作られた、書であると、明確になった。
そこでは、マタイの、考えるイエスキリストであるということに、なる。
それは、他の福音書も、同じである。

それぞれが、それぞれの、立場、考え方によって、違えば、その書き方も違う。当然、矛盾だらけになるのである。

人を信用させるのは、権威である。
イエスキリストの、権威を借りて、そうして、造り上げたものが、聖書であるということ。
更には、イエスキリストの、権威も、作られたものである。

イエスは、宗教を立ち上げたのではない。

宗教に、造り上げたのは、後世の人たちである。

更には、為政者と、組んで、その教えを、絶対化した。
ローマカトリックは、その際たるものである。
ローマ皇帝が、利用できるとして、国教としたのである。

イエスの、教えとは、全く違った、イエスの教えが、闊歩する。
イエス不在の、キリスト教の出来上がりである。

そこでは、旧約の神から、イエスまでを、結びつけて、主イエスとなる。
旧約の神とは、ユダヤ人の神であり、ユダヤ教の神である。
一、 民族神が、そこでは、テーマとなっている。
イエスは、その神の子として存在する。

だが、神の子は、ユダヤ人すべてが、神の子である。
イエスだけが、特別ではない。

イエスは、福音書の中で、人の子という。
それを、拡大解釈して、人間の子として、人間すべての、罪の、贖いとして、磔られて、人間の罪の、すべてを、それによって、解消するというのである。

そして、人類の救い主ということになる。
イエスは、その教えの大半を、ガリラヤで説いた。
その、実に、狭い範囲の中で、当時の、ユダヤ教の、偽善に、猛然と立ち向かった。
ユダヤ教の刷新を、試みたとも、いえる。

イエスの、当時の、世界とか、人類という、意識は、どんなものだったのか・・・
地の果てまで行き、教えを、述べ伝えよ、とは、イエスの言葉であろうか。

もし、そう言ったなら、イエスの地の果てとは、どの辺りまでのことか・・・


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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