この程度で、慌てていては、これから、まだまだ、ニューギニア戦線の追悼慰霊をするのであるから、驚くに当たらない。
時間は、朝の十時前である。
ではと、早速、ホテルの周囲を散歩することにした。
食堂も、見つけなければならない。
暑いのだが、日差しは、ジャカルタより、弱い気がした。
そこが、ビアク島の、メイン通りだと聞いたので、また、驚いた。
ホテルの並びに、スーパーがあり、その向かい側にも、スーパーがある。
そして、小屋のような建物が、続いて、音楽ショップや、携帯電話の店・・・などがある。
食堂が、一軒。
向かい側のスーパーの中にも、一軒あるのみ。
それで、おしまい。
歩いても、五分である。
仕方なく、向かい側のスーパーに入り、水を買う。
そして、色々な品物を見て回る。
以外に、食料品が多い。
ただ、果物が少ないのが、気になった。
輸入物が、大半である。
そして、島であるから、全体的に、値段が高い。
それは、何から何までに、言えた。
1,5リットルのペットボトルを、二本買い、一度、ホテルに戻る。
矢張り、汗をかく。
地元の人は、汗をかかないようだ。
水浴びに挑戦してみる。
大きな水槽のような場所に、水が溢れるようにある。
桶を使い、下半身から、かけてみる。
少し冷たいが、気温が高いゆえに、それほどでもない。
体全体に、水を掛ける。
少し、気合を入れた。
意外に、気持ちがいい。
と、それで、タオルが無いことに気づき、そのまま、全裸で、乾くまで、部屋の中で、立っている。
何とも、情け無い。
バリ島で、買った、シルクの腰巻をして、過ごす。
そろそろ、腹が空いてきた。
ホテルの並びにある、食堂で食べようと思う。
腰巻に、Tシャツを着て、出た。
五六人の男たちが、食事をしていた。
メニューを出されるが、全く、解らない。
いくつか、写真が出ていたので、そのから、選ぶことにする。
が、私が、食べたいものは、無いと、女の子が言う。
それでは、ナシゴレンである。
それか、ミーゴレンである。それしか、解らない。
ナシゴレンを注文したが、おかずと、ご飯が別に出てきた。
何とも、変な感じである。
勿論、店の方も、変な感じだろう。
見かけない顔、それも、外国人である。
ただ、おかずが、野菜中心だったので、良かった。しかし、辛い。
兎に角、島の食堂で、食事をしたということ。
日本円にして、百円と少しである。
部屋に戻り、夜は、スーパーの食堂で、食べてみようと、思った。
料理の写真が多いから、そこから選べる。
そして、突然、疲れを感じた。
飛行機に乗った疲れである。
ベッドに、体を横にすると、そのまま、寝てしまった。
目覚めたのが、三時過ぎである。
そこで、ロビーに出て、主人に、聞いた。
車で、一時間、島を案内してもらうと、幾らかかりますか。
英語である。
伝わったようで、一時間、60万ルピアだという。
そして、手配するよと、言う。
それでは、アフターね、と、言って、部屋で考えた。
一時間、六千円とは、高い。高過ぎる。
バンコクのコータに電話する。
ちょっと、一時間車をチャーターして、六千円だってさ
それは、ボッているね
そうだよね。そんなに高いはずないよね
主人は、ガイド付の料金を言ったのかもしれない・・・それにしても、高い。
それで、考えた。
明日、あの運転手が来る。
あの運転手に、こちらから、値段を言い、交渉することにした。
つまり、追悼慰霊に行き、そして、その翌日に、空港まで、送ってもらって、50万ルピアで、交渉してみる。
追悼慰霊の時間は、無視してもらう。つまり、二時間でも、三時間でも、料金は、同じということ。
ホテルの、主人には、頼まないことにした。
アフター、後でと言ったので、そのままにしておこう・・・
島では、五千円でも、大金である。
だが、島の人は、島以外から来た人から、お金を得る以外に、方法がないのである。
ここで、裕福に暮らす人たちは、政府関係者である。
つまり、公務員、警察、軍関係者。
電話の料金を入れるのに、五万ルピアのものを、ホテルの主人に頼むと、五万五千ルピアといわれた。
そして、ホテル前の看板を見ると、五万二千ルピアと書いてある。
ジャカルタでは、五万は、五万で、10万のものだと、二千ルピア安くなる。
嫌だーーーー
嫌な性格であると、我が身を思う。この、ケチケチした、性格・・・
まあ、自腹で、来ているのだから、しようがないが・・・
夜、スーパーの食堂に行く。
写真を指して、注文した。
ばっちり、である。
何のことは無い、ミーゴレンを食べた。
情け無い。
従業員の、男の子たちも、女の子たちも、実に、親切で、笑顔を絶やさないのが、いい。
おいしかった、と、日本語で言う。
サンキュー
意味、通じたのか・・・