2010年07月07日

奇跡の旅・ビアク島へ 7

ビアク島へ、出発の朝、チェックアウトの、追加料金を払うために、フロントに、下りた。
夜の、六時まで、部屋を使用する。

飛行機の、出発時刻は、夜の、11:55である。つまり、飛び立つのは、翌日である。

部屋に戻り、荷物の整理をする。
出来るだけ、少ない手荷物にする。

大きなバッグに、すべてを詰める。
つまり、荷物は、二つになる。
機内持ち込みは、一つにした。それは、正解だった。国内線の、荷物は、一つのみ。

さて、また、電話に料金を入れるために、出掛ける。
お姉さんは、疲れて、寝ていたが、私が行くと、いつものように、電話機を持って、料金を入れてくれた。

私は、その後、少し、散歩した。
勿論、スラム街である。

次回は、海岸に近いスラムに、支援したいと、思う。
スラム街といっても広大な広さなので、戸惑う。

屋台で、食事をしたい誘惑にかられるが、やめておく。
ビアク島に、行くまでは、倒れていられない。

そのまま、そごうデパートに行き、朝と昼ごはんを、一緒にして、四階の、屋台コーナーに行く。

牛肉の炒め物と、ご飯がついた、セットを注文する。
そして、デザートに、ソフトクリームを食べた。
暑い国では、塩と、砂糖が、必要である。
それらは、汗で、流れてしまう。

さて、チェックアウトである。
すべての、領収書を持って、フロントに出し、清算する。

そして、顔見知りの、夜の部の、ボーイに、タクシーを頼む。

ネクストタイム、スティーヒァーというと、ありがとうと、応えた。

タクシーに乗り込み、夜の、空港へ向かう。
ところが、空港への道は、とても、混んでいた。

途中から、進まないのである。

運転手の、おじさんは、済まないと、言う。と、私は、感じた。

オッケー、オッケー
通常の二倍の、時間がかかった。
どうせ、深夜便であるから、余裕である。

ようやく、空港に到着して、カートに、荷物を積み込んで、時間を待つことにした。
そして、夜の食事は、空港の中で、する。

スカルノ・ハッタ空港は、沢山の、乗り場がある。
今回は、国際便のある、F2という、空港である。
そこが、一番、広い。

一階にも、二階にも、レストランが沢山ある。

七時を過ぎていたので、私は、カートを押して、一階に下りた。
その中で、安い店を探した。
何でもある、レストランに入る。

入り口に近い、テーブルに着いた。
注文したのは、チキンの焼きそばである。

私の座席の横を、ふっと、見ると、三人の子供たちが、靴を磨いていた。
その店に入る客の、靴磨きをしていた。

丁度、私のテーブルの横である。
何気なく、見ていると、一人の少年が、何か言う。

全く、解らない。
しかし、腹を押さえて、口に、指を当てる。つまり、食事をしたいという、仕草である。

オッケー
私は、三人に、焼き飯を、ご馳走することにした。

17,13,10歳の、少年たちである。
日本では、考えられないことである。
空港で、勝手に、レストランに入り、仕事をするという・・・

私のテーブルに、彼らは、椅子を三個置いた。
他の客が、不審そうに見ていた。

私たちは、四人で食事をすることになった。
言葉が分からないが、色々と、話をした。

13,10歳の子は、学校に行っているという。17歳の子は、靴磨きで、生活している。

幾らでしているの
五万ルピア、つまり、500円である。

ただ、驚いたのは、彼らの、食事の量である。
注文した、焼き飯が、彼らには、多いのである。つまり、彼らは、いつも、少しばかりの、食べ物で、過ごしているということだ。

そこに、別の少年が来た。
友人だと言う。同じように、靴磨きをしているという。
私は、その子に、カメラを渡して、四人の写真を撮ってもらった。

彼らは、いつも、ここで仕事をしているから、また、来てという。
オッケー
今度は、ズボンと、シャツを持ってくるね

なんだか、親戚の子のような、気持ちがした。
このような、子供たちは、空港の中に、沢山いる。
ある子は、ゴミ箱から、ペットボトルを集めている。
皆、自分たちの、生活を、自分で、支えているのである。

日本なら、養護施設に、預けられる子供たちである。

さて、私は、長い時間を、空港で、過ごさなければならない。

ガルーダインドネシアの、マカッサル経由、ビアク島行きである。



posted by 天山 at 00:00| 奇跡の旅ビアク島へ 平成22年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 296

イエスの時代の、ユダヤでは、まだ、大土地所有者と、大商人とが、分離していなかった。

大土地所有者は、彼らの、広大な土地に、バルサム材、棕櫚の木を植えて、これから取れる、高価な薬品、香料を輸出することで、莫大な、利益を上げるだけではなく、小麦まで、国内の需要さえ、十分でなかったにもかかわらず、利益のために、輸出していたのである。

他方、彼らは、国内においては、穀物の買占めを手段とする、投機によって、あくどい商売をしていた。

穀物の隠蔽が、行われていたことは、旧約聖書、箴言の書にも、出ている。

穀物を、しまいこんで、売らない者は、民に呪われる。それを、売る者の頭には、祝福がある。
箴言の書

これ以上、詳しく書かないが、実に、ユダヤ人というものは、自国民にたいしても、冷酷だった。
更に、差別主義である。

古代は、穀物の生産が、自然条件によって、大きく支配されていた。
市場価格を一定に保つことは、問題にならなかったのである。

イエスの、時代は、穀物4セアの、通常値段は、1セラ、1デナリであった。
バケツ一杯ほどの、穀物の値段は、日雇い労働者一日分の、平均給与に当たる、1デナリであった。

そして、エルサレムの市場管理者は、最高価格を抑えることはせず、購買量を制限していた。

このような、大農場経営に、立脚する、古代資本主義経済機構は、ローマ市民共同体から、巨視的に見れば、奴隷を含む、いわゆる外人に対する、そして、これを、属州ユダヤの自治体から見れば、小農民に対する、経済搾取によって、成り立っていた。

ユダヤの、農民は、小土地を私有する独立自営農民の場合でも、多くの場合は、その農具を、大土地所有者から、借金によって、買うか、あるいは、彼らから、一定の額で、現物を貸付されるかして、農業を営む状態だった。

そして、その借金は、補遺率で、禁止されているにも、関わらず、実際には、利息がつけられていたことは、ラビ文献でも、福音書でも、確認される。

このような、生活状態の中で、ある程度生活を安定させるには、小農民は、家内手工業や、小規模な家畜の飼育、そして、ガリラヤでは、漁業を営んでいた。
だが、それでも、生活が出来ない場合は、土地を放棄し、小作人になるか、町に出て、日雇い労働者になるか、負債奴隷となるか、女の場合は、売春である。

ユダヤにおいて、奴隷は、他のローマ属州と違い、七年ごとに来る、安息年に、自動的に開放されるという、掟があったので、比較的、人道的な扱いを、受けていた。
だが、この、掟が、完全に守られていたことは、疑わしい。

解放後に、進んで、奴隷になる人、奴隷と、ならざるを得なかった人もいる。
特に、このような、状態にある者が、障害者となったり、重病になった、場合は、極めて、悲惨だった。

さて、イエスの時代、祭司と民衆の間に、社会層上の、区別は、明確ではなかったという、事実である。

貴族祭司が、大土地所有者であり、大商人であり、最高法院の頂点に立って、ユダヤ自治組織の体制を、動かしていたことは、確かであるが、下級祭司、いわゆる、レビ人たちは、むしろ、小農民と、同列か、それより、低い経済状態を、余儀なくされていたのである。

ユダヤ古代史によれば、
祭司の中資力を失った者たちは、貧困の中に死んでいった
と、ある。

この時代、祭司の間にも、階級ギャップが、生じていたのである。

持てる者は、与えられ、持たざる者は、持てるものまでも取り上げられるであろう
マルコ、マタイ、ルカ福音書

イエスの活動した、ガリラヤは、ユダヤに比べて、自然状況に恵まれていた。
ユダヤは、ガリラヤなしに、経済的に、成り立たなかったといわれる。

エルサレム在住の、貴族祭司、大土地所有者は、その土地の、多くを、ガリラヤに持っていた。更に、律法学者、パリサイ派の人々は、ラビとして、ガリラヤの会堂を支配していたのである。

また、ユダヤで、土地を失った農民が、ガリラヤで、漁師などの、職、仕事をしていたと、考えられる。

また、面白いのは、ユダヤ教の反主流派組織も、多々あった。
それらは、省略する。

更に、メシアと、名乗る人々も多数いた。

福音書に、登場する、サマリアについて、少し書く。

サマリアは、ガリラヤと、ユダヤの中間に、位置する。
この地域は、ガリラヤと共に、アッシリアの一属州に、編入されて以来、イエスの時代に至るまで、ユダヤとは、接触がなかった。

ユダヤ教とは、異なる、サマリア教が、成立していた。
だが、それも、旧約聖書の、モーゼ五書だけを、経典とみなして、エルサレム神殿を拒否していた。

そして、預言者の降臨を待望していた。

そのため、ユダヤ教徒と、争いが、絶えなかった。
ガリラヤ人や、ユダヤ人が、サマリアを通ることさえ、不可能だった。

だが、ローマ帝国から見れば、サマリアも、ユダヤ州の一部であった。

イエスは、生涯の大半を、ガリラヤで過ごし、最後に、エルサレムに上り、その地で、十字架刑という、極刑に処されて、没するのである。

ユダヤ社会においての、差別は、甚だしく、貧者、最悪の場合は、小家畜飼育者、日雇い労働者、売春婦、奴隷、障害者、病人、それらは、農民層から出ていた、人々は、ラビたちから見れば、律法を守らない、宗教的、社会的な、差別の対象だった。

だが、事実は、律法を守らないのではなく、守ることが、出来なかったのである。

あるいは、守ることの出来ない、状況に置かれていた。
彼らは、ローマ当局から、人頭税、間接税を徴収され、ユダヤ自治機構からも、神殿税を課せられていた。

そして、大土地所有者からの、投機による、被害を、直接受けていたのである。

それを、ラビたち、パリサイ派が、宗教的差別の、対象として、攻撃していた。

なんと言っても、宗教というものによって、正当化する、彼らに、対抗できかる、何物もなかった、悲劇の人たちがいる。

イエスは、その、彼らの側に、ついたのである。

つまり、現代で、言えば、決して、社会的権力、権威を持つ、教会の司祭たちの側ではなく、それらに、搾取され、虐げられた、人々の側について、
もし、神がいるなら、それは、あなたたちのために、存在すると、声を上げて、叫んだのである。

キリスト教国がある。
しかし、貧しい人たちは、教会の中にも、入ることが、出来ない。
それを、私は、見ている。

日本の、キリスト教徒を見て、キリスト教徒を、想像しない方が、いい。
日本の、キリスト教徒は、イエスの存在の無い、キリスト教である。

妄想、熱に浮かれた、イメージ信徒、生ぬるい、信仰という、遊戯に遊ぶ、信徒の群れである。

更に、日本の
司祭、牧師たちは、生活の保障がされて、痛くも、痒くもない、安穏とした、状況の中にいる。
そこで、あたかも、悩んだ振りをして、信徒を、導き、尊敬を受けて、実際は、惰眠を続けている。
だが、その中途半端な信仰によって、ユダヤ魔界と、その魔神と、真剣に取り合わないことが、救いでもある。

ちなみに、彼ら、クリスチャンの言うところの、聖霊、そして、霊性なるものは、無い。
妄想である。

もし、本当に、霊性が、あれば、即刻、教会から、離れる。
その神は、魔神であるからだ。

ヤハウェの天の国に、入っても、救われない。
更に、主イエスも、そこには、いない。

嫉妬と、裁きの神の元に、愛の神を、説く、イエスがいれば、イエスの教え自体が嘘であるといことになる。

だが、鋭い、霊能力で、観れば、黒い神が、白い神を、創造したとある。
魔神が、その姿を、見せずに、善なる姿の神を、創造したことになる。

混乱の極みである。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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